【労働で生活する層】と【資産で生活する層】 その断絶が、通貨と金融政策を通じて固定化されつつある

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二極化する世界と「自己責任」の真意

あるニュースを読んでいたら、このセンテンスが気になった。

【労働で生活する層】と、【資産で生活する層】。その断絶が、通貨と金融政策を通じて固定化されつつある。

Yahoo!ニュース

 経済を語る上で真に問われるのは、起きた事象の列挙ではない。そう語るのは国際的投資家・木戸次郎氏だ。「円安や物価高、実質…

なことはわかりきっていることだけれど、それをはっきり言葉で聞くと、酷い時代になったと思うし、それは日本だけではなくて中国でもどこでも世界中同じ。

最近、ニュースを見ていて思うことは「セレブ相手の商売の凄さとその異常さ」と「安い商品やサービスが増えて大繁盛していること」で、なんだか【真ん中の話】がなくて【二極化はどんどん進んでいる】のが顕著に見える。これってそういうニュースが受けるから両極端の話が多く出てくるのだろうと思うけれど、我が家は「引きこもりのお地蔵さん」みたいな生活をしているし、仕事もしていないから「世の中との接点がない」のと同じ。それは住んでいるマレーシアもそうで、ましてや「日本が、世界がどうなっているか」の実態は良くわからない。

だからニュースとか対談、討論を聞いて状況を把握するしか無いのだけれど、「つまらない時代になった」ような気がしますわ。

【頑張り方に応じて収入も生活も変わる】のは事実だとしても、「頑張ってもどうにもならないことが多い」から問題なのであって、そこら辺を全て「自己責任論」で片付けるべきじゃないと、【全ては自己責任】と考える私でさえそう思う。

「全ては自己責任」というのは、私は【自分自身にそう言い聞かせている】だけのことで、世の中で「それが当たり前」というのは【生き方の選択肢がない、自由に生きられない、お金に支配されるつまらない社会】だと思う。自らが「望んでそういう世界に入る」ならまだしも、「入らざるを得ない」のって最悪。

これじゃ「結婚しない」「子供は作らない」なんて考える人が増えるのも当たり前で、だからといって「政府がどこまで関与できるか」に関しては、特に日本の場合は「無理」だと思うし、でもこのまま行けば【ディストピア】の世界になるのは間違いない。

「頑張れば報われる世界」って【理想論】でしか無いのだろうとは思うけれど、その思いを捨てたら【地獄を容認するのと同じ】だと思うんだよね~。

「助け合い」の原則と、その限界

だからやっぱり【持つ者は持たざる者を助ける】のは重要で、それは【分業】【適材適所】の考え方と同じで、親子や兄弟、家族、親族を考えれば当たり前のことで、同じ屋根の下で、家族なのに「金持ちと貧乏人が同居する」なんて考えられないじゃないですか。でもその【枠】を広げれば、集落も町も市も県も地方も国も世界も全く同じことで、私が知った「金持ちと貧乏人が同居する世界」は「フィリピンとスリランカ」で、それはそれは異常な世界だった。

「地域」として金持ちと貧乏人の区別があるのは世界中どこにでもあるけれど、一つの町、そこらの街角にも【半端じゃない格差が見えた】のはフィリピンとスリランカで、スーパーマーケットを出た瞬間、半端じゃなく貧しい人達が集まってきて、彼らは「物乞い」なんだけれど、小さな子どもたちも多くて、「金をくれ」じゃないのね。【食べ物をくれ】とジェスチャーでアピールする。私は世界中で「物乞い」や「物乞いビジネス」を見てきたけれど、【食べ物をくれ】という経験をしたのはフィリピンとスリランカで、「あっちへ行け」と追い払って良いものかどうかかなり迷ったのを思い出します。

スーパーに戻って「パン類やお菓子」なんて安いものだから、それを多めに買って彼らに渡すと本当に喜ぶのだけれど、それを見つけた他の物乞いが遠くから集まってきて、大変なことになる。

【焼け石に水】だとは思ったけれど、本当に飢えている人達にたとえ「一瞬」でも「食べることが出来た」という安堵感を与えることは重要だと思うけれど、キリがないのも確か。でも【きりが無いからやらない】というのはやらない理由にはならない。

一体、地方自治体や国は何をしているのかと思うし、そういう国に限って「金持ちは異常なほどの金を持っている」のが普通で、【選ばれし者】【見捨てられてしかるべき者】という【違いがあって当たり前】という文化なのかと思った。

でもそう思うのは、私が世界の歴史を知らないからそう思うのであって、それが「長い人類の歴史」だったのだろうと思うし、だから「戦争」もすれば「略奪」も普通に起きていたのだろうと思う。

私の友人で「大金持ちの娘」がいて、彼女はやっぱり女性だからか「もうどうしようもない人たちを助ける」ボランティアに精を出していて、東チモールや東日本大震災の時には「数千万円」というお金を持って飛んでいってボランティアをしていた。アフリカで「あるワクチンがあれば何十万人という子供が助かる」と聞けば、母親を説得して数千万円を寄付させたり。

その彼女と私は違っていて、彼女のようなボランティアが無意味だとは思わないけれど「その方法は終わりがない、先がない」と私は考えるタイプで、私は「教育が重要」だと思っていました。「魚を与えるのではなくて、魚の釣り方を教える」というあの考え方と同じ。

こういうことって「ボランティアの範疇」だけれど、家庭内、家族、親族でも全く同じで、「それぞれ差がある」「差も非常に大きい」のが普通で、それを放置することは出来ないじゃないですか。

大きなことを考える必要はないけれど、自分の周りのそういう問題を解決する、助けるのは【そのコミュニティー全員が真剣に考え行動するべきこと】だと私は思っていて、極論を言えば、自分の子供や親兄弟が「餓死するのを座視してみているか?」というのと同じで、それはありえない。

だから「そこがスタート」だと私は考えるし、それで「皆が生きていけるコミュニティーを作る」のと「その持続性をどう保つか」がやるべきことで、それも簡単ではないけれど、そういうコミュニティは大昔、古代から存在してきてそれでどうにか皆が生き延びてきたわけで、それは現代も未来も同じだと思うし、そういう小さなコミュニティーが点在して、それが育ち、集落となり、郡となり、国家も出来たのだと思う。

だから私は「足るを知れ」という言葉が大嫌いで、【稼げるやつはどんどん稼いで必要なところにそれを使う】ことをしないと大変なことになる。だから「足るを知れ」という人達は「自分は自分、他人は他人で関係ない」という考え方が原点にある【変わった人】に私には見える。家庭も国家もそれは全く同じで、もし個人でも企業でも「もうこれだけ利益があれば十分だ」と【利益追求をやめる】ようになったら税収も伸びないし、社会保障費はどこから捻出する?

私はやっぱり世の中って「トリクルダウン」が重要だと思うし、それがあるから世の中は回るわけで、もし農家や漁師が「自分が食える分だけ穫れればOK」「自給自足の生活に回帰しよう」としたら世の中が回らないじゃないですか。

日本だってトヨタを代表とする自動車産業や工作機械、電子部品の企業群が【頑張るのを止めたらどうなるか】を考えてみればすぐに分かること。

だから決して世の中を「自己責任だ。必要なものは自分で稼げ、損をしても貧しくても受け入れろ」と片付けてはならないし、それは「世紀末の考え方」だと思う。

でもそういう世界にしたくない、身近なところで「良いコミュニティーを作ろう」と思い立った一人ひとりは「全ては自己責任」だと【責任を背負う必要がある】と思うし、私は自己責任論者だというのはそういう意味。

仕事で失敗した、大きな借金を背負った、障害を持っている、障害を持つ子供がいるなんてのは「私の親族」にも決して少なくないわけで、【自分が良ければそれで良い】【面倒は国に見てもらえ】【解決は自分でしろ】なんていう昨今の風潮は、絶対におかしいと思う。

でもそう考えるしかないほど「自分が貧しい」「自分が生きるのに精一杯」ということなんだろうと思う。そして「足るを知ることが重要」と自分に言い聞かせているのだろうと思う。

一つのオニギリで一人は助かることはあっても、家族4人にとっては全く足りないというのと同じだと思う。親族や友人知人、隣人のことまで考える「余裕」がそもそも無ければ「いつか共倒れする将来しかない」と思う。

それが私達人類が生きてきた歴史なのが悲しいし、悔しいと思う。でも「贅沢三昧する金持ちはいつの時代にもいる」「自分の利益は自分のものとしか考えない」のも事実。

「平民の逆襲」— 私が挑戦したいこと

だから私はそれに挑戦したいんですよ。

「平民の逆襲」

それをしたいし、その環を広げたい。これは「勝ち馬に乗る」「自分も強者側になる」という意味じゃなくて、私としては「彼らへの挑戦」であり「彼らの常識へのアンチテーゼ」という考え方。なんの力も才能もない普通の平民でも彼らと十分戦えるというのを実証、実践したい。これは事業も同じで、私が零細企業のオヤジを続けてきたときもそういう考え方を持っていました。

「それは単なる理想論」と考える人が多いと思うけれど、それは大きな間違い、誤解であって、「世界を見てみると日本がいかに裕福なのか」がわかるはずで、どうしてそういう日本になったかの「原点」を考えれば簡単にわかるはず。

日本が裕福なのは「侵略や略奪の結果か?利益を独り占めしたからか?」と考えると「残念な時代もあったのは間違いない」けれど、日本の長い歴史の「大筋」を考えるとそういう国家ではなかったのは明白じゃないですか。日本はやっぱり富める者も貧しい者も、個人も中小企業も大企業も「頑張って、学んで、改良し、改革、改善し、富を創出し、分かち合って伸びた国」だと思いませんかね。こんな国が他にあるのかどうか、私には良くわからない。

だからこそ「一億総中流意識を持つ」なんて摩訶不思議なことも起きたわけで、皆が勝手に生きてきたわけでもなく、国家として日本人として「俺達全員の責任と義務であることを自覚していた」からだと思うし、「富の独占は許さない」というコンセンサスを持っていた不思議な国。

私はその原点は「縄文時代」に見ることが出来ると思っているのだけれど、その後、「違う価値観を持った外国人が日本に多く渡ってくる」事もあったし、そこから「良いところだけ学んだ時代」もあったけれど、進んでいる西洋文明に憧れてしまった時代も長く続き、「欧米崇拝」「欧米追従」という方向へ日本の基本は変わってしまい、ついでに「欧米の悪いところも輸入し広まってしまった」と私は考えていて、これは見方によっては「進化」「発展」に見えるけれど、私は「退化」だと思っています。

そんな時代の流れを私はそのまま受け入れようなんて全く思っておらず、「日本が何を大事にしてきたのか」の原点を探求し、実践したいと考えています。

まずは「家族から」「身内から」の小さな輪で始めるしか無くて、それは「必ず成し遂げるべきこと」だけれど、その後の「輪の広がり」は私には見えない。ただそういう点在する小さなコミュニティーが手を結ぶことはあり得るだろうと思うだけで(そうやって国家が形成されたはず)、その先のことは「私の器」では考えることさえ出来ない。

でもそれはそれで良いと思っていて、自分には限られた能力しか無いし、まずはその範疇で出来ることをやろうと思うだけのこと。

私は、日本は欧米に余りにも影響を受けすぎて変貌してしまったけれど、「良き時代の日本」は【平民の中に残っている】と感じています。

だから【平民の逆襲】をしたい。

でもその考え方は現代の「リベラル」「左派」の考えとは全くの別物で、私には彼らは「個人崇拝」「自己崇拝」「責任を他に押し付ける考え方」「行き過ぎた権利の主張」でしかないと考えていて、それに寄り添いたいとも全く思わず。

搾取の構造と、強者の論理

私には他人より秀でた才能も能力もないけれど、【トレード】という年齢も能力も才能も学歴も経験も関係ない「摩訶不思議な仕事」と出会えたのは【神の采配かもしれない】と思うくらいで、そのチャンスをできる限り利用したいと思っています。そして世界を牛耳り、動かし、支配する「巨大な勢力」から毟り取れるものをしっかり毟り取ってやろうと思う。

私がなぜ「昨今の安易な株式やインデックス投資」や「一発を狙いたいFXなどのトレーダー」に関して警鐘を鳴らすのかと言うと、それも関係していて、彼らの多くは【巨大な勢力】に食われるために「身を投じている」ように感じるから。「自らが稼ぐ」ことは私の原点だけれど、「明るい将来を夢見ているのに、強者のエサになっていく人達をどうにか減らしたい」と考えます。

それだけ巨大な勢力って強く、賢く、狡猾で、「平民から富を吸い取ることに長けている」のであって、生半可なやり方では「彼らの術中から逃れることは出来ない」と思う。これは大企業がいかに中小企業を生かさず殺さずうまく使うのかというのと同じ構造。また【有望な中小企業は乗っ取る、傘下に組み込む】ことをして、それは「M&A」というあたかも素晴らしいことのように見る「世間の目」は恐ろしいと思う。私自身もそういう動きの中に巻き込まれたり、そうやって食われて追い出された創業者一族を見てきた。

でもその影でどれほどの弱者が涙を流しているかに関して、世間は一切注目しないし、「会社を売って大儲けしたのだろう」ぐらいのことしか考えない。

ここは重要な点で、【弱肉強食】を皆が認め、そうしなければ「強者も生き残れない」ことを理由に【弱者は食われ続ける】のが私には我慢ができない。どうしようもない弱者は見捨てられ、ちょっと芽が出てきた将来に可能性が見える弱者は強者に取り込まれていく世界

まさに今の時代は、今回のエントリーに書いたように【労働で生活する層】【資産で生活する層】のように「彼らの都合の良いように分断」され、【搾取の構造】は益々強固になっていると感じます。

でも最近は「資産運用もしたらどうですか?」と、「労働で生活する層にもチャンスを与える」みたいな動きがあるけれど、これは「決して良いことではない」のであって、強大な勢力は今までのやり方ではまだ足りず、【関係がなかった層のお財布】にまで触手を伸ばしてきたと考えるべきだと思っています。

長い期間「労働で生活をしてきた層」は【投資をしないと儲からない】ことだけは知っているから、強大な勢力は【では投資を始めましょう】と新たな【次なる手を打ってきた】と私は思うわけで、「こいつらからもっと搾り取ってやろう」と考えているのは間違いがないと思う。

そもそも投資とは「安い時に買って高い時に売る」から利益が出るのであって、「安く買うべき時」には投資をしましょうとは言わず、なぜ「これはバブルかもしれない」と考えられる【高値ゾーンの危険な状態】に入ってから【投資をしましょう】と強く言い出すんですかね。

彼らは「収穫の時期が来た」と考えているであろうことは簡単に想像できるし、また一般の多くの人は「他人が儲けた話を聞いてから、自分も始めようと考える」という【最悪の発想を持つ】のは昔から同じで、値が上がれば上がるほど、バブルが大きくなればなるほど「乗り遅れたらうまくないんじゃね?」と慌てて参入してくる一般大衆の「心の動き」を強者は熟知している。

だからいつの時代も「バブルが膨れ上がると一般人の参入が増えて、値だけではなくて【取引高】も大きくなる」のね。そして「バイイングクライマックス」と呼ばれる「最終章」が始まる。

「皆が買った後に、一体誰がその後の高値を買い続けるのか」という簡単なことさえ考えない人が多すぎる。

でも「値上がりしたものがどこまで上がるか」は誰にもわからない。これは冬の時代に入った暴落も同じで「どこまで値下がりするか」もわからない。そういう時にどうするべきかは「プロはわかっている」けれど、シロウトは自分が参加者であることを忘れて、まるで「映画でも見ているように放置し見ているだけ」なのが不思議。なおかつ「放置でも利益が出ます」という「ある特別なケースだけ」をピックアップして「これが正論」というインフルエンサーも増える。

私に言わせると「ドルコスト平均法」もそうで、「買って放置するよりは良い」のは理論的には正しいと思うけれど、プロの世界を見てくださいな。ドルコスト平均法で市場参加するプロ、ビッグプレイヤー、機関投資家、大企業って無いんじゃない?

前に「ドルコスト平均法」は【いつ始めるのか】【いつ離脱するのか】だけが重要で、「ドルコスト平均法が利益をもたらすわけじゃない」ことに関して例を出しましたが、ドルコスト平均法の【基本】さえ知らない人は多い。でも「期待だけ」で始めてしまう。そして「いつやめるのか」の【出口戦略】を持っている人は非常に少ない。それって「夢を見ているだけ」なのに気が付かずに何十年も経ってしまうから怖いのね。

言葉は悪いけれど、強者は「貴方みたいに何も考えない、何もわからない人にはベストな方法がドルコスト平均法」と言っているだけのことで、それの【メリットだけを強調する】のね。ところが【資産形成を真剣に考える】場合、その方法を取る人は多くはない。でも「その方法がぴったり当てはまる市場の動きもある」(この20年がまさにそれ)から、その時こそ「大量のカモ集めが出来る」ときだから、それを業界がこぞって喧伝してカモを集める。「この実績を見てください」と。そしてそれを見た人達は「もうすでに高値圏で利確や撤退を多くの人が考えている」のにも関わらず、【もっと上がる】という言葉を信じて参入する。

「どんな時にでも買い続ける人」ほど素晴らしい市場参加者はいないわけで、「表彰状」を出しても良いくらいだと思う。彼らがピラミッドの底辺を広げ、固め、ピラミッドの「肥やし」となり、ピラミッド上位の人達の「利益を与えてくれる」のだから。

そういう人達は「冬の時代」になると消えていくわけで、重要なのは「冬の時代が来てもどう生き抜いていくか」であって、皆が儲けている時に「自分も儲けよう」なんて軽い気持ちで生き抜けるほど簡単には世の中で来ていない。

私達は幼い頃に「アリとキリギリスの話」を聞いて誰でもがわかっているのに、【冬をどう生き抜くか】を考えないから自滅していく。そしてその事実を強者は「素晴らしい入れ替えのサイクル」だと見ていることに気がつくべきだと思う。

私はやっぱり「資本主義社会」は【搾取の構造が作りやすい】と考えるべきで、「自由」の名のもとに強者達は「頭をフル回転させてありとあらゆる儲ける手段を考えている」のは間違いないと思う。

前から何度も書いていますが、「戦国時代の武将」を想像すればすぐにわかることで、「勝つことだけを考えて常に攻撃の先頭に立っていたらどうなるか」ということで、「積極的な撤退、離脱、様子見ができない武将であってはならない」のは誰にでもわかること。また「冬の時代をどう生き抜くか」が生き残りの最大重要課題であって、農民でもそれは同じじゃないですか。

そんな簡単な理屈も無視して「儲ける皮算用だけはしっかりする」っておかしくないですかね。

人の行く裏に道あり花の山

だから私は「違う道」を歩くわけです。

人の行く 裏に道あり 花の山

これは「ボケ老人の戯言」だと思っていただいて結構。

でも私の72年の人生で気がついたことは、「これのみ」と言っても過言じゃない。

みなさんがどう思おうと皆さんの勝手で、私がとやかくいうことではない。

でもこの格言も、今日書いた内容も、「私の子供や孫たち」にはしっかりしつこく伝え理解させようと思っているし、そうしています。

そうじゃないと「本道を歩いているつもりなのに苦労ばかりすることになる」から。

な~~んてことを「新年」だからこそ書き留めておこうと思います。(^_^)v

 

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