春節かぁ。コロナはどうなるんだろうか & マスク不要論に関して

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春節が始まりますね。

コロナで大騒ぎになっている中国ですが、延べ人数で春節に21億人が移動するという。これがコロナの蔓延にどういう影響を与えるのかどうかが気になっています。

中国では変化の波が大きいようで、ゼロコロナが終了した瞬間、爆発的なコロナの蔓延があって「ゼロコロナの頃より街は静かになった」という報道を見ました。そりゃそうだろうと思いますよねぇ。病院には患者が溢れ、死人も多く、焼き場が満杯で予約をしたら1ヶ月後だったとか。遺体の安置施設も同じ状態で、遺体が放置されている映像、どうしようもなく個人で遺体を焼く映像まで世界に流れた。

これじゃ誰でも慌てるのは同じで、中国人も自発的に行動制限をしていた。

ところが最近はまた違う動きが出てきたようで、特に若い人たちが「一度コロナに罹ればもう大丈夫」だということで、街並みに人出が戻ってきたと。

この調子で世界中を中国人が闊歩しだしても大丈夫なんですかね。

そもそも「コロナって一度罹ればもう大丈夫」ってことじゃないんじゃなかったでしたっけ?「新たな変種は免疫を通り抜ける」なんてことも言われてきたわけで、これほど蔓延していると「また新たな変種が出る」可能性も増えているはず。

「新たな変種は免疫を通り抜ける」と言い方そのものが私はおかしいと思っていて、【免疫を通り抜ける新種のみ、蔓延する】わけで、次から次へと新たな変種が生まれる中で、過去の免疫を通り抜ける新たなものもどこかで生まれるんじゃないですかね。で、そうやって新たな種が生まれたから、今、蔓延しているんでしょ?

人は「自分の都合の良いように考える傾向がある」わけですが、私みたいに逆に考える人もいる。(笑)

マスク不要論を言う人も増えていますが、私はマスクは重要だと思っています。(デメリットがないと考えているわけではない)

私は「マスクをするのは思いやり」だと思っていて、「自分が感染しないため」だけではなくて「感染を広めないため」だと思っています。マスクの繊維の隙間は、コロナウィルスより大きいので素通りしてしまうなんて言う人も多いですが、マスクって一つ一つのウィルスを防ぐためじゃなくて「ウィルスがごっそり入っている【飛沫】を防ぐため」じゃないんですかね。

私もその飛沫が怖いと思うわけで、それは「咳やくしゃみをする時には口を抑えろ」というのと同じことで、空気中に浮遊しているウィルスが怖いわけじゃない。またウィルスが少量の場合は「感染に至らない」のはわかっているわけで、だからこそ「人との距離を置け」と言われてきたはず。

これはまさに「飛沫に注意しろ」という意味でしょ?エアロゾルも同じでコロナウィルスの集合体であって、浮遊する一つ一つのウィルスをマスクで止めようなんて誰も言っていないし聞いたこともない。

私は「飛沫を受けない」「飛沫を出さない」ためには【マスクが有用】だと思っていて、マスクの繊維の隙間はウィルスより大きいから意味がないという論法は【根本的なことを無視している】と思うわけです。そもそもそこらに浮遊しているウィルスを止めるためのマスクじゃないでしょう。これって「マスク万能論」なんて誰も言っていないのに、「マスクでウィルスを止めることは出来ない」と頓珍漢なことを言っているように感じるわけです。

そしてコロナ後遺症でわかってきたこととして、具合が良くなったらもうコロナウィルスはいないってことじゃないんですよね。数が減っているだけで、体内のあちこちでコロナウィルスが存在するから後遺症が起きているという解説を見たこともある。感染時の投薬は有効で、ウィルスは減るけれど「投薬を中止すると体内のコロナウィルスが増える」ことも解説されていた。

だから例えばだけれど、感染してから一週間、10日間、自己隔離しておけば良いなんてのは、経済や社会に与える影響を考えての隔離期間でしか無くて、ウィルスや病状そのものに焦点を当てればもっと長い隔離期間が必要なのかもしれない。また感染するにはそれなりの量のウィルスが必要なわけで、【感染後、日にちがたてばウィルスは存在するけれど、大きな感染を起こすほどじゃない】という閾値を決めただけのことで、「絶対安全ということでもない」のは明らかだと思っています。でももっと長期間の隔離が必要だなんてことは、社会が受け入れない。

だからやっぱり私としては、自己責任で「感染しないように注意する」べきだし、「絶対に自分から感染を広めたくない」と思うわけです。自己中の人は「自分がどうなるかだけ」が気になるのだろうけれど、この3年間を見ていても「自分が大事な人に感染させて死なせてしまった」と責任感、罪悪感にさいなまれ続ける人は多いわけで、私ももしそういう立場になったら、自分だけが生きているわけにはいかないと思いますもの。

だから私は「マスクを今後も重視する」つもりです。でも他人がどう考えるかは他人の勝手。

それは一個一個のウィルスを吸い込まないためではなくて、「他人が発する飛沫を吸い込まないため」「自分が飛沫をばらまかないため」であり、今でもフェイスガードをする人がいるけれど、飛沫が目などの粘膜から入り込まないようにすると考えるのは正しいと思っています。ニュースを見ていても、医療の現場でフェイスガードをする医師も決して少なくないのは小さな危険性も排除する必要があるからでしょう。

そして私は「手術室に入る医師も看護師も必ずマスクをしている」ということを重視します。

どうしてなんですかね。患者からのなんらかの感染を防止するという目的もあるだろうけれど、主目的は「患者に医師や看護師が持ついかなる菌も寄せ付けたくない」からじゃないですかね。患者を守るためと言っても間違いじゃないと思う。

そもそもマスクを日本人がするのは、「迷惑を掛けたくない」という思いが強いからだと思っています。それは「自分が感染しているかもしれないという想定」がそこにあるからで、自分が感染源にはなりたくない。そして「マスクをしていない人を見ると気分が悪くなる人」がいるとするなら、その人のためにもマスクをするというのは、私は日本人的な思いやり精神だと思うし、非常に良いことだと思っています。ここに理屈を持ち出しても意味がないのね。心の問題だから。

そしてその思いやりの精神が、「世界に類を見ない、美しく清潔な日本を作っている」のは間違いがないと思っています。

海外では・・・という人は多いけれど、この「海外のケースを持ち出す」のって私は馬鹿げていると思うんですよ。世界標準や習慣がどうだろうと、日本には日本の考え方、個人には個人の大事にしたい思いがあるわけで、それを無視して「自分の都合の良いところだけ海外から切り取ってそれを根拠とする」なんて、「海外ではね~~、XXXが常識なんだよ。知らないの?」と偉ぶる子供と同じだと思うくらい。

でも何を正しいと思うか、どうするべきだと思うのかは【個人の自由】であるのは間違いがない。だから私は反対意見があるのは認めるけれど、私には私の意見、考え方があるわけで、それを上から目線で否定するようなことはして欲しくないと思っているだけです。私は自分の意見は言うけれど、同調圧力を掛けようとは思わないし、掛けられたくもないのね。

この考え方は我が家族はみな同じで、今では「かっこいいマスクが欲しいね」なんて話をしています。今まで何種類か使いましたが、装着感も違うし、見た目も違う。そして「形だけのマスク」と「医療用のしっかりしたマスク」も存在する中で、【見た目も装着感も良くて機能の高いマスクを手に入れよう】と先日話しをしていました。

これなら良いかな?なんてのを見つけましたが、最近のマスクの価格って嘘みたいに安いのね。ということで100個入りを注文。(笑)

私は、マスクは浮遊するウィルスは関係なくて、「自分の、他人の飛沫を抑えるため」と思っていますが、その為には「ウィルスより大きな繊維の隙間」があっても十分だと思っています。ただし、マスクで飛沫を抑えたとしても「乾燥するとマスクは【ウィルスばらまき装置】になる」かもしれず、【頻繁に交換する】のが重要だと思っています。感染者の飛沫をマスクが防御したところで、それが乾燥すればウィルスを大量吸入することにもなるかもしれないですから。また「マスクを手でさわるな」と当初から言われてきたのは、マスクはコロナウィルス収集装置としての一面もあるからだと思っています。

ま、私や家族はそんなことを考えています。

さてさて、春節の「民族の大移動」が起きてから世界はどうなるのか。

ま、重症化したり死ぬのは私、私より上の年代が多いわけで、ウィルスのお陰で「生産性の低い、世の中のやっかいものの老人が減って、世界は活性化するのかどうか」も含めて、今後の動きを見続けたいと思っています。(^_^)v

     
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