海外で子供を育てる場合、日本語教育をどうするかという話です。その点のご相談がありましたので、私の経験を書きます。
まず、こちらに渡る前に一つのことを決めていました。英語圏だろうが何だろうが、母国語は日本語。母国語というより、Mother tongue というべきでしょうか。母国語という言葉には、その言葉を流ちょうに操るという意味が含まれていないような気がしました。Mother Tongueって母の舌ということになりますが、これの方が本来の母国語って言う感じがしますね。ま、そんなことはどうでもいいのですが。
私たちがこちらに渡ってきた時に、長男は3歳半。次男はちょうど一歳でした。ですから長男でさえもまだカタコトで言葉らしい言葉が形成されてはいませんでした。本来こういう時期に外国語も覚えるのが良いわけですが、逆を言うと、この時期にちゃんと使わせないと日本語も覚えられなくなると言うことでもあり、注意が必要。
私は言葉は文化そのものだという考え方をしています。つまり、日本語がわからずして日本文化はわからないし、日本人でもないという考え方。それと、巷ではよく言われる言葉ですが、国際人。こんな人間は世の中に存在していないと考えていました。海外に出るとよく言われるはずです。お子さんは国際人に育つんでしょうね、とか。まぁ、お世辞だと思えば良いわけですが、本来国際人なんてのはいないんですね。海外に育ったところで、その国のその狭い地域のことしかわからないし、国際的な事がわかるわけがない。日本に育っても、その地域のことが多少わかるだけのことでしか無くて、日本全体を語ることだって出来ないでしょ?海外に育ったら国際人どころか、その国のことさえよくわからないし、日本のことなんか当然わからないし、わけのわからん中途半端な人間になるだけです。言葉だって両方とも中途半端でしょ。
つまり、海外で育つということに良いことなんかありゃしない、ぐらいに考えて真剣に教育計画を練る必要があると思います。
親がこの辺を理解していないと、子供が犠牲になります。日本語もわからん、英語も中途半端。その国のことも他国と思ってるからちゃんと理解しようとしないし、もちろん日本のことなんかまるでわからない子供のできあがりです。
それと、二世っていますよね。今でこそあちこちにいるけれど、かつて二世と言うとアメリカの二世、ハワイの二世、ブラジルの二世、そんな人たちだったと思うのですが、私の叔父がアメリカはシアトル生まれの日系二世で、私が産まれた時からその叔父の存在を見てきました。そして二世とは可哀想な人たちであるというように考えてきました。アメリカではジャップと馬鹿にされ、財産は没収され強制収容所まで入れられた。で、自分の血である日本に来てみれば、ろくすぽ日本語もわからないし、感性も価値観もアメリカ人だから日本人社会には入り込めず、変な外人と呼ばれるだけ。
俺って誰?
これって底知れぬ恐怖だと私は思うんですよ。アイデンティティの欠如ですね。自分がどこから来てどこへ行くのか、自分は誰なのか。これは人間の永遠の問いだとは思うのですが、少なくとも自分は日本人だとか、アメリカ人だとか、あるいはオーストラリア人だとか、自他共に認めるXXX人であるというのが非常に大事だと思うんです。これがないと人間の根本である自我がなくなるというか壊れるというか、なんと言えばいいのでしょう。浮き草のような気がしてくる。自分の居場所がない。帰る場所もないんですね。
こういう考え方を私は昔からもっていたので、オーストラリアへ渡っても子供達は自分は日本人であるというアイデンティティを絶対にしっかりと持たせようと考えていました。そしてそのとっかかりは日本語であるわけです。上に書いたように日本語無くして日本文化も日本人も有り得ませんから。
逆に英語に関してはなーーんも考えていませんでした。学校は現地校に入るわけですし、放っておいても英語は覚えるはずだと簡単に考えていました。それより日本語です。普段使わないのにどうやってそれを維持するか、これはかなりの努力が必要だという覚悟が必要だと思います。
で、こちらに渡ってきてから何をしたかというと、実はゲームでした。当時ですと、任天堂ですね。マリオブラザーズにしても何にしても、子供達は勉強は嫌いでも遊びなら好きですから、日本語のゲームをやらせたわけです。ファイナルファンタジーとドラクエ。この二つにはかなりお世話になりました。まず日本語がわからないとゲームを進めることが出来ないわけです。そして結構難しいから途中で止まる。どうして良いかわからない。そこで買って読ませたのが攻略本です。ゲーム好きの息子達は攻略本をボロボロになるまで読んでいました。これがうちの子供達の日本語の基本です。ウソみたいでしょ? www
それとテレビです。NHKの衛星も入れて、でもこれだけじゃつまらないのでレンタルビデオショップから日本のテレビ番組を借りて見せていました。ですから、1歳で渡った次男坊も、お母さんと一緒を見て育ちました。働く車ーーとか、いーとーまきまきなんて歌をもちろん知っています。逆にこちらのテレビ番組は全く見せませんでした。見せないというのはきっと語弊があるでしょう。子供達が全く興味を示しませんでした。日本のテレビのアニメやお笑いのおもしろさを知ったら、こっちのテレビなんかスポーツ好きじゃない限り見る物なんかないと私も思ってるくらいです。
そして、日本語補習校です。
勉強よりも、日本語でみんなでその短い時間過ごす、遊ぶというのが大事だと思いました。当然友達も出来て、話題も同じで、学校が休みでも一緒に遊びますし、親たちも知り合いますから、お互いの家に行ったり来たりで日本人中心の生活です。オーストラリア人の友達なんか最初は全くいませんでした。欲しいとも思わなかったようですし、それで良いと私も思いました。外国にいながらして生活は日本と全く同じようにしていました。ですから、Mother Tongueは日本語になりました。全く日本の子供と同じ日本語を話しますし、読めます。書くのは???ですが www
では英語で困らなかったのかと言うことですが、それも全く大丈夫でした。幼稚園から英語の世界に入ったわけですので、オーストラリア人でさえ所詮その歳ですから、難しい英語を話すわけでもなく、遊びの中で英語をどんどん吸収していったようです。
そして、家では絶対に英語禁止。絶対です。
現地校に進むに当たってそれでは困るだろうという考えもあるかもしれませんが、私はそれに関しては全く心配していませんでした。私にしてみると、英語はどうせいつかわかるはずだけれど、日本語が駄目になったら取り返しがつかないと思っていましたから。
ここで、その親の考え方の違いで子供に差が出てきます。
私の友人の中には、子供達が早く現地校に慣れるようにと、親もろくな英語がわからないのに家で英語を話すようにして子供達を英語漬けにする親もいました。私の逆ですね。で、そういう子供達がどうなったかというと、例えば私がその家に電話をしてその子供が出たとします。お父さんお願いします、というこんな簡単な話さえうまく通じない日本人の子供になってしまう。
オトサンワ エート デッカケテイマス
こんな調子。しょうがないんでこちらも英語で話すようなことになる。こちらが話す日本語はわかっているようですが、彼らの日本語はお粗末なんてものじゃないです。で、そういう家に遊びに行くでしょ。子供がそんな調子だからみんなで英語で話すんですが、その親を見ていて面白いのは、自分の子供が英語を話している姿を見てうっとりしていることがあるということです。
バナナって言ったら、それ発音が違うっていうのよ。バナーーナって言うんですってー
なんて嬉しそうに言うお母さん。この子供がどうなるか想像するのは簡単ですね。日本語補習校も最初のうちは来ていますが、低学年の内に追いつけなくなるのは当たり前で、大体その手の家の子は4年生前後で辞めていくのが普通でした。
確かにそういう風に育った子供達は英語がうまいです。我が家の子とは比べものにならない。うちの息子達は英語では苦労していたようで中学校でも論文があるでしょ。私もあれの手伝いをしたもんです。ただ高校生になると今度はこっちの英語が追いつかなくなって、助けようが無くなりました。
オヤジーー、そんな言い方おかしいでしょうがーー
なんてことをよく言われたものです。たまに馬鹿にされることがありましたが、お前が馬鹿にするこの親の英語に助けてもらって中学をどうにかやり過ごせたのを忘れるなよ、と脅かした事がありましたわ。それ以来、私や嫁が変な英語を使っても知らん顔しています。今では二人とも大学生で英語は全く問題ないように見えます。
というのは実はウソで、次男坊は高校の成績はかなり良く、QLDでいうOP1、その他の州でいう99.00以上だったものの、医学部系に進む子供達が受ける適性検査みたいなUMATという試験でボロボロでした。で、医学系を断念しました。この時には英語を甘く見ていたツケが回ってきたとちょっと反省しました。
良く海外で育つとバイリンガルになるなんて言われますが、私はウソだと思います。どっちも中途半端な子供に育つだけで、バイリンガルにするにはそれなりの教育をする必要があると思います。私の知人の子供で、彼女は中学卒業でこちらに渡ってきたのですが、日本でもかなり有名な進学校でしたし、日本語のレベルはかなり高く、大学はシドニー大学を良い成績で出た子がいるのですが、まぁ、私から見たら、完璧バイリンガルでした。ところがその子が望んだ道は通訳の道だったのですが、君の英語も日本語も使い物にならないと言われて相手にもしてくれなかったと嘆いていたのを思い出します。ま、そんな物だろうと思います。観光客のガイドぐらいならいざしらず、こちらで育ったからと言って英語と日本語を駆使してガンガン仕事ができるなんて、そんなのは妄想だと思います。
ま、そんなこんなで、うちの息子達の日本語を支えたのは
★ 家の中では英語禁止
★ ゲーム。そして攻略本
★ 日本のテレビ
★ 日本語補習校そしてその友達
これだと思います。
相談の中に書いてあった差別に関してですが、これはどうしようもならないですね。実は次男坊と昨日食事をしながらその話しになって、こりゃかなり根が深いな、と思いました。今、大学一年ですが、学校でも相手にされないと言っていました。白人は完璧にアジア人を下に見ています。特に白人の女性はどうにもならないというのは小さい頃から言っておりました。で、数の多い中国人は彼らで固まっていますし、日本人を嫌う様は白人以上ですし、マイナーな日本人のいる場所って無いんだよ、と次男坊は言っておりました。そして将来、自分はこんな差別が酷い国で絶対に仕事をしたくないと言います。長男もそろそろ卒業ですが、オーストラリアで働くなんてことは眼中にないようです。
長男次男とも小学校から高校まで一貫教育をする私立校に通っており、そこでは多くの友人がおり、親友といえる友達も多くいたようですが、大学に入ってバラバラになった瞬間、付き合いが途切れてしまい、オージーはそんなもんだよと軽く言う次男坊が可哀想でした。彼の友達の99%は日本人です。こちら育ち、あるいは留学生であったりです。これは私が彼らを日本人として育てすぎた弊害かとも思うのですが、現実的に差別は根が深いようです。
我々が彼らほどそれを感じないのは、なんだかんだ言っても日本人の多い世界にいるからだと思います。
では、彼らがこちらに来たことを後悔しているかと言うことですが、それは全く無いようです。苦労はしているけれど、その苦労がどれだけ自分たちの為になっているかは理解しているようで、逆に自分の自信になっているようです。もちろん私も後悔はしていません。
ただ、回りを見ていて面白いのは、こちらの高校を卒業してから日本の大学へ行こうとする子供が非常に多いことです。帰国子女枠でかなり名前がある大学にもすんなり入れるケースが多いこともありますが、こちらでの就職の難しさ、オーストラリア人の中でやっていく難しさを知っているのだろうと思います。子供がその年齢になると日本に引き揚げる家族も多いです。あるいは高校生の頃に子供だけ日本に帰らせる家庭もかなりありました。私の親友の家は、こちらで生まれた子供なのにこちらになじめずに、しょうがないので旦那をこちらに残し、奥さんと子供と日本に帰ったという例もあります。
海外海外って言いますが、実態はそんなに良いことばかりじゃないという事でしょうか。職場では特にそれがあると思います。日本人として渡ってきて、日本人として生きていく場所、職場なら大丈夫なんですね。ところがこちらで育ち、オーストラリア人と同じ土俵で働くとなると難しい。外人は外人なりの仕事を選ばないと駄目なのかも知れない。
日本からはこちらに来たいという若者が多く、こちらの若者は日本へ行きたがるというのが面白いですね。
こんな感じで宜しいでしょうか。私に相談してきた方。具体的に問題があるようでしたらご遠慮なく言ってくださいね。わかる範囲でまた書かせてもらいます。