どうして世の中の投資家って「持ち続けることが重要」と考えているのか私には全く分からなかったのですが、最近、テレビの投資に関する対談を見ていてやっと気が付きました。
株式やインデックスファンドを長期で持ち続けるのが「投資」であって、FXや先物のように、あるいは株式でも「売った買ったするのは投機」だと考えている様子。これは一般の人達だけじゃなくて専門家もそういうふうに言っていた。
なるほどねぇ。
そしてちょっと「カチン」と来たのは【彼らは投機をバカにしているフシがある】ということ。プロに関してはそれなりの敬意があるみたいだけれど、私達みたいな凡人がFXや先物を売買、ましてや短期、デイトレをするのは【彼らにとってギャンブラーにしか見えていない】のがわかった。
中には「値動きなんかわかるわけがない」と断言する人までいる。でも私にしてみれば「チャートの見方もわからないのね」と思うだけ。でも「値動きはランダムウォークで予測することは不可能」という学者もいるし、それに賛同するプロも多いのね。でもここでも彼らは勘違いしていると思うんですよ。テクニカル分析のキモは「将来を予想することじゃない」のね。「過去と現在の値の変化」から【今の値動きの方向性と力強さ】を見て、そこから想像できる「物理法則に乗った売買をする」だけのことで、「今年の年末にはXXXXになっている」みたいな【未来を予測しているのではない】ことを彼らは知らないのね。
なんだか30数年前に戻ったような気がします。
かつてはインターネットは無かったものの「パソコン通信」なるものがあって、大手でも個人でも「掲示板」で情報交換するのが流行っていた。
私自身も個人のサイトを立ち上げて、その中に種類別に掲示板を3つ4つ立てていたのですが、それは本当に小さなコミュニティーで「似たような人達」が集まって株式や先物、FXの売買に関してワイワイガヤガヤする感じ。当時はすでにゴールドコーストに在住でしたが、年に何度か日本で「講師を招いて勉強会」をしていましたが、その掲示板が仲間の集まる場所でした。
ところがヤフーだったかなぁ。名前は忘れましたがかなり大型の掲示板があって、そこは「株式投資専門」の掲示板で、様々な人達が集まっていましたが、私のような「テクニカル分析」をして、なおかつ短期売買をする人達は少数派でした。ま、短期売買と言っても当時はデイトレが一般人に出来る環境になかったので、せいぜい「数日から数週間単位」で株を持ち、当然、大きなトレンドに乗れていれば数ヶ月持ち続けることはあったにしろ、「持ち続ける長期投資」という感じではなかったのね。
そんなのは人それぞの方針や好みもあるわけで、好きにすれば良いと思うのですが、「他の人からの風当たりはかなり強かった」んですよ。
「お前らギャンブラーみたいなのがやかましい」と。(笑)
そして良く言われたのは「株を買うということは株主になることであって、その会社をよく調べ、将来性もあって長く付き合えると思うから株を買うのであって、株主となったらその会社がよくなるように応援するべき」だと。当然、「持ち続ける」のが原則。
私は性格が強いですから、そういう人達には結構反発していましたっけ。(笑)
「では、いつ売るのですか?」と聞くと、「会社の将来性に問題があると思った時」だと答えるわけですが、「貴方は株主としてその会社が繁栄するように努力し、下支えする責務があるんじゃなかったんでしたっけ?船が沈みそうなら逃げるような株主っておかしくありませんか?所詮、お金儲けでしょ?」というと、この野郎、馬鹿野郎、若造のくせにって(当時私は30代)言われましたっけ。(笑)
今の世の中を見ていると、あの時に戻ったような気がするんですよ。
私はそういう「持ち続けるべき」という人達の考え方もよく分かるのね。というかそれが【原点】だと思うんです。
世の中では「資金がなければ何も出来ない」のは当たり前で、だからこそ「株式会社」、そして「株式市場」を作って、他人から資金を集めるシステムを作った。そのシステムがなければ近代経済は絶対に成り立たない。
当然、株主に見返りがあるから投資家は投資をするし、その見返りというのは「主に配当だった」と思うわけです。そして「もっと資金が必要だ」となれば【増資も引き受ける】わけで、「株式の価格が上がったから売って利確をする」とか、「株の価格が下がってきたからもう付き合ってられない。売る」なんてこともなかった。でも株主のメリットが減れば「株主は去っていく」なり「新たな資金を集められない」わけで、どこでも配当を増やしたり、無理をして維持をしたり、その辺は「共存関係」があって「持ちつ持たれるの関係」があった。
これが原点だというのは私は全くその通りだと思うし、今もそれは同じだと思うのね。
でも投資家というのは「投資するべき巨大な資金を持っている」し、「投資をするから資産も増え、社会に貢献する」ことも出来る。これって「同じ様に将来を夢見る者たちの分業みたいなもの」で、それこそが効率の良い分業だと思う。
でも時代は変わり、「普通の一般人も株を買うようになってきた」のね。
そういう人達は「いつまでも搾取される側では嫌だ」と思っていて「自分も投資で大きくなりたい」と願っているはず。つまり「儲けたいから株を買う」のであって、「社会貢献だとか、経済の分業として参加する投資家の立場とは全く違う」じゃないですか。
そもそも株が下がってきただけで文句を言い、投げ売ったりするし、上がれば上がったで「儲かった」と喜んで利食いしてしまう。「業績が落ち込んで、それを回復させるには新たな資金が必要です」なんて言われたら、「よしよし、もっと投資しよう」とはならない。それどころかそんな話を聞いたらさっさと逃げるんじゃない?
昔はそういう雑魚投資家を「うざい連中だ」と経済の中枢にいる人達は皆、見ていたはず。あいつらは「ただのハイエナだ」と思っていたはず。
でも雑魚投資家は「私もとうとう投資家の仲間となった」という満足感、高揚感はあったはずなのね。
ところが「日本の将来のために、子どもたちのために、必要な投資をしなければならない。ある分野を、ある企業を何が何でも下支えして発展させなければならない」なんてことは全く考えていない。考えているのは「自分の儲けだけ」でしょう。当然、彼らが株を持っているその企業も、他の大手の投資家も、そして世間も「貴方は凄いですね。日本の将来のためにがんばってください」なんてことは一切考えないし言わない。「小賢しいヒル、ハエが寄ってきた」みたいにしか考えていないはず。そもそも「大事な時に助けてはくれずに、いの一番に逃げ出す、ホンの少額の株を持っている株主でしかない」のですから。
そして本人もそれはわかっているんでしょうね。
だから私達みたいに「利益追求のために株や先物、為替を頻繁に売買する人達」は、彼らにしてみると「決して見たくは無い自分の汚い部分」を見ているような気がしたんじゃないですかね。それも株が下がって皆が頭を抱えている時に「空売りをしようか」なんて相談している連中を見たら「殺してやりたい」ぐらいのことは思ったはず。(笑)
でもまた時代は変わって、個人の投資家も増えてそしてその総額も巨大なものとなって、無視できない時代が来た。
となれば「チリも集めれば大きくなる」わけで、株主優待に力を入れたり、あの手この手でゴミ投資家も集めるようになって、そしてその総額は大きく、株式市場の性格も変わってきたはず。
それとともに、大手の「ハイエナ」も登場するようになって、「善意の大株主のフリ」をしてその企業を乗っ取ったり、その後は会社を分解して売れる資産を売りさばいてしまったりも起こるようになった。
また「高すぎる株は空売りすれば儲かる」と、これは通貨も同じで、「空売りする、先物を売り浴びせる」ようなことをする巨大な資本家も出てきた。それの代表がジョージ・ソロスみたいな投資家。そしてそんなやり方をする大手が投資家を呼び込んで、利益のためには売り叩くことでもなんでもするようになった。そして世の中は彼らを「ヘッジファンド」と呼び、軽蔑する時代もあった。
でも表向きは「まともな投資家」である銀行や莫大な資金を扱う機関投資家も「自分ではそれができない」から【ヘッジファンドに投資をする】みたいな形を取ったり。
一体投資ってなんなんですかね。
私としては上に書いたような「原点は間違いなくある」とは思うものの、それは原点ではあるものの、「それに固執していては生きていけない」時代に入ったのは間違いがない。投資家は投資家として「潰れる危険もある」し「好成績を出す必要」もあり、やっぱり「利益追求型になる」のは仕方のないこと。
そして残念ながらこの世界は「勝てば官軍、負ければ賊軍」でなんでもありの戦いが広げられているのだと思います。
となれば、「理想論を言って殺られるのか」、あるいは「どうにかして利益を伸ばすことを重視するのか」を考えないとならない。
私としては現実主義者、結果主義者であり、理想論では生き延びれないのは「野良犬生活が長い」からよく分かるのね。でもだからといって「汚いことはしたくない」「他人を騙すこともしたくない」し、私はやっぱり「お天道さまお見通し」という子供の頃からうるさく言われて育てられたのが完全に身についてしまっています。そりゃうまく行かないときもあって、いろいろなことを妄想することもありますが、やっぱりそんな時に「お天道様はお見通し」という言葉を思い出すのね。たとえ自分が歩く道は大通りじゃなくて細い裏通りだとしても、太陽が当たる下で生きていたい。
今でも60数年前の出来事を思い出すんですよ。その時の情景も細かく思い出します。
新橋に住んでいる頃、あれは小学生か幼稚園生だったかもしれない。家の物干し場で100円玉を見つけたんですよ。私は当然、それは「交番に届けるべき」だと思って交番に持っていきました。警察官もどうしたら良いのかわからないようで、結果的には「じゃ、これは預かっておくね」と。でも「ちゃんと交番に届けたのは良いことだから、ご褒美を上げよう」と言って、違う100円玉をくれたのを思い出します。
私は結構、それを思い出しては「バカだよね~」なんて思っていたのだけれど、今、ジジーとなって、そういう家で拾ったお金でもネコババしない自分であったことを誇りに思うんですよ。そしてヨメさんも似たような性格で、マレーシアに来てからのことですが、スーパーのレジで「トローリーに挟まっていた小さな商品」に気が付かずに、レジを通さずに持って帰ってきてしまったことがあるのね。それはワサビのチューブだったのですが、私にそのスーパーに行って「今すぐお金を払ってきて欲しい」という人。「嘘だろ?」というと、「絶対に払ってきてくれないと困る」と言ってきかない人。結局は、いつも行くスーパーですので、「今度、行った時に払っておくわ」ということで済みましたが、私はそういうヨメさんで良かったと思うくらい。
それが投資と投機の話にどう関係するのかって思うでしょうが、私には大アリなのね。
私は幼い頃から、この世界は「弱肉強食」だと思っていて、強者はありとあらゆる理不尽なことをして弱者をやっつける。そしてそれが「正義である」ことにも気がついていました。ニコニコ笑いながら、突然、絶壁から突き落とすようなことも平気でやる。これは野良犬として自営業をやっていましたから、強者の強さ、悪どさは嫌ってほど経験したからわかるのね。そして弱者は常に「狩られる運命にある」と思ったし、それは今でも同じ。
だから弱者は平気で悪いことをして「この程度のことは許されるべきだ」なんてことを言う人もいる。そして弱者は強者から儲けるのは難しいから「弱者から儲けようとする」ケースも多々ある。私はそれがどうしようもなく気に入らないわけです。共食いと同じですから。これを「貧すれば鈍する」と人は呼び、絶対にそうなってはならないという強い意思が必要だと思うのね。
でも私はそんな世の中の強者にいつか「一泡吹かせてやりたい」という思いは常に持っていたんですよ。でも理想論を言ってもどうにもならないし、汚い手を使いたくもない。
でも特別な才能も技術もない中小企業と言うか「バクテリア企業」みたいなゴミみたいな会社が大手を相手にして生き延びるのは本当に難しい世界でした。「生き延びるのが目標」でそれ以上の事を考えてもほぼ無理で、あるいは「大手がやらない細々としたサービス」で食うしか無かった。それはオーストラリアに渡ってから始めた「中古自動車の輸入販売」も「電話関係」の仕事も同じ。
で、そこで出会ったのが「投機」と呼ばれる売買手法だったわけです。
その世界では「野良犬」でも「ゴミ投資家」でも大手のハイエナ達と対等に戦うことが出来る唯一の世界と思う。一般の仕事みたいに「売上を増やす、利益も増やすのが非常に難しい」世界ではなくて、「勝つ方法を見つける」事ができたらどんどん青天井で大きくなれる世界なのに気が付きました。当然、それは簡単ではありませんが、「実業を大きくするより遥かに簡単」だと今でも思っています。
だから「弱者は皆、投機をするべきだ」とも思うくらいです。
でも多くのゴミ投資家は「いつか食われてしまうことも気が付かずに、いっぱしの投資家になったつもりでいる」と感じるのです。
弱者には「自分が弱者だと気が付かさせないことが重要」で、それが強者の手口なのは歴史を見ても明らかなのね。つまり、サファリパークの中で飼われる状態でも不自由なく暮らせていれば、それでOKだと思わせることが支配者はうまい。
共産主義がまさにそれだし、また「会社のために一途に働いている人達」も似たようなものかもしれない。
でも「もうそういう騙しには乗らない」と主張する人達が増えてきた。
政治の世界も同じで、それが参政党や日本保守党が出てきた理由じゃないですかね。
「株は持ち続けてくれる人が何よりも重要」なのね。それを安定株主という。
でもそれは大手のハイエナからすれば「家畜と同じ」だと私は思う。そもそも、何度も書きますが、「アメリカはまだまだ大丈夫」というあのバフェットさえ保有株を売って、現金比率を45%という高い比率にしているのがわかった。これって大企業が工場や店舗、従業員を半分ぐらいに減らしたのと同じインパクトが有る。
FRBも今回0.5%の利下げをしましたが、「アメリカは大丈夫」という。ソフトランディングが出来ると。
それを聞いて、喜んで株を買い増しする人達がいる。金利も下がったから景気は良くなるはずだと。発想があまりにも単純ですよね。
でもそういう状況なら0.5%も金利を下がるのはおかしいじゃないかとは考えないのね。
またバフェットと同じで、FRBのパウエル議長が「アメリカは危ない」なんて口が裂けても言わないのは当たり前だと考える人は多くはない様子。彼らのその一言で市場は大混乱するわけですから、絶対に何があっても彼らはそれを言わない、言えない。
どれほど多くの人がサファリパークの生活に慣れきっているのかって私は思うんですよ。気になるのは自分のサファリパークの中の生活のみで、「サファリパークの経営は恐ろしいことになっている」ところには気が回らない様子。アメリカというか世界はリーマンショック後に「お金を刷りまくって景気の良さを演出するようになった」ことに気がついていない様子。いわゆる「借金によって成長する経済」になったと私は見ているわけで、特に「株価を上げる」のは個人の株式投資家が多いアメリカでは「政府がやるべき一番大事な仕事」みたいなもので、お金をばらまいて「景気を良くする」という【点滴を打ち続けないと維持できない経済】になった。
でもそれが続くはずがないのは自明の理で、日本のバブルが弾けたのも同じ構造。
そしてその中で「儲けることも覚えた」勝ち組も多いのね。あのリーマンショックもそうで、あるいはもっと昔の1929年のウォール街の大暴落がキッカケで「世界恐慌が始まった」のも、1987年の「ブラックマンデーをキッカケにした世界の株価大暴落」もそうで、私達は「あの時、誰が儲けたのか」に注目しなくてはならないと思うのね。そしてその儲け方から「大暴落を仕掛けた大本尊がいる」のも見え隠れする。
私が大打撃を受けたリーマンショックでは「リーマン・ブラザースの破綻」が注目されるけれど、【その後、どの銀行が大きくなったのか】を見ないと駄目で、他の企業群も同じで、「彼らがどの財閥に属しているか」も見ると、リーマン・ブラザースも「スケープゴート」で【財閥内ではリーマンを潰して他の銀行が大きくなった】ようなシーソーというか「財閥内では均衡が取れている」のも見えてくる。そしてかつての大恐慌、大暴落で破綻した銀行群、企業群を買い集めて「誰が大きくなったのか」を見ると、何か計画されたものがあったのではないかという疑惑も生まれる。
ま、この辺は「陰謀論」として片付けてしまう人も多いけれど、まさにそれが「大本尊のプロパガンダ」でもあるし、ソ連が崩壊したのは何がキッカケで、崩壊してからどういう企業群が旧ソ連の富を奪い取ったのかを見る必要がある。そしてそれは今のロシアのウクライナ侵攻も同じで、「バカなプーチンがバカなことを始めた」と単純にみるべきではなくて、私は「プーチンはハメられた」と思っています。
そもそもアメリカのベトナム戦争への参戦も「トンキン湾事件の捏造」がキッカケだし、アメリカ+イギリスが率いる有志が「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」というでっち上げで「イラク侵攻」を始めて結局サダム・フセインの首も取った。でも戦争後「イラクには大量破壊兵器はなかった」のが確認されても誰も責任を追求されることもない。さて、それで誰が儲けたのでしょうか。
やっぱり「大きな事が起きた時」は【それで誰が儲けたのか】を見るのは非常に大事だと思います。
これは末端の実業の世界でも同じで、もう50年近い昔の話ですが、若い私を可愛がってくれて一緒に貿易会社を立ち上げて私に任せてくれた「三菱重工業に特殊部品を納入する中小企業の若き経営者」も同じ運命をたどりました。その会社は非常に優秀で、ある時、三菱重工業から長期の大量注文が入ったのね。でもそれには海外から大型の特殊工作機械を導入する必要があったのだけれど、三菱重工からは後押しするから是非やって欲しいと言われ、その気になって結構大きな借金もしてその機械を導入した。当然、それからもっと飛躍できると皆が考えていた時、三菱重工業が「申し訳ない、状況が変わってあの長期注文はキャンセルさせて欲しい」となったのね。当然、注文書、契約書は存在して文句も言えるけれど「下請けの中小企業が立場上そんなことは出来ないのは世の中の常識」なわけです。そして売上は減り、大きな借金も返せなくて四苦八苦し、そもそも三菱重工業にも責任があるわけで、社長は三菱重工業に助けを求めた。もう倒産するしかない瀬戸際でしたし。
そして三菱重工業は手助けをすることを決定。でも条件があったんですよ。数億円の借金の肩代わりはしても、その会社の株は二束三文で売らされ(莫大な借金があるからしょうがない)、その若きバリバリのやり手である社長は営業部の中の営業二課の課長に格下げ。その社長のお父さんだった創業者でもある会長は引退。そして三菱重工業からは社長、専務が入ってきて、その会社は完全な「三菱重工業の資本が入った子会社となった」のね。
これは表向きは「一中小企業の経営破綻」でしかないけれど、私はその経緯をすべて見ていて、これは「計画された乗っ取りに間違いがない」と思いました。
またソニーも似たようなことを繰り返して良い下請けを吸収して大きくなったのは間違いがなくて、世間はより大きく強くなった三菱重工業やソニーを見て「良くやった。流石だ」と評価するけれど、私みたいな中小企業の世界に生きていると、「彼らの影でどれだけの人達が泣いたのかがよく見える」のね。父の知り合いで「俺が開発した超小型イヤフォンがあるから、ソニーはウォークマンを世に出せた」と自慢していた社長の会社も同じ運命を辿った。
そんな世の中の構造を知った私はまだ20代でしたが、落胆したなんてもんじゃないです。ろくでもない中小企業は相手にしてもらえず、売り込みに行っても「お前、誰?」なんてバカにされるのに、ちょっと注目を浴びるぐらいに会社が良くなると「強者に乗っ取られる」。
ヨメさんの友人の旦那さんも「高分子ポリマー」を開発して、それは子どものオシメ用などにひっぱりだこで、海外に工場も作って順風満帆だったのだけれど、その会社も競合に乗っ取られて「どうにかならないか」とその奥さんから私も電話をもらったことがあります。聞いてみると「共同設立者だった社長の昔からの親友二人が株を競合に売ったから」なのがわかった。それで社長の株も持ち分は50%以下になってしまって、競合の子会社となるしか無かったのね。株を正式に50%以上持たれたらどうしようもないわけですが、「手遅れ」なのを理解したその奥さんは電話の向こうで泣いていましたっけ。
ま、私が見てきた世界ってこういう世界で、「若者が夢を見て起業して大成功」なんてのは聞いたこともない時代でした。でも今はきっともっと綺麗な世の中になっているのかもしれませんが、実業をとっくの昔に離れた私にはわからない。
「会社の将来は君の肩にかかっている」なんて嬉しいことを言われていたのに、なぜか突然リストラされるようなことが起きるのと同じで、世の中の強者は、十分に太らせた家畜を「収穫する時はかならず来る」と思うべきじゃないんですかね。
でもそんな時は来ないかもしれない。
だったらそれはそれで良いじゃないですか。
でももしも「異変に気がついたら逃げるべき」で、サファリパークのゲートは開いているのだから、その中に留まる必要はない。
だから「アメリカの景気を良くしてくれて有難う。株価が高くて嬉しいです」とバイデン大統領に、そしてパウエル議長にお礼を言いつつ、何かが起きるまではしっかり儲けられるところでは儲けて、「何か起きたらすぐ逃げる用意」ぐらいはしておくべきで、わざわざ「私は株は売りません。持ち続けます」なんて宣言する必要もない。
逆に、あえてそれを言うのは「家畜が太ったら収穫しよう」と考えている側だと思われてもしょうがないのかもしれない。どんな家畜でも「屠殺される」なんて思ってもいない状態を長く保つのが重要で、「そのまま株を後生大事に抱えて生きていれば幸せになれる」と思うように誘導するのに決まっているじゃないですか。
私はこれが世界の株式市場の実態だと思うし、そして大資本同士も血みどろの戦いをしているんじゃないですかね。その結果が株価大暴落とかリーマンショックという形で目に見えるようになるだけなのかもしれない。だからああいうことが起きたら、「その後、誰が大きくなったのか」を必ず見ないとならないのね。
でも私は、上に書いたように「あるべき投資の姿」は大事にしたいとも思うのね。
でもそれをするには「利益重視ではできない」事が多く、それでも「やるべきこと」って世の中にはたくさんあると思うんですよ。ところが「利益を出すのが難しそうな投資を積極的にやる投資家はいない」のが当たり前。
今、そんな時代だからこそ、私はそこそこ大きなお金を手に入れたいとも思うんですよ。「使うために儲ける」のね。お金は溜め込むだけでは意味がない。自分で「大事なことを始める知識も技術も才能もない」けれど、後押しぐらいなら頑張れば私にも出来るかもしれない。世の中には「もし自分に才能があったらこんなことをしてみたい」と思うような事業を苦労しながら経営しているところは山のようにある。自分にそれはできなくて、自分にその才能がなくても投資家として参加することは可能。近年流行りの「クラウドファンディング」も同じようなものかもしれない。
ただ投資をする余裕があるような自分の資産を伸ばすには「転換点」があって、それを超えないと伸びない。そしてその転換点はいくつかあるわけで、それを乗り越えていくと「安定性は高まる」し、よほどのことがないと下に後戻りはしないようになると思ってます。「特異点」というべきか、それは人それぞれ違っていて、「一体何をしたいのか」で決まってくる。まずそれを乗り越えないと「泥舟」というか「穴が開いた鍋」みたいなもので頑張り続けないと漏れ続けてしまう。利益を度外視して他に投資するどころの話じゃない。
大事なことは「想定外のことが起きる」前提を持つことと、そして「インフレ」ですね。日本人は「インフレを考慮しないで計画を立てる」ケースが非常に多いと思う。でもそれもわかるんですよ。今の30代、40代は「インフレなんか経験したこともない」のですから。日本の「老後の2000万だか3000万だか必要」という話も同じで、現実は「インフレでそんな額じゃどうしようもなくなるだろう」と私は思っています。理由は簡単で、日本以外の国はどこもインフレに苦しんでいるからで、「その恐怖を知らないのはこの30年の日本人だけ」なんですから。
現実的には「税金、インフレ」を計算にいれると「年利5%以上で回す」のは普通の投資ではほぼ不可能なんですね。なおかつそこから出た利益を使ってしまったら、どんどん目減りしていく。そしてそんな時に「想定外の事が起きる」のが人生。マーフィーの法則通り。(笑)
私はそういう想定外も乗り越え、インフレも乗り越え、そしてやっぱり「素晴らしいこと、やるべきこと」に投資できる自分になりたいと思うのね。それは政府がやるべきことでもあるけれど、世界には大手が見向きもしない、政府も全く感知しないけれど、私財を投げ売って頑張る人達が大勢いる。私もそういう人達と一緒に生きていきたい。
それは夢ばかり大きくて、でも何も成し遂げることは出来ずに「生きることで精一杯だった」中小企業のオヤジの最後の夢でもあるんですよ。
それには自分が投資家としての安定した生活の確保とともに、「投資を続けられる原資を持たなくてはならない」のであって、ただただ「頑張ってください」という「口だけの応援」で世界が変わることはない。当然、それで【幸せになる人もいない】のね。
そういう意味でも「ダボ家が到達すべき【特異点】がある」と思っていて、どうしてもそこに到達したい。
この考え方って、実は「足るを知る」のと同じで、自分に必要なのは「立って半畳、寝て一畳」かもしれない。それだけあれば自分が生きていくには十分な広さとも言える。でも家族も持ち、皆がそこそこ平穏に生きて有効な投資をするために必要な「足る」とはどういうレベルなのか。これが私が考える「特異点」で、それを超えない限りやりたいことは出来ない。当然、一生超えられないかもしれないしその可能性のほうが高い。だから我が家は世代を超えた「皆の共同作業」でそれを目指すわけです。「会社みたいなもの」かもしれない。
そして「配当をあてにしていません。でもどうにか成功させてください」といえる投資家に私はなりたい。多くの事業家は「儲けること以上にその事業や開発案件を成功させることに情熱を持っている人が多くいる」のがわかるから。金儲けばかり考えてるわけじゃない。そして世の中には自分の資産財産を注ぎ込んで「やるべきこと」と信じて邁進する人達は多い。そして私も若い頃はそういう一人でもあったんですよ。でも途中で「資金ショートする」ケースも非常に多い。私はそんな人達の仲間に入りたいし、「他人事」として知らん顔をしたくない。ボランティアも同じようなもので、資金がなければ止めるしか無い重要なことってあるじゃないですか。
私にそれに参加する体力がつくまで、つまり私が考える「特異点」を超えるまでは、私は自分を投資家だとは思わないし、そう自ら言うこともない。それまでは「投機」という方法で自分で稼ぐ。ま、債券投資ももう一つの柱ではありますが、それは投資というか「貯めておく場所」でしかなくて、全てを投機に回すことは危なくて不可能。
私が狙っているのはこれのみ。
「平民の逆襲」
弱者をバカにして、刈り取る対象だと思っている強者、支配層に一泡吹かせたい。一矢報いたい。彼らの論理で動く世界に反発したい。でも私が考えることは「自分が食うために働き続けている限り出来ない」のね。何をするにも、実際に「成果」を考えた場合、自分に体力がなければ簡単に挫折する。また一人で出来ることでもないし、一人でチビチビやっていても「自己満足」にしかならない。
やっぱり「力を結集することは重要」で、そういう意味でも、あの「参政党」には期待をしていたのですが、最近、まるで噂も聞かない。ま、自ら調べることもしていませんし、内部で問題も多々あるようで、どうにかそれを乗り越えて世の中に出てきて欲しいと願っています。それと同じようなことを「日本保守党」にも感じています。そりゃどこでも誰でも「欠点はある」のが当たり前で100点満点なんて存在しない。でも大事なのは「やる気」だと思っています。
「志を同じくする人達」って結構多くいて、政治家の中も同じ。総裁に立候補する意思表示をしたのに無視され続きの青山繁晴参議院議員にもそれを感じています。でも企業家が選ぶ「なって欲しい総裁」のリストに青山議員の名前が入っていて、第4位だったのには驚いたし、ちゃんと彼を見て期待している人も多いのが嬉しいと思った。(私は彼が総裁になったら良いとは思っていない)
だからこそ、今、現実的に手が届く場所にいる高市氏に総理になって欲しいですが、彼女の足を引っ張ろうとする勢力は多く、そして大きい。
世の中ってそれだけ「既得権益にしがみつく人達、勢力が大きく多い」ってことだと思っています。弱者のこと、国のこと、国民のことを第一に考えていない人達があまりにも多すぎると感じています。
私は「投機」を武器にしてそんな世の中に戦いを挑みたい。それ以外に私には戦うための武器がない。知恵も無い。
でも自分は決して孤独ではなくて、私の計画に賛同してくれる家族もそうだし、同じ意志を持つ人は日本、世界のあちこちにいる。
このブログの読者にもいる。
私は「貴方のこと」を忘れていませんよ、いつも思い出していますと一言最後に書いておきましょうか。誰とは言いませんが。