AIって本当に便利で、世の中の構造さえも変えるインパクトは間違いなくあると思います。
また今までのような「単純な検索」をしなくても「的確な答え」を返してくれる。確かに「嘘、間違い」もそれなりに多くて、困るのはAIは「自信を持ってその答えを返してくる」のね。私達みたいに、「この情報はちょっと怪しい」「要確認」とか「間違えている可能性がある」という注意というか、但し書きというか、そういうものが基本的にない。いや、あることはあるけれど、「全体的な注意」であって、ある個別の答えに対して、信憑度の違いをはっきり返しては来ない。
この現象をハルシネーションという。
アメリカでこんな信じられないことまで起きている。
チャットGPTで訴訟準備書面、実在しない判例6件引用…米連邦裁判所「前例のない事態」
【読売新聞】 【ニューヨーク=金子靖志】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)など米メディアは、ニューヨーク州の連邦裁判所…
これに関しては「質問の仕方」、つまりプロンプトの書き方で「違う考え方」をも表示させるとか、私達が自ら調べるとかしないとならない。
それもまた、AIが進化を続ければかなり解決することだろうとは思うし、実際にChatGPT3.5と4.0には大きな違いがある。
でもそもそも「見方、考え方」って【それを観察する人の数だけある】と言っても過言ではなくて、その多様な見方、考え方を私達は知って、その中から自らのものを選んだり、あるいは【はっきりした答えはない】と自分なりに理解する。
この辺が難しいとAIを使っていて感じるのですが、もう一つ、大事なことに気がついた。
AIには個性がないってこと。
これがつまらないのね。
確かに「情報だけが欲しい」」「答えを欲しい」ようなことならそれでも構わないし、個性は邪魔になる。
ところが「美味しい料理」「美味しい店」のように、経験や価値観、好き嫌いが大きく関係したようなことをAIに聞いても駄目で、返してくる答えは【馬鹿じゃないのか?】と思うこともある。それは哲学、思想、宗教的なことを聞いても同じ。
私達はネットで検索して様々な情報を得たり、それを探す過程の中で楽しみを見つけていることに今更ながらに気が付きました。
例えばですね、「漫才や落語」にしても【誰がそれを演じているのか】が非常に重要じゃないですか。同じことを違う人が喋っても同じように楽しめることはないのは誰でもわかる。
情報も同じだと思うんですよ。勉強もそう。
学生時代を思い出してみると、「物理が好きだった」のは、実はそうじゃなくて【物理の先生が好きだった】のね。【彼に習うから面白かった】わけで、大事な要点をAIが教えてくれたとしても興味を持たなかったかもしれない。
例えばトレードだとしても、「この場面で本間宗久翁(相場の神様と言われる)ならどう考えるか?」「ウォーレン・バフェットなら?」「ジム・ロジャーズだったら?」「Nobuさんだったら?」「ダボだったら?」とかそういうところに興味があるはずだけれど、今の時点では、まだAIにはそこまでのことはできない。AIは一般的などうでもよい、でも一見、良さそうに見える【初心者向けの答え】を出してくるだけ。
私のこのブログも同じで、低温調理だの相場だのトレードなどと書いているけれど、その内容って個性的だと自分でも思っています。言葉を変えれば「ダボ流に偏っている」のね。
それを嫌いな人は嫌いで読む価値もないと切り捨てるだろうし、私という個人そのものに興味を持つ人は耳を傾けるんじゃないですかね。
これはブログでよく紹介する、Nobu塾のNobuさんも同じで、彼が面白おかしく話すし、彼の人間性、性格も感じるし、そこに【共感するものがある】から良いと思うのであって、彼の話の要点をまとめた「一冊の本」を読んだところで興味が起きないと思うんですよ。そしてそういう情報の取り方だとどこが大事なのかもわからないかもしれない。
つまり私達は「論文や研究結果を読みたいのではない」のね。
もちろんそういうときもあって、余計な私情はない方が良いことも多いけれど、私の場合は論文みたいな形式の低温調理じゃ、相場じゃ、トレードじゃの話には興味がない。というか、そういうのは一回読めば十分なわけで、何度も同じような話を聞いて、その中から「大事なこと」「真髄」みたいなものを私は求めません。というか、私にはそれが見えてこないのね。
やっぱり私は「人」を重視したいと思っていて、Nobuさんが悩んできたこと、やっと克服できたこと、あるいはNobuさんの長所や欠点、弱点を含めて見ているから、【私の中で何かが起きる】のだと思っています。
「他人の経験を自分の経験のように感じる」、「他人の脳みそを使う」ことって非常に大事だと私は思っていて、【要点を羅列したものから大事なことを読み取るのは非常に難しい】と思っています。やっぱりある程度の時間、期間は「その人になりきる必要がある」のね。それで初めて経験を共有できるし、考え方行動パターンも理解できるようになるのであって、実は「真似をする、理解する」って本当はかなり難しいことだと思っています。
そして実際に読んだり見たりしながら、ニヤニヤ笑ってみたり、馬鹿だな~なんて思ったり、明日はどんな話をするのかとか、何かが世界で起きたときに彼はどんな反応をするのだろうとか、そういう興味が私にとっては非常に大事なのね。
やっぱり「先生、教師」「アドバイザー、コンサルタント」「相談相手、仲間」も【人間だから意味がある】というのを最近強く感じるようになりました。
でもAIは馬鹿と言っても良くて、「今の貴方はXXXに注目してその方面の技術を伸ばすべきだ」なんて答えは出さない。誰が聞いても「聞き方が同じならば、答えも似たようなものになる」わけで、そんなAIならいらないかもしれないなんて思ったり。
巷でも「初心者に取ってのそこそこの答えをAIは出すけれど、専門家にとってはまるで使えない答えを出す」と言われるのはそこだと思うんですよ。
いや、要は「使い方一つ」なんだろうと思うし、【馬鹿とハサミとAIは使いよう】なんでしょう。(笑)
アフェリエイト時代になってから、ブログや情報サイトが本当に面白くなくなったと私は思っていますが、AIはますます利用されてそういうサイトが激増するんじゃないかと思っています。
実際にAIを使ってブログの大量生産をしている人たちが出てきているし、そのやり方、ノウハウも多く公開されている。
自分が何も知らない分野をちょっと知りたい程度のときにはそういうブログやサイトでも十分だけれど、自分も多少は分かっている、あるいは専門分野だとしたばあい、そんなブログやサイトを見ても「子供だましにしか思わない」のは誰しも同じだと思うのね。
そういうサイトは今の時点でも大量にあるのに、AIが作った表面的なことしか書いていないサイトがますます増えるかと思うと私はがっかりですわ。
でも「アフェリエイトで儲ける」「物品やサービスの販売」が目的なら、【大事なポイントを訴求する】必要があるわけで、ごちゃごちゃとややこしい説明はいらない。邪魔になるくらい。例えば低温調理にしても。そのメリットデメリット、また低温調理器に絶対に必要な機能、精度、ワット数なども結果に大きく関係してくるわけで、また「どんな料理にはどんな温度+時間が必要か」「その理由」もわからないと、適切な製品を手に入れることもできないし、低温調理もまともにはできないのね。
でもそういうことさえ知らない見込み客を相手に、自分も大したことを知らないライターが「時流に乗ったことを扱えば金になる」と適当なこと、表面的なこと、「最初の一歩」ばかり書いていると私は感じるわけです。本当に大事なところは書いていないし、書けないし、AIで書くのも簡単ではないし、書いたところで初心者にはチンプンカンプンで、【余計な説明が多い】と感じるだけ。
でもそれで良いんですよね。
今はツイッターが大流行で、若い人たちの長文理解力が落ちていると専門家が警鐘を鳴らしているけれど、「大事なことだけ知りたい」「答えだけを知りたい」という願望が多いのだから、それに合わせないと見向きもされない、
それじゃ後々苦労するだろう、なんてのは余計なお世話で、「苦労して初めて新しいことを覚える」わけで、そのときになって、より深く知ろうと思えばそれで良いんじゃないですかね。でもそのときに、深いことを知りたいと思って検索をしても、それに適したサイトってほぼ無いに等しいのね。
これは投資、相場、トレードも同じで、興味を持って調べる人は「すぐ使えるノウハウを知りたい」わけで、まさか一般的には5年10年程度は寝ずに勉強し経験を積もうと皆が努力しているなんてことは無視する。
「簡単にはいかないだろうな」とは思いつつ、世の中には「3年で1億円をこうやって作った」みたいな情報は多く転がっていて、「もしかしたらうまくいくかもしれない」なんて夢を見る人たちは簡単に釣られる。
でも私は「世の中はそんなもんだ」と思っていて、「大した努力もせずに成功しようとする人たち」が【多いことは良いことだ】と考えるようにしています。
それだけ「競争相手が減ることを意味している」わけですから。(笑)
そして今はAIの時代。AI信者たちが努力をせずに「答えを得ようとする」のは非常に良いことで、これもやっぱり「競争相手は減る」ことを意味していると思っています。
でも「大筋はAIに考えさせる」のは間違いなく良いと私は思っていて、【大事なところは自分で考える、書く】ことをすれば良いだけのことなんですよね。
でもそういうサイトやブログが増えるかというと私は疑問。だって多くの読者は「簡単にわかる答えを求めているだけ」で、ちょっと量が増えただけで「最後まで読まずに離脱する」のが普通だから。
お金儲けが目的でブログやサイトを作るなら【客が求めるものだけを売る】のが、商売の鉄則だと思います。
でも私はかつて流通業界にもいて、「お客に何を提案できるか」が重要だと叩きこまれまして、「売れるものだけを売る」のは馬鹿でもできると言われる時代でした。そういう流通業界でも一目置かれるような人たちと出会えたのは良かったと思っていますが、そういう人たちも、その人が在籍していた企業も、今は見る影もない。
それぞれが好きなことを好きなようにすれば良いだけのことだけれど、私としてはやっぱり「人」を重視したいし、こんなブログでも「人のつながり」を大事にしたいと思っています。
AIみたいなことしか書けない、言えない人は私は興味を持たないし、自分もそうならないように気をつけたいと思っています。
ちなみにAIの文章には「XXXはYYYである」という文はあっても、「私はZZZZが良いと思う」という文はないのね。つまり「書き手の思い」はどこを探しても出てこないし、無機質な一般論、あるいは優等生が書いたような「なんとなくそれが正しいと思ってしまう」文章が続くだけだからすぐにわかる。
でも「そういう傾向がある」のがわかれば、それに反する文章を中に散りばめればAIの文章だとは誰も思わないはずで、読者を騙すのは簡単だと思う。
そういうのが氾濫する時代になるんでしょうね~~~~~。