大阪から伊勢へ

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伊勢に向けて出発しました。目的は伊勢神宮の参拝です。

大阪から伊勢に行くにはどうしたらいいのか。調べてみると意外に面倒なんですね。東京ってのは東京を中心にしてどこにでも行きやすいようになっていますが、その感覚は関西では通用しないと思いました。

私鉄に乗り換えたり、その私鉄の駅が不便なところにあったり、面倒くさいなぁという感じを受けます。

関西のチャット友達に聞いたところ、近鉄の周遊切符が良いとのこと。乗るのは難波から。でも大阪を知らない私には、難波がまずどこにあるのかわからない。地図で見ると、どうもそこまで行くのも面倒な感じ。大阪駅からJRに乗ってどこかで一度乗り換えれば良いとか、そうは簡単じゃないんですね。

伊勢へ行ってからの行動を考えますと、荷物が多い事(3週間分)、行きたい場所が点在してる事、天気が悪かったらアウトであることを考え、レンタカーにしようと思いました。

インターネットで調べてみると、マツダレンタカーとかジャパンレンタカーで1週間だと安い設定があるのを発見。それも小型車にしました。軽じゃやっぱり嫌なので、スズキのスイフト。これは実は私が好きな車で、次男坊にもそれを強く奨めて買ってやったくらいです(ちなみにその時もクレジットカードで買ってマイルを稼ぎました)。

大きなスーツケースとガラガラ引っ張っる中型のスーツケース、そしてリュックサックなどを詰めていざ出発。

レンタカーにはカーナビも着いていて、全く知らない場所にでも簡単に行ける。ただし、カーナビが古いので新しい高速道路が載っていませんでした。このために、わざわざ大きく迂回させられたこともあるので、注意が必要。

伊勢のホテルも楽天トラベルで取りました。最近のホテルって結構いいですね。昔、仕事で出張に使っていたのはいわゆるビジネスホテルで部屋も小さい、小汚いところも多かったのですが、最近は都市ホテルに近いものでも料金はビジネスホテルみたいな感じで、時代は変わったなぁと思いましたっけ。

で、伊勢神宮。伊勢神宮の正式名称は「神宮」だそうです。さすが本家。

まずは外宮から、そして内宮へ。そこからほとんどの人は行かないと言われている、ちょっと離れた外宮の伊雑宮へ。

外宮の中
外宮の中。静かで神聖な雰囲気がありました。


五十鈴川です。きれいな流れでした。


階段上が内宮の本殿。

私がなぜ伊勢神宮参拝を考えたのかですが、まぁ個人的な宗教観の話になりますが、一応書いておこうと思います。

このブログをお読みの方は私の価値観、性格ってちょっと変わっているというのに気がついておられると思いますが、実は宗教観に関しても同じで、巷で常識と思われている事を常識だとは全く考えない性格なのです。昔から教えられている事、本に書かれている事、あるいは宗教家が言う事も私は一切信じません。自分がこの五体、感覚全てを動員して、一体何を感じるのか、何が見えるのか、何がわかるのか、それだけを重要視します。

ですから、伊勢に関しても、本に書かれている事、一般の人が考えているのとは全く違うとらえ方をしています。

また、私は子供の頃から神の存在を信じていまして、神とは言えないまでも何か目に見えない物が存在しているのをうすうす感じる事が結構ありました。また、そのような未知のもの、エネルギーとでもいうしかありませんが、そのような物を感知し、研究するのが私の一生を通した趣味でもあります。あえて趣味と書きましたが、これの本質を理解するのが私の生き甲斐、唯一の人生の目的でもあると言っても過言ではないかもしれません。

で、伊勢ですが、ここにどの神さまが祀ってあるかとか、そういうものも一応調べますが、まるで興味がないのです。内宮に至っては天皇家の祖先ということでありますが、これは私には歴史的にはつい最近の事でしかないのです。内宮も外宮も何もない大昔、どうしてここに日本の神社の元になるようなものが建てられたのか、この地にはそもそも一体何があったのか、そしてきっと一番最初には小さな祠が建てられたのでしょうが、それは一体何を目的として誰が建てたのか、そんなことに興味があります。

まぁ、私は歴史に関してもめちゃくちゃな考え方を持っておりまして、歴史書というのはその時代の施政者(勝ち組)が勝手に自分に都合良く書いた物だとしか考えていません。事実は全く違うところにあると思っています。でも書き残された物がそれしかなければ、それを事実として認めるしかないのでしょうが、そこに書かれた内容から裏読みをしてみるとか、例えば歴史書の中であえて悪く書かれている人物は、その時の施政者の政敵であった事が多く、もしかしたら本当はその悪く書かれている人物こそが歴史としては残った方が世のためになったかもしれない人物であった可能性もあるぐらいに思うのです。

私は歴史学者でもなんでもありませんから、そのように、あることないことを勝手に想像して楽しんでいます。で、真実はなんなのか、それを知るのは自分の感性だろうと思っています。

で、伊勢では何を感じられるのか、それが今回の私の最大の楽しみでした。

宗教がらみの事をネットでいろいろ調べているときに、ある人のHPを見付けました。その人はまぁ、なんというのでしょうか、オカルトとバカにする人もいるでしょうし、超能力者だとはしゃぐ人もいるでしょうが、まぁ、ちょっと興味深い事を書いている人でした。その人が書いている事は歴史書を分析して書いているのではなく、彼の特殊能力(あるいは錯覚)を通して見えた事、感じた事を元にして書いてある、まぁ、一般的には眉唾ものと無視される類のものかもしれません。でも私は彼の話の中に、満更ウソでも無さそうなものを感じました。

その人のHP。←クリック

で、彼曰く、伊勢神宮の内宮に巷の人は良く行くし、内宮こそが伊勢神宮だと言われるけれど、実は伊勢の中心は外宮であるという主張をしています。そして、もっと時代的に遡ると、伊勢の始まりは伊雑宮(外宮、内宮から結構離れています)であると。


ここが伊勢神宮の原点だとの説あり。普通の住宅街の中にある小さな宮です。


これが伊雑宮の本殿。

また、私は神さま大好き人間で、神を求めて修行をしたり、勉強したりする時期も過去にありましたが、彼は、神は自分の中にいると主張します。その内在神こそが自分にとって大事なものであり、神を外に求めるのは大間違いだと言っています。これには私もハッとすることがありまして、彼の書く物を読みあさったりしました。

で、その内在神の故郷は伊勢の外宮であるというのです。


右奥が外宮の本殿。中を写すのは大変失礼なこととされていますので、斜めからパチリ。

正直なところ、私にはそんなのは理解の外でしかありませんし、そんな事を信じるわけにも行きません。でも、内在神の存在を強く意識しだしてみると、ウソか本当かはわからないにしても、その内在神のお里帰りをしても良いのではないかと思いだしたのです。ですから、お伊勢参りは私の為ではなくて、私の内在神の為のお参りという事で行こうと思いました。

で、私としては本当に内在神が存在すれば、故郷である伊勢を訪ねれば内在神の源、あるいは親みたいな存在に会えた事を喜ぶであろうし、またその喜びはなんらかのエネルギーとして私が感じる事ができるのではないかという期待もあったわけです。

とはいうものの、神であるならきっと時空を越えた存在であろうし、わざわざある特定の場所に行くなんて必要もないはずでしょうが、あえてその内在神の宿っているこの私の身体がその場所へ一緒に行くというところに何か価値があるような気がしたのです。

って、ぶっとんでる話でしょ? ^^;

こんなことを結構真剣に考えるんですよ、私は。変人でしょ?

で、伊勢参拝をして何か感じたのか?

その答えは・・・

なーーーーーーーーーーーーーーーーんも感じませんでした。

これがオチです。

でもこれは、きっと期が熟していないのだろうと勝手に考えています。内在神のお里参りですが、内在神がいるのかどうかもわかりませんし、いたとして、伊勢参りをどう感じているのかもわかりません。

でも伊勢であちこちお参りをしながら、「内在神をお連れしました。」とだけ挨拶し、私は横で内在神の邪魔をしないように静かにしているようにしていました。

外宮も次の日にまた行ったのですが、朝早く行くと面白かったです。まだツアーが来ない時間に行きますと、黒いスーツを着た怪しげな人達が目立ちました。あるいは白髪で杖をついた老人が、若くて綺麗な秘書みたいなお付きと一緒に来ていたり。彼らの参拝の仕方は我々が知っているような単純な二礼・二拍手・一礼ではなくて、それこそ密教の印を結ぶような手の合わせ方で、まか不思議な祝詞をあげていました。

私の非常に興味ある世界ですが、遠くから見ていただけにしました。

ツアー客はツアー客で、なんというか信仰心なんかまるでなくて、単なる観光なんですね。ガイドさんも冗談を言いながらみんなでケラケラ笑いながら歩いていましたっけ。

参拝の後はお決まりのおかげ横町散策です。古い町並みがあって、これはこれで面白かったです。



近くの商店街、おかげ横町を散策。

歩くのに疲れてちょっと休憩をしたお店が良かったです。古い家屋を喫茶店に改造した店で、裏には五十鈴川が流れており、良い雰囲気でした。私は子供の頃からどうもコーヒーが飲めない(苦くて駄目)なのですが、ここで飲んだコーヒーは美味しかった~~。ケーキも美味しかった。


良い雰囲気でしたよー。落ち着いた感じだったし。

また、昼食でこれまたお決まりの伊勢うどんとやらを頼みました。出されたうどんを見て、その色にびっくり。これですよこれ。


お伊勢うどん。



混ぜたらこんな色。

混ぜるとこの色。でも味は色ほど濃くはなく、でもかといって美味しいとも思いませんでした。うどんそのものは昔の関東のうどんに似て、柔らかかったです。

最後にちょっと変な経験をした事を書いておきます。

二日目にまた内宮へ行ったときの事。参道を歩いていますと、どうも右の林が気になって立ち止まりました。そちらを見ると大きな木が一本立っている。その木が私を呼んでいるような気さえしました。

で、何気なくカメラを向けるとびっくり。そこには顔が見えるではありませんか。あのロードオブザリングの映画に出てきた木の精霊と同じ顔です。カメラを離して木を見ても、顔には見えないんです。位置が違うのかと思ってしゃがんでみたり、左右に動いてみても顔は見えない。ところがカメラをまた構えると顔に見える。で、パチリ。


顔に見えませんか?

それに上の方の白いもやもや。なんなんでしょうね、これ。内宮の参道を入ってすぐ右にこれがありました。お寺で言うところの仁王像かな、なんて思ったり・・・・。

私を歓迎してくれたのか、それとも怒りを表しているのか。

ところで、上の方に紹介したある人のHPですが、結構面白いと思います。ただ、読んでいてわかる事として、そこに集まる人達の中で彼こそが真実だと心酔しきっている人の存在が見えてきます。で、彼の教えを素直に実行しようとする。

まぁ、それぞれの勝手ですからどうでもいいのですが、ただ私にわかることは、私自身には真実が見えないってことなんですよね。もしかしたら彼には見えているのかも知れないけれど、それは彼に見えているだけの事で私には見えない。

そうやって自分にはわからないのに、誰かを信じるって事は、今まで通り、昔からの宗教を疑うことなく信じたり、新興宗教に没頭したりするのと全く同じじゃないかということ。

素晴らしいと思うものを信じるのは良いけれど、それは自分が勝手にそう思っているだけで、本当は自分には何も見えていない、何もわかっていないという事実をはっきり認識するべきだと思いました。

自分には真実を見る事が出来ず、真実が見えるという人を選ぶ事、そしてそれを盲目的に信じる事しか自分には選択肢がないのが悲しいと思いました。

いつの日か、たとえ錯覚でもいいから、これだ!!というのを自分の五体と感覚と頭脳、全てをもって確信してみたいものです。

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