私たちには「普遍の常識」があるじゃないですか。昔から変わること無く、それはこれからも続くであろうと思われることですが、これに変化が起きたらどうするか。
朝になれば東から太陽がのぼり、意識しなくても空気が吸えて、蛇口をひねれば水が出て、働けばお金がもらえて、普通に頑張っていればどうにか生きていられる世界。
もしこれに変化が起きたらどうなのかって話ですが、そもそも「常識的なことを意識することは無い」のが普通だから、「変化」と言われてもピンと来ないし、「その変化にどう対処するか」なんて益々わからない。
でも私たちの「生活の基盤」に変化が起きているのは間違いがなくて、それをいち早く察知して、それに合わせた生き方をしないと「取り残される」事が起きるのは想像できる。
まず、「どこに大きな変化が出てきているのか」を知ることが重要で、私たちの経済活動を支える土台に変化が起きている様子。
私としては「どこにどういう変化が見えるようになるのか」さえも良くわからない状態で、でも歴史を考えてみると「江戸時代から明治時代」、「戦前から戦後」、「テクノロジーの進化」によって私たちも大きな変化の中で生きてきたのはわかる。
でもその変化が起きることを意識していたのか、察知できたのか、予想できたのかというと、それもなくて、「なんだか知らない内に、その中で生きるようになっていた」だけだと思う。
でもそれって「生き残った人たちが感じること」であって、「普通に生きていたのに取り残された人たちは消えていった」から、「変化を意識して、積極的に乗って行ったから生き残れた」のとはちょっと違う。
でもきっと「同じ事が起きる」だろうし、それは「永遠に続く」のだろうというのはなんとなく理解できる。
これって「野に咲く雑草」みたいなもので、「天候や環境の変化」で【生態系は大きく変わった】けれど、積極的に変化に合わせた、自分も変化したというより、【選ばれたもの、適応できたものが残っただけ】というのが正解なんだろうと思う。
さて、私たちはどうなるのか。ただ単に「選ばれる」のを待つだけしかないのか、「知らない内に適応できるのか」がわからない。
でも「視点を企業に置いてみる」と、「自然淘汰」は間違いなくあるものの、やっぱり「自ら現状と将来を考え、積極的に変化を続けた企業が生き残っている」と思うんですよ。
だから「そういう企業にくっついて生きる」、あるいは「そういう国に生きる」場合は、自分がいろいろと考えなくてもその企業や国に任せておけばどうにかなるんでしょう。
でも何の後ろ盾もない「個人」、「野良犬みたいな状況」だと、【自分で変化を察知して、それに合わせて生き方を変える】ことをしないとまさに「自然淘汰の対象となる」はず。
日本は、本当に恵まれた国だと私は思っていて、「悲しい歴史もあった」けれど、「他国に侵略されて略奪の対象となる」こともなかったし、海という「鉄壁の守り」のおかげで、「独自の価値観、文化伝統を作り上げ、その中で生きることが出来た」非常に珍しい民族だと思う。
対象的なのが「韓国や中国」で、「彼らも伝統の長さをアピールする」けれど、私が考える彼らの歴史とは「戦争、多民族の侵略、略奪、征服者の入れ替わり」が常に起きる歴史で、【かなり厳しい歴史だった】と思う。
となれば「価値観、考え方、生き方も日本とは違う」のが当たり前で、それを「民度が違う」なんて言い方をするのは「お坊ちゃまの上から目線」以外のなにものでもないと思う。
ま、それは横においといて、今の時代は「国境が無いような時代」だし、「かつてのように日本を守ってくれる壁もなければ、神風も吹かない」わけで、どうしたって「世界の変化の影響を受ける」のは間違いがなくて、それは「日本の常識が通用しない時代」とも言えると思うんですよ。
ある意味、「日本は箱入り娘」みたいな状態が【何千年も続いた】とも言えて、それに大きな変化が起きているのをしっかり自覚して「対処方法なんかわからない」にしても「対処方法を考え続ける」必要があるんじゃないかと。
短い年数の中でも「大きな変化が起きている」のは間違いがないし、【そういう時代だ】と認識して、それに合わせた生き方、考え方を持たないと「自然淘汰の対象となる」ような気がしてならないわけです。
「金利」「株価」「年金」「ローン」にしても、自分でそれを「変えることは出来ない」から、世の中の常識と言われることに沿って生きてきたけれど、今の時代は「選択肢がいろいろある」のだから、「自己責任で生き延びる方法を考える時代」になったと思う。
私自身は「世界の変化」なんて自分で分析して評価して、今後のことを考えるなんてことは出来ないし、そんな脳みそも無いのは間違いがなくて、でも思うんですよ。「運を天に任せた長期投資はしない」「デイトレで日頃の糧をどうにかマキシマイズして確保して生き残る」という今の生き方、これはまさに「野良犬の発想」だけれど、それがあれば今後も大丈夫かもしれない、なんて思う。
つまり「他力本願はしない」で、「自分で眼の前の流れに乗り続ける」というだけの生き方。
これって「個人だから、野良犬だから出来る生き方」で、自分が「企業の長でなくてよかった」と思うくらい。
「波乗りのスキル」だけあれば、生き残れるんじゃないかと思う。
そういう意味では、今日、紹介した動画の「内容」とは大きく違っていて、「どうやってガチホで生き残るか」という考え方は、私には無いのね。
これは【長い年数、企業を見ていても感じること】で、昔からの技術や仕事に固執した企業は消えていったし、「創業当時とは全く違うビジネスになっている」なんて企業はいくらでもあるし、それが「生き残れる唯一の道だった」のだろうと思う。
私は写真、カメラ好きだから、「フジフィルム」と「コダック」の違いが良くわかる。どちらも「写真用フィルムの老舗」だけれど、「フジフィルム」は「一体、何屋?」と思うくらいの変貌を遂げて大きくなったけれど、「写真フィルムに固執したコダック」は「簡単に王座の座から滑り落ちて、経営破綻」し、あのトヨタも「最初は織物機械を作っていたの?」なんて思うし、ソニーも今じゃエンタメの会社になって生き残っている。
それが当たり前の時代になったから、どの大手企業も「次なるメインとなる仕事を探し続ける」時代になっているはずで、「私はこの道で生きる!」なんて胸を張っても、よっぽど良いものを持っていない限り、簡単に消えていくんじゃないかと。
でも「投資家」という職業も面白くて、「企業や業界を育てる」という大事な役割があるにしても、それに固執していたら生き残れないのははっきりしているから、「常に世界の変化、流れを見て、それに乗る」ことをする。
それでも「長期投資で失敗」なんてのも普通に起きるわけで、天才級の頭脳を集めていても成功するとは限らない。
じゃぁ、何の取り柄もない個人はどうするのかって話になるわけで、だから私は「デイトレの世界」に入ったわけです。長期どころか、明日のことさえわからないわけで、でも「今、この瞬間の動きに乗れば良い」という世界なら「バカでも出来る」と思っているわけです。バカだから「予想もしない」。ハズレるのが当たり前だから。
実は、私は「野良犬のような零細企業のオヤジ」を続けていて、それには「劣等感もあった」のですが、今は「野良犬で良かった」と心底思うし、「最後まで野良犬のように生き抜く」のが私の目標です。そして「野良犬としていかに生き抜くか」を子どもたちにも教えたい。
ま、「野生の生き物って皆、同じ」でしょうが、私はその「生き方」を学びたいし、「野生の強さ」が欲しいと考えています。
人類もかつては「猛獣や恐竜のエサだった」長い時代を乗り越えて生きてきたわけで、その「生き抜くノウハウ」を現代を生きる私も極めたいと思う。(笑)