「障がい者は社会に不要」45人を殺した男が見た 重度障がい者施設の闇/ 「ロスジェネ世代」の絶望と怒り

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とんでもないエントリーの表題でびっくりしたでしょ?(笑)

「障害者は社会のお荷物だ。殺した方が良い」と考えた障害者施設の職員がいましたよね。彼は45人を手に掛けて、19人が死亡した事件。覚えてらっしゃいます?

ああいう事件は「知りたくもない、考えたくもない、自分には関係ない」と考える方が大多数だと思いますが、私にはショックなんてもんじゃなかったんですよ。

それは、私は幼い頃からトラウマを持っていて、しかし精神的にも肉体的も障害を持っていたわけではないけれど「社会には不必要な人間だ」という思いが強かったのね。「いないほうが良い」とずーっと思い続けて生きてきました。でも自分で命を断つのってかなり難しくて、またその度胸もなかったというべきなのか、そのトラウマと共に生きてきたわけです。

で、あの事件は「お前は生きるべきではない」と宣告されたような衝撃があったのね。やっぱり・・・、みたいな。そして私は自分の本質を隠して隠れて生きて来たけれど、「見つけたぞ~~、殺してやろうか?」と言われたような気がしたわけです。

自殺をする人は世の中にたくさんいるけれど、一つ確かなことがあると私は思っていて、「本当に死にたいから自殺するのではない」と思っています。「自分は自分の理想通りに生きたい」という思いが強いからこそ、それが出来ないから命を断つのだというのが私の持論。ま、それに賛同してもらおうなんて全く思わないけれど、「生きたいからこそ、自分で命を断つ」のだと思っているわけです。

でもそれって簡単にできることじゃなくて、どうにか自分を騙し、隠し、生きているのに、「見つけたぞ~~。お前は死ぬべきだ」という若者が現れたみたいなことをあの事件で感じたのね。親兄弟、親友にも言わないで隠して隠れて生きているのに「見つかってしまった」みたいな。

実際に精神的に、あるいは肉体的に「重度の障害を持っている人」って多くて、彼らは隠れて生きることは出来ないし、一人で生きていくことも出来ない。本当に可愛そうなんてもんじゃなくて、誰かに助けてもらわなくてはならないじゃないですか。そういう意味で、私の場合は精神的にトラウマを持っているだけで、彼らに比べたら「全く問題がないのと同じ」なのね。でも生きるのが辛いのは同じで、でも自分さえ我慢していれば良いと思っていました。

本当に自分に比べれたどうにもならない人たちって数多くいるわけで、でも社会も政府も「彼らの面倒を見て、彼らの人生に責任を持つことは不可能」なのは、どれほど世界が進化しても変わらない事実。

かつては「親の子殺し」が普通にあったし、「可愛そうだ。殺せない」と思っても「社会から断絶して座敷牢に閉じ込める」なんてこともやったのが世界の歴史だし、「専門の病院に入れて、存在さえも忘れてしまう」現代は、かつての子殺し、座敷牢に入れるのと同じ。そしてその病院では手厚く看護、介護されているのかというと全くそうなっていないのは、時々事件化して表面に出てきてわかること。「犯罪者のように扱われる」のが実態なのかもしれない。

私としてはそういうところに入っている人たちが、どうにも無関係とは思えないんですよ。自分と重なるものを感じてしまう。彼らと私とは全く違うのではなくて、「紙一重」だとしか思えないのね。

「社会から見捨てられた人達がいる」のは間違いがなくて、生まれた時に障害がはっきりわかれば「医者に殺してくれ」という親は現代でもいるはず。どうにか助ける事ができる子供でも「後々のことを考えれば殺した方が良いと判断する医者もいる」んでしょう。これは妊娠中も同じで、検査で異常がわかったり、遺伝子検査で異常が見つければ「堕胎する」ケースも多いはず。

私が驚いたのは、ダウン症に関して。世の中にはダウン症の子どもたちも多いですが、これが妊娠中の検査でわかるんですってね。その時に「親は何を考えるのか」。これに関しては色々な考え方があるはずで、「愛するが故に堕ろす」という論理を持つ親もいるだろうし、私としてはそれの是非、善悪をいえる立場にはない。正直なところ、今では「必ず生かす」と考えていますが、若い頃、本当にそういう立場になったらどう考えるかはわからないと思っていました。

これって「本音の本音の部分の話」で、理屈で簡単に答えが出せることじゃないし、どうあるべきかということも言えないと思っています。それはダウン症に限らず、重度障害もあるし、その種類は本当に色々あるんじゃないですかね。その時に親は何を考えるか。

今、アメリカは大統領選挙を控えて大騒ぎ中ですが、トランプを推す人たちの多くは「福音派」と言われる人たちで、中には「進化論を否定する」人たちもいるくらい。アダムとイブは実在していて、恐竜も同じ時代に生きていたと考える。当然、「堕胎なんてとんでもないこと」なわけで、これが大統領選に限らず、選挙の非常に大きな争点となる。

若い人たちの多くは「それは親が決めればよいんじゃね?」と考えるし、それが現代的なのかもしれないけれど、「何が何でも絶対に駄目」という信念を持つ人も多く、そこが選挙の争点になったり。「堕胎はOK」というリベラル派民主党でも決して一枚板じゃなくて「いつでも堕胎はOK」という人もいれば「妊娠XX週以上は駄目」という人もいたり、それなりにややこしいことになっている。

当然、「障害者に対する考え方も違う。色々ある」わけで、【救うべき】と考える人が多いにしても、どうしたって「限度がある」のリアルの世界じゃないですか。医療の世界の「トリアージ」も同じで、【命の選別】も行われるのがリアルの世界。

こういう風に考えていくと、あの45人を殺そうとしたあの若者の考え方も、「全面否定はできない」部分があるんじゃないですかね。金も手もかかる「重度障害者」「重病人」は【いない方が良い】という考えは、私は異常だとは思っていなくて、「終末医療は必要ない」という世界的な考え方も似たようなもんだと思うんですよ。「金も掛けるな」「無駄なことはするな」ってことでしょ。

何をいうか!と怒る人も多いはずだけれど、では自分はと言えば「見て見ぬふりをする」「考えないことにする」「政府がしっかりやればよいこと」と考えるのが普通じゃない?【臭いものには蓋をすれば良い】という考え方。

社会からすれば「臭いものでしか無い」のか。

これって私も「お前も臭いものなんだよ」と言われているのと同じで、だから自分を隠して生きてきた。

今、これを読んでいる読者の中にも「そういう話は聞きたいくない」と思う人もかなり多いんじゃないですかね。

でも私は思うんですよ。これとはしっかり向き合って生きるべきだと。そしてそれが「私が私を救うことに繋がる」のね。

そんなことを思い出させる、考えさせられる動画がありました。

話の途中から、この女性の話に入っていき、「関係ない話に移っていく」と感じましたが、見続けていると「なんだ、この女性は私と似ているじゃないか」と思ったのね。

だから彼女もこの問題から「逃げることが出来ない」のね。

実は、私が実業の世界から離れてトレードの世界に入ったのも、これと関係があるんですよ。

「救われない人たちを救うには【とんでもない額の資金が必要】となる」のね。そんな額を稼ぐのは、私にはトレードしかない。それだけのことなんですよ。

他人なら「見ぬふり」も出来るでしょう。じゃぁ、自分の子供、孫、親族、友人知人だったらどうします?「大変ですねぇ、頑張ってください」と言って終わり?あるいはその話になったら「話題を変える?」。あるいはいつもその話をする人とは「距離を置こう」なんて考えるんじゃない?

それが人間の本性で、当然、自分の中でもそういう風に心は動く。

私はオーストラリアで「恥ずかしい思い」をしたことがあるんですよ。

それは次男坊の彼女のパーティだったのですが、親族や友人知人が着飾って多く集まるパーティーだったのですが、そこに「重度の精神障害者」が一人いたんですよ。誰でも見ればすぐにそれがわかるような子だった。

私は、「これが日本だったら連れてこないだろうな」と思ったのね。ところがその子を障害者扱いする人は一人もいなかったし、その子も皆と一緒にパーティを楽しんでいたのね。当然、障害者だから「突拍子もない言動もする」のだけれど、誰も一切そんなことを気にする素振りもしないし、「気を使うこともしない」で普通に話しかけて盛り上がってパーティを楽しんでいたんですよ。

これって「日本ならありえないな」と思ったし、そう思う自分が恥ずかしいと思いました。

ああ、今、一つ思い出したことがあります。それはオーストラリアへ永住しようと強く思った「ある出来事」です。

それはすでにオーストラリアへ移住している日本人が見た「ある風景」の話でした。

その人は街を歩いている時に、横断歩道に小学生の集団、6-7人の集まりを見つけたのね。そして彼らは皆、真剣な顔をしていたらしい。一体何をしているのだろうと気になってみていたら、彼らは「輪になって横断歩道を注意深く渡り始めた」のだそう。なんで?と思ってよく見ると、彼らは「車椅子に乗った少年を皆で囲んで守りながら横断歩道を渡っていた」ことに気がついた。

その人は感動したなんてもんじゃなかったとその書籍に書いていたのですが、それを読んだ私も感動しました。そして自分の二人の息子達も「そういう子どもたちの一人であって欲しい」と強く思ったんですよ。

「良し!オーストラリアへ移住しよう。オーストラリアの土になろう」と思いました。今でもその時のことを思いだすと、涙が出てくるくらい。

そして実際にオーストラリアへ渡り、息子たちも育っていったのですが、「助け合う」ことが重要であると教えるのが学校の大事な役目でもあるのね。当然、ボランティア活動もカリキュラムの中に入っていて、まだ子供なのに重度の病に伏している人たちのところへ行って世話をしたり、話し相手になったり、日本で言うボランティアとちょっと違う、「本物のボランティア」を私は見ました。

私はそういう子供たち、オーストラリアを見て、私も勉強になりました。

「臭いものに蓋をしてはならないのだ」と。「自分も当事者意識が重要なのだ」と。

政府がやれば良い、なんてことじゃないし、民間の一般人が「弱者を助ける」のってその積み重ねを金額で換算したらとんでもない額になるのね。そしてそこに費やされる時間も半端じゃない。政府の社会保障ってとんでもなく分厚いオーストラリアでも、民間人が率先して「弱者を助ける」って本当に何なんだこの国は?と思うくらい。

さて、自分には何が出来るのか。

これは「皆と同じことをすれば良い」ってことじゃなくて、人それぞれ得手不得手もあって、「それぞれが出来ることをすれば良い」だけのこと。さて、私には何が出来るのか。

私には若い頃から変な癖があって、世界を回ると「どこにでも乞食」がいるじゃないですか。多くは年寄りであったり、乳飲み子を抱えた若い女性であったり、そして障害者であったり。そういう人たちを「観察する」癖があるんですよ。中には「職業乞食」も存在するのは、私が育った新橋にもいたのを幼い頃から知っていたし、乳飲み子を抱える女性も「乳飲み子がちゃんと訓練されている」とか、「それは商売道具としての借り物」であるとか、歩けないはずなのに「信号は渡って歩く」とか、そして「元締めもいる」ような闇がある世界。

そんなのが遠くから観察していると見えてくるのね。当然、中には本当に困っている人がいるのも見えてくる。

スリランカでは、スーパーの出入り口に小さな子どもたちがたくさんいたのね。何をしているのかというと、彼らは「物乞い」だったのだけれど、スーパーから人が出てくるとすぐ彼らが取り巻くのね。で、「手を出して何かくれ」というのじゃなくて、「その手を自分の口に持っていく仕草をする」んですよ。要は「食べ物をくれ」ってことなのね。

「金をくれ」というのは世界中で経験しましたが、「食べ物をくれ」という子どもたちを見たのはスリランカが初めてでした。でも大人たちは食べ物を与えずに、ポケットから小銭を取り出して、遠くに投げるのね。そうすると子どもたちは皆、そのお金を拾いに走って離れていく。「なるほどなぁ」と思いましたっけ。もし目の前の子どもたちに直接何かを与えたら、それこそ遠くの方からも子どもたちが集まって大変なことになるのね。

また私がスリランカに行っていた時代は1980年代で、スリランカも本当に貧しかった。でも金持ちは半端じゃない金持ちで、私は宝石関係の仕事でスリランカに行っていたのですが、付き合いのある相手は「スリランカの経済を牛耳る12の家族の内の一つ」と言われるぐらい、半端じゃない金持ちでした。彼は広大な敷地を持つホテルも経営していてそこに私も滞在していたのですが、「庭にはスリランカにある全てのフルーツが植えてある」と自慢していましっけ。

彼と食事に行くと、それはそれは立派なレストランで高価なものばかりご馳走してくれるのですが、あることに気がついた。それは「そういうレストランの入口には物乞いがいる」のが普通だったのね。多くは年寄りだった。そして大金持ちの彼は「余った食べ物」を必ずテイクアウトするのだけれど、我々がする「家で食べるためのテイクアウトじゃなかった」のね。

彼は「豪華な食事の余り物」を袋に入れて、それを必ず「外にいる物乞いに渡していた」んですよ。それも「はい、これあげるね」じゃない。大金持ちの彼は見窄らしいその老人に頭を下げ、手を合わせながら「余り物を渡す」んですよ。これって「こんな余り物で申し訳ない」と言っているように見えました。当然、物乞いは平身低頭して手を合わせながらお礼をいうわけですが、「手を合わせてお辞儀をしながら余り物を渡す大金持ちと、手を合わしながらお礼をする物乞い」の図、というか対比というか、こういう姿を見たのも生まれて初めてでした。

貧しい人を助けるのは「助けてやってる」「何かあげる」というのじゃなくて、「貴方も私も同じ。私にできることをさせてください」という「無言のやりとりがある」のを私は感じました。それは「障害者に対しても同じ」なのね。これがスリランカの有名な大金持ちが道端でやるんですよ。信じられます?

ああ、これがボランティアなんだろうと思った。

それを思うと、自分って最悪だなと思うわけです。(笑)

モスリムが多い地域では「商品に値札がない」ことも知りました。でもその理由は私にはわからなかった。それどころか「相手を見ながらぼる為だろう」ぐらいに思っていたんですよ。ところがモスリムの教えで、「金持ちはたくさん払う」「貧乏には安く売る」という古い習慣があるのを知った時には驚きました。ま、考えてみれば「素晴らしいシステム」だと思うし、「同じ商品、同じ値段」でも【買う側から見れば、メチャ安かったり、とんでもなく高かったりする】わけで、売る値段を変えることにより「真の平等が保たれる」と考えることも出来るのだろうと思いました。

でも自分は何をしていたかと言えば、「値引き交渉が面白い」のね。だから「かなり安くなったな」と思ってもまだまだ値切るのね。「その値段ならいらない。帰る」なんて素振りを見せたりして、とことんまで値切る。で、「こんなタダみたいな値段まで値切れた。\(^o^)/」なんて思うのね。でも本心は「そこまで安くしてくれなくても、十分安いと思っている」わけです。

またモスリムの世界では「お祭り」があると、金持ちがこぞって競うようにして「大金を使う」のも知った。それこそ普段、貧乏人の口には入らない「ヤギの丸焼き」や様々な料理をだして、「来る人拒まずに、それらを分け与える」のね。これって我々の感覚だと「見栄を張っているんじゃね?」なんて思うし、そういう部分もあるのだろうけれど、「そういうことが出来る自分にしてくれた神に対する感謝の気持ち」があるのは間違いないと思う。

これは18歳の時に初めて行ったグアムも同じで、彼らグアム人はとにかくパーティーばっかりやるのね。親族中心のパーティーは毎月誰かやるのは当たり前だし、「村をあげての大規模パーティー」もある。これってそれこそ何百人も観光旅行者も集まるわけで、不思議なのは「全て無料」なのね。そして「参加資格」なんて全く無くて、「誰でも来てください」という大規模パーティー。

無料かぁなんて思うと、「ろくな食べ物もないだろう」と日本人的には考えてしまうけれど、ところがどっこい、豚の丸焼きからステーキ、その他、結構高いものもズラーッと並んでいて、な、な、なんと飲み物、つまりビールやウィスキーも無料。「一人一杯ね」なんてケチクサイこともない。食べ放題、飲み放題。そして帰る時にはテイクアウトまでして、家にいる家族の分まで持って帰る。

これはやっぱりグアムの歴史が大きく関係していて、小さな島国で常に大国の脅威にさらされていて、スパインとは30年年戦争と言われる戦争も体験し、人口が3分の1になったこともあると聞いた(要確認)。当然、女子供が多く残るわけで、彼らを助けるために「分け与える」のはもちろんのこと、「一夫多妻制はない」にしろ、独身者が子連れの女性と何の抵抗もなく結婚するとか、私の知人の息子で「誰が父親かわからない。でも妊娠している」という女性を「俺が助ける」と結婚したような息子がいて、そういう息子を親が自慢するような土地柄。

これってモスリムの一夫多妻制もどんな歴史があってそうなったのかは簡単に想像できる。

ま、日本人は綺麗事が好きだし、他人に良く思われたいという感情は強いし、おもてなしじゃなんじゃというけれど、そんな理屈も言わずに「困ってる人を助けるのは当たり前」「皆で分かち合うのは当たり前」と行動する人たちって世界に多くいるのね。

そういう意味では、日本は後進国かもしれない。「困った人を助ける?」、それって【自治体や政府の仕事だろう】と考える人は多い。そして自分は「見て見ぬふりをする」のが普通じゃなかろうか。

もし自分の家族、親族、縁ある友人知人が困っていたらどうする?他人や政府に助けてもらう?それが可能なのか?

「助けてもらいたいのは俺の方だ」なんて言葉をよく聞くけれど、これが日本の実態。

そんな日本に私は「救いはない」と思っているわけで、だから小さくても構わないからダボコミュニティーを作りたいんですよ。「一人が皆のために、皆が一人のために生きるコミュニティ」を作る。それには膨大な資金が必要なわけで、それも皆で力を合わせて作る。そして余裕があれば、「リターンは望めないけれど非常に大切な仕事」って世の中にいくらでもあるじゃないですか。そんなプロジェクトに参加するのもダボ家の夢。

私は幼い頃からトラウマに押しつぶされそうなまま育って来たけれど、その背景があるから「今の夢がある」し邁進できるのだろうと思っています。

あの辛い時期を与えてくれた「見えない何か」に今では感謝しています。

「死にたい」なんて思ってる人がこのブログを読んでいるとは全く思えないけれど、私は言いたい、「絶対に死ぬな」と。

【死んだつもりになれば、この世に怖いもの、恐ろしいことなんか何もない。なんでも出来る】のね。「今、自分はその強さを手に入れる直前にある」と是非考えてみて欲しい。

 

 

 

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