来週の四日間の断水だけど、どうしようか・・ + 与太話

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来週13日から四日間の断水がKLで広く始まりますが、皆さん、どうする予定ですか?

我が家は、とりあえず「飲料、料理用の水」は十分あるし、「お手洗い用の水」を各人それぞれ80リッター程度は貯められるようにイケアからバケツを買いましたが(2日で届いた)、シャワーに入れないのは同じ。

サウジャナに住む姉に様子を聞いたところ、サウジャナも断水の地域内。でも今までの断水でも水道の水が止まったことがないそう。そして今は居住者もかなり減っているようで(パーキングがガラガラだそう)、きっと問題はないだろうとのこと。

ま、今までの経験でも私達もほぼ問題がなくて、コンドにある貯水タンクでどうにかなっちゃうかもね。一軒家に住んでいる人たちはもろ影響があるんだろうけれど。

でも止まったら真っ青なので水を貯めておくしか無い。

シャワーは・・・・。どうなりますか。

多分、断水が始まっても最初の1日2日は水はでるだろうから・・・。止まったらサウジャナまでお風呂をもらいに行きますかね。

---ここからは毎度の与太話---
 

お風呂をもらいに・・・、って懐かしい言葉だなぁ。

私が過ごした幼少期の新橋って、商人の町で、多くの人は「お店の二階に住む」って感じで、自宅にお風呂がないのが普通でした。だから銭湯に行くのだけれど、入れ墨を入れた人がごっそり居たっけ。

親類の家に遊びに行くと必ず「フロに入っていけ」と言われたのだけれど、それが嫌で嫌でそして悔しい思いをしたのを思い出します。

早くお風呂がある家に住みたいって。

お風呂がある家に住んだのは小学校4年生ぐらいですかね。新橋から四谷四丁目に引っ越しをしたのですが、祖母から父がかなり怒られていたのを思い出します。商人が店から離れて住むなんてとんでもない。何を考えているんだって。

そんな時代が懐かしい・・・。

新橋って今とは全く違っていて、スーツを着ている人なんかいなかった。商人とヤクザと夜の女、そして芸者とオカマ(歌舞伎役者)の街。夜になるとバーの呼び込みの声が聞こえたっけ。

皆さん、昔はバーの入口には必ず綺麗な女性が立っていて、「おにーさん、寄っていきません?」なんて声をかけるのが普通だったってご存知?キャバレーは蝶ネクタイのオニーちゃんが「シャチョー、良い子居ますよ!」だったけど。

そんな呼び声と女性の嬌声、そして酔っぱらいの声が私の子守唄でした。

我が家の真ん前は「芸者の置屋」でいつも綺麗なおねーさんたちが三味線や踊りの稽古をしていたっけ。我が家の二階は置屋の二階稽古場の真正面で、いつも綺麗なおねーさんたちを見ていました。

夜になると遠くの方から「新内流し」の歌声が聞こえたり。オカマが小指を立ててお尻をフリフリ歩いていた街。

ゲイバーの発祥地も新橋って知っていた?

我が家の一本裏通りに烏森神社に続く細い道があるのだけれど、そこがゲイバーの発祥地。有名な「青江のママ」とかいて、当時はまだ男装だった。

オカマの多くは「売れない歌舞伎役者の女形」だったのね。で、新橋は歌舞伎役者の遊び場でもあった。実はそれが我が家にも関係があって、戦後の焼け野原に祖母が店を開いた。(母が二代目女将で、ヨメさんが三代目になるはずだったのだけれど、ちょっと特殊な店だったので時代の流れで持続が難しくなり1990年に廃業)

懐かしいなぁ。あの頃の新橋に戻ってみたい。

お祭りには「芸者神輿」も出て面白かった。

当時の私。昭和31年頃かな?

あの当時の友達には「俺はやくざになる」なんて料亭の息子もいたけれど、今はどうしているのか。

初恋の酒屋のサッちゃんは今どこで何をしているのか・・・・。

新橋のど真ん中なんて「自然もない」って思うでしょ。ところがどっこい、日比谷公園とか浜離宮が近くて、特に浜離宮なんて私にとっては大自然そのものだったんですよ。

懐かしい。本当に懐かしい。耳を澄ますと、あの真夏の蝉の鳴き声も聞こえてくるような気がします。

という断水の話。(笑)

 

 

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