「救われた言葉」を思い出した

人生がうまく行かなくて落ち込むことって結構ありますよね。

私は、波乱万丈なんて自分でいうほどのことはないにしろ、幼い頃からトラウマを持っていたし、とにかく学校嫌い、人嫌い、家嫌いは幼稚園からの筋金入りで(笑)、学校を好きだ、行きたいと思ったことは私の人生の中できっと一度もないはず。「行きたくない」と思うのは週に7日じゃないのね。一日に何度もそれを考えるから、一週間に数十回は「行きたくない」と考えつつ大人になったと言っても良いくらい。そして家嫌いでもあったから救われるところがなくて、始めての家出は幼稚園の頃だったし。

でも、何が嫌いかって、その筆頭は自分自身なのね。幼い頃から、生まれてこなかったら良かったのにとずーっと考えていました。でも自ら消えていくのは簡単ではなくて、「普通の人になりたい」と思い続けていました。

今思えば「発達障害」があるのだろうと思うけれど、どうやったら人に褒められるか、認められるかなんてのは簡単にわかるわけで、「演技」は自分でも上手かったと思います。私の心中がバレたことってないし、私の異常さには両親も気がついていなかったはず。

また大きくなってからは、学校嫌いが「会社嫌い」になって、大学生時代に会社を興したのは「勤め人になりたくないから」と言っても良いぐらい。周りからは「死ぬまで働かなくてはならないのに、なぜ急いで仕事をするんだ?」なんてよく言われたけれど、「勤め人にならないとすれば自分でやるしかない」し、「早く仕事をして儲けて、早く引退したい」という気持ちが強かったのね。ただそれだけなのに「仕事熱心な若者だ」なんて思われて、やり手の製造業の社長に見込まれて合弁会社を作ったりしていたから面白い。そして人嫌いなのに、得意な分野は営業職と企画。

会社勤めなんてとんでもないと思っていたけれど、お金儲けは大好きだったのね。そして早く儲けて早く引退しようって本当に思っていたんですよ。

でも世の中はそんなに甘いことはなくて、思い出すといや~~な気持ちになることが多くあります。失敗したときのこと、バカにされた時のこと、結婚してからもお金が足りなくて五反田のサラ金に行った時のことなど、ビデオを見るようにあの当時の諸々の光景が目の前に浮かんできます。

そういう子供の頃からの嫌な思いが「日本そのもの」に向けられていたのは間違いがなくて、グアムに初めて行ってグアム人の中で生活した時に、「ここが私の居場所だ」と思いましたもの。だから当然、日本脱出を考えるわけで、グアムに会社を作っていろいろやっていましたが、それもまた簡単に行くことなんて無くて、アメリカの永住権はもちろん、E-2ビザでさえ取れなかった。そして日本でまた頑張るしかなかったわけですが、やっぱり「慢性的鬱」だったのかもね。とんでもなく痛くなる「片頭痛」が出るようになって、家から外に出ることさえできない、運転なんかとんでもないという状況になりました。突然、何の前触れもなく偏頭痛に襲われると、痛くてまさにのたうち回っていました。顔も歪んで目も見えなくなってくるのね。当然、仕事なんかできないわけで、何箇所の医者にも行ったけれど、まるで駄目なので仕事も整理して、「片頭痛の恐怖に怯えながら家で廃人みたいな生活」を送っていたんですよ。「もう俺の人生は終わりだ」って本当に思っていましたっけ。

でも転機が訪れるのね。

ある女性との再会です。面白いもので再会後、あれほど悩まされた片頭痛は一度も出ない。あれから40年ぐらい経ちますが、一度も偏頭痛は出ていません。

そしてその女性と結婚することになった。今のヨメさんです。

ヨメさんは私の命の恩人と言って間違いがなくて、過去のトラウマとか昔からの学校嫌い、会社嫌い、人嫌い、自分嫌いの元になる感情もどこかへ消えてしまって、生まれ変わったような気がしました。でも結婚後、お金もなくてサラ金に行ったこともあるわけですが、それからは猪突猛進しましたっけ。あれほど仕事に打ち込んでお金儲けをしたのも生まれて初めてかもしれない。

そして子供が生まれて、また人生観が変わったんです。「彼らのために俺の命はあるんだ」って。それに気がついた時に、「天命を知った」ように身震いするほどの感動と満足感があったのを覚えています。

私の家族第一主義はあのころから始まった。

別に惚気話をしているんじゃないんですよ。

やる気を出したところで、世の中のもろもろ、仕事もお金儲けも、突然、好転するわけはないじゃないですか。やっぱり悔しい思いをすることの連続だったんですよ。

当然、「周りと自分を比べて、落ち込むことも多かった」のね。学生時代から仕事を始めて、金回りの良い時期もあったし、20代でポルシェを乗り回したり、六本木や赤坂で遊ぶこともしていましたが、【大事な年齢になってからうまくいかない】【サラリーマンになって段々と出世していく友人を見る】ってのは本当に辛いのね。ましてや家族がいるんだから、責任を考えたら落ち込むなんてもんじゃないわけですよ。どんなに頑張っても給料をもらえるわけでもなくて、支払期日がある出費のリストを見てはため息ばかり吐いていました。

本当に私が落ち込んだのは、あの頃かも知れない。

でもね、面白いもので、ある「言葉」と出会ったんですよ。それは「石川啄木の短歌」だったのね。

私は本当にこの言葉に救われました。いや、家族に救われたというべきなんでしょう。

この短歌を知ってから、私の逆転劇が始まったと言っても良いかもしれない。何か吹っ切れるものを感じたのね。そして自分には何よりも大切な家族がいることに気がついた。

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」

ヨメさんの誕生日には必ず花を贈るのは、あの頃に習慣になったのかもしれない。

今、世の中が大変なことになっていて、追い詰められている人も多いと思います。精神的にも病んで、自暴自棄になったり、悪いことでも平気でやってしまおうと思う気持ちになることもあるはず。

でもそんな時に、家族を思い出して欲しい。また家族も支えて欲しい。家族と過ごす小さな幸せを大事にして欲しい。

今日、ひょんなキッカケでこの短歌を思い出して、あの頃の思いが蘇ってきました。

世の中の皆が家族と支え合って、諦めずに、そして笑顔を絶やさず前に進んでほしい。そんな風に思いました。

突然、変な話で申し訳無い。m(_ _)m

皆さんにも「人生が変わった瞬間」みたいな経験があると思います。是非、そんな話を聞かせてください。

 

 

     
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