東京15区の衆院補選が熱いですね~。
百田尚樹氏が率いる日本保守党から立候補した「飯山あかり氏」が急激に支持を集めているけれど、どうなりますか。
私は、自分を保守だと思っているけれど、支持政党はありません。というか、もういささか自民党には愛想が尽きたのね。中には私が期待している政治家も少なくないのだけれど、彼らが表舞台に出れる可能性はほぼ無いに等しいし、自民党は昔からの慣習で動くだけの体たらく。
その自民党を変えなくてはならないのだけれど、「外から変えるのか」「中から変えるのか」で保守層の意見は分かれている感じ。
そういう意味では参政党も日本保守党も立ち位置そのものは同じで「外から変えるしかない」という判断で、それに賛同する保守層は多い。
でも国会に一人二人の政治家を送り込めても、それで問題は解決するのかどうか。
いやいや、やっぱり「自民党を中から変えるしかない」と考える政治家も国民も多い。でもそれって今まで何年も同じことを言い続けて、結局、変えられないじゃないかと私は思う。それどころか益々、自民党はおかしくなってきた。
多くの保守層はそれを見て「ブチ切れている」のは事実で、百田氏がLGBT法案でブチ切れて日本保守党を立ち上げたのはよーく理解できる。
で、その日本保守党から「飯山あかり氏」が衆院補選で立候補した。
どうなりますかね~~。
これは彼女が当選するかしないかというより、「日本の将来を占う選挙」みたいな感じがしています。
彼女がこの動画で言っている、政党やメディアが選んだ候補が常に当選する政治で良いのか?という投げかけはまさにその通りで、あるいは組織を持っている立憲や共産党の分けわからない候補が当選する選挙で良いのか。あるいは有名人が出てくれば勝てる選挙で良いのか。
国民に意思はないのか。意思を示しても勝てないのか。
この問題は古くからの日本政治の問題点なわけだけれど、多くの国民はもうこれに辟易しているはず。
でもそれが広がり盛り上がっているのは「ネットの世界」だけの話で、まだまだ多くの人は問題意識は持っていないし、そうやって今までも来たのだからしょうがないのかもしれない。
とは言いつつ、東京15区の「街頭演説」を調べてみると、飯山あかり氏の街頭演説が一番盛り上がっていて、大手メディアが伝える「上位の候補」たちの街頭演説なんてまるで盛り上がっていないし、「内容がない」のね。というか、昔のままの街頭演説だと思う。
この飯山あかり氏の盛り上がりを見ると、「勝てるかな?」みたいな気はするのだけれど、街頭演説に立ち止まって聞き入る人たちの半数は東京15区の選挙民じゃない。そして多くの東京15区の人たちの間ではまだまだ飯山あかり氏は「ただの無名の人」でしかない様子。
でも本来、この補選は「小池都知事」が出てくるであろうと言われていたけれど、アラブ関連はもとよりアラビア語に堪能な飯山あかり氏が立候補したことにより、小池都知事の「怪しい学歴」「アラビア語も話せないらしい」という疑惑が大きくなることを小池氏は恐れたのか、そして「二階氏」のバックアップがないからこの補選には出てこなかった。これって、小池氏にしてみれば「国政に復帰するラストチャンス」だったかもしれず、それを【阻止した】かもしれないだけでも飯山あかり氏の存在意義はあると思う。
政党の都合、メディアの都合、組織や宗教によって決まる政治家。もうそういうのは飽き飽きしている国民が多いのは間違いがないとは思うけれど、では今までのそういう選挙に立ち向かって勝てるのかどうか。
勝って欲しいなぁ。
でも勝てないにしろ、飯山あかりムーブメントが大きいのは世間が知ることになったし、「次へのステップ」としてはすでに実績を作れたのかもね。
もし都知事選に飯山あかり氏が出てきたらどうなるんだろうか。
彼女も日本保守党も興味があるのは「国政」であるから、都知事選には出ないという考え方があるとは思うけれど、日本保守党の支持は間違いなく広がっているわけで、それに拍車をかける意味での都知事は良いのかもしれない。大きな基盤となるであろうことは間違いないだろうし、小池対飯山のガチンコには日本中が注目するはず。
でも私にはまだまだわからないことがあって、政党や組織、その息の掛かったメディアが推す候補が当選するのが悪いのかどうか。
国民一人ひとりの意思によって政治家が決まるのは理想のような気がするけれど、それってポピュリズムに走る可能性も高いと思っていて、国民はそれぞれ問題を抱えていて、「それをどうにかしてくれる候補を選ぶ」のが当たり前で、国の安全保障や憲法改正にしても、「それより私を助けて」という国民も多いはず。
かつて「日本死ね」と言った一国民の言葉が日本中を駆け巡ったけれど、あれも間違いのない「国民の意思」だと思うわけです。
会社も同じで、「皆が幸せになることはあり得ない」わけで、「切り落とされ、忘れられる存在」は必ず出てくるじゃないですか。「一人の脱落者も出さない」のは理想論でしか無くて、国が富んで、それが益々大きくなる過程にあるのなら、「ちょっと待ってください。必ず助けます」ということは言えても、国が貧しくなれば「誰を切り落とすか?」が議論になるのもしょうがない。
当然、見捨てられる人は「差別だ。不公平だ」と声を上げて、その声が大きくなれば「その問題の解決を急ぐ」ことになるのも当たり前のことで、それを無視した政治家は落とされる。
政治家の質は「国民の質を超えることはない」というのはその通りで、本当に「国民が望む政治ならそれでよいのか」という命題の答えは私にはわからないんですよ。
だから代議制が取られるわけで、国民全員参加型の政治が良いとも思えない。
「先生にお任せします」と国民は政治家を選び、政治家は「国と国民のために命を捧げる」という大前提があって初めて成り立つのが代議制で、政治家が一般人と同じ様に「損得を考える」のだとしたら、まだ国民全員参加型の方が良いのかもしれない。
だからかつては「貴族院」があったし、ノブレス・オブリージュという「無私の行動が出来る人だから高い位置を保てる」という歴史は間違いなくあったのだろうと思う。一大事が起きた時に、貴族が率先して命を投げ出してそれに立ち向かうからこそ、貴族は一般大衆からの支持を保てるのだろうし、日本の武士社会にもそれがあったのだろうと思う。
でも権力者にそのつもりがなくて「次の選挙で勝つこと」ばかり考えたり、自分の背景にある組織や勢力の利益を優先するような政治家だったら、政治は成り立たないと思うし、それが今の日本であり、アメリカも同じだと思うわけです。
なんだか世界は「民主主義」も「資本主義」も過渡期に来ているような気がします。
でもこのままでよい訳もない。さて、どう変わっていくのか。それが今回の補選に見えると思うし、参政党や日本保守党が世に出てきたということそのものが「変化の予兆」だと思うし、これをバネに日本が変わったら良いなと思っています。
アメリカも同じで、世の中の人達が「おかしな理想論を振り回すリベラル派」に辟易しているのを感じます。だから「トランプ熱」が大きくなるわけで、左に触れすぎている今の世界がせめて「真ん中」に戻ってきたら良いなと思っています。
ま、人それぞれ信条は違って当たり前で、自分が信じることが一番だとは思わないにしても、私には「リベラル派が世界を壊そうとしている」ように感じるわけです。グローバリズムにも反対で、それは全体主義であって、それにも10年以上前から反対してきました。では「ナショナリズムが良いのか?」なんてのはトンチンカンな大間違いで、インターナショナリズムがあるべき姿だと思ってきました。要は「個の独立性を重視した上での共生を目指す」ってことなのね。
日本保守党の飯山あかり氏が当選したら良いなぁ。政治の世界に激震が走ると思うし、そうあって欲しい。
でも勝てなくても、「日本人が変化をしだした」のは間違いないと思うし、それが「新しい日本」を作る原動力になるはずだと確信しています。
諦めたら負け。
風よ、吹け~~~~~~~~~~~~
頑張れ日本!
頑張れアメリカ!
頑張れ世界!
さてさて、私も観察者であってはならないと思うし、何が出来るのかしっかり考えようと思う。
最後の街頭演説。
盛り上がり方が半端じゃない。これって他の候補者にはないこと。