円も対米ドルで160円近くになれば「勢いも弱まる」かなと思っていたんですよ。
ところが一気に160円を超えてきた。ま、この節目を超えるにはそれなりの「勢い」が必要なのはわかりますが、円を売る勢力も強気ですね~。また「円買い介入」が入るのかな?
当然、対マレーシアリンギットでも下がっていて、1リンギ34円を超えてきた。
私達がマレーシアに来たのは2016年ですが、「かなり円が下がった」という印象があります。わたし的には1リンギ25円~28円みたいな感覚があったのですが、34円はかなり安いと思う。
私は米ドル中心で生きていますから、円が下がっても全く関係ない。円建ての収入も資産もほぼゼロですから。
でも私はなぜか日本を脱出してから30年以上経つのに「円建てで考える癖」がありますし、ブログは当然、日本人の読者も多く「日本円に換算して書く」必要があって、私には関係ないのに円の動向に右往左往したりして。(笑)
特に気になるのが我が家の家賃で、これを日本円で考えると「嘘だろ?」レベルになってしまうこと。実際には米ドルで生きていますから「実質的にはどんどん安くなっている」のですが、どうしても円で考えてしまう。
そうすると「何でも高く感じる」わけですが、実はその感覚って良いと思っていて、「無駄遣いが減る」から。
でもちょっと円が下がり過ぎの感じで、精神的に円で考えるとストレスがたまりそうなので、頭の切り替えをしたほうが良いと思うようになりました。
ブログに書く時にはリンギットで書くのは同じにしても、それを円に換算して書くのはやめようと思うくらい。でも現地通貨で書かれても読んでる方はピンと来ないはずですから、ブログの終わりにでもその時点での為替を注釈として書くだけに留めましょうかね。
しかし日本は「岸田おろし」も始まって、では次は誰かとなっても「嘘だろ?」みたいな人たちの名前ばかりで、自民党内では「国民不在の政治闘争が始まって」いるのが見える。また近づいた東京都知事選も、これまた「嘘だろ?」みたいな立候補者ばかりで、都民も関係なくて「政治の私物化が起きている」感じがしてなりません。「天下国家」を考える人がリーダーとして出てくる土壌がなく、そもそも「国士」なんて言葉はもう死んだのでしょうか。
私が思う理想から東京都も日本の国そのものも「どんどん離れていく」ような気がしています。
「お前は日本を捨てたのだから関係ないだろ」なんて(いつものように)言われそうですが、私が気になる国は日本のみで、好きな国も日本のみ。遠くから「良くなって欲しい」と願っても私の望む方向とは全く違う方向へ進む日本を見るのは結構辛いものがあります。
とは言いつつ、私と同じ理想を持つ政治家やジャーナリスト、専門家も決して少なくないし、どうにか彼らを後押しすることぐらいしか出来ませんが、本当に日本には良くなって欲しいです。
円安もこの辺で良いんじゃないですかねぇ。
理論値で言うと120円ぐらいが妥当のようですが、一体どうなっているのか。
また世の中は「生活が苦しいのは円安のせい」にする傾向が強いように感じていますが、ではニューヨークで食べるラーメンが3500円というレベルになっているらしいものの、円が今の2倍の80円になったところで、「ラーメンの1750円」は決して安くはないわけで、なんでも為替のせいにすると「大事なポイント」が見えなくなる危険があると思っています。
「日本では何でも安い」という外国人旅行者ですが、では円高になったら「安くない。もう日本には来ない」と言い出すのか。私はそれも違っていると思っていて、ちょっと為替のことは横に置いといて、日本の長所短所、問題点を洗い出して伸ばすところは伸ばし、変えていかないとならないことは変えていかないとうまくないような気がしています。
「海外の物価が高い」のも、「外国人観光客が増えた」のも【為替とは関係ない】と考えたほうが大事なところが見えてくるような気がしています。
そして気になるのは「円高になったとしても日本はまだまだ安い」とするなら、「日本の物価は海外を追いかけるように上がる」と考えるのが妥当で、また「一度上がった物価は下がらない」ことから、「海外との差が縮まる」としたら、それは「日本の物価が上がる」方向でしか縮まらないのかもしれない。
今はまだ「嵐の前の静けさ」があると思っています。
やっぱり「為替」なんか気にするよりも、今はまだ隠れているような「インフレ」に気をつけるべきで、「いかに収入を増やすか。実質賃金を上げるか」が重要であって、為替のせいにしたり、国や企業(勤め先)に全てお任せってのは非常にうまくないと感じます。
ここで頑張って伸びる人達と、何かを待つことしかできない人達との差はどんどん開くのだろうと思うし、特に「皆、中流意識」を持っているのが普通だった日本人だけに、「想像もしなかった悲しい将来」が来てしまうかもしれない。
でも投資をしようなんて思っても、眼の前にあるのは「新NISA」なる、私に言わせれば「罠」みたいなもので、そもそも【国民は常にカモられる対象だ】という認識が必要だと私は考えています。
マレーシアから日本を見ていても、「格差が広がっている」のを強く感じます。それこそ貯金もなく収入も少ない若者、シングルマザー、年金も少ない老人がどう生きるかという深刻な問題があるのと同時に、1億円のクルーザー(ボート)が売れている世界も「同居している」みたいな、「これが同じ日本か?」と思うこともある。
私にはもう小さな子供がいなくて良かった、なんて思うこともあります。「お前の人生はお前の好きなように生きろ」と自由にさせてよいのかとも思うし、「きっちり金儲けが出来る大人になれ」と発破をかけるのも酷い世界で、かといって日本人の好きな「ほどほどに」とか「中庸」とか、そういう感覚でいたらどんどん振り落とされていく厳しい世界のような気がしています。これからは嫌でも「貪欲に死にもの狂いで頑張っている韓国や中国の人達」と、そして「安い賃金で働く海外から入ってくる人達」と日本人は真っ向から競うことになるのは目に見えているわけですから。
そんな時に大事なのはやっぱり「家族の愛」だと思うのだけれど、今の若者は「金が無いと愛も育たない」「金の切れ目は縁の切れ目」なんてことを平気で言うし、私が「違うんじゃないか?」というと「甘いねぇ」なんて言われる。
うちの長男も「結婚とはリスクを取るということ」、なんて平気で言うし、私が「どんなリスクがあってもこの人と一生一緒にいたい」と思ったことがないからそう思うのだろうと言っても、なんだかかつては「夢見る若者」と「現実を知る老人」だったのが、今では立場が逆になったような気さえします。
ま、誰しもが好きに生きれば良いとは思いますが、是非とも、歳を取ってから後悔のない人生を送ってもらいたい。それだけが私の願い。