いやーー、こんな子どもたちがいるんですねぇ。この歳でここまで喋れて自信があれば、あとはどんどん伸びるんじゃないですかね。
多くの日本人は英語を習得するのにかなり努力をしてきたはずですし、その苦労を知っている親は、子供がネイティブレベルに喋れたら良いだろうと「海外に留学する」なんてことを考える。
この日本人の兄弟は、日本国内で日本の学校に通っていたのにネイティブレベルの英語を喋る。13歳(英検一級)、12歳(准一級)と7歳。
では親が英語ペラペラなのかというと全くそうじゃないとのことで、一体どうしたらそんなことになったのか。
私の友人ですが、やっぱり英語が大事だと「日本国内の全寮制の英語教育をする学校」に子供が小さい頃から行かせていました。それってとんでもなくお金も掛かるし、デメリットもあるんですね。日本人で日本で育ったのに「日本を知らない」なんてことが起きる。
でも「どちらかを捨てる必要があるだろう」と多くの親は考えるのね。
私が3歳1歳の子供を連れてオーストラリアへ移住したときはすでにその辺の問題点もわかっていたんですよ。多くの海外育ちの友人がいたり、そして私の親族が多くアメリカに住んでいますので、英語を学ぶ以上に【日本を知り、日本語を学ぶ方が遥かに難しい】と。
オーストラリアへ移住したときに、似たような家族は多くいて、それぞれ考え方は別ですが、【早く現地に慣れて欲しい】と家の中でも英語のみで「日本語を禁止した」家族もいました。その子どもたちがどうなったのかは簡単に想像できる通りで、英語はばっちりだけれど【日本語はカタコト】【日本語の読み書きはできない】という日本のパスポートを持っているけれどオーストラリア在住という日本人になった。
これは極端な例ですが、「読み書きはできない、苦手」という日本人子弟って海外には結構いるのね。
私はそれがわかっていましたので、家の中では「英語禁止」「テレビも日本のもののみ」、そして学校は現地校ですが「日本語補習校(土曜日だけ)」に通わせました。ですから当然、英語は苦手で中学生になるまでかなり子どもたちが現地校で苦労したのは間違いがない。日本からの留学生みたいな感じだったと思います。
でも私は「オーストラリアに住んでいれば馬鹿でも英語は覚える、オーストラリアの文化も理解する」という信念があったわけで、その後、子どもたちはどんどん現地に適応して行って、高校、大学、大学院とオーストラリアで全く問題なく教育を受けることができたし、オーストラリアの企業に就職しても全く問題がない。
彼らが3歳、1歳のときにオーストラリアに渡りましたから、日本での生活、日本の教育は一切なかったのに、彼らと会い話をしても「海外育ちだとは全く思えない」と良く言われます。私でさえも子どもたちが海外育ちなのを一瞬忘れることもあるくらいです。
でもねぇ、今回紹介したような子どもたちの様に、日本で英語教育をそこまで出来るのなら、日本で育てても良かったかもしれないと思ったんです。もちろん海外で学びたいと思えばいつでも出ることは可能だし、日本のことも深く学ぶことは可能だったはず。
というのは「海外育ちに見えない我が家の子どもたち」ですが、そういう風に見えないだけであって、いわゆる「バナナ」なんですよ。外側は黄色だけれど、中身は白なのね。つまり、やっぱり感覚的には日本人と違うのね。
これが良いことか悪いことか判断するのは簡単ではありませんが、私としては「もう少し日本人寄り」に育ってほしかったという思いがあります。
結局、子供って【環境に育てられる】ってことなんですね。ここで言語そのものは関係ない。
オーストラリア人気質とか、オーストラリア人の常識や価値観が嫌いとか悪いとかは思いませんが、【絶対に日本人ならそういうことはしない、そう考えない】というのはあるわけですよ。でも子どもたちはオーストラリア人寄りで、実はがっかりすることがあります。
それでも良い方で、「環境に育てられる」のは国だけじゃなくて、その地方や区域、学校も環境で「それに染まる」のね。治安が悪い地域もあるし、勉強なんかまるでしなくてもオッケイな学校もあるし、学校でタバコやマリファナを吸うとか男女関係が乱れている学校はいくらでもあるわけですよ。
そしてそういうところで育つと、「それが常識になる」のね。怖いと思います。同じ学校でも学年が違うとまるでカラーが違っていたり、変なのが数人いるだけで変わる恐ろしさをゴールドコーストでもしっかり見てきました。
我が家では「日本人としての教育は私とヨメさんとやった」わけですが、子どもたちも素直で本当に助かりました。反抗期らしい反抗期もありませんでしたが、もし悪い友達がいるだけで変わってしまうのは自分自身も経験がありますし、それは海外も同じだし、ましてや「やる理由も必要もない日本語や、その読み書き、文化伝統を学ぶ」なんてのは子供に取っては苦痛でしか無いのね。
だから日本語補習校も高学年になるとどんどん生徒が減っていく。子供に「現地校の勉強も難しくなるのに、なんで日本語の勉強もしないとならない?現地校の成績が落ちても良いのね?」なんて言われれば、それに親が屈するのが当たり前だと思うくらいです。
でもこれへの対処は簡単だと私は思っていて、「日本を好きにさせれば全て解決」なのね。
そうするにはどうするかというと「催眠術」のように、日本を好きになるように長い時間を掛けて刷り込むわけです。こういう風に書くと「汚いことをするんだ?」と思うかもしれないけれど、実際に「日本大好き人間に育った息子たち」はそういう風した私達両親に今となってはお礼を言うくらいなんですよ。自由奔放、野放し状態で生きたらどんなふうになったのかは彼らも想像がつくし、その違いも友人たちを見ているとわかるからでしょう。
この作戦はうまく行き過ぎたくらいで、長男は日本語補習校を卒業してから、自ら先生に「古文を教えて欲しい」と頼み込んで先生宅に通っていました。
でも今回紹介したような3兄弟の様ならば、親としては楽だなと思ったわけです。選択肢も間違いなく増えるはずだし、あの歳であそこまで出来て自信があれば後はどんどん伸びるんじゃないですかね。
私は日本人だし、子どもたちにも日本人であって欲しいから、「基礎的な勉強は日本でする」のが良いと思うんですよ。海外に出るのは高校、あるいは大学からでも十分間に合う。海外のものの考え方や見方を学ぶのはそれからでも十分で、私としては「日本人としての素養の上に、海外での教育をプラスするのがベスト」という考え方を持っています。
でも子供の頃から海外に出てそこでの教育しか無いと、【基本的な日本人としての素養がないままになる】という考え方です。
ただ日本式の勉強しか知らないと、海外に出てからとんでもない苦労をするとは思うけれど、それって誰でも克服することは可能だと思っています。
でも海外に育って、大きくなってから日本語、日本の文化伝統、価値観を学ぶのは決して簡単ではないと思うわけです。そしてその「必要がないならなおさら」だと思います。
なんでこんな風に考えるかというと、私は「アイデンティティとはなにか」ということに非常に興味があったし、それを考え続けてきたし、「日本人のアイデンティティがなくて苦労した人」を知っているから。
その人とは私の叔父でシアトル生まれの二世。アメリカで生まれ育ち、日本人としての教育は全く受けずにいて日本語さえも全く知らない日系アメリカ人です。でも彼は「ジャップ」として常に差別の対象となってきたわけです。太平洋戦争中には「日本人収容所」に入れられ、戦後はアメリカ軍に入隊して進駐軍として日本に来た。
そんな時に私の叔母(母の妹)と知り合い、結婚して彼は日本に住みついた。
ところがですね、何年経っても日本語はカタコトで読み書きはできない、だけど見た目は日本人の【変な外人】だったのね。その彼の日本語は何十年日本に住んでもおかしな日本語でした。だから彼は日本に来ても「日本人として扱われることはなかった」のね。私もその叔父のことをずーっとアメリカ人だと思っていましたし。
アメリカで生まれアメリカ人として育ったのに、彼はアメリカ人としての扱いを生まれ故郷でさえも受けなかったんですね。これって私達には想像できない辛さだと思います。だから見たこともない、行ったこともない日本に憧れを持っていたわけです。そして日本に行けば自分は受け入れられるはずだと。
でも彼の居場所はどこにもなかった。
その叔父も日本で年老いて、なぜか「日本人に帰化することにした」んですよ。そして日本人になった時、彼はしみじみと「生まれて初めて心の平穏を感じた」と言っていたのが私には忘れられないのね。自分が帰るべきところに帰ってきたというなんとも言えない安堵感を感じたのであろうことは想像できます。
彼は言葉に出すことはなかったけれど、「一体、俺って誰?何人?」と70年も自問自答していたのは間違いがない。居場所が見つからず、常に孤独を感じていたのだろうと思います。
ま、こんなことがあったので「アイデンティティ」って重要だと思うわけで、「俺は日本人だ」とか「俺は江戸っ子だ」とか人ってなんらかのはっきりしたアイデンティティが必要なんじゃなかろうかと思うわけです。「俺は自由人だ。国際人だ」なんてアイデンティって存在しない。
人って弱くてやっぱり「仲間」とか「生まれ」とか「寄り添うもの」が必要なんだと思うわけです。そしてそれは【周りから疎外されて、孤独を感じた時】に「俺って誰?」とフト感じるものだろうと思うわけです。これってLGBTQの人たちも同じかもしれない。そして在日の人たちも。
だから私は私の子どもたちに叔父と同じようなことを感じて欲しくなく、【俺は日本人だ】という誰がなんと言おうと、自分がどう考えようと「間違いのないアイデンティティ」が持てるように育てました。
面白いのはシドニーに住む次男坊で、彼は日本語より英語の方が得意なのに【俺は日本人だ】と胸を張るような男。(笑)
それでいて、「故郷は?」と聞くと「ゴールドコースト」だというし、日本には絶対に住みたいとは思わないとのこと。
先日、次男坊とLineで長話をしました。彼は子供をどうやって育てるべきかと悩み始めているのね。彼も普通に彼の子供を育てれば、日本語もわからないように育つ環境なのはわかっていて、どうしてもそれだけは避けたいと。
だから私は何を考えどういう風に子供を育てたのかの「手の内」まで彼に話しました。そして「今のお前は、自然にそう育ったんじゃなくて、私達がきっちり道を作って、それに自然に乗っていくように作戦を事前に考えていた」と明かしました。これって、本人にはわからないのね。全て自分が決めて自分で歩いてきた道だと信じ込んでいるから。
でも私達が環境づくりから、学校選び、日本語の教育もやって来たし、「家庭内では英語禁止」「現地のテレビ番組は見せない」とか、どの子供も大好きな日本のゲームをあえて生活に取り入れて、日本に常に興味が向くようにしてきたとか。
絶対に守ったのは「日本に関して否定的なことを言わない」ということ。
彼らが現地校でアジアの歴史を学んだ時、家に帰ってきてから泣きながら私に食って掛かったのを思い出します。「日本人って卑怯で最低な民族なの?違うよね。絶対に違うよね?」と。
これってかなりややこしくて、学校には韓国人も中国人もいて、彼らのほうが数が多くて日本人はマイノリティなのね。だから特定の話になるとどうなるのかは簡単に想像がつくわけです。
私は泣く子供を抱きしめて、「日本人も過ちを犯したこともあるし、誤解もある。でも日本人って素晴らしい民族で、だから今でも多くの外国人に慕われているだろ?お前が大人になったときには真実はどうだったのか理解できるはず。日本人を信じろ」と誤魔化したのを覚えています。
そんなことをいろいろ次男坊に話したのですが、次男坊曰く、「俺もそうする」と。(笑)
そうやって育てても、「オーストラリアで育てば見た目だけは日本人で中身は外人」になるのね。これを皮は黄色いけれど中身は白い【バナナ】という。(笑)