私達は2016年にオーストラリアからマレーシアに移ってきましたが、「いつまでマレーシアに住むのか」に関しては真剣に考えたことがないんですよ。
マレーシアに来たのは楽しむためではなくて「(私には)所得税が掛からない」「生活費が安い」ことから、次なるステージに登りたい、ダボ家の資産をしっかり作りたい、そしてそれを子どもたちに渡したいという思いがあったから。
それが理由で「マレーシアに移る」ことを決めたわけですが、なんとその時点で、すでに姉夫婦が長年住んだアメリカはサンディエゴ(ハワイに長かった)からマレーシアにMM2Hで移動するところだったのね。私はそれを事前に知らなかったので本当に驚きました。全くの偶然です。
私も姉もマレーシアに移り住むのを知った日本に住む両親は「自分たちもマレーシアに行けば、何十年ぶりに一家が揃う」と思ったのね。だからすぐに日本の財産を処分してMM2Hを取ってマレーシアに渡ってしまった。
ところが我が家はリーマンショックで大打撃を食らって、動くに動けなかったんですよ。もしもその1年前にマレーシア行きを決めていたら随分、違った人生になっただろうと思うのですが、こればかりはしょうがない。
ですからMM2Hビザを取ったのは2009年ですが、2016年まではゴールドコーストに留まっていました。でもリーマンショックからの回復は簡単ではなくて、そのままゴールドコーストにいてもしょうがないと思い、自宅も叩き売ってマレーシアに渡った。
本来は自分たちの家族のことだから、その後どうするのかは家族で決めれば良いことですが、計算外の「両親もマレーシアに来た」ことから将来の計画が立てられなくなりました。両親は「マレーシアで死ぬつもり」で「日本には帰りたくない」というし、そういう両親をマレーシアにおいてオーストラリアなり日本に私達が出てしまうなんてことは絶対に不可能。
しかしすでに年老いていた母は2019年、そして父は今年、2024年に他界。
流れから両親と同居して面倒を見なくてはならなくなった姉も、これで自由になった。私達も同じ。「自由になった」なんて言い方は適切ではないけれど、状態としてはその通りになった。
でもすぐに「マレーシアを出たい」という考えは全く無くて、それどころか、シドニーで公認会計士をしている次男坊が「このままサラリーマンを続けても良いことはない」と言い出したのね。まだ33歳ですが、「もう将来は見えている」という。そして「俺達家族もマレーシアに渡ってトレードで生計を立てたい」なんて言い出した。
正直なところ、有名な監査法人に勤め、若いのに高給取りの次男坊がそんな事を言うなんて全く想像さえしていませんでしたが、彼の家族と私たちの家族とマレーシアで合流して一緒に頑張るのも良いかもしれない、なんて思う。息子たち二人でいつかダボ家を盛り上げて欲しいというのが私の昔からの願いでもありましたから、「その時が来た」ような気がしないでもない。
でももう私はかなりのジジーで体の調子も良くないわけで、そして先の将来のことも考えると「ヨメさんが私のいないマレーシアで生活できるとは思えない」ことから、適当なところで日本に帰って「老人ホームが併設されている老人用のマンション」にでも入ったほうが良いというのが私の今の考えでもあります。
そして「どんどん自分がマレーシアに適応できなくなっている」のも強く感じるんですよ。
まずいつまでも運転できるかわからないのと、マレーシアって道路事情が最悪で、「道を歩く」「道路を渡る」ことも難しいのね。歩道もガタガタで穴が空いている、段差があるなんてのは普通で、近年10センチの段差でつまずいてひっくり返るようになった私は「街を歩くのでさえ怖い」のね。そして大きな道路を横断するのも簡単ではないわけで(信号がないとか、歩行者優先ではないとか)、ヨタヨタした年寄り向きの街じゃない。実際にマレーシアって、日本みたいにどこもかしこも老人がウロウロしているような国じゃない。
またマレーシアの食事もどんどん合わなくなってきてる。昔はアジアンフードも好きだったし、わけのわからないものでも好んで食べたし、マレーシアを知った頃は「食の都、天国」だと思ったくらい。
ところが今では「甘すぎる」「味が濃い」「匂いに耐えられない」と思うことも多く、中華なら大丈夫なのだけれど、それも「広東風」、あるいは「台湾風」じゃないと味も濃くて刺激が強すぎる(家で作る麻辣が聞いた麻婆豆腐は別)。多くの人が好きな「肉骨茶(バクテー)」なんて全く食べられないどころか、匂いもだめになってきた。ゴールドコースト時代から大好きだった「福建ヌードル」でさえも美味しいと思わなくなってきたし、あの色を見ただけで食欲が失せるようになった。でもシンガポールヌードルとか香港ヌードルと呼ばれるあっさり系は全く平気。多くの点心も大好きで美味しいと思う。で、洋食はもちろんOKだけれど、やっぱり和食、和風を食べることが多くなったのは間違いがない。
それと最近、気がついたのだけれど、知らない内に「マレーシア独特のお手洗い」にも耐えられないほどの嫌悪感を感じるようになったのね。特にあの「水浸しのポットンお便所(和式便所みたいな)」は見ただけで目眩がしそう。昔は東南アジアの「穴を掘っただけ」とか「高床式で下は地面のお便所(下にはご馳走を待っている豚がいる)」なんてのも全く平気だったし、マレーシアのお便所が水浸しなのは「その方が衛生的で、汚物があちこち飛び跳ねているよりよっぽどマシ」だと思っていたのが、気が付かない内に受け入れ難くなっていて、やっぱり「日本的なきれいなお手洗い」じゃないと出るものも出ないようになってきた。(笑)
だからちょっと郊外にでも小旅行に行こうかなと思っても、すぐにあの「お便所」や衛生的ではないシャワールームとかが頭に浮かんできて、う~~~む、やめようなんて思ってしまう。是非行きたい「温泉」もあちこちにあるものの、高級なところに行けば大丈夫なんだけれど、マレーシアの一般的な場所では不安だし、衛生さに疑問があると感じる中途半端な場所もかな~~り多いのでなんとなく乗り気にならないのね。高速道路の休憩所のお手洗いも同じで、よっぽどじゃないと入りたくないと思う。外国人が日本に来ると「お手洗いのキレイさに驚く」というけれど、その通りだと思う。
なぜか、前は気にならなかったことが、最近、気になるようになった。普通は逆で、どんどん慣れるものだと思うんだけど。
またマレーシアって若い国だから「子供が遊べるようなところ」が非常に多くて、もうそういうところに行っても「居場所がない」「落ち着かない」「場違い」の様に感じるし、ますます出不精になってきた。昔は「寝る所があれば問題なし」なんて思っていたけれど、もうそれは遠い過去。
こういう自分でも想像もしなかった変化が自分の中に起きていて、やっぱり「日本に帰るのがベストなんだろうな」と思うわけです。
でも「次男坊家族をマレーシアに迎え入れる」なんてことも起こりそうで、やっぱりこれからも長い間、マレーシアに住むようになるんだろうと思ったり。
ただやっぱり病気や怪我が怖いです。
私達が加入している保険は「同じ病気では使えない」し「一つの病気は180日までの保障」となっているし、母や父がマレーシアで入院して、多額の治療費が掛かったことを考えると、マレーシアに歳を取って住み続けるのはかなり難しい感じがしないでもない。
また医療や検査のレベルに関しても、不安に思うことは多々あるわけで、大病じゃなければよいですが、深刻な病気にかかったらやっぱり日本に帰りたいと思う。マレーシアの「平均寿命」が男は71.7歳というのもそういうことが関係しているのだろうと思う。ちなみにお隣のシンガポールの場合は79.3歳。
でもま、先のことはわからない。どんな予定、計画を組んでも意味がないと思っていて、私はやっぱり「家族を中心」に考えたいし、それを最優先して、ま、自分の事はなるようになると思うしか無い。でも可哀想なのはヨメさんで、それに付き合わせてよいのかどうかは疑問。
それでも私としては「家族のために黒子に徹する」人生で良いと思っているし、それどころかそこに幸せを感じるのね。私自身があれをしたいこれをしたい、ああなりたいとかそういう願望が何故か無い(ブログにはいろいろ書くけれど、本音はどうでも良いことでしか無い)。ま、若い頃から好き勝手に生きてきたから、今更どうしてもやりたいことって無い。というか「家族のために生きていたい」ということしか頭に浮かばない。考え方が「女性的、母親的」なのかもね。
ま、あれこれ考えずに流れに身を任すしかないのかもしれない。
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
男児志を立てて郷関を出づ
学もし成る無くんば死すとも還らず
骨を埋むる豈に惟だに墳墓の地のみならんや
人間到る処に青山(墓)有り