村社会

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数日前の日記に海外の日本人の村社会に関して書きましたが、この手の話ってみんな結構考えているはずなのに口には出さないんですね。そんなこともあってコメントも付かないだろうと思っていたのですが、コメントも頂戴したり、秘密コメント、メールも頂戴して嬉しかったです。

まぁ、似たような経験をした人、そういうことに過剰(?)に反応する人なのだろうとは思いますが、そういうことに無頓着で、遠くから見ているだけでも無防備な人がいるのがわかるし、一人で舞い上がっている人も散見できるので、大丈夫かなと他人事ながら気になります。くだらないことで帰ることことになったり、村八分にされるなんてことは結構ありますから。

私はまだマレーシアに住んでいませんが、情報交換の場はいくつかあってそれに参加しているだけの状態。

そんな私でももうマレーシアの日本人村社会の怖さを数度、一度じゃなくて数度ですよ、すでに体験しました。

私の性格は読者の方々はおわかりになるでしょうが、言いたいことは言うタイプです。我慢、泣き寝入りはしません。それって日本人的ではないわけですが、私としては私みたいなのが世界の標準だろうと思っています。(笑)

ゴールドコーストでもそうですが、特に欧米人は自己主張が強いですしそれは決して悪いことではなくて、自分の意見を持たない人は完全に無視される社会だと私は思っています。また、英語も出来なくて良いという人は少なくありませんが、英語もろくにできないとその英語のレベルで人間性を見られるのも事実で、バカにされてのけ者になることも決して少なくないはずです。

でもニコニコして和気藹々な場面は多いですが、それって彼らはこちらを仲間だと思っていないってことだと私は考えています。いわゆる、お客様、旅行者でしかないんですね。どうでも良い存在だから言葉がろくに出来ない、意思の疎通が計れなくてもチヤホヤしてくれるだけでしょう。(このことに関してはいつか書きます)

個人的に仲良くなればそんなこともありませんが、言葉だけではなくて、日本人の美徳と言われる行動パターンが逆の効果になるケースは決して少なくないと思います。

そういう経験をする日本人は少なくありませんから、そして私がそうであるように、やっぱり心のヒダヒダまで分かり合える外人ってそうそういませんから(どういうわけかインド人、東欧の白人とは話が通じることが多い)やっぱり日本人との付き合いが増えてきてしまう。

外国に住むには不安が付きまとう。ましてや言葉も習慣も何もわからないとなれば日本人社会に頼ってしまう。そしてそこで村社会が形成されるし、外と内は違うという大きな壁を持つ組織やグループが出来上がるんだろうと思います。

私が経験したのもそれで、悪気があって何をしたわけでもありませんが、事実は事実として話していたつもりが、私がそのコミュニティーを破壊する目的で参加していると決め付ける人が出てきました。そしてダボ排斥運動が始まったのです。

正直びっくりしましたよ。こんなことが有り得るのかって。ま、排斥運動といっても一人が騒ぐばかりで誰も乗ってきませんでしたが、SNSにはっきりダボを追い出せと書かれたことには本当に心が痛みましたし、一生忘れることはないと思うし、その騒ぐ人に相乗りする人はいなかったものの、それを停めようとする人もいなかった。ここが一番の問題点で、これって最悪のパターンだし、マレーシアの日本人村社会はそういうものだという固定観念が私の中に『完璧に』出来上がりました。私と真の友に将来なるであろう人などここには存在しないと思いました。

また私自身がターゲットにならずとも、公の場所で個人がターゲットにされた事件にも何度か遭遇しました。あいつはこういうことをするやつだ、追い出せと書く人が出てきたのですが、なんとそのケースではそれに同調する人が続々と出てきたのですね。

そんな危険なやつは追い出せと、事の真偽を見極めるでもなく、追い出せ、無視しろ、とまさに魔女狩りの様相でした。それなりに影響力がある人が何が言い出すと、それに右へ倣えをする人が多く出てくる。

その盛り上がりに私一人で反発しましたが、そういう盛り上がりを止めようとする人って決して多くは無いんです。最悪だと思います。ただ、下手にターゲットの肩でも持とうものなら、あるいは落ち着いてまずは真偽を確かめるべきだという程度でも、ヒステリー状態の人にはターゲットと同様に映るのでしょう。利口な人はそれを知っているから誰も口を出さないまま、魔女狩り、リンチはどんどん進んでしまいます。

不安があるから仲間を作るし、海外だからこそその仲間との付き合いは深くなるし助け合いもどんどん増えて付き合いの密度も上がる。これって不安がそうさせているだけのことで、だからもし万が一その不安を増長させるような事が起きると集団ヒステリー状態になるのだろうと思います。昨日まで仲間だった人を突然みんなで叩いて追い出そうとします。

私は日本人ですし、日本人社会そのものは嫌いじゃないし、団体として行動しなくてはならないケースは決して少なく無いし、私は日本人会に入るのも行事をお手伝いするのもそれは自分の義務だと思っています。何もしなくても会費だけでも払うだけでも会は助かるはずなんです。

でも何かが起こると村社会が首をもたげて動き出すんですね。

ある女性を皆が排斥しようとしたときに私が主張したのは、上に書いたように日本人にとって日本人会や日本人社会というのはそれなりに存在意義があるし、それに参加する意味もあると思っていますが、そういう組織の中で、あるいは日本人グループ、日本人社会から村八分にされたらその人はどうなるか考えてくれということでした。これって死刑宣告に非常に近いと考えても良いと思います。

騒ぐ人たちはそのターゲットを日本人社会から抹殺しようとして騒ぐわけですから、ターゲットはたまったものじゃありません。場合によってそこに住んでいることさえ、仕事をすることさえ出来なくなります。でも騒ぐ人たちはそれを狙って行動するわけです。

この事件に関しては私は傍観者でいることが出来ず、その女性とも連絡を取りましたが、誰が良いとか悪いとか決めるのは難しいことで、片方だけに非があるわけではないのはすぐにわかりました。彼女は電話の向こうで泣きながら「死にたい」と言っていました。どういう理由があろうと、大の大人を泣かして死にたいとまで言わせるほどに追い込む必要がどこにあるのか、それが助け合いを目的としたグループがやることなのか、私には理解が出来ないことが起きています。

ただ、こういうことが頻繁に起きるとは思っていません。でも忘れた頃に大きな事件がポツリポツリと起こる。そういうのを見聞きしているとみんな利口になるんですね。余計なことは言うまいと思うし、いわゆる見ざる言わざる聞かざるになっていく。そして、どうでもいいことで変に盛り上がって仲良しグループが楽しく遊んでいるような雰囲気に持っていくんですね。大事な話より、楽しい話が中心に動いていく。しかし楽しそうだけれど実は目は笑っていない、そんな状況のように感じます。

そして完璧な村社会が出来上がります。

私はこういう話を今みたいに平気でしますから、それにも小言を言われることが少なくありません。皆が注目しているから気をつけろと助言をくれる人もいます。

なんだかヤクザ相手に何かやっているような気がしてきません?(笑)

こんな日本人社会の一員になって何がロングステイだと私は思います。

日本を離れるだけがロングステイじゃなくて、日本の価値観を捨ててみる、日本の村社会から一歩外へ出てみる。私としてはそれこそがロングステイの楽しさであり、意義を感じるところです。

日本人村社会にどっぷり浸かったロングステイは、私にしてみると団体で観光バスに乗って動き回っているのと全く変わりが無いと思います。どういう風に楽しもうとそれぞれの勝手ですが、海外に出ると日本的なものを捨てた日本人もいれば、限りなく現地化した日本人も少なく無いし、いつまでも日本の価値観を引きずり、たとえ日本人同士だとしてもそれを通そうとするのは間違いだと思います。

ま、そんなこんなで私としてはヨメさんが私以上に日本的村社会が嫌いですから、きっと我々がマレーシアに行ってもグループに入るようなことは一切ないと思います。でも日本人会には入りますし、お役に立てることはしたいと思っています。

それとグループ、村社会が嫌いだからといって日本人社会を全てを否定するのもおかしなもので、中には尊敬できる素晴らしい人もいるし、是非、お付き合いさせていただきたいとお願いしたい人もいます。まだマレーシアに行っていないのにも関わらずそういう人との出会いはありましたし、実際に行けばもっと多くの素晴らしい人との出会いはあるはずだと思っています。

でも、そういう人たちでさえも、村社会では不思議に村社会の構成員として動き、考える傾向があるのがわかっていますので、あくまで個人的なお付き合いを超えて、グループに入るとか、最近は地域ごとに日本人村が形成されているそうですが、そういうグループに参加する意思は全くありません。

これは我々がそう考えているというだけの話で、当然違う考え方をしている方も多いはず。私はそれを否定しようとは思っていません。そもそも誰かを否定したり、ある考え方を否定したり、それこそが村社会の悪いところだと思っていますし、誰しもが常に自由であることは保障されるべきだし、誰が何を言ったとしてもそれを認める社会であって欲しいと思います。ただ好き嫌いはそれとは別で、好き嫌いがあるのは誰でも同じ。でも好き嫌いで全てを判断するのはただのバカで、私はそうはなりたくありませんし、好き嫌いを基にした偏見に満ちた言動を認めようとも思いません。

海外に出て何を得るのかは人それぞれですが、私は日本には無かった自由を手に入れました。自分が自分でいられる自由です。他人の顔色を見ながら話し、行動する必要はありませんし、逆に、自分はどう考えるのかが求められる世界で、しかし考え方が違うからといってそれが争いの原因にはなりませんから自由に自分を表現できる世界です。

でもそれを止めようとするのが日本人村。とんでもないと思います。でも多くの人は言います。日本と海外は違うのだから、日本の価値観を捨てないと駄目だと。でもそれって自分対海外の環境に関してそう思っているだけで、相手が日本人だとなると、突然日本的であることが要求されます。これは日本人相手に海外で仕事をした経験がある人が口をそろえて言うことですが、私としては、日本人同士でも海外に出たのなら日本人のローカルルールを持ち出して欲しくありません。

自由って本当に素晴らしいと思います。この味を覚えたら二度と後戻りは出来ないと思います。そしてそういう環境で子供達を育てることが出来たのは本当に良かったし、そういう点ではオーストラリアに心から感謝しています。

以上! (笑)

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