ロシアのウクライナ侵攻で、私達が常識だと思っていた様々なことが否定されたと思うし、それは決して「他人事ではない」と思っているのですが、日本人の意識で驚いたデータを見つけました。
「質問」戦争になったら自国のために戦うか?
この質問で86カ国をサーベイした結果、なんと日本は「最下位」であったと。
どうあるべきかなんてことを書くつもりはありませんが、どうしてこんな結果なのかを考えざるを得ませんでした。
一番に思ったことは「戦争になることはないと考えている」ってこと。でもそれは「戦争になったら戦うか?」とは関係がないはず。あくまで「もし戦争になったら」という前提があるわけですが、自分が戦わないとしたら、誰が戦うのか?
これに関しては「もし中国が攻めてきたらすぐに降参する」という若者が多いのを街頭インタビューで見ましたし、そもそも「自国を守る必要はない」と考えている様子。これは日本の左派の考えを聞いても「守る必要はないとはっきりは言わない」にしても、「何があっても戦ってはならない」という基本があるのは間違いがなさそう。
自衛隊基地の拡充にしても「中国を刺激すれば、それが彼らの攻撃の理由、対象になるから反対」と言う「知事」「政治家」「マスコミ」「運動家」がいる。
どうしようもないなと私は思ったのですが、ウクライナのことを考えると「それも一理あるかもしれない」のね。ウクライナがNATOと距離を保ち、ロシアに向けたミサイルも持たないとしたらロシアはウクライナに侵攻しなかったかもしれない。
でも何よりも大事なのは「国際法を守る」ということであって、それを無視する国家が他国を侵略するという事実を目の当たりにしたとき、「万が一の時には戦わないとならない」のはどの国も同じだと思うんですよ。
日本だけは大丈夫なのだろうか。
すぐに降参すれば良いのだろうか。
あの橋下徹氏やテレビ朝日の玉川氏が「ウクライナは早く降伏するべき」と言ったのには驚きましたが、そう考える人も決して少なくはないのだろうし、当然、日本がその立場になった時には「すぐに降伏すべし」となるんでしょう。街頭インタビューに答えた多くの若者の考え方は、実は多くの日本人の考え方なのかもしれない。
なんでこんなことになったのかは、「太平洋戦争の贖罪の意識が強い」「日本を占領したのはアメリカだった」ということなんだろうと思っています。
贖罪の意識醸成はマッカーサーのWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)が完璧に機能したし、それに日本の左翼、メディアも全面的な協力をしたし、教育の場も同様。だから「原爆が落とされたのも日本が悪い」と考え、アメリカによる原爆投下は世界史上、最大の戦争犯罪であると声を上げる政治家も国民も出てこない。というかその声は簡単に抹殺された。
と同時に、占領したのがアメリカだったというのもかなり大きく影響していると思うんですよ。アメリカは「日本の悪いところを直し」「自由を与えてくれた」と思う人が多いハズ。そして運良く「ソ連に統治されることはなかった」。でも満州で何が起きたか、北方領土はどうなったか、シベリアに抑留された人たちはどうだったのかを考えないのもおかしなもんだと思うんですよ。
大多数の日本人は「アメリカから恩恵を受けた」と思うんじゃないですかね。だから「戦争に負けて他国に統治される恐怖を知らない」んじゃないかと。
ソ連が8月15日を過ぎたのに日本に進軍してきて満州や樺太、北方領土に来たわけですが、ソ連は「北海道を取るつもり」であったしそれを阻止したのは、8月15日以降も武装解除せずにソ連と戦った日本軍が善戦したからと聞いています。
もし北海道が取られていれば、東西ドイツ、南北朝鮮に別れたように日本も完全に分割されたかもしれないですね。でもそれは運良く避けることが出来た。
日本でさえも、「北朝鮮と同じ状態になったかもしれない」わけだし、近代の世界史を見ると「戦争で負けて虐殺された」なんて例はいくらでもあるし、今、ロシアと戦っているウクライナでも「過去の悲惨な経験」があるから「絶対に負けられない」という。
この日本とウクライナの違いって非常に興味ある点で、「日本は降伏することによって多くの命を繋ぎ止めた」けれど、「ウクライナでは負けて残虐行為が行われた」という違いがある。だから「日本は生きるために降伏する」と考え、「ウクライナは生きるために徹底抗戦をする」と考える。
この違いがわからないと、「ウクライナは早く降伏すべき」なんていう言論人やコメンテーターが出てくるのだろうけれど、あの橋下徹氏もそんな事を言うのには本当にびっくりしました。
「命が一番大事」なのは間違いがないのでしょう。でもその命は誰の命のことを言っているのか。少なくとも私は自分の命が一番大事だという考え方は持っていないので、「命が一番大事」という言葉を聞くと、「誰の命のことを言っているのか」が非常に気になります。
もし自分の命が一番大事だとすれば、「敵が来たらすぐに降伏し、勘弁してくださいと拝むしか無い」のはわかる。でも自分ではなくて「愛する者の命が一番大事」だとした場合、皆で一緒に敵にひざまずいて助けてくれと懇願すればよいのか。
私が思うのは「誰の命だろうと関係なく命が大事なのは間違いがない」けれど、では【何を守るべきか?】という問いの答えは「命ではない」のであって、「個々の生命を大切にして自由に生きる事ができる環境を守ることが何よりも大事」だと思っています。
その環境が壊されれば「虐殺」「略奪」も簡単に起きるし、「暴行」「強姦」なんてのは普通のことなんでしょう。
だから命が大事だとするなら、それが守られる環境を維持することが何よりも重要になるんじゃないですかね。だから人は戦争が起きると戦うわけで、逆にそういう環境ではない場合、命を賭けて「革命」に向かうんじゃないですかね。
だから「幸せを維持するためには、【個々の生命の犠牲はつきもの】である」のが真理だと思うし、それを理解している人は世界には多く、理解していないのが日本人で、86カ国中最下位なんだろうと思うわけです。
国民がそう考えるということは、当然、そういう政治家しか出てこないし、メディアもそういう方向にしか行かないんじゃないですかね。そして「皆で今の平和を精一杯享受しましょう」ってことなんでしょう。
でももし何かが起きた時には、そういう国はなんの対応策もないのと同じじゃないですかね。自衛隊も中途半端。法整備も出来ていない。必要な法律も完備していないから西側の強固な繋がりの和にも入れない。
そういう状態なのはその国の勝手だから良いにしても、「助けてくれ」という国も助けられないわけで、そういう国は世界から除け者にされてもしょうがない。そして実際、それが今の日本だと思うんですよ。
日本は重要な西側の一国なのに、世界の大事な決定には参加できない。いや、「口も出さない代わりに何もしないのを認めてくれ」というのが日本の基本なのかもね。憲法9条もあるし、他国を助けないのを正当化できてしまう。
今回のロシアのウクライナ侵攻にどう対応するのか、岸田政権をずーっと観察してきましたが、まさに「対岸の火事」としてしか見ておらず、「できれば関係したくない」のも見える対応。
でもそれは西側諸国全部がそう考えているフシがある。程度の差があるだけでウクライナを真剣に助けようという意志は私には見えない。そうならそうで、最初からそういう態度を見せればよいのに、「何かあったらウクライナは助ける」とウクライナを説得し、ウクライナはそれを信じて「世界第三位の核保有国」という立場を捨てた。
最近になって、ウクライナのゼレンスキー大統領が「もっと手を貸してくれ」と怒るように世界に呼びかけるのも当たり前だと思うんですよ。そのうち「話が違うじゃないか」ぐらいのことは言い出すかも。
かといってNATOがウクライナ上空に「飛行禁止区域を設定」なんてしたら、それに違反するロシア機をNATOは撃墜するしか無いわけで、それは世界戦争になってしまう。今はウクライナに「武器供与」が行われているけれど、これもロシアから見れば「参戦した」と言われてもしょうがない。だからドイツも当初はヘルメット5000個を供与なんてことを言っていた。
解決方法なんてない。チキンレースになるだけで結末は誰にもわからない。
だからどの国も「核兵器」を持とうと考えるし、持っている国は手放さないし、世界は「北朝鮮は生き延びている」けれど「核開発を諦めたリビアもイラクもコテンパンにやっつけられた」のを知っている。
核拡散防止条約(NPT)も全く意味をなさいことを世界は見た。核保有国のロシアが「核の使用をちらつかせる」のだから。
また国連も何も出来ないのを確認。国連憲章のもとに加盟国がその実施を義務づけられる決定を行う権限を持っているのは安全保障理事会だけれど、そこでの拒否権を持つ常任理事国が問題の元であったら、安全保障理事会は有名無実のものでしかないなのを世界は確認した。
それは日本の憲法も同じで、私が日本国憲法で何が一番気に入らないかと言うと「前文」なんですよ。
その中の一文ですが・・・・
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。
これって「悪かったのは日本だけで、世界の国々は【平和を愛している公正で信義のある国だ】と決めつけている」わけですよね。そして【彼らを信頼して日本の安全と生存を保持しようと決意した】と。
これって中国に対してもロシアに対してもなんだか煮えきらないような態度を見せる岸田政権、そして中国や韓国の肩を持つばかりで反日なんじゃないかと思うような左派も同じで、【彼らこそこの日本国憲法の前文を信じてそのとおりにしている】とも言えるんじゃないですかね。
「日本は主体性をもたない」と憲法の前文で宣言しているのと同じで、「常に外国の立場を優先する」のが正しいということになる。
じゃぁ、外国と外国が紛争を起こしたらどうするのか?
自らの意志は発信せず、周りの動きを観察しながら「同盟国のアメリカ」の後を着いていく鞄持ち、金庫番みたいなことしかしない、出来ない。でも日本はそうすると憲法の前文で宣言しているのだから、それは正しい行為となるんでしょう。
ロシアが「非友好国リスト」を公表して、その中に日本が入っていましたよね。そうしたら日本政府はそれに「抗議をした」とのこと。これって違和感を感じませんか?「我々日本人はロシアを友好国だといつでも思っている」とアピールしたいんでしょうか。
でもこれもまた、日本国憲法の前文を考えれば、正しい反応となる。日本はロシアの公正と信義を信頼しているんですから。
ただ今回のウクライナ侵攻でNATO、安全保障、同盟とは何かに興味を持つ人が増えてきたのは良いことだと私は思っていて、NATOと日米安保には決定的な大きな違いがあるのを知らない人が減ることを切に願っています。
日本は日米安保条約で守られている。何かあればアメリカが助けてくれると考えている人は多いけれど、日米安保の場合は「アメリカが助けることもある」という方が合っていると思うんですよ。
要は同盟とは「一国が攻撃されたら、同盟国はそれを助ける」ことになっていますが、NATOの場合は【自動参戦】なのに、日米安保は【アメリカが参戦するには議会の承認を得なければならない】ことになっている。NATOの場合は議会の承認は不要で、即刻参戦。(この違いを知らない日本の政治家もいるらしい)
また日本は「アメリカの核の傘の下にある」というのも、そういうふうに考えることも出来るだけのことで、アメリカが日本のためにアメリカの生死に関わる核を使うかといえば疑問。でもま、仮想敵国にしてみれば、「日本の後ろにアメリカがいるのは怖い」のは間違いなくて、そういう意味での抑止力にはなっているのでしょう。
でもそれはアメリカが強く影響力を持っているからであって、アメリカが今まで以上に衰退が進んでいけば「日本のためにアメリカが危険を犯すことはありえない」と考える国が出てきてもおかしくない。
日本でも核に関する調査や議論が進めば良いと思うのだけれど、話し合いさえももってはならないという世論があるのは本当に不思議。これは憲法改正も同じで、「まずは話し合いましょう」というそれさえも否定する。これって「改正は国民が投票で決める」ということさえ否定しているのと同じじゃないですかね。
非核三原則という法律でも何でも無いのにそれを後生大事にするのもおかしいと私は思っていて、でもそれをなくすべきと言うんじゃないんですよ。まずは「話をしましょう」ということで、私はその議論そのものが抑止力を持っていると思うくらい。そして私は「日本の核武装は反対」です。でも議論をガンガンやれば「日本は本気で検討している」と世界は思うはずで、私はその議論を何年でも何十年でも続ければ良いと思うくらい。
そもそも「持たず、つくらず、持ち込ませず」ですが、日本に寄港するアメリカの空母や原潜が、その時には核ミサイルを降ろしてから来ると思ってるアホはいないんじゃないですかね。
こういう曖昧さが日本ってあちこちにあって、全体の雰囲気として「なんとなく安全が確保されているような感じ」で良しとしているいい加減さがあるし、そういう日本であるのを世界のインテリジェンスはきっちり把握しているのは間違いがないと思います。
そしてなおかつ、国民は「国のために戦おうなんてまるで考えていない」不思議な国。
私はこういう国で、自分の子孫の繁栄を築こうとは思えないんですよ。いつ爆発するかわからない爆弾の上で生活しているように感じるから。
でも日本人って「近い内に必ず来る」と言われている大地震にも対策らしい対策をせずに平気で生きていける民族だから、安全保障に関しても「何か起きたら起きたらしかたがない」で済んじゃうのかもね。
日本は核爆弾を落とされた唯一の国なのに、日本には核シェルターなんて全く無くて、落ちたら落ちたでしょうがないと思う国。
国別の核シェルター保有率(人口比)
不思議な国、日本。でも私にとっては唯一つの大事で愛する国。
------- おまけ -------
日本やウクライナの若者がどんなふうに考えているのかが垣間見れる動画。義勇兵の話も。
私は今月69歳のジジーになりますが、もし日本に危機が迫って私を日本が必要とするなら、その時には馳せ参じようと思っています。
でも海外の国の義勇兵になるという感覚は私の理解の外。
アメリカは戦争好きだとバカにする人も多いけれど、近年でも戦いの現場で多くのアメリカの若者が死んでいったわけで、ほとんどが本国アメリカに直接関係のない戦争。どうして彼らはそういう戦争に自分の命を賭けることが出来たのか、それを知りたいと思っています。