シドニーの次男坊の「有給休暇が22週間ある」と聞いてぶったまげた

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年末、シドニーに住む次男坊夫婦に待望の赤ちゃんが生まれるので、時期を見計らって私達はシドニーに行くわけですが、その日程の話をさきほど、LINEで次男坊としました。

私達がシドニーに滞在するのもせいぜい1週間か10日ぐらいで、子供が生まれたばかりの彼らと毎日盛り上がることはありえないにしても、日程を決めるためにも、まずはサラリーマンの次男坊が「いつまで休みなのか、いつから出社するのか」を聞いたんですよ。

「いつからだと思う?」と聞くので、「1月の15日ぐらいか?」と答えたんですよ。それだって、日本の常識的にはありえない休暇の長さで、オーストラリアだから2週間ぐらいは休みをもらっているのかと思ったわけです。

ところがですねぇ、「3月の初めには出社しようかと思ってる」なんて、わけのわからないことを言い出す次男坊。

そもそもオーストラリアって「毎年4週間の有給休暇」があるのが普通で、それに「出産休暇」が男性にもつくのが法律で決まっているとのこと(私は初めて聞いた)。それが4週間。トータルで8週間の有給休暇。( ̄口 ̄∥)

ウソみたいですよね。ところがそれだけじゃなくて、次男坊が勤める会社(監査法人)の決まりで、「14週間の有給休暇がプラスされる」とのこと。つまり、2023年には「トータルで22週間の有給休暇がある」とのこと。これって「子供が生まれるたびに22週間休める」ということ。4週間の有給休暇は毎年ね。

これってまとめて取る必要はなくて、一週間に3日休むというような取り方も出来るらしい。つまり「週に2日だけ働く」なんてことを長期間やることも可能なんですと(要確認)。

こんなんで会社が成り立つって本当に不思議。それで給料は32歳なのに手取り1千万円超えという高さ(でも生活は楽だとは言わない)。なんだか全く違う世界の話みたいです。「冗談だろ?」ぐらいにしか思えず。

次男坊も長男も「日本に住む、日本で働くなんて考えられない」と昔から言いますが、こんなサラリーマンなら良いですよね。単身赴任も突如の転勤命令も無いし。

オーストラリアって毎年、進化しているのがわかる。私達がオーストラリアを出た2016年と較べても良い国になっている。でも物価も高いし税金も高い。ところが収入も多いのなら問題はないんでしょう。学生でもアルバイトをすれば新型iPhoneが買える国。若者がピカピカのベンツやBMWに普通に乗っている国。日本に遊びに行けば、何でも安くて万々歳。

なんで日本だけが取り残されて、なおかつ毎年悪くなるんだ?

私達家族が日本を出たのは1991年。もしあの時に、オーストラリアの永住権が取れなかったり、仕事の整理や資産の売却など、どこかで引っかかればオーストラリアに渡ることは出来なかったわけで、何の問題もなくスムーズにオーストラリアへ渡れたのは偶然にしては出来すぎのような気さえしてきます。もし、あの時に日本脱出ができなかったら、バブルの崩壊後の長い不況で私も倒産、あるいは小さな会社も閉めることになったはずだと思いますし、今頃、「もうこんなジジーを雇ってくれる会社もない」「あたしも」なんてことになっていただろうと本当に思います。

あの当時の毎日の出来事や、目黒の自宅を出てオーストラリアへ渡る日のこともはっきり覚えています。そしてオーストラリアに渡り、ブリスベンからゴールドコーストへ向かう途中、イタズラのためにわざと閑散とした広い(雨季は)湿地帯の荒野の中の一本道、周りに建物もなければ、すれ違う車のないような道を通って、「これがオーストラリアだよ。これからここで生きて行くんだよ」とヨメさんを脅かした時のことを思い出します(でもそれがオーストラリアの真の姿)。その日に初めてオーストラリアに来たヨメさんは何も言わずに、前を向いたまま、抱いていた次男坊をギュッと抱きしめ直したのを覚えています。(ヨメさんは、テレビで見る素晴らしいオーストラリアのイメージしか持っておらず、実際のオーストラリアの大部分は人も住めない乾燥した大地だというのを知らない)

日本人が考える自然豊かな土地は「濃い緑の地域のみ」。

ところがその道は海沿いの幹線道路に突き当たって、突然、目の前には広く美しい内海が広がり、多くのヨット、クルーザーが浮かび、モーターボートやジェットスキーが走り回っていて、まさにゴールドコーストという光景だったのね。その瞬間、ヨメさんも笑顔になって、私が「これがゴールドコースト。俺たちの住むところ」と言ったら、まだ三歳だった長男が車の窓ガラスに顔を押し付けたまま外を見て「ゴールドコースト。ゴールドコースト」とはしゃいでいましたっけ。

あの日から25年、今思えばあっという間でした。いろいろありましたが、今となれば全て良い思い出で、オーストラリアに渡って本当に良かった。しかしその25年のゴールドコーストの変化って大きかった。開発は進み、人も増えて、物価が上がるスピードも凄かったけれど、住む人達がどんどん裕福になっていく姿もしっかり見えましたっけ。そして私達が出たあとの6年もオーストラリアはまだ進化を続けている。

今、フト、二十歳の時に行ったアメリカを思い出しました。アメリカってとんでもなく裕福な国で、こんな国と日本は戦争をしたんだ?馬鹿だよなぁと本当に思いましたっけ。大都市、住宅地のすぐ横でも「石油の掘削リグ」が動いているんですから。

参照:はじめてのアメリカ生活

親戚がいるシアトルでのこと、世界的にも大きな運河を見に行ったんですよ。その運河は海と大きな湖を繋げていて、大きな湖のあちこちから大きなヨットやクルーザーが運河に集まってくるのね。そして運河に入って海に抜けていくのですが、目の前にある大きなヨットが気になりました。ちょっと太めのオバサンがデッキで日向ぼっこをしていて、息子たちが動き回って運河を無事に抜けられるように船の周囲を気にしているのを見ていたのですが、思わず、「あなた達はこれからどこへ行くんですか?」と大声で声をかけたんですよ。

すると「メキシコです。4週間の夏季休暇の旅です」との返事。

シアトルってアメリカの西海岸の北の端っこ。そこからヨットで南下してカリフォルニアを過ぎてメキシコへ?何千キロあるのかもわからなかったけれど、家族で大きなヨットに乗って国をまたいでバカンスに行くなんてのは、テレビか映画でしか見たことのない世界で本当に驚きましたっけ。どうして豪華ヨットを持てるのか、どうして4週間もの休暇を取れるのか、全く不思議なことばかりだと思いました。

その後、その大きな湖の湖畔めぐりをしたのですが、あちこちに大きな家が建っていました。そしてどの家にも桟橋があって、大きな船を係留していたのね。これが私が生まれてはじめてみた【ウォーターフロントの家】でした。当時の私はこういう家が存在することさえ知らなかったし、本当に驚きました。

またシアトルからサンフランシスコへ飛行機で向かった時に、窓から見える陸地にピカピカ光るものがあちこちにあるのがわかった。CAに「あの光るものはなんですか?」と聞いたら、「プールです」という答え。えええええええ?プールがある家がこんなにたくさんあるのか?とその時もびっくり。

当時1970年代の日本って、「実はかなり貧しかったんだ」「日本は発展途上国だったんだ」と思いましたっけ。

なんだか「負けた・・」「取り残された」という思いが強くて、絶対にこのままで終わりたくないと燃えましたね。日本人だってやればできるんだと。

この時の悔しさが私の深層に残っていたような気がします。だから日本に帰ってから、学生なのに起業したのも私の中に焦り、負けず嫌いがあったからでしょうね。そして胸の中にあったライバルは常にアメリカで、アメリカで見たあの豊かさが目標になっていたのだろうと思います。でも社会は甘くはなくて、七転八倒の若き時代を過ごしましたっけ。(笑)

そういう意味では、ゴールドコーストで長年の夢を実現させたとも言えるのだけれど、「負けたくない」とか「今に見ていろよ」というマイナスのイメージの固まりが自分のやる気の源というのは、実は悲しいことであるというのに気がつくのにかなり時間がかかったような気がします。結局、敵討ちに人生を費やした、背伸びをして生きてきたのと同じで、そこには達成感も無ければ、自分を褒めようという気も起きないのね。それどころか、本当に自分がやりたかったことって違うことじゃないかと思ったし、もしかしたら私は不幸なのかもしれないと思った。

でも時すでに遅し。もう50代の半ばを過ぎていました。(笑)

でもま、気がついたときは吉日で、そこをスタートに人生をやり直せば良いと思ったわけです。

だから今、マレーシアにいます。

計画通りに進むことなんかまるで無いにしても、でもオーストラリアに行くこともせずに、あのまま日本に残っていたら、長い不景気の中で私は経済的にはとっくの昔に破綻していたはずなのはわかるわけで、家族も崩壊していた可能性すらある。やっぱり「先が見えない道」でも、「何も見えない大海原」でも、チャレンジするって大事なのかなと思ったり。途中で野垂れ死んでもそれはそれで、何もしないよりは良いのかもしれない。

実は私がそう考えるようになったのも、バブルが弾けてから30年間の日本を外から観察していたからなんですよ。住み始めた当初はオーストラリアって実は経済的にもダメな三流国だと思っていたのね(オーストラリアは資源があるだけで、国内産業もダメで物価も安く貧乏な国だと思っていた)(ちょっと昔のマレーシアに近いイメージ)。でもオーストラリアに住んでいると、国民や政治家、官僚や公務員も、「皆で決めた目標に向かって皆で頑張る国」だと思ったんですよ。ああ、これが民主主義なんだと初めて理解しました。ところが日本は真逆で、「まず何も決められない」「決めたことでもやらない」「国民が選んだ政治家より力を持つ勢力がある」。

まさに「銀行管理になって、経理部が全てを牛耳る企業」と同じなのね。チャレンジもしない。チェレンジしようとする政治家が出てきても、それを潰す、邪魔もする。利権の存在も異常なくらい凄くて、だからいつも中途半端で「お金も中途半端な使い方をする」から【成果は出ない。お金は既得権益を持つ者に流れる。借金は増え続ける】という、ポンコツ車の抜本的な修理もせずに添加剤を注入して無理やりチンタラ走らせているような感じを受けます。

もしかしたら、日本の本質って「発展途上国と同じ」かもしれない。でも国民のスキルは世界のトップクラス。

マレーシアのマハティールさんが「日本を見習えとルックイースト政策を取った」けれど、日本って「先進国ではなくて、発展途上国がうまく育った例」として見ていたのかもね。

日本人は日本を「買いかぶり過ぎ」かもしれない。

やっぱりきっちりチャレンジをしないと~~~ > 財務省

「チャレンジのないところに何の発展もない」。これは私が日本から学んだことです。

オーストラリアから世界を見渡していると、どこもガンガンチャレンジをして未来に向かっているのが見えました。でも日本はグズグスするばかりで動けない。資産バブルを落ち着かせる為の政策で日本そのものの崩壊を招いてしまったし、リーマンショックの対応も間違えて、日本は長く暗いトンネルに入ってしまった。で、その元凶が「財務省・日銀」だというのもオーストラリアから見ていて気が付いたし、それが段々と確信になっていきました。世界基準とずれているし、海外に住む私は、きっと財務省+応援団のプロパガンダに毒されることがなかったからそう思うようになったのかもしれない。

私はこのブログで「高橋洋一教授」の話を結構だしますが、私は彼は変わっているなんて全く思っておらず、「世界の常識を話しているだけ」としか思えないんですよ。でも日本では彼は「異端」なんですよね。日本ではノーベル経済学賞を今年取った「バーナンキ氏」が無視されるのも同じでしょう。なぜなら彼の理論は「日本の財務省とは相容れないから」だと思います。

確かに頭脳明晰な財務省の人たちに言わせれば、「日本の政治家は馬鹿ばかり」なんだろうけれど、少なくとも政治家は国民に選ばれているわけで、その代表が「やる」ということは【国民との約束事】なわけだから、それを邪魔する財務省って何?

あのバカ達に任せたら国が滅びると思うのだろうけれど、国民はそれでもそのリーダーを選んだのだから、失敗しても良いと思うんですよ。国民がそのリーダーを選んだということは「国民がリスクを取ると決めた」のだから、「いやいや、それでもやめるべきだ」と横槍を入れる必要はないんじゃないですかね。横槍を入れるのなら、財務省の官僚も【国民による選挙という関門を突破する必要がある】んじゃない?

頭の良い人達かもしれないけれど、国民の誰が選んだわけでもない財務省官僚に日本の将来を預けたくはない、と思うのが国民の本音じゃなかろうか。

主権在民とはどういう意味なのか、私は財務省のおエライサンに聞いてみたい。

日本が世界の発展に置いていかれているのは、絶対に国民のせいじゃないと固く信じている私。

日本の権力構造がそうなっているのね。

あの中国ですが、「共産党が憲法の上にある」と自らはっきりさせているのだからまだ良いと思うんです。でも日本には【国民も政治家もコントロールできない権力が一番上に鎮座している】のね。そしてその権力者を誰も意識していない。そんなものは無いと思っている。だから「自分たちが選んだ政治家」が権力を握れば、望む方向へ日本は変わっていくはずだと皆が信じている。

日本の民主主義は「勝ち取ったものではなく、真似したもの」だというのが良く分かる。だから国民不在の状態でどんどん話が進んでいく。

今の岸田政権だってそうじゃないですか。私はあの政権は「財務省の下僕」だと思っています。でもそもそもバックグラウンドの宏池会がそうなんですよね。中国にも韓国にも甘い宏池会は歴史的に何も変わっていない。だから岸田氏が総理になる時に、私はヤバいことになると何度もブログに書いたわけです。「安倍さんの意思を継ぐ」なんてのは大嘘だと。意思を継ぐどころか、安倍派つぶしを積極的にやったのが見えるじゃないですか。旧統一協会問題もそれに利用したし、でも結局はブーメランとなって、私にしてみると「ビジョンもないどうしようもないドジな男」として思えません。

しかし、日本がいろいろな意味でオーストラリアに抜かれて随分経ちますが、まさかこんな差がつくなんて想像もしませんでした。それどころか、私は「オーストラリアは遅れた貧乏な国」だと思っていたんですから。

オーストラリアみたいに働く側に取ってこれほど幸せな国って私は他に知らない。でも雇う側にしてみれば、とんでもなく難しい国だろうと思う。だから同じようなことは、「官僚主義」「大企業優先」の日本では絶対に起こり得ない。

でも選んだ政治家に任せるんじゃなくて、国民が自分たちが立ち上がって権力を持てば日本は変われることに国民はまだまだ気がついていない様子。

ところが日本を根本的に変えようとする動きが全く見えないわけでもなくて、若い人たちが中心に頑張っているのが見えます。ジジーの私は自分では何もできないけれど、彼らを支援することぐらいはしたいと思っています。

年寄りが「逃げ切り」を考えるようじゃ日本は本当に滅ぶと思うから。

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