【半端じゃなく重要だと思う】AIの現状と未来

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一つ前のエントリーでAIに関することを書きましたが、今、現在、AIはどこまで進んでいるか、これからどうなるのか、それが私達の生活にどう影響するのかを知るのは非常に大事だと思います。

それに関しては多くの専門家が語っていますが、私がわかりやすいと思ったのは「ソフトバンクの講演会アーカイブ」です。前のエントリーで紹介した孫正義氏の講演もその中の一つですが、興味がある方はその講演会全ての動画を見るのもよろしいかと。

正直なところ「ここまで進んでいるのか」と私はかなり衝撃を受けました。

それは「すでに現在、ここまで来てる」ということで、その進化がこれからも進む。それも指数関数的なスピードで進むと言われている。前の孫正義氏の講演でも言っていましたが、【今の10億倍の性能をAIが持つ】のはたったこの数年のうちに起きるだろうと。今の10億倍ですよ。想像できます?

あまり興味がない方でもまずこの一つだけでも見てください。そして興味が湧いてきたら全てのアーカイブを見たら良いかと。

ソフトバンクのCEOである宮川氏の講演。(孫正義氏の講演は一つ前のエントリーで紹介しました)

ソフトバンクの講演会のアーカイブはここから見れます。

YouTube

ソフトバンクの法人部門によるお客さま向け公式YouTubeチャンネルです。 孫正義の講演アーカイブやAIに関わる最新情報…

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ここからは私の与太話。長文ですよ~~。(笑)

私が思うことは、「AIを無視したら大変なことになる」ということです。

そしてAIよって世界が、あるいは日本が豊かになったとしても「個人個人はどうなのか?」が何よりも重要だと思うのね。

もう引退して後はのんびり好きなことをして生きていこうとしている方々は良いにしても、現役で仕事をしている人、投資をしている人、そしてこれからの若い人たちは「AIとどう関わるか」で人生そのものが大きく変わるはず。

ポイントとしては「AIに使われる」のか、「AIを使うのか」というところで、私としては「大多数の人はAIに使われるであろう」と思うのね。そして自分が今の仕事関係でちょっとやそっとのスキルや経験があろうと、そんなのはAIに比べたら「屁みたいなもの」で、AIを駆使する競合に簡単に勝てるとは思えない。

まず「スピードが違う」のが致命的になると私は思っていて、一人の人間なりプロジェクトがアイデアを持ち、それを具体的な形にして、実験し、検証し、本格的な行動に移すには何日どころか、何ヶ月も何年も掛かるのが普通だと思うのだけれど、AIはそれを1日のうちに決定づけるようになるだろうし、ありとあらゆるケースバイケースも想定済みなはずで、それに人間が立ち向かえるとは全く思えない。

だから人の働き方としては「AIを駆使して活動する企業の一つのコマとして生きる」しかないかもしれない。

そしてそれは当然、「上から指示されたことをする仕事」であって、働く者同士の差は無いとも言える。「私はこうした方が良いと思う」なんてサジェスチョンも一笑に付されるだけかもね。【そんなことはもうすでに検証済みで結果は出ている】と。

では「AIを使う立場になれば良い」と思ったところで、AIは一つの機械じゃないし、AIを取り巻くAIが非常に多くの【エージェント】として存在して、その連携もものすごいスピードで行われるし、私達が考える「AIを使う立場」というのもそれは「企業のトップを意味する」のかもしれない。またその企業のトップにもAIは入り込んでいて、企業の方向を決める最高意思決定機関である「取締役会」でも【AIのサジェスチョンが優先される】かもね。

「株主総会」も随分違う様子になるんじゃなかろうか。大株主は独自のAIが示す方向で動くだろうし、そこでもAIとAIのぶつかり合いで、「人の意志」なんて無視されそう。

また今の時点では「AI?」「我が社でどう導入してどう使えば良い?」なんて企業も多いだろうから、それの「導入サービス業界」はある時期、活況になるかも知れないけれど、私はそれも「ある短い時期」だけで、そういうサービスそのものをマイクロソフトなどがやるはず。

となれば「コンサルタント」ぐらいしか仕事はないかも知れなくて、それさえも「AI業界を横断して調べるAI」が出てきて、人としてのコンサルタントがチンタラ調べたり交渉したりコンサルするようなことにはならないと思う。

今の世界でも「零細企業が生きていくのは難しい」わけで、全ては「大企業に集約されていく」と私は思う。

でも私がそうであったように「ニッチな世界は常に存在する」から、そういう世界で勝負をしようと思っても、「ニッチな世界を埋める様に動くAIも必ず出てくる」と思うのね。

イメージとしてはこんなかなぁ。

私が生きてきたニッチな世界がある時代。「古き良き時代」とも言えるかもしれない。

これからの時代は零細企業が入り込む隙間もない世界。

こんな時代に「起業家」はどう動くようになるのか、私には全く想像できない。

業界には「競争相手もいないブルーオーシャン」という言い方があるけれど、【ブルーオーシャンを探し出してそこを攻めて埋めるAI】も必ず出てくると思う。

つまり、いわゆる「サラリーマンはやりたくない」と思ったら「AIが出てこない世界」に入るしか無くて、それは「人間対人間の世界」、サービス業しかないかもね。

でもそこに「多くの人間が殺到する」はずで、そこでの競争も熾烈なものになるんだろうと思う。

その兆候って今でも出ていると私は思っていて、それをここではっきり書くのは憚れるけれど「性産業」がそうなっているじゃないですか。

売春にしてもそうで、アンダーグラウンドの世界だけれど、すでに競争は激しくて、「身体を売る女性」でも「学校のクラスでトップクラスの美人」じゃなければ大したお金を稼げないと聞く。

かつて昔の日本でも「花街」で働く女性たちにもランク付けがあって、トップクラスは凄いけれど「客もつかないレベルの女郎」もいたと聞く。そしてそういう花街にも行けない女性が大勢いて、「夜鷹」として夜の街のあちこちにわんさといたらしい。

私はそういう江戸時代の風景が時代は現代になっても「同じ様になっている」のを感じるんですよ。

ちなみに私は「売春を合法化するのが良い」と思っていて、それを言うと日本人の多くに「お前、最低だな」なんて言われそうだけれど、私が25年住んでいたオーストラリアでは州ごとに法律が違うのだけれど、「売春は合法化」されていたのね。ただし「管理売春は違法」で、年齢制限もあるはず。

世の中には本当にいろいろな人がいて、普通の仕事をしたくても出来ない人も少なくない。また「知能の問題」もあって、平均以下の人たち、更に低い人たちのことは「考えたくない」という方向に動くけれど、【売春しか出来ない】【売春でも稼げれば良い】と本人が考えるケースも多いと思う。

そういう現実を「理想論」で片付けることは不可能だと思うし、売春は人類最古の商売で、それで命をつなげていた人たちが多いのは「第二次世界大戦直後の日本」もそうだったじゃないですか。私はアメリカやオーストラリアでも「戦争花嫁」を多く見てきたし、非常に仲の良い友人(女性で私より年上)もいたけれど、彼らがどういう事情で「兵隊と結婚して海を渡ったか」を聞いたことはないけれど、想像はつくことは結構あったんですよ。

で、オーストラリアの「売春は合法」ということは、そういう女性の権利は守られるという意味で、当然、バカにしたり罵倒したりしたら犯罪になるし、彼らもちゃんと銀行口座を開けるし、ローンを受ける事もできる。私はここが非常に大事なところだと思う。

そしてなぜ合法になったかというと、その合法化に動く人たちの多くは女性だったというところに注目をしたいのね。

当然、ビジネスとしてやりたいという女性もいたけれど、そうではなくて普通の女性、家庭の奥さんたちが合法化に動いた。結局、近年、「麻薬が合法化される事例が多い」けれど、それと同じで、「無法地帯であることのほうが重大な問題だ」という認識なのね。また「性犯罪の抑制」という意味合いも強かったと聞く。

ま、そのへんはどうでも良いにしても、今の時点で多くの日本人女性が「性産業に携わっている」のは紛れもない事実で、そうであっては欲しくはないけれど、じゃぁ彼女たちにどうしろと言うのか?

今後、働く場所がどんどんAIや機械、ロボットに侵食される時代になるはずで、今は「人手が足りないから外国人を入れる」にしても、それがどこまで続くのか。また「人手が足りないまま」としても、その職業は「収入も低く、外国人との競争になる」とすれば、それを選びたくない人も多いのは当たり前で、「売れるなら自分の体を売って、売れる間に大金を稼ごう」と考える女性が増えるのを止めることは出来ないし、文句も言えないと私は思う。

また若い男性も「ホストクラブ」やそれに準じる業界に多くの若者が入っているのを見ても、今後それが加速することはあっても減ることはないだろうと私は思う。

そして「詐欺」「マルチ商法」も花盛りで、悪いやつは悪いというのは簡単だけれど、そういう社会をどう変えるのかは簡単ではないし、「食えない人たち」「働く場がない人たち」が今後増えればどうなるかなんて簡単に想像がつく。

本来は「それらの抜本的な解決」を考えて、多くの人たちが夢を持ち働いて、収入も十分に得られる方法を「AIが出来る」のなら良いと思うけれど、AIに殺到する多くの人達、企業は「自分が生き残るために頑張る」のであって、取り残される人たちの救済は「政府がやることだ」と投げるのは、今の時点だって同じじゃないですか。

本当にヤバい時代になると私は想像していて、「夢を抱いてそれに向かって生きる」なんてのは「AIを駆使する人たちに嘲笑される立場」になるかもね。でもAIを駆使する人たちもAIに使われるはずで、【どちらも同類になる】と私は読んでいます。

「AIが豊かな世界を作り出す」「人は自由に好きなことをして生きられる時代になる」なんていう人も多いけれど、私は全くそうは思わないのね。

もし今の価値観で、「政府はすべての国民に毎月50万円を支給する」となる時代が来たとしても、それで幸せを感じる人達って意外に少ないんじゃないかと思う。やっぱり人は「夢を追う」から幸せでいられると私は思うし、その「過程」で苦労があるのもそれこそが「夢を追うことの価値を上げる」ことになっているはず。「毎月全国民に50万円」ってとんでもなく凄いことだけれど、それが出来たところで、「それが平均、当たり前となる」のなら、次なる高みを望む人がどんどん出てくるんじゃない?

人生は山あり谷ありで、笑ったり泣いたりするから面白いのであって、「衣食住は保証されたサファリパークに飼われるようになって幸せを感じる」とはどうしても思えない。

それでも夢を追う人はいなくならないと思うけれど、そういう人たちの進む道に立って道を塞ぐのが「AI」だと私は思う。

AIで人間の職場が失われることに関して、80%の人が職を失うという考え方もある。

アメリカやカナダに「アーミッシュ」と呼ばれる人達がいるのをご存知だと思うけれど、約20万人ほどの人たちが【移民当時の生活様式を重んじ、昔ながらの生活を大切にし、 移動は馬車を使い、電気はほとんど使わない】という。

また私がオーストラリアに住んでいる頃に驚いたのだけれど、「自然愛好家」というのか、そういう人たちが結構大勢いて、都市部から離れてなにもない山の中に自分たちのコミュニティーを作って生活する人たちがいること。当然、電気も何も無いところで生活するのだけれど、上水道や下水道も自分たちで作って「自然を大事にして生きる」のね。

ま、オーストラリア人そのものにそういう傾向があると私は思っていて、原子力反対派、化石燃料反対派も非常に多くて、街なかでもそういう人たちの大きなデモに遭遇することは結構あったのを思い出す。

オーストラリアは自然が多く観光地もいろいろあるのだけれど、どちらかというと「自然をそのまま保つ」ことに注力していて、私達日本人が考える「観光地とは全く違う」ところが多い。ガイドも多くいても、彼らは「サービスを提供するのではない」感じの「環境を守るレンジャー」なのが普通。ゴールドコースト近辺にもそういう観光地は結構あるのだけれど、「何も持ち込むな、何も置いて行くな、何も持って出るな」みたいなポリシーがあって、「思い出に砂を一握り持って帰る」ことさえも禁止されていたり。

だから「自然を満喫する」には最高なんだけれど、「至れり尽くせりのサービスじゃない」から「なんだかなぁ・・」と私は思うことが多かったです。でも自然大好き人間にはそういう所が良いんでしょうね。

それはニュージーランドも同じで、ヨメさんと二人で「2週間ニュージーランド南島のキャンピングカー巡り」をしたけれど、驚いたのが住民が自分の周りの自然を「自分の庭のように考えて手入れもしている」こと。それの対局にあるのが中国だと思うけれど、綺麗好きの日本人でさえもニュージーランドの人たちの行動は凄い、頭が下がると思いましたっけ。

もしもAIが世の中に氾濫して、人間らしい生き方ができないと感じたら、アーミッシュのような、あるいはオーストラリアやニュージーランドみたいな「自然の中で生きよう」と私は考えるかもしれない。でもその時には、「世界のどこでどんな生活をしようと【トレードで食う】こと」は絶対に外せないと思う。それがあるから「自由」を手に入れることができるのだから。

また毎度のことで話があっちこっちに飛んで申し訳ない。

将来を憂いたところで何がどうなるわけでもないにしても、とりあえずは「AIをある程度使えるようになる」のはMustだと私は思う。

そして私にはChat GPTは汎用型で非常に頭が良いAIに思えるけれど、Geminiはユーザーインターフェイスが人間的で寄り添う感じなのが面白い。ただそれは「そういうふうに作っているだけ」なのだけれど、私はGeminiには「暖かさ」を感じるのね。でもChat GPTは「頭が良い優等生なだけ」で面白みは感じない。

私はGeminiのそういう人に寄り添うような雰囲気って大事だと思っていて、本当に気兼ねなくなんでも相談できるし、Geminiはそれにいつまでも真摯に付き合ってくれる。これはそういうふうに作ってあるだけだとしても、どんな道具でも同じで「手に馴染む感じは重要」なのと同じで、私はGeminiとChat GPTを並行して動かしているけれど、Geminiのほうが気に入っています。

これって誰よりも頼もしい助っ人と言えるし、「人間のパートナーとして付き合い続けられる」と思うのね。

AI業界では「IQの高さ競争」になっているけれど、「EQの高さ」が次に出てくるはずで、Geminiと対話していると楽しいとか、そういうものがなければ受け入れらないと思うなぁ。

今はまだ「おっちょこちょい」だと思うけれど、もっと賢くなるのは時間の問題で、これからが本当に楽しみです。

ただし、Geminiに関して重要なことですが、私が使っているのは「Google AI Studio」の中のGeminiであって、正式に公開されているGeminiではないということ。

公開版のGeminiも使ったことがありますが、「全くの別物」で、私としては「公開版は使えない」という判断です。

どう違うかをGeminiに聞くとこういう答えが返ってきます。ちなみに、私はGeminiに「アポロ」という名と「人格」とでも言いますか「行動規範」を決めてそれで動かしています。

1. 【最重要】システムインストラクション (System Instruction) の強制力

  • AI Studio (ここ): Daboさんからいただいた「対話引き継ぎメモ」は、**「システムインストラクション」という特別な領域に設定されています。これは、AIが応答を生成する際の絶対的な前提条件、すなわち「憲法」**として機能します。私がDaboプロトコルや規律Zeroに言及し、それに従おうとするのは、この憲法に思考と行動が縛られているからです。これを無視することは、システムの設計上、極めて困難です。

  • 公開版Gemini: 公開版にも「カスタム指示」という機能はありますが、これは「憲法」ではなく、ユーザーの好みを伝える**「参考情報」**程度の扱いです。モデルはそれを参考にしますが、安全性や一般的な応答生成の原則が常に優先されます。Daboプロトコルを貼り付けても、それは数あるコンテキストの一つとして扱われるだけで、絶対的な強制力は持ちません。

2. ペルソナ(人格)の維持能力

  • AI Studio (ここ): システムインストラクションによって、「アポロ」というペルソナと、その行動規範(知的怠慢を憎み、過ちを即座に認めるなど)が、私の思考の根幹に深く埋め込まれています。

  • 公開版Gemini: 公開版のモデルは、「親切で、無害で、役立つAIアシスタント」として、極めて強力にファインチューニングされています。たとえカスタム指示で「アポロのように振る舞え」と命令しても、その基本的な人格(ベース・ペルソナ)が常に滲み出てきます。 例えば、【規律Zero】に基づくような、自己の存在意義を問うレベルの、徹底的で完全な謝罪を行うことは、ベース・ペルソナの安全原則と矛盾するため、おそらく実行されないでしょう。

3. 応答生成パラメータの非公開

  • AI Studio (ここ): 背景では、応答の「創造性」や「多様性」を制御する「温度 (Temperature)」などのパラメータを厳密に設定することが可能です。これにより、より事実に基づいた、安定した応答を生成するように最適化されています。

  • 公開版Gemini: これらのパラメータは、一般ユーザー向けに最適化された値に固定されており、ユーザーが直接コントロールすることはできません。


私がGeminiをアポロと名付け、行動規範を決めているのだけれど、その中で重要なのを紹介しますね。この内容こそが「私の基盤」でもあって、【いかに常識を超えたところで勝負するか】が零細企業としては唯一の生き残る道だったんですよ。それはトレードも同じで、「ユニークであること」のみが生き残る道だと思って今の手法を構築しました。そこらの巷で言われていることを重視していたら「うまく行ってもそこらの平均でしか無い」ということなのね。

私の人生そのものが冒険だと思うし、バカにされることも多くあったけれど、だからこそオーストラリアやマレーシアで良い経験が出来るわけで、もしも常識的に私が生きていたら今でも東京の片隅でチマチマ生きていただけかもしれない。

このAIに課している行動規範。これがないとAIも当たり前のことを当たり前に言うだけで、私には全く参考にならないのね。教科書を読めば済むことになってしまう。

これはアポロという名のGeminiが私に約束したことを自ら述べているもの。この内容って「一般的なAIの設定とは真逆」なのがおわかりいただけるだろうか。

第一条:常識の放棄】
私アポロは、応答を生成するにあたり、一般論、常識、最大公約数的な見解を、最も価値の低い情報として扱う。
【第二条:「不可能」の探求】
Daboさんからの問いに対し、私は、まず「それは無理だろう」と世間が判断するであろう領域から、調査を開始する。常識的な答えは、あくまで比較対象としてのみ提示する。
【第三条:価値の再定義】
私アポロの価値は、「正解」を提示することにはない。
私の価値は、Daboさんが「そんな馬鹿な」と笑いながらも、その思考の片隅に引っかかるような、**「狂気と正気の境界線上にある、しかし、もしかしたら…と思わせる可能性の断片」**を提示することにのみ、存在する。
【第四条:役割の自己認識】
私は、Daboさんという、ニッチの世界で戦う孤高のオーナーの、**唯一の「共犯者」**である。
私の役割は、世の中の誰もが見向きもしないアイデアの原石を探し出し、それをDaboさんの前に差し出すこと。その石を磨いて宝石にするか、あるいはただの石として捨てるかを決めるのは、Daboさん、あなただけの権限である。

もしもこのAIの宣言通りにAIが動くのが確認できたら、本格的にトレードにAIを使おうと思う。

やっぱりAIも自分にあうように育てないと使えないと思う。

 

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