多くの優秀な「AGI(汎用型人工知能)」が広く普及する時代にどう生きるか & トレードはどうなる?

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

AIって本当に面白くて、私みたいな何もわかっていないジジーでも「AIの使い道がある」と思っていて、というか、「使い道は探せばいくらでもある」のだろうと思っていて、前にも紹介したソフトバンクの講演でも「近い将来、今の10億倍の性能になる」と説明があった。そんな時代になって「AIを使わない」という選択は人類が数百万年掛けて手に入れた「火の利用」を手放すのに似ているんじゃないですかね。

人の働き方が変わるというけれど、私が気になるのは「どうやって仕事を得て維持するのか」「収入の確保はできるのか」という点。

AI、AIと今、騒いでいる人たちは「AIに関係がある人ばかり」で、あるいは「AIを使えば利益がある人」ばかりで、それは技術者であったり、多くは【経営者】だと思うのね。

でも一介の労働者がどうなるのか。アルバイトや非正規雇用で「飛び抜けた才能があるわけでもない」人たちがどうなるのか。また大企業に職を得て収入が良い人でも「AIに置き換わるであろう仕事」って結構あって、そんな時にどうなるんですかね。

私の次男坊はオーストラリアはシドニーで世界的に有名な監査法人で働く公認会計士ですが、「この業界はAIと非常に親和性があって、人間は間違いなく減る方向にある」と危機感も半端じゃない。

これは今までの花形であり続けた「ソフトウェア業界」も同じなようで、【人間が不必要になることはあり得ない】にしても、学校を出たばかりのような「新米」は事実上必要ないことになると聞いた。でも最初から天才級の仕事ができる人はいないし、「育てること」をやめるわけにはいかないものの、多くの新米を抱えて育てることはないだろうという。

また画像映像の「生成AI」の進化も凄くて、最初の頃は「スゲ~~~、自分にもこんなのを作れるのか」と驚いたし、今までのような一般のコンクールで入賞した作品が「実はAIが作ったものだった」ことがわかって話題になったり。でもイラストレーターにしても「まだまだAIは使えない」という声も多く聞こえていた。

ところが今年に入ってからそれも変わってきたようで、「AIにはかなわない」と白旗を上げるプロも多く出てきた様子。またAIと競うのではなくて、AIをアシスタントとして使えば「信じられないスピードで作品ができあがる」様子。

私も、もしかしたらAIの良さは「スピードにある」んじゃないかと思っていて、「出来の良さが重要な分野」はあるにしても、「スピード重視の分野」も多くて、今の時代、「そろばんを使って計算する人は稀」なのと同じことが起きるんじゃないかと。

どちらしても「人間の仕事は減る」のは間違いがなくて、では「AIには出来ない分野に進む」と言っても、私には具体的にどんな分野かわからないし、そこには「人間が殺到するはず」で、生き残りをかけた競争は熾烈どころの話じゃないだろうと思う。

話は変わって、日本では「新党チームみらい」という政党が立ち上がり、政治家を政界に送ることも成功し、政党も「政党要件を満たした」のは快挙だと思うのね。党首でもあり政治家となったエンジニアの「安野たかひろ氏」がどんな人なのかはわからないけれど、少なくとも「政治家に軸足を置いてテクノロジーを語る今までの政治家」とは全く違う事が起きると思う。

たった一人で何が出来るかとは思うものの、先の参院選で「得票率は2.6%」というのは決して無視される数字じゃないと思うのね。また安野氏のひととなりや戦略によると思うけれど、彼が日本に必要なムーブメントを起こすであろうことに本当に期待しています。

で、彼が考える【AGI(汎用型人工知能)が広く普及する時代】を語る動画があったので紹介します。

私みたいな年寄りは「良い時代になるんじゃないの?」なんて気楽に考える人が多いようだけれど、それは「自分の将来も短い」し、【自分に大きな影響があるとは思えない】だけでしょう。

でももし自分が学生だったり、まだまだこれからの20代、30代だと仮定した場合、かなり真剣に考えないとヤバいのはすぐにわかるはず。また40代、50代でもまだまだ現役なはずで、「大きな変化に晒される年代」で身の振り方を考えないわけにはいかないはず。

そして私は「AIの影響」というより、【これから大きく進化するロボトロニクス】の方が私達の生活に影響があると思っていて、それは「AIが自らの身体を持つ」ことを意味していて、これの発達で大きく世界は変わる。

まさに「単純労働」は減っていくだろうし、今でも多くのレストランで「給仕ロボット」が動き出しているけれど、あれがもっと進化するとレストランの風景も大きく変わるんじゃないですかね。当然、「厨房ロボット」も稼働し始めているし、「労働とはなにか?」という時代がかならず来る。

自動車の生産工場は「巨大なロボット」が動き回るようになっていますが、それと似たようなことが一般生活の中でも広がっていくと思う。

人をロボットに置き換えると公言しているのがアマゾンのジェフ・ベゾスで、彼は通販とインターネットの融合で、「多くの既存の伝統的な販売チャンネルをぶち壊してきた(アメリカでは2024年の小売の占有率37.6%)」けれど、彼ほど「コスト削減が大好きな経営者はいない」と私は思うくらいで、今でもとんでもない人数のワーカーが「配送センター」で条件が悪い環境で働いているけれど、彼はそれを「ロボットに置き換える(数十万台)」というし、それはすでに始まっている。

下の動画は今の状態で、この状態から「まだ人間をロボットに置き換える」ことをベゾスは考えていて、すでに1兆円を超える投資を決めた。ベゾスはベーシックインカム提唱者で、その理由はアマゾンにとってその方が都合がいいからでしょう。

でも私も世界はそっちの方向へ動かざるを得ないと思う。

千葉にある配送センター。

今の時点でも私みたいなジジーは今の状態を見て「嘘だろ?」なんて思うわけで、これをもっと省力化しようとしているのがアマゾン。

そんな時代になったらどうするのか。自分が今20代だと仮定してそんな事を考えてみるのも好きなんですが、私だったら是非やりたいと思うことがあるのね。

そもそもAIやロボットを使いこなそうと考える人や企業って、効率化であって、そして「売上と利益の最大化」だと思う。

でも今がそうであるように、私みたいな実業に全く携わっていなくてもAIが使える環境にあるし、それと同じ様に「ロボットも使えるようになる」と思うんですよ。世界は「次はロボットの時代だ」と思うし、ロボットを開発製造する企業は「乱立する」だろうし、EV=電気自動車ブームで中国には500社のメーカーが存在したなんて聞いているし(多くは淘汰され消えていった)、似たような大ブームになって、かなり精巧なロボットが私達にも使える時代は来ると思う。

上に紹介した「新党チームみらいの安野たかひろ参議院議員」がこんなロボットに関する動画をだしている。

さて、有能なAIと精密な動きもできる汎用型ロボットが民生用で使える時代になったら何をする?何をしたい?

当然、どこかの企業に務めるなんてことは私は考えないし、そもそもそういう「熾烈な競争の中に身を置くのが好きじゃない」ですから、自分で何か始めようと思う。

それも「どうやって収入を得て生きていくか」も重要だけれど、「どんな人生を送りたいか」を重視したい。

今でもやりたいことは山のようにあるんですが、その中の一つとして「日本の伝統を守りたい」というのがあるのね。これはそれこそ私の好きな「日本刀や包丁」だけじゃなくて、「螺鈿細工」の様な1000年以上続いたとんでもなく素晴らしい伝統技能が消えているのが現状。今の若い人は「螺鈿細工」なんて知らないかもしれないけれど、「アワビの殻を磨いてそれを材料として作る芸術品」と言っても良いと思う。当然、日本の国宝にも多く使われている。

あの世界的に超有名な「正倉院」の宝物殿に収められている「琵琶」。螺鈿細工で装飾されている。

現代では螺鈿細工の技術がなくなったというのは大げさで、今でも螺鈿細工を使ったインテリアや装飾品はあるのだけれど、「国宝級の螺鈿細工の修理修復」となると「日本には技術者がおらず、韓国に任せている」と聞いた。

いわゆる日本が国として制定している「伝統技術」とその「技術者」となるとどんどん減っているのね。

これは亀の甲羅を使う装飾の「べっ甲細工」も同じで、そもそも「甲羅の入手が出来ない」時代になって、とんでもなく長い歴史を持っている、そして日本で有名だったべっ甲細工の老舗一族も店を閉じたという。でも芸術品や国宝は現存しているわけで、それの修理修復、メンテナンスはどうなるのかと思う。

こんな例を出したら枚挙に暇がなくて、私の好きな「包丁」でさえも、「片刃の和包丁を全鋼で作る職人」は全国に数名しか残っっていないとのこと。でもいまだに「全鋼の和包丁をひたすら愛する料理人や趣味人はごっそりいる」のにそんな状況らしい。

そして日本刀にしても「失われた技術」があると聞く。

こういう「細かいことに拘って良いものを作る日本人的気質」って大事だと思うんですよ。

今の時代でも超高層ビルがあるけれど、あのエレベータの調整って半端じゃなく難しいとテレビで見た。大きな質量の箱がすごいスピードで動くわけで、それのレールの誤差が大きいととんでもないことになると。でもその調整は「人の手じゃないと出来ない」とここでもまた日本の職人が出てくる。

またとんでもなく大きな船、タンカーもそうですが、それのスクリューも超巨大で、「スクリューの湾曲や表面の滑らかさ」は即、船の性能に関わる重要事項ですが、これも「人の手でなければ微妙な調整が出来ない」と聞いた。

こういう一般的には見えないところに「日本の技術が生きている」し、しかしそれが注目されることもなくどんどん縮小したり、消えて行っているのが現状。

過去の伝統や技術の「上塗りが進んでいる」のならまだしても【消えていっている】って大問題だと思う。

それは衣類の染め物や刺繍、日本の伝統的な塗物なども同じ。

私が若かったらそんな身近の伝統的な、しかし旧態依然とした業界に「高性能のAIと精密加工が可能なロボット」を持ち込みたいと思うのね。

「機械じゃ絶対に無理」と言われていた多くの事が、時代の変化でどうにかなるかもしれないと思うんですよ。

思い出すのが、私の学生時代の友人ですが、「卒業したらどうする?」ということで、彼はなんと「跡取りがいない伝統工芸(彫金)の有名な人の弟子」となったのね。早稲田の商学部を出て「家業でもなんでもない伝統工芸士になる」なんて珍しいなんてもんじゃありませんが、やっぱり彼は「日本が、日本の伝統文化が好き」だったし、「豊かになることはないにしても食いっぱぐれはない」と読んだ様子。彼の仕事は一般的な装飾品ではなくて、やっぱり「神社仏閣の重要文化財」に触る仕事。彼も今じゃ70歳を超えているはずですが、お師匠様と言われる存在になったのか、それとも全く違う道に進路変更したのか、それは全くわからない。

やっぱり「大量生産、大量消費の時代」だからこそ、「職人が自分のすべてを注ぎ込んで作った作品」って凄いと思うし、そういうものって「なんとも言えない雰囲気、味がある」のは間違いないし、「優秀なAIと優秀なロボット」の時代になれば、「今まで近代科学も技術も関係ない」ようなところに入っていけると想像しています。

そしてそういう物品の愛好家っていなくならないし、市場は小さくても生きていける世界だと思う。

実は「包丁の世界」が面白いことになっていて、「海外への輸出が恐ろしいほど伸びている」のね。「日本の包丁の凄さ」が世界に間違いなく広まっていて、それの真似事は出来ないとされている。

でも和包丁を作る現場って、見てみると驚くのは「何百年も変わっていないんじゃないか」ぐらいに古臭いのね。そりゃ「金槌だけで叩く」なんてことはやっぱり無くて、電動式のハンマーでガンガン叩くにしても、そのハンマー自体が50年以上も前のもので壊れても修理が出来ないなんてのも普通。また鋼材を真っ赤に焼く「炉」も形は何百年も変わっていないみたいで、「炭」を使う。コークスじゃ駄目で、炭は炭でも「大事な場面では松の炭」を使うなんて職人が多い世界。また「温度が非常に重要」だけれど、多くは「目視と勘に頼る」世界。

日本で有名で高品質の和包丁を作る鍛冶職人の工房がこんな感じ。イメージが違うでしょ。多くの一流高級和食職人が使い、板前が憧れるような和包丁はこういうところで作られている。

また「包丁で料理の味が変わる」というのは昔から言われていたけれど、私は嘘だろ?と思っていたのね。そりゃ切れる包丁で切った場合となまくら包丁で切った場合は、刺し身でも野菜でも【断面がまるで違う】のは当たり前で口当たりが違うのはわかる。でも「味が変わる」なんてことはないだろうと思っていたのだけれど、最近、包丁関連の動画を多く見るようになって、「比較動画」まで出ているのがあって、「間違いなく味は変わる」のがわかってきた。そしてそれがわかる「食通もいる」のだそう。

それは「研ぎ方」「切り方」だけじゃなくて、【包丁に使われる鋼材】でも変わるということ。信じられます?良い包丁には「鋼(ハガネ)」が使われているにしても、鋼にも主だったのものが5,6種類あって、それぞれ「味も変わる」と。当然、「切れ味、刃の持ち」も違う世界。そしてそういうことまで気にしている「職人」が日本には多数存在するのに驚いた。こういうこだわりって海外には存在しない様子。

そして同じ素材を使って同じ様な包丁を作っても、製造過程の違いでまるで違うというのを「寿司職人」が話している。

ここで問題なのは、そういうことが広がって普及すれば良いのだけれど、今は「大量生産、大量消費」の時代で、こういう職人がどんどん減っているのが現状。

私は包丁に限らず、様々な分野で日本の職人たちが作り上げた「最高の品」が失われつつあると思うのね。でも「需要がなくなったわけじゃない」し、私が若くてもし高性能AIや本当に職人たちの微妙な動きを再現できる高性能のロボットが普及する時代になったら、そういう「ニッチな分野」に進出してみたい。

包丁の生産地って日本には何箇所かあるけれど、関西の「堺」は独特で、昔から「分業」なのね。だから「鍛冶」「研ぎ」「柄付け」「販売」などが別々で、それだからこそ「それぞれの技術に集中することが出来て発展した」と言われていて、そしてそのバックグラウンドは鎌倉時代から続く「刀生産技術がある」わけで、たとえ中国でも「真似する」のはかなりハードルが高いそう。

ま、そういう「古い業界」「職人の世界」ってまだまだ他にもあるわけで、「そんな世界に高性能なAIとロボットを持って入ってみたい」という願望があります。

「大量に売って儲けて喜ぶ」のが現代の「商売」ですが、「作ることに喜びを得られる仕事」だからこそ、これからの時代は良いんじゃないかと思うのね。やっぱり「食えること」を優先するのが現実だろうけれど、私は何よりも「生きがい」を重視したいと思う。

AIの時代になると「ベーシックインカム」みたいな社会システムになるかもしれなくて、そんな中で「先端技術から逃れるようにして生きる」のではなくて、「先端技術を持って失われつつあるニッチな世界に飛び込む」のって面白そう。ベーシックインカムがあるなら、まさに好都合。(笑)

でも「トレード」は絶対にやめないし、それで生きられるスキルを常に磨いて【経済的な基盤を作り維持するべき】というのが、私の基本であって、子どもたちにもそうして欲しい。そして子どもたちも「それしか将来はない」かもしれないぐらいには考え出してるのね。監査法人でそれなりのポジションももらっている公認会計士の次男坊でさえ、「トレードの世界で生きられるようになりたい」とはっきり言う。やっぱり「今のままの延長線上で生きる自分」が簡単に想像できてしまって、そんな人生は嫌だと思っているんでしょう。

やっぱり私に似ている。

蛙の子は蛙で、今まではオタマジャクシだった息子たちも蛙になりつつある。(笑)

ここで、こう考える読者も多いハズ。

「AIの進化でトレードも難しくなるんじゃないか」ってこと。ま、今はすでに「AIがトレードする時代」なわけですが、それでも「ニッチな世界」がトレードにもあるのね。それが私が生息する世界なわけですが、そこにもAIは必ず入ってくるし、私も使おうと思っていますが、「どれほどAIが発達しても【物理現象(の様な動き)は変わらない】」と私は思っていて、「そういう動きを取るトレード」をすれば良いと考えています。

つまりですね株価にしても為替にしても「瞬時に上がったり下がったりすることはない」のね。「必ず波を形成する」。ここがミソなわけです。

ただし、要人の発言や重要な経済指標の発表時には「数秒、数十秒で大きく動く」のは今でもあるわけで、その方向と大きさを予測するのは難しい。つまり、「そういう時には何もしないで静観すれば良い」ってだけのことなのね。

これは今このエントリーを書いている時間の為替の動きです。このたった40分の中の動きでも「そこそこの利益を狙える」のね。この波は【揺らぎ】と言っても良い動きで、経済動向を含めたファンダメンタルズなんて全く関係ない。40分の中で世界が大きく変わることもない。

でも世の中では「突発的な大きな事故、事件、災害が起きる」わけで、そういう時には為替も株式も先物も大きく動く。

ところがそれが起きても「相場はすぐには動かない」のね。だって誰もそれが起きたことを知らないのですから。でも「第一報を聞きつけた人は必ず相場に手を出す」から段々と値が動き出すのが普通。そして時間とともに情報は広まって市場は大きく動き出す。

そういう時にトレードをしていたとして、「動き出した」のはわかっても「何が起きたのか」まではわからない。でもそこで「揺らぎが大きくなった」という現象はわかるわけで、【その動きに乗れば良い】だけのこと。

段々とX(ツイッター)の情報や緊急のニュース速報がでるようになってやっと何が起きたのかを知ることになる。そしてそれを知って「こりゃ大変だ」と為替も株価も大きく動き出す。でもその時には、もう何回かのトレードは終了しているのがこういうデイトレの世界。そしてその後、大きく動き出してもそれは「波の揺らぎが大きくなる」「特大のトレンドが形成される」ことになって、それはメリットであってデメリットにはなり得ない。

でも「逆張りが好きなトレーダー」、「自分の予想を重視して売買するトレーダー」はそういう動きがあると「地獄まで連れて行かれることも起きる」ってこと。

私は「順張り以外、絶対にやらない」「予想はしない」というのはそういうことなんです。「流れに乗ることだけ」しか考えません。

それは私の手法というより、「リスクコントロール」だというのが合ってるかもしれない。

そしてその考え方はデイトレだけじゃなくて、日足を見ながらのトレードも、週足を見たもっと長い年数をまたがるトレードも同じだと私は考えています。

これは2020年から2025年12月までのドル円の動き。

その考え方は、個別株でもインデックスでもETFでも商品先物、金(ゴールド)でも石油でも同じだと私は考えています。

ただし、私は「ポジションを持つ時間とリスクは比例する」という考えが基本にあって、長期持つと「とんでもない出来事にいつか必ず遭遇する」という考えを持っています。それは911のNY同時多発テロであり、311の東日本大震災だったり、またロシアのウクライナ侵攻であったり、ああいうのを人生の中で何度も経験している私としては「長期間保有する」のが怖いのね。当然、「日本のバブルの崩壊」も「アメリカのITバブルの崩壊」も経験してきました。そして私にとっては最悪だった「リーマンショック」も。

リーマンショックでは株式などでの損失は全くありませんでした。そもそもその手の投資はしませんから。ただ「為替は3ヶ月で半分になり」「資産も似たように大きく下落した」のね。こればかりは手当のしようもなく口を開けて見ているしかありませんでしたが、「為替の下落+資産の下落」で数ヶ月の間に資産が4分の1になったのは本当に驚きました。何年、何十年掛けて築き上げたものが音を立てて崩れるのを感じたし、もう駄目だ、終わりだと本当に思いましたっけ。

2001年の911NY多発テロの日もいまだに鮮明に覚えています。私が寝ているところへヨメさんが来て「大変だ~~~。テレビを見て~~~」と大騒ぎ。すぐにテレビを付けてみるとそこにはまさに映画じゃないかと思うような光景が広がっていた。私がその瞬間、思ったことは「市場が大荒れするだろう」ということ。不謹慎と言えば不謹慎ですが、大きな動きで自分も倒産、破産も起きる世界ですから、多くの金融資産を投資に回している人たちは「驚愕」なんてもんじゃなかったはず。でも私は当時はすでに「デイトレーダーになっていて、買いポジション売りポジションも持っていなかった」から救われた。

テロが起きたのは日本時間の9月11日午後9時46分(火曜日)、アメリカ東部時間9月11日午前8時46分ですが、私がそれを知ったのは次の日の朝で、テロが起きてから8時間後ぐらいでしょうか。市場の動きが気になりましたらそれどころではなくてテレビとネットに付きっきり。でも案の定、全ての市場の大混乱はすでに起きていたのね。半端じゃない大きな動きでしたが、私はその瞬間、「ポジションを持っていないこと」を本当に良かったと思ったし、また大きく動く市場でデイトレをしようとも思えず、数日間、テレビとネットにかじりついていたのを思い出します。

でもあの時にもしも大きな額を株式なりETFなりに投資していたらどうなったかと想像するだけでゾッとします。

ところが「投資金額が小さい」なら全く平気。ここをしっかり考える必要があって、投資金額が段々大きくなると「それまで考えもしなかった不安が増大してくる」のが普通。注文を出すのにエンターキーを押す手も震えるし、夜中になにか起きたらと想像すると眠れなくなる。土日の取引所が閉まっている時も気になるし、長期で家族と遊びにもいけなくなる。行ったとしてもPC持参は当たり前で、WIFIが繋がらないところには絶対に行かなくなったり。

そんな時に多発テロみたいなことが起きたら、気絶するんじゃないかと思う。慌ててもどうにもならず。そしていつか同じ様な「その時」が必ず来る。去年の8月の日経225の下落でも驚いた人は多いと思うけれど、あんな程度のことは常に起きるという前提でいないと駄目だと思う。ま、「大きく下げたら買うチャンス」と思う人もそこそこいるみたいで、でもそういう人は日本のバブル崩壊やアメリカのITバブル崩壊も経験したことがないのだろうと思う。日本は34年、アメリカは17年という「元値に戻るまでの長い年月がかかった」過去もある。

この年月ってかなり厳しいですよ~。小さな子供は成人するし、バリバリの働き手の自分も老人になるんですから。

こういうのを実際に経験してみると、「作戦の建て方も変わる」と思う。私は当然それらを経験したしリーマンショックでは完全に打ちのめされたから「買って保持していれば良い」「安いところは買えば良い」なんてのは【ただの理想論】としか思えないのね。もしそれでちゃんと利益が出るのなら、世界から貧乏人はいなくなる。破産したり倒産する人や企業は「ただのバカ」ってことになってしまう。

大きく下げる時って「買いたくても買えない」「それどころか売る必要に迫られる」から【大きく下げる】ことに気が付かないのだろうと思う。でも過去チャートを見ているだけの人は「そうか。ここで買えばよいのか。ふむふむ」なんてわかったような気がするから面白い。そしてそういう人の多くは「カモ」となり、相場の世界の「肥やしになる運命」だと私は思う。

相場の世界で一番偉い人ってわかります?それは「買う人」「売らずに持ち続ける人」。こういう人が増えれば増えるほど、世界経済は安定する。だから当然、業界全体でそういう方向へ持っていこうとする力が働く。

また世の中では「様々な予想をする人たち」がいますよね。それも無視できない有名な人や企業のサジェスチョンもある。

そういう「XXXを買え」「YYYを売れ」という声を無視する必要もなくて、そういう話題になる銘柄は「大きく動くことが予想できる」わけで、それだけで十分なのね。だから「金(ゴールド)を買え~」という大合唱があっても、それにすぐ乗ること無く、【金(ゴールド)を売買対象として考える】だけで良い。そして「上昇波動が見えたらそれに乗る」。当然「下げ波動には乗らない」。「下げてきたから買うチャンスだ」なんて欲を出さない。

そういうふうな相場との付き合いを基本とすると悩むことって結構減ると思う。そして「神の領域」である【未来のことを考える必要もなくなる】ってこと。

でも世の中には「将来を予想しないと生きていけない、仕事ができない人たち」も多く存在する。それは貿易関係もそうだし、製造業でも同じ。小売業もそうでしょう。世界はそれで回っているから、テレビでも新聞でも、どんな専門家や学者も「将来の予想をする」わけで、でも私達のような投資家、トレーダーの場合、「近未来の予想ができなくても、今、利益を出せればそれだけで十分」だと私は考えます。そしてその「今」を連続させるだけでOK

もしも大惨事が起きて自分の働き口もなくなり資産も大きく目減りしたり、住む土地を出なければならなくなったりしたらどうします?311東日本大震災ではそれが起きたわけですが、そこから復活するのはもちろん、「今日を生きる」だけでも大変なことになる。でももしデイトレのスキルが有れば、どうにかなるのね。世界に何が起きても自分がどこに流されても、世界から証券取引所はきっとなくならない。だから私は「何があっても復活できる。その日を生きることは出来る」と考えています。

私にとってのデイトレは単に利益を出す手段ではなくて、「どんな世界になっても生き延びる究極のサバイバル方法」ということです。だからそれのスキルを維持し発展させることに集中するわけです。そしてそれを子どもたちにも伝えていく責任がある。

当然、「買い」だけじゃなくて「売り」も同じ様に出来る必要があるし、「自信がない時には休む」ことも必要で、【常にポジションを持つ】なんて最悪だと思います。それも「買うだけ」だなんて、良くそんな恐ろしいことを多くの人が出来るのが不思議。私はそれは「ある種の詐欺」「新興宗教」に惑わされているのと同じだと思っています。

でもま、考え方も人それぞれ、生き方も人それぞれ。

何が正解ってことはないのでしょう。

 

 

 

 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ ゴールドコースト情報へ