薄氷を渡る思い・・

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次男坊の大学院(ビジネススクール)入学が決まったのは良しとして、来年どの程度の出費になるのか早速調べてみた。

学費は2年間で5万ドル弱(留学生は約7万ドル)。これは予想していたより低い。ただ意外だったのが寮費。長男がそうであったように最初は寮を利用した方が良いと思う。次男坊は家から出て住んだこともなく、また慣れない大都会で友達も知り合いもおらず、大学の授業が始まればすぐに猛勉強しなくてはならないのは見えているので、寮の方が3食付きだし、学校の敷地内にあるし何かと都合が良いように思える。

で、これの費用が週450ドル。怖ろしい・・ (T.T)

我が家の新居が3ベッドルームで週600だというのに、小さなワンルームでいくら食事付きと言えども週450ってないんじゃなかろうか。長男のいるメルボルンは物価が高くてびっくりしたけれど、シドニーはメルボルンより上を行ってる。その他生活費を考えると週700は越えるだろう。年間36400かぁ。凄い。

あーーあ、こんなんで我が家はやっていけるんだろうか。

留学生はあちこちにゴマンといるけど、留学生は授業料も高いし(旅費もバカにならない)きっと総額で5割り増しにはなるんじゃなかろうか。でもそれでもアメリカに比べるとオーストラリアは格安だと言う。もう何年も前になるけれど、子どもをアメリカに留学させた場合を想定して試算したことがある。あるネイビーリーグの私立校だけれど、最初の一年の学費と寮費、学校への支払いだけで当時8万ドルだった。まぁ、今なら米ドル安だけれど、かつて日本からアメリカに留学させると卒業までに片手(5000万円)は掛かると聞いていた。冗談だろと思っていたけどその数字も満更ウソじゃなさそうで、私はその学費+寮費を見てこりゃ駄目だとすぐに諦めた。

以前このブログでもオーストラリアへ留学させるとどのくらいかかるかという質問を受けたことがある。オーストラリアは格安とは言いながらやっぱり年間5万ドルでは足りないはず(もちろん学部、大学による差は大きい)。大学院はまだ高いし、MBAとなると10万ドルでも足りないかもしれない。

お金の話ばかりで申し訳ないけれど、逆にこれが現実であることはあえてこのブログでちゃんと伝えたいと思う。

子どものやりたいことはやらせてやりたい。でも、親としては薄氷の上を歩く様な気持ち。家計が破綻するようなことはないと思うけれど余裕なんかなくて不安は一杯。

一般的なオーストラリア人の子女は前の日記に書いたように、Fee-Helpという国の援助を受けるのが普通。親は一切金は出さないという家庭も少なくない。子どもが自分で借りて学校へ行き、自分で返す。だから大学で遊ぶなんて事はあり得ないんだろう。また都会に行きたい学校があっても生活費が高いから地元の、あるいは田舎の学校を選ぶ子女も多い。

オーストラリアでは日本のようには学校差がないと言われている。どこの田舎の小さな大学を出ようと大都会の名門校を出ようと、大事なのは成績だと言われるのが普通。ただやはり人気のあるなしはあるわけで、希望が集中するような学校は当然入るのが難しい。では誰でも入れるような大学はどうかというと、入れても出れないということが起きる。ここが入るのは簡単、出るのは大変といわれる所以だろうと思う。

一つの例として面白いのがThe Australian National University(ANU)という国立大学がある。オーストラリア唯一の国立大学。ここは大学の世界ランキングでは上位に出てくる学校でオーストラリア国内でもトップと言われている。日本で言う東大。しかし、場所がキャンベラという国の首都ではあるものの辺鄙な都市にあるせいか学生には人気がなく、そこそこの成績なら入れてしまう。ここが面白いところで、入れるからと喜んで入るとその手のレベルの子女は卒業ができないといわれている。またこの大学はリサーチ系が強いから一般的ではないのかもしれない。

やはり人気が集中するのはメルボルン大学であり、シドニーのニューサウスウェールズ大学。その他各州に一つずつ有名校がある。ここら辺は入るのも大変で、大学は簡単に入れるんだってねという話は通用しない。これらは州立大学で、オーストラリアの大学はほとんどが州立。私立大学はかつては存在せず、次男坊が行っていたゴールドコーストにあるボンド大学がオーストラリア初の私立大学のはず(アホでも入れるけれど優秀なのは優秀。ビジネスとロースクールは有名)。今は全土で私立大学は2校しかない。

大学院を含めて専門性を考えると、大学によって得手不得手もかなりはっきりしていて、同じ学部でも例えば有名校は世界的に有名なビジネススクールを持っており、当然教授陣も一流のが揃っているから一般学部でもそれが関係し、大学差がないことはないとも言われる。それは調べてみると確かにあるようで、大学差がないと言われるものの大学での企業の求人の様子が違う。例えばメルボルン大学の就職説明会では一流企業がずらーっと並んでリクルートに来るが、そういう姿は他校には珍しく、大企業がリクルートに来ない大学も少なく無い。これは大学院になると顕著で、大学差ははっきり出てくるらしい。またMBAであるとかLAWスクールならここというように良い学校は?と問われれば特定の大学の名前が出てきて、日本のようになんでもかんでも東大というようなことは無い。

もうわかりきっているだろうことを書くけれど、オーストラリアの実社会では学歴は日本のような考慮のされかたはなく、あくまで経験、実力がものをいうのは間違いがないようす。だから新卒は将来性があるものの実際には使えないわけで、かなりインパクトのある学生でない限り優良企業への就職は難しいと言われている。

また私が見ていて面白いと思うのは、初任給が結構高いということ。その代わり日本のように中堅になるとグングン上がると言うことはない(今の日本は違う?)。また年功序列は皆無で歳と共に収入やポジションが上がることはなく、転職を切っ掛けとして上のポジション、上の収入を狙うのが普通。一般的には平均転職回数は一生の内5-6回と言われている。

また企業の中で不思議に思えたのは、上司は部下に仕事を教えることがないというか、良く日本で言われるように仕事は盗んで覚えるのが普通のような感じがする。これは若者をトレーニングしないという意味ではなくて、いわゆる中堅の話。仕事を教えると自分のポジションが危なくなると言う話は良く聞く。また仕事を覚えると転職してしまうとも言われる。部下が明日の競争相手になるのは日常茶飯事なのかもしれない。

それとこれは素晴らしいと思うことは、誰でもいつでもチャンスがあるということ。例えば日本では大学に入るのに一浪、二浪したなんてのはあるが30過ぎて大学に行くなんてのは珍しい。でもこちらでは勉強したいと思ったら行くのが大学で、高校を出たから大学に行こうという考え方は皆無と言ってもいいかもしれない。大学は国の補助を受けたにしてもお金が掛かるので、まずは高校を出てから就職してお金を貯めようという若者はたくさんいるし、社会に出てから自分が進みたい方向がはっきりしたとか、上を目指すには専門性が必要だとか、そう思ったときに行くのが大学であり、また大学院だということ。そして社会も企業もそれを受け容れる。

学校のことを書き出したついでに書いておこうと思うけれど、前にも書いたようにこちらの大学は3年で卒業するのが普通。日本やアメリカのように教養課程がなくすぐ専門分野を勉強する。この教養という点で日本と考え方が違うと思うのは、中学高校でも幅広い知識を教えるという感じではないということ。自分の子ども達を見ていてびっくりしたのは、例えば世界史の授業だとしても何年にどこで何が起きたかなんてことはほとんど教えない。その代わり、一つのことを掘り下げる。子どもが中学の時だったか、こちらでは○×式のテストというのは少なく、中学でも論文が中心。で、私に手伝ってくれと言われたのは、中世の武器に関することだった。いわゆる鉄の鎧を着ているあの頃に大きな投石機とかあったわけだが、その投石機に関する論文だった。

またこんなこともあった。「貴方がアメリカのジョンソン大統領だとしたら、ベトナム戦争をどうしたでしょうか?」という課題。これが中学生の社会科の宿題。子どもにしてみると、ジョンソン大統領って誰?ベトナム戦争って何?というところから出発し、何から何まで調べてその問いに対する自分の答えを出さなくてはならない。もちろん正解なんかある問題じゃないわけで、なんといえばいいのかなぁ、こちらの学校って物を覚えさせようとするんじゃなくて、いわゆるプロブレムソルビングとでもいうのか、問題点を探し出して、それの解決策を見付けるというようなことを繰り返し繰り返しやらせているような感じがする。極端な言い方をすれば知識を増やすのではなくて頭を良くする勉強とでも言えるかもしれない。

これに気がついたときにはさすが~~と思いましたよ。実社会で必要なのはまさにそれで、問題点の抽出とそれの解決。これの繰り返しなわけですから。ただし、その代わりこちらの若者は物を知らない。バカじゃないかと思うくらい何も知らない(うちの息子達も同じ)。日本なら誰でも知っているようなことを知らない。上に書いた歴史にしても広く浅く勉強することがないから、知らないことは本当に何も知らない。そういう点では日本の学生の方が一見、頭が良さそうな感じがする。

ただよく言われることだけれど、日本の学生は「それを習っていません」ということがあるらしいがこちらの学生はまずそういうことは言わない。知らないことを知るのが勉強だし、そもそも知らないことの方が多いんだから(笑)。でも逆を言えばこっちの学生はオタク系とでもいうのか、詳しいことは異常なくらい詳しい。掘り下げた勉強をさせるからそうなるのも当然だろうとは思う。また前に聞いたことだけれど、世界の学生が集まって英語の討論会があったときの話。日本の学生の英語力は素晴らしい物があったらしいけれど、「何を話したらいいのかわからない」という子が多かったと。こちらの若者は放って置いたら言いたいことを言い出して止まらないのが普通で、おまけにそれを自信たっぷりに話す(うちの息子達も同じ。生意気に見える)。これも中学時代から討論に関してはかなりしつこくやらされるようで、人前で自分の意見を論理立てて説明、聞き手を納得させるというのは学生の一番大事な能力とされている様子。ま、それがディベートの原点なんでしょう。

これは大人も同じで、しゃべり出すと止まらない(笑)。言いたいことを言う。この点、日本人との差はかなり大きいと思う。逆に自分が何を考えているのか、自分の意見はどうなのか、それをはっきり出せない人はバカ扱いされる。無視される。これは企業内でも同じで、出る杭は打たれるどころか、出ない杭は抜かれると言っても大げさではないと思う。だから日本人から見ると自己アピールが半端じゃない。大げさ。俺は何でも知っている何でも出来るぐらいのことは平気で言う(笑)。

でもここも実は微妙で、アメリカ人とオーストラリア人とはまた違う感じがする。私から見るとアメリカ人の方が単純に思える。唯我独尊という言葉はアメリカ人のためにあるんじゃないかと思うくらい(いつも偉ぶってるし声も態度もでかい(笑))。オーストラリア人はやっぱりイギリスの血を引いているのだろうか、自分を出すことは出すのだけれど、出さないところは出さない。その辺が私には難しく感じるところ。

面白い話がある。例えばディナーショーを見に行ったとする。アメリカ人はウエイターにチップをはずんで良い席を取ってもらおうとする。ところがイギリス系はこれをやらない。これは卑怯な行為という見方をする様子。お金を出して自分だけ優遇してもらおうというような態度がはっきりした場合、わざと酷い待遇をすることもあると聞く。オーストラリア人は平等であることをかなり意識するようでフェアーであるかアンフェアーであるか、そういう言い方をよくするし、その言葉が日常会話に頻繁に出てくるのが面白い。女性の口癖であるIt’s not fair!!というのとは違う意味ね(笑)。

それとこれに気がついたのは近年なのだけれど、日本人と付き合っていて感じたこと。日本では頑固と自己主張が強いのは同じ意味にとられるケースが多い。オーストラリア人は頑固と自己主張が強いのは全く別もので、頑固は頑固であって自己主張が強いから頑固であるとは言えない。言うことは言うけれど他人の言うことも良く聞く。ところが日本では自己主張をすると頑固者だと断定することが多い。とにかく自分を出してはいけない世界と、自分を出すのが当たり前の世界の大きな違いがここにあると思う。日本人はディベートが出来ないと昔から言われるのはこれが原因だと思う。

私はここは非常に重要な点だと思っていて、頑固=自己主張が強いという考え方は絶対に捨てるべきだと思う。頑固は良いことだとは決して思わない。事実を事実として見ようともしない、他人の意見は聞かず、常に自分が一番というのが頑固者。でも自己主張は自分が何を考えているかを出すという意味であって、それに固執しているということではない。そういう意味での頭の柔らかさが日本人には欠落していると私は思う。ただ、最近の日本の若者のディベートを聞いているとそれは変わってきていて欧米風になっている感じも受けた。これは私としては嬉しいし、将来が楽しみ。柔らかい頭を持って他の考えや価値観に耳を傾けつつ、自分の主張はしっかりする。これが私は人間付き合いの基本中の基本だと思う。

ま、毎度の話しながら話はどんどん広がってしまったけれど、オーストラリアの学校、教育、社会には日本とは違う上に書いたような傾向があると思う。ただもちろんこれは私がそう感じるだけであって、オーストラリア人自身が、いやーー、そりゃ違うよということもあるとは思う。

久しぶりに長いのを書いた~~。え?いつも長い?わかってますよ、ヘヘンッだ!

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