オーストラリア育ちの次男坊は家族4人(子供二人)でシドニーに住み、大手の監査法人で公認会計士として働いていますが、最近、(私がやってきたような)トレードに目覚め、将来はそれで食べていきたいと言い出した。
一般論としては、監査法人の公認会計士でそこそこの地位と高収入を得ているのに「どうして?」と思うわけですが、次男坊に子供が生まれてから「やっぱり家庭が大事」だと彼は考えるようになって、でもこのままでは「仕事中心に生きていかなくてはならなくなる」と言うのね。
まだ34歳で将来は長いわけですが、自分が今の会社にいてもっと上を狙う場合、どのくらいの年数がかかり、どのくらいの収入アップになり、そして「どれほど会社に貢献しないとならないのか」を考えた場合、【こんな人生は嫌だ】と思うようになった様子。
贅沢な悩みだとは思いますが、やっぱり今以上の出世をするには「家庭と会社とどちらを取るか」となって「会社を取ることになる」というのね。
ま、当たり前といえば当たり前で、でも次男坊としてはそういう生き方をしたくないと。私としても「将来が見えてしまう人生」が面白いとは思えない。
彼が小学生だったか中学生の頃に私に言ったことを思い出します。「パパ、僕は日本人みたいに【お金持ちになるために】一生懸命働くようになりたくない」と。私はそれに対して「それは違うよ。日本人は【普通に生きるために】一生懸命働くんだよ」と言ったら驚いていましたっけ。オーストラリアでは「残業しない」「突然の転勤、単身赴任はない」「年間の有給休暇が1ヶ月ぐらいある」「定年後は悠々自適に暮らす(近年、厳しくなっている様子)」のは普通ですから。
そもそも親の私が自由気ままにやりたいことをやって生きてきて、そして昔も今も「何よりも家庭を大事にする」中で彼も育ってきたわけで、またダボ家は「商人の血筋」で親族を見渡しても「サラリーマンがいない」ような一族ですから、彼も、たとえリスクは大きくても自分で自分の人生を切り開きたいという思いが強いんですよ。
そして彼は「自分が育った環境」を振り返ってみると、本当に恵まれていたのがわかるという。本人はその当時は「それが普通」だと思っていたわけですが、自分が社会に出て、家庭を持ち、子供を持った時に、【自分が育ったのと同じような環境を、自分の子供達には与えられない】ことに気がついたのね。
自分が、自分の子供と同じ歳の頃はゴールドコーストのウォーターフロントの大きなプール付きの家に住み、海も空も空気も綺麗な大自然と隣り合わせのリゾートみたいな場所で大いに遊び楽しみ、何の不自由無く、学校は地域ではトップクラスの私学に小中高と学び、そして大学も大学院も自分の好きなところを選べて好きなように勉強ができた。それは長男も同じ。
こういう生活は「高額所得者だから」ではないんですよ。日本在住者には理解不能だろうと思いますが、ちょっと頑張ればだれでもそういう生活が出来るのがオーストラリア(ゴールドコースト)の良いところ。だから私達はゴールドコーストに永住しようと思ったわけです。私の友人の若い日本人夫婦ですが、「同じ貧乏をするならゴールドコーストで貧乏したい」と言って永住権取得を目指していたのはそういうことなのね。でも永住権がなければ、国の何の援助、補助もないし(教育費も同じ)、そういう生活をするのはかなり厳しいこととなる。
綺麗な海が眼の前にあって、ウォーターフロントの家はごっそりあり、プールがある家は「普通」だし、ゴルフ場もすぐ近くに多数ある。ゴールドコーストとはそんな街。
そういう環境で育てばそれが彼にとっては彼の標準だと思うわけですが、頑張って勉強し、良い就職先も見つけて、一生懸命働いているのに、今、彼は小さなコンドで家族4人で生活し、プール付きどころか「持ち家を持つのも夢のまた夢」みたいな状態(シドニーの不動産は異常な高さ)。そして、当然、二人の子どもたちを良い私学に通わせるのは「絶対に不可能」なのがわかったわけです。
他人の目線で見れば、有名な監査法人に公認会計士として勤め、そこそこの地位も収入もある方だけれど、「彼が普通だと考えていた豊かな家族団らんの生活」をするのは、このままサラリーマンでいる限りどう頑張っても無理だという【現実】を知ったのね。
彼の話を聞いていると、シドニー全体が日本で言う「六本木、港区」みたいな感じ。かつてのゴールドコーストとは全く違う異常な都市だと思う。
次男坊が同僚に愚痴をこぼすと「シドニーは金持ちじゃないと住めない場所。しょうがないだろう」と言われるらしい。
では「ゴールドコーストに住もう」と思っても、彼が勤めるような大企業はないし、同じような収入も得られない。
ま、次男坊は「田舎者」で自由気ままに生きてこられたけれど、シドニーという大金持ちがごっそりいて競争も過激で半端じゃない大都会に出て面食らっているようなもの。
彼は幼い頃から自立心旺盛、そして努力家で放っておいてもグイグイ進んでいくタイプ。だから今の会社でも出世も早かったのだろうと思いますが、上に行けば行くほど「狭き門」になるし、それこそ「会社のためにすべてを捧げる」ぐらいじゃないとトップ(パートナー)になれないのもわかってる。
だから私も、いつか彼は「独立する」とは思っていましたが(彼は常にそれを言っていた)、その時が私が考えていたより早く来た。
そして何をするかと言えば「トレード&投資」をするということなわけで、そうなら今、私達がマレーシアにいるように、彼も家族とともにマレーシアに来たほうが、【所得税も掛からない、生活費も安い】ことから、リスクの大きさも半端じゃないけれど、成功するチャンスは間違いなく広がるのね。
マレーシアに住むだけで手取り収入は2倍になり、生活費は3分の1になるのだから。(マレーシアの物価はシドニーに比べれば3分の1以下)
そして家族皆が同じ国に住むというのは、私としてもやっぱり嬉しい。
だから私もそれに一時は賛同しました。そして次男坊家族がしっかり自立できるようにダボ家の全てを結集して手助けしようと皆で決めたわけです。
ところがいろいろ考えてみますと、そもそも私たち夫婦が年齢的にもいつまでマレーシアにいられるかわかりませんし、マレーシアとは「中間地点」でしかなくて、決して「最終到達点ではない」わけです。
そしてマレーシアに次男が来るとなれば、MM2Hを取ることになるはずですが、ご存知のように新しいMM2Hは「全く魅力がない長期滞在ビザ」に成り下がった。そしてMM2Hは永住権ではないわけで、そのまま住んでいたくても、いつMM2Hビザに変更が起きるかわからないし、自分もいつか年老いていけば出国しなければならない時は来るし、彼の子どもたちが成人する時には「彼らは彼らで住む国を探すしかない」のね。
それはMM2Hではなくて、就労ビザだろうが起業しようが同じこと。
当たり前だろうと思うかもしれませんが、「自分が育った国に住み続けることは簡単ではない」というのは、私達日本人が、二十歳になったら「日本を追い出される」のと同じことなんですよ。
オーストラリア育ちの長男も次男も「ゴールドコーストが故郷だ」とはっきり言いますし、「日本に住みたいとは思わない」とも言うし、「いつか歳を取ったらゴールドコーストに住みたい」なんて言う。私達夫婦はいつまでも日本人のままですが、子どもたちの中身は決してもう日本人ではなく、半分、あるいはそれ以上がオーストラリアを愛するオーストラリア人なわけです。でも彼らはオーストラリアの永住権があるから、オーストラリアに一生住み続けるのもそれを望むなら可能。
やっぱり子供を連れて海外に出るのなら、「子どもたちが住みたい国に住めるようにしてやるのは親の義務」だと私は思っていて、それは子どもたちが家族の一員として皆が同じ滞在許可を取れる間に「永住権を確保するべき」という意味。
我が家の息子達と同じ様にオーストラリアで育った友人知人の中には、永住権があっても「日本が好き」と日本に帰った子どもたちもいたし、逆にオーストラリアの市民権(国籍)を取り、オーストラリア人として生きていくことを選んだのもいる。
その「選択が可能」という点が重要だと私は思っていて、オーストラリアで生きていきたいのに「その権利がない」というのは大問題だと私は考えます。それは何度も書くように、私達日本で育った日本人が、ある時「日本から出なさい」と言われるのと同じことだから。
「お前たちの好きな国に住みなさい」と親としては言いますが、少なくとも「彼らが望むのであれば、育った国で住み続けられるようにする」のは親の最低限の義務で、「自分で頑張れ」と放り出すのは、私は無責任だと思う。親は日本に帰ればよいだろうけれど、子どもたちにとって、その時、日本はもうすでに外国になっているのを忘れるべきじゃない。
世の中には比較的簡単に永住権が取れる国がありますが、未知の国でそこに住み続けたいと思いもしない国の永住権をとっても全く意味がない。
自分が育ち、故郷だと愛する国の永住権がなく、本当は住み続けたいのにいつか出ていかなくてはならないとしたら、あるいは普通のローカルと同じ様な権利もない、社会保障もない、就労の自由さえない状態で生きるしか無いとしたら、彼らは【難民となる】しかないわけです。
若い時にはそれでも「自由」を感じるはずですが、段々とそれは「難民と同じ」であることに気づく時が必ず来る。私の場合は多くの親族が海外住まいでしたし、若い頃から「永住権の重要性」はわかっていたので、オーストラリアへ渡ったときも「永住権を取ってから渡る」ようにしたわけで、もし永住権が取れないかもしれない状態だったら、オーストラリアへ渡ることはなかった。当然、「数年でも海外生活を経験したい、させたい」という、私にしてみれば「中途半端な考え」も全くなかった。
でもマレーシアで永住権を取るのはほぼ不可能ですし、永住権を取れたとしても「社会保障先進国でもない」ことから、(私は)大きなメリットは無いと思っています。
というかオーストラリアが異常と言っても良いような厚い社会保障と自由とチャンスがある国で、ああいう国で生まれ育ったら皆、幸せだろうなと思いますもの。だからこそオーストラリアを選んだわけで、それとマレーシアを比べると、(取れたとしても)永住権に大きなメリットがあるとは思えないのね。「住み続ける権利」と「就労の自由」があればそれで良いとも思えないし。ましてやそれさえもない場合、そこで根を張って家族を持ち、子どもたちも育て、自分も年老いていくのはあまりにも無謀としか言いようがない。そうして「泣く泣く日本に引き上げる人達」を私は若い頃から多く見ていましたし。
世の中には「海外生活に憧れる人達」って結構いて、そういうタイプなら「帰らなければならない時」が来ても「良い経験が出来た」と思うことが出来るんでしょう。でもその地に根を張って家族も大きくなり、長い年月が経てば「それが生活そのもの」になるわけで、自分の意志とは関係なく「出国しなければならない」としたらどう思うのか。
それは私達日本人が普通に日本で家族とともに生活をしているのに、「来年は日本をでなければならない」というのと全く同じことなのね。私はそれに気がついていない海外在住者が多すぎると思う。「海外生活~~~♫」なんて思っている内に、段々と「その時」が忍び寄っていることを想像すべきだと思う。それも「それを選んだ自分」はどうなろうと構わないけれど、「道連れになる子どもたち」は?
かく言う私も「日本に帰らなければならない時が来るかもしれない」のは常に想定していましたから、子どもたちには「お前たちは日本人だし、突然、日本に帰らなければならないかもしれない」とは言い続けました。だから日本語は当然のこととして「日本の教育レベルに遅れたら大変なことになるぞ」と脅しもしたわけです。
でもそんなことは関係なく、子どもたちは「ローカルの人間になっていく」のね。環境に溶け込まなければ生きていけないし、子どもたちはどんどんその環境に染まっていく。だから息子たちは「見た目は日本人」だし日本語もほぼ完璧だけれど、一皮剥くと中身は「オーストラリア人」みたいになりました。これを「バナナ」と言います。見た目は黄色だけれど、一皮剥くと中身は「白い」のね。実はこの傾向は次男坊のほうが強い。
だから「何かあったら日本に帰るしか無い」というのは、彼らにとっては「その日から海外生活が始まる」のと同じことになる。そして彼らは「もう自分が育った大好きな心の祖国に帰って生活することは不可能」なことを意味する。
これは私達日本人が「日本を追い出され」て、もう日本では住めないのと同じことなのね。
だからどうしたって「海外住まいと永住権はセットで考えないとならない」というのが私の信条。「住み続けるか否かの選択権は確保しておくべき」ということ。永住権があっても、数年で帰る人だって多いわけで、そういう自由が重要なんじゃないですかね。
あるいは「いつか必ず日本に帰りたい」「子どもたちも日本に住んでもらいたい」という強い願望があるのなら、【あえて永住権は取らない】という選択肢もあるかもしれませんね。そして子供が「この地に住み続けたい」というのであれば、子供の責任において「永住権を取れば良い」のかもしれない。でもそういう作戦を親が考えたとしたら、やっぱりそれは「親としてあるまじき卑怯な選択」だと私は思ってしまいます。
ま、このことは書き出すと終わりがないような話ですが、今はまだ赤ん坊の二人の孫の将来を考えた場合、私はやっぱり「オーストラリアに住み続ける方が良い」と思う(今現在、二人の孫は二重国籍状態)。それは「教育」もそう。
そして私は近年のマレーシア政府の方針やコロコロ変わる政策を目の当たりにして、こういう国に「オール・インでベットするのは危険」だと感じるようになったんですよ。
ある日ある時「出ていけ(ビザの改悪)」なんてことも起こりそうに思うし(その危険はMM2Hの変更の時にもあった)、税制もそうで、「海外での収入には課税しない」とか「ラブアン法人はタックスヘイブンである」というのもどんどん変化して、特に税制は「国の根幹である」のにも関わらず、コロコロ変わるなんて私には信じられないくらい。
ラブアン法人は3%の法人税だったのが、24%に突然、変更になり、それも【遡って課税する】なんてそんなメチャクチャなことを決定する政府がこの世界に存在するなんて狂っているとしか思えない。
海外での収入は非課税というのもそうで、突然、「マレーシアにそれを持ち込んだら課税する」となった。それを聞いたのは確か2年前の11月で、施行は1月からだとか。やることがメチャクチャ。
そしてMM2Hの変更に次ぐ変更で、私はマレーシアに対する信頼は完全に崩れました。その変更も「申請者のことを無視して【マレーシアの都合だけで決めている】」と感じましたし。「もうお前らは必要ないよ。さっさと出ていって欲しい」とはっきり言われたようにさえ思いました。
私は若い頃から海外をウロウロしましたので、各国のビザや永住権に関してそこそこの知識がありますが、こんなメチャクチャな政策は聞いたことも無かったんですよ。他の国では「滞在許可とはギブアンドテイクである」という基本が根底にあるのがわかりますが、マレーシアにそれを感じることはありません。
今は良いですが、「数年先の将来のことはわからない」なんて状態で、ましてや新しい税制を「3年遡って適用します」なんて、ラブアンみたいなことが起きるかもしれない。これって「遡及立法(事後法)の禁止」という世界の常識からも外れている。日本ではその禁止を憲法にも謳っているぐらい重要なことなのに。「今までは合法だったのが、突然、法律違反となって、それも3年遡って罰する」のと同じようなことを平気でやるのがマレーシア。
こういう国で「長期計画が建てられるわけがない」のね。いや、外資もたくさん入っていますから、こういうマレーシアでもまだまだ魅力があるのだろうとは思いますが、私にしてみると「将来が見えない国」なのね。
要は「自分で自分の将来をコントロールできない国」だと私は感じるわけです。ましてや永住権は取れないんですから。
ということで、次男坊もマレーシアに来るという話は白紙にしました。それも「来ない方が良い」ではなくて、「来たら危険」と今は考えるほどです。
オーストラリアは税金も高いし、シドニーの物価はメチャクチャ高い。でも当然、何百万人というオーストラリア人はそういうシドニーで生活しているし、そういうオーストラリアでも「永住権を得ようと頑張る外国人はとんでもない数」なのね。オーストラリアにはマレーシア人がごっそりいるし、今、私達が借りているコンドのオーナー家族(中華系マレーシア人)も同じ。
だからマレーシアの「(私達の)所得税は課税されない」とか「生活費は安い」とか、そういうことを重視して考えるのは【そろそろやめよう】という考え方にダボ家は変わりつつあります。
やっぱり私達は「オーストラリアからマレーシアに逃げてきただけ」なのね。
でも、もう8年も経ちましたし、それなりに恩恵は十分受けてきましたから、これからは「ダボ家も普通に戻る」ことを考えても良いんじゃないかと思うわけです。
今のマレーシアはどういう国なのか。このマレーシア在住の青年の見方と私は全く同じです。