ヨメさんから「デートの誘い」があったんだけど、断ったら・・・ & 家族の絆

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女心って私にはいつになっても理解できないところがある。いや、わかっていてもそれに乗りたくないことがあるのね。

我が家は外食に行くにしても、家族3人で行くのが普通で、夫婦二人だけで行くことってまずないのね。息子はやっぱりオーストラリア育ちで、また学生時代には一人で貧乏生活を長年していたような奴だから、そして今はマレーシアだからなんだか不憫に思うんですよ。和食はもちろんのこと、いわゆる「良いものをあまり食べていない」と思うから。

特に気になるのはやっぱり「和食」で、日本人なら誰でも知っているような料理、食材を見たこともなければ食べたこともないものが多いというところ。ましてやその「良し悪し」なんてわかるわけもない。でも最近、「オヤジが鰻より穴子のほうが好きなのがわかるようになった」というし、「マグロはトロよりも赤身が好き」なのもわかると言うようになったのは、私としては嬉しい。決して良いものを食べているわけじゃありませんが。また、日本からの食材を良く買うのも、息子に食べさせてやりたいと思う気持ちが強いから。

息子たちにはウンチクを言うようになって欲しいのじゃなくて、美味しいものって私達の口に入るまでに関係する多くの人達の半端じゃない努力とそして「犠牲となる命」も常にあるわけで、それを理解しそして感動して食を楽しみ(感謝という臭い言葉は使いたくない)、有意義な人生を送ってもらいたいと思うから。そしてそれって上下や貧富の差も関係なくて、小便横丁の安い焼き鳥屋でも老舗のコダワリがある高級店も同じだと思うのね。

ただどうしても気に入らないのは「お寿司を食べながらコーラを飲む」こと。これは次男坊も同じで、そんな個人の趣向までいろいろ言えないので私は黙っていますが。(笑)

若い頃の「食」の経験って後々ずーっとあとを引くし、チャンスがあれば息子に良いものを食べさせたいと親としては思う。だから外食に出るのは「息子のため」なんていうと大げさだけれど、そんな部分も我が家にはある。

そんな我が家なのにヨメさんが、「二人で食事に行こうよ」と言い出した。

これって本当に珍しいことで、かつて子どもたちが離れて生活している頃は当たり前だったけれど、今、マレーシアに長男と3人で住んでいて、「二人で行こう」とヨメさんが言ったことって、ちょっと思い出せないぐらい珍しいこと。

ある「和食店」に行ってみたいらしい。あるいは「ちゃんとした店でチリクラブを食べたい」と。つまり「高級店に行こう」って意味なのね。

ま、それも良いかと思って行く日も決めたんですよ。

ところが当日になると、私の調子もあまり良くなくて、KLの中心地にGrabで行くのもちょっと気になったんですよ。私が出かける時には自分の車で行きたいのは「自分の車は移動する自分の部屋」みたいなもので、出かけている間に調子が悪くなっても「自分の車に逃げることが出来る」のね。でもタクシーなりGrabで出かけると、「万が一のときの逃げ場がない」ように感じるわけです。(だから飛行機に乗って行く旅行もイマイチ乗り気にならない)

これって若く健康な人にはわからないかもしれない。私だってそんな風に思うようになってからまだ1年も経っていない。

でも今回はお酒も飲むし、自分で運転して行くわけにもいかない。

ヨメさんは期待に胸を膨らませてルンルンしているのだけれど、私のちょっとノリの悪い態度を見て、「どうしたの?行きたくないの?」と聞くわけです。

「いや、行きたくないわけじゃないけれど・・・」と私も行くつもりでいたものの、ヨメさんが「じゃ、やめる?」と言った一言に「・・・・うん・・・」と答えてしまった。

ヨメさんも私の調子が良くないのは知っているわけで、「行こうよ~~~」とは言わなかったものの、それからなんとなくヨメさんの態度がおかしい。

何も言わないのだけれど、この数日、なんとなく余所余所しい感じ。笑顔がない。

ヨメさんから「二人で行こうよ~」なんて誘われるのって本当に「無い」と言っても良いくらいの我が家なのに、私が断った形になってしまった。

どうにか挽回せねば・・・。

息子を誘って、「行こう行こう、3人で行こう~~」って盛り上げるしか無いか。

最近、ちょっと我が家の中で不協和音が出てきています。

一番気になるのはシドニーに住む次男坊なんだけれど、私との意思の疎通がうまくいかなくて、私の話し方も悪かったのだけれど、彼の置かれた立場や彼の気持ち、彼の嫁さんも含めた「人生の大きな決意」をしたのに、それを裏切るような形になってしまって、最近、次男坊とも話もしなくなっています。大げさに言うと彼の「父への長く深い信頼が揺らいだ」みたいな。

惟一の救いは「私と長男の意思疎通はばっちり」で、彼は全てを理解しているのね。そして彼が間に入ってうまく取り持ってくれてはいるのだけれど、私の欠点、ミスが露呈したのは間違いがない。

誰一人として「感情的な言動はない」のだけれど、こういう時に感情的になって騒ぎが大きくなると「家庭崩壊」なんてことも起きるんだろうと思う。

ちなみに我が家と非常に親しい友人夫婦の「離婚騒動」だけれど、嫁さんは家を出て娘の家に身を寄せていたものの、ゆっくり考える内に反省点もあるのがわかったようで、ご主人に長い長い手紙を書いたそう。そして離婚を言い出したご主人も反省点があることに気がついたのでしょう。

結局、元の鞘に戻ることになった。

でもそもそもなぜ離婚話になったのかという「原点」は私にはわからずじまい。

ま、良かったねとしか言いようがないけれど、私達から見ても「あれほど仲の良い夫婦はいない」という夫婦に離婚話が出た事自体が信じられない。ご主人は理性的でいつもニコニコしていて、もう30年以上の夫婦同士の付き合いだけれど、彼の怒った顔も見たことがないし、(酒も飲まない)真面目で思いやりのある珍しいタイプの人。その彼が離婚を言い出したと聞いた時に、「嘘だろ?ありえない」と思ったわけです。激しい夫婦喧嘩をしたわけでもなく、ご主人が「冷静に考えた上に出した結論」となれば、こりゃヤバいと思っていたものの、軟着陸。

私の周りを見ても、「家庭崩壊」なんて大げさな言い方は出来ないものの、「離婚した」なんて夫婦はごっそりいて、フト考えてみても「長い間、おしどり夫婦」みたいな友人知人って思い浮かばない。「幸せに暮らす夫婦」は何組かいるけれど、皆さん「離婚経験はある」人ばかり(再婚したのをキッカケに海外に出る人は多い)。あるいは「仮面夫婦」みたいな「離婚はしていないけれど夫婦間に距離があるのがわかる」夫婦もいる。

我が家も当然、「離婚の危機」は何度かあったし、夫婦ともども自我が強くすぐ感情的になる、いわゆる「喧嘩っ早い」夫婦。

でもそういう危機って「台風」みたいなもので、大事に発展したことはない。でも喧嘩は良くする夫婦で、友人に「喧嘩するほど仲が良いというのは本当だね」なんて言われたことも一度や二度じゃない。

歳を取ると「我慢する」「諦める」ことも覚えるから、意外に「仮面夫婦」なんてのが普通なのかもしれないとも思う。

そういう意味では、我が家はぶつかり合いは多いし激しいけれど、仮面夫婦という感じは皆無。いつも本音で生きている。

でも夫婦って「砂上の楼閣」みたいなもののような気がしないでもない。それって夫婦間だけじゃなくて、親子兄弟も同じかもしれないと思う今日このごろ。

とは言うものの「相手を思う気持ちに嘘いつわりはない」のが通じていれば、どんな山でも谷でも乗り越えられるのも間違いがない。そういう意味での「結束」が我が家にはあると思ってはいるのだけれど、そういうものも壊れることがあるから人生ってわからないんでしょうね~。

死ぬ時には「本当にどうも有難う。皆に会えて最高の人生を送れた」と言って逝きたいな。

2019年に母。2024年、今年に父を見送ることになったけれど、二人共「そんな感じで旅立って行った」のは間違いがない。若い頃は本当にいろいろあった両親だけれど、晩年の二人は「おしどり夫婦」だった。お互いがお互いを思う強い気持ちは私達から見てもはっきりわかる夫婦だった。

私も両親のような人生を送りたい。

私には知らない間に出来上がった私なりの死生観があって、私自身が傷ついたり痛めつけられても全く平気。恐怖心や羞恥心も薄れてきたのは間違いがなくて、このブログにも平気で何でも書くのはそれが理由でしょう。死に対する考え方も歳を取って大きく変わっていった。またトラウマの中で生きてきた幼少期、青年時代を思い出せば、今、辛いことなんて何も無い。あの頃に比べれば天国だと思うくらい。でもその代わり、家族の中に「心を痛めている」家族がいるのがわかったら、それにはどうしても耐えられないんですよ。ましてやその原因が自分だなんてことになったら気が狂いそうに思う。

家族のためなら、いつでも笑ってこの命を差し出すことも出来る私の思いが伝われば良いのだけれど・・・。

反省すべき点はしっかり反省しないとですね~~~。

皆が笑顔の中で暮らせるような家族の土台を作るのが私の使命。そしてそれは両親から受け継いだ「我が家の使命」のような気もするわけです。両親の個人的な楽しみなんてのは「人生のおまけ」みたいなもので、「家族のために生きてきた」のがはっきりわかる両親でした。

まだまだ頑張らなくては・・・。私の両親が死ぬまでそうだったように。

でもそれって「重荷」には思わないのね。それどころか三島由紀夫が言っていた「人は自分のためだけに生きれるほど強くない」というのが真理だというのが私にもわかったから。重荷どころかそれが「幸せ」なのだと気がついた瞬間が私にもあった。「一度きりの人生なのだから、自分の好きなように生きれば良い」という考え方は皆無の私。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 

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