「円安介入」を利用したお小遣い稼ぎは中断することに。トレーダーっていつも何を考えているのか?

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円安に関して日銀が介入するのを利用した「お小遣い稼ぎ」ですが、残念ながら失敗。私が仕掛けた値には届かずでした。

その指値は今まで入れたままでしたが、様子が変わってきたので「撤退」することに。(過去の考え方その1その2

その理由ですが、【値動きの様相が変わってきて「円を積極的に売る勢力」の力が衰えてきたのがはっきり見える】から。

今までの値動き。15分足です。

介入がはっきりわかるのは、上のチャートの「1度目」と「2度目」で、その後、それなりの反発があり「介入で円安は止められない」と言われていた通りの動き。これでお小遣い稼ぎを狙ったわけですが、私が仕掛けておいた「指値二箇所」には届かずでした。

その後、不可解な動きが三度ありますが、これも「介入の継続」と考えて良いと思うのですが、その後の【反発らしい反発がない】のが気になります。ここは何が起きたのかははっきりわかりませんが、「円買いの介入らしき動きがあった」というより、「常に買い圧力があった中で、【売り勢力の力がなくなった場所】かもしれない」わけです。

どちらにしても1度目、2度目の様に、「値が力強く戻ってこない」のは間違いがなく、私の作戦は「値が戻る反発力に期待する」わけですから、現在値がどうのというより「円を売る力が弱いことが問題」だと考えます。

実は私は、「日銀(財務省)は40兆円もあると言われている外為特会の含み益をせっせと利確している」んじゃないかと疑っています。この円安でボロ儲けしてウハウハなのは財務省だけですが、その利益をどうするつもりか、政治家はしっかり岸田政権に問いただすべきだと思います。

ということで、ここは作戦終了とします。

後は今後の値動き次第でまた作戦を発動するかどうかを考えるつもり。

ここから先はいつもの与太話。

ま、このようなチャンスは一生の内、数回あるかないかというようなイベントですが、「真面目に本気を出して向き合えば年収分ぐらいは稼げるチャンス」なのは間違いがなく、こういう時の稼ぎ方は研究して「自分の引き出しの一つ」として持っておくのは良いことだと思います。

少なくとも「円安方向は間違いがないのだから、円を売り続ける」というような単純思考では、我々のような雑魚は【狩られるだけ】なのははっきりしていて、それは特に「2度目の介入の値動き」を見ればわかると思います。

レバレッジが低ければ問題は無いにしろ、レバレッジが高い場合は、このように逃げるのが難しい動きの時には「瞬殺される」ことがあるのは間違いがないと思います。つまり、自分は撤退したくなくても「マージンコールが起き」、「強制売買」も起きるということ。ではレバレッジを掛けなければなんの心配もないわけですが、思うほどの利益も出ない。

私の作戦では145円前後までドルが落ちてきて、すぐに5円近く反発する内の3円でも抜ければ大成功と考えていました。でもそこまではドルは落ちてこなかった。もう少しだったですが。

かと言ってヒットしやすいように156円より上に指値を入れておいたり、147円台で出撃すると、もし反発力が弱かった場合、含み損が大きくなる可能性もあるし、うまく行っても1円抜けるかどうかということになりますし、下手をすると身動きが取れなくなる可能性もある。でも「積極的に考えるとすれば」、それはそれでプラマイゼロでもOKで、1円でも抜ければ大成功という考え方もあると思います。でもそういう場合は、思い切った投資も出来ないはずで、なかなか難しい。

なぜ私はそういう考え方を持たないか。積極的ではない考え方ですが、それがダボ流のリスク管理と言っても良いと思います。積極的に考えて攻めることは重要ですが、そういう考え方が身についてしまうのは危険で、段々と危ない勝負にも手を出すようになるのがトレーダーの性(さが)だと思っているわけです。ですから、必ず参入すること以上に、条件良く参入できるなら良しとそれを優先しました。でも結果は「捕らぬ狸の皮算用」となった。(笑)

でもそういう自分をコントロールできるトレーダーもいるわけで、そういうトレーダーのみが「上を目指すことが出来る」のかもしれませんね。

逆に「過信はしない」という考え方もあるわけで、私としては「負けて退場しなければならないことを避ける」のが何よりも重要だと考えているわけです。【生き残っていれば良いこともあるさ】ぐらいの考え方です。(笑)

この考え方は学生時代から山っ気が旺盛でいろいろなことに手を出してきた私の反省点でもあって、世の中には若くして大金を稼ぎ、自社ビルを建てるような人も結構多いのね。ところがそういう人たちが「生き残っているか」という見方をすると、そして自分の山あり谷ありの人生をふと振り返ると、頭に浮かんでくるものがあるんですよ。

それは平家物語。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

「栄耀栄華を極めたものも長くは続かず、春の夜に見る夢のようなはかないものであり、勢いがある者もやがては滅びてしまうのは、風にたやすく吹き飛ばされる塵のようなものだ。」

自分がうまく行っている時はイケイケで盛り上がりますが、失敗する時もあるわけで、挫折感を味わうとこの平家物語を思い出すわけです。

それも数度そういう状況を経験すると、この平家物語のこの一節が「真理だ」と思うようになるのね。

ではどうするか。ここが問題で、「どうせ俺はいつの日か滅びるはかない存在だ」と諦めてしまうのか、それともまたやる気を出してイケイケで戦うのか。でも世の中で言われる「七転び八起き」は【理想論でしか無い】と私は思っていて、実態は「七転八倒」だと思っているわけです。そして何度も倒れている内に【再起不能】になるのが世の常。そういうケースは私の親族や友人の中でいくらでも例があります。今でも音信不通のままの親族もいる。かつては飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに。

でも戦うことを諦めることは出来ない。戦わなければ未来がない。

じゃぁどうする?

そこをどう考えて、どうするかが私が常に悩むポイントなんです。

世の中には、例えば皆さんが知っている「与沢翼氏」や「青汁王子」の様に一度どん底に落ちて、そしてまた這い上がってくる人たちはいる。実業の世界にはそういう企業も多い。だから「諦めずに戦い続けることは重要」だとは私も思います。

でも【戦い方が重要】で、過去に叩きのめされたような戦い方を続ければよいのかどうかは疑問ですよね。

運に任せるわけにも行かないし、世の中は自分の理想とは「逆の方へ動く」のが常だと思うし、でもそれは「自分の理想はただのワガママである」とも言えるわけで、自分がどう生きるべきかの答えを見つけるのは簡単ではない。

これはトレード一つとっても同じだと思うんですよ。

「チャンスを逃すな!」というのは大正解。でもそれを追い続けているとどうなるのか。

これの勉強になるのが「戦争」で、押し込めるからどんどん押し込めなんてやっていると、罠に引っかかって全滅したり、そういう戦いの歴史はいくらでもあるんじゃないですかね。また、まさに今のロシア・ウクライナを見ているとそれが見えますよね。

私は世の中でよく言われる「ポジティブシンキング」が好きじゃないのはそれが理由。私たちはそれで世の中を生きていけることはないというのは経験則でわかっているじゃないですか。でも一兵卒にはそれを言うべきなのね。特攻隊も同じで、「果たしてこれで良いのだろうか」と最前線の人たちが考えだしたら戦争はできないじゃないですか。

若い頃を思い出すのですが、ある付き合いのあった会社の社長ですが「当たって砕けろ」というのが口癖でした。それはそれでわかりますが、案の定、当たって砕けました。一兵卒に言うべき言葉の「当たって砕けろ」は【スローガンでしか無い】わけで、それを経営陣も同じ様に考えていたら大変なことになるのはわかりきっているじゃないですか。弱みを見せてはならないのは当たり前ですが、あのプーチンでさえ「当たって砕けろ」なんてことは絶対に考えていないはず。

投資の世界も全く同じで、「初志貫徹!」なんて偉そうなことを言って生き残れる人はおらず、「撤退」「損切り」も作戦の内の一つとして【積極的に考えるべきこと】ですよね。

そしてそれは、一つ一つのトレードも同じだと私は考えているわけです。

「よし!いてまえ~~~!!」と考えることは絶対にないのね。それは「そう考えないのが生き残る道」だと私は学んだから。

でもそれが真理かというとそうではないわけで、世の中の成功者といわれる人たちは、「ここぞというところで踏ん張って頑張った」のは間違いがなくて、私みたいな小心者で逃げ足が速いタイプじゃない。これは間違いがないと思うんですよ。

ただ私は成功したいとは思わないのね。自分も愛する家族たちも、そして縁のある人達も含めて、「どう生き延びるか」が私の最大の関心事。

今日、なんでこんなことを書いたのかですが、今回のような動き、作戦にしても、たとえただ見ていただけの人たちも、「頭の中でシミュレーションを活発にする」のは重要だと思うからです。

ただ儲ける、損するというところだけに注目するのではなくて、自分の考え方、作戦が「自分の生き方に合っているのかどうか」をじっくり考えることは重要だと思うわけです。

それを続けることによって、「自分のスタイルの確立ができる」のね。

もしそれをしないとどうなるか。その時その時の「思いつき」で行動して、メチャクチャになるはずなのね。「根拠なき行動が増える」ようになる。

トレード、相場の世界ですが、何十年やってもうだつの上がらない人っているじゃないですか。そういうタイプには共通点があると私は思うんですよ。それは「損得ばかり重視して、自分の手法が全く確立されていない」ってこと。つまり「万年、初心者のまま」ってこと。

野球だってゴルフだって同じじゃないですか。自分の番になったらバットやクラブをただ振り回すだけの人がうまくなるわけがない。

そんな馬鹿なことって思いますが、意外に自分は「真剣にやっているつもり」かもしれない。ここが落とし穴なんですよね。自分を、自分から離れて観察する事ができないと「俺ほど一生懸命にやっているやつは居ないのに、おかしいなぁ」ということが起きる。

ですから、もし相場、トレードに関心のある方は、こういう為替の動き、環境の時には「どうするべきか。自分には何が出来るか」を、当事者として真剣に頭の中でシミュレーションをするのも大事だと思います。また私の考え方、やりかたをあえて批判してみるのも大事で、【他人を見て、どうあるべきだったのかを考えてみる】のも良い訓練になるはず。

何もわからない内って「成功者を分析して真似をする」のが重要ですが、ある程度、理解も経験も深まってきたら「失敗した人を分析する」のがかなり役立つはずなのね。

それに気が付かない投資家で、いつまで経っても「ウォーレン・バフェットを信奉する」人ってけっこういるんだけれど、バフェットの真似をしようと思う投資家って世の中に半端じゃない数、存在するわけで、その殆どが「どうして俺は勝てないのだろう」と考えているはずなのね。それは、私に言わせれば「目の付け所が違うから」だと思っていて、「失敗例を数多く研究すること」のほうが重要。

私も今回は失敗しました。出撃できていませんから失敗とは違うかもしれないけれど、「チャンスに攻められなかった」という意味では間違いのない失敗で、さて、皆さんはこの失敗例から何を学ぶことが出来るのか。自分だったら何が出来たのか。そんな事を考えてみるのも良いと思います。そういうことって無駄のような気がするはずですが、「実践が大事」だからと【下手な鉄砲をいくら撃ち続けてもどうにもならないのが現実】だと考えてみるのも良いかもしれない。

「他人の失敗を自分の経験とする」ことが出来たら、それだけで一歩前進じゃないでしょうか。

もし、このブログの読者が私を踏み台にして一歩前進できたら、もう終りが見えているジジーとしては非常に嬉しいです。それだけで、私が存在した意義になりますから。

私には一つの夢があるんですよ。日本の若者の多くがトレードの達人になること。(笑)

円安?良いねぇ、チャンスだ。円高?それもチャンス。エネルギー価格が乱高下している?大チャンスだと。そんな若者がたくさんいたらそれだけで日本は良くなると思っています。でもトレードなんて所詮「虚業」だと私は思っていて、やっぱり本業で頑張って欲しいのは当然のこと。

でも政府が推すように「株式投資をしよう」なんて「買って抱き込むまま」みたいなのは投資じゃなくて「カモ」なのね。それは業界の人の殆どが口には出さずにそう思っているはず。そういう人が増えたほうが自分は、そして業界も潤うから。「Buy & Hold」してくれる人が「株式市場の土台を形成している」わけで、彼らが売った買ったを始めたらまさに株式市場はギャンブルの場となってしまう。でも「Buy & Hold」が増えると「ジワジワと値が上がる方向に動く」わけで、それで皆が恩恵を受ける。

暗号通貨の世界でも「Buy & Hold」を薦める人が多いですが、私はそういう人たちは投資家を馬鹿にしているとしか思えないのね。でも売りも買いも同じようにするトレーダーばかりになると、そもそも暗号通貨は基礎になる実態がないですから、どんな値がついてもおかしくない。これじゃ盛り上げることは不可能だから「基礎となるBuy & Holdを増やしたい」し、「実際に暗号通貨を使うことが出来る」と喧伝する。

ま、私としては暗号通貨も硬い国債や企業の株式も同じで、「常に値は動く」し、「誰もその値がどこに行き着くかはわからない」でしょう。つまり、利益を出すには「波乗りをするしか無い」ということだと思っているわけです。

ちなみにビットコインが動き出しましたね。要注意だと思います。

今の波動は「上昇第一波」ですが、これがどの辺まで上がり、そして下げの修正派が入り、その後、どんな風に再度上昇するのかを見て、私は買いに入っても良いと思っています。ボラティリティーが大きいから結構面白いと思います。

でも私が望むパターンじゃなければ、何もせずに見逃す。その後、上がろうと下がろうが関係なし。もし乗り遅れたとしても「残念」と思ったら駄目なのね。そういう欲深さがいつか自分を落とし穴に引き込むから。そして「チャンスなんかいくらでもある」と思うべきで、ビットコインに固執する必要なんて全く無いんじゃないですかね。

株式でも暗号通貨でも「投資対象に惚れ込むことが重要だ」なんて言い出す人もいるけれど、そんなのを真に受けたら地獄までつきあわされることになる。というか、その言葉を信じて大損した人が多いんじゃない?「また必ず上がる」と信じるのも良いけど、「未来は神の領域」なのは変わらない。

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