脱税か節税か?タックスヘイブン

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タックスヘイブンって言葉を聞いたのはいつ頃だったでしょうか。

昭和50年代の初めだったでしょうか、ある日、新聞である大企業が利益が出ているのに日本には一切納税していないという記事を見てびっくりしました。その企業が使っていたのが税金が掛からないタックスヘイブンで、その国に子会社を作り、そこに利益を落としていたという話(当時は合法で脱税ではない)。

仕事で売り上げを上げ、利益をいかに出すか頭を悩ませているのはどこの企業も同じで、そしていかに税金を減らすかも大きな問題。これはバクテリアみたいで、中小企業というのもおこがましいくらいの私の会社も同じで、売り上げ確保と節税は車の両輪みたいなもので、寝ても覚めてもそんなことばかり考えていました。

で、タックスヘイブンを使えば丸儲けみたいな話を聞いて、これって、へ~~、そんなことができるんだ?みたいに他人事じゃ済まない話な訳で、私も貿易関係をしていましたので、タックスヘイブンが使えるものなら使いたいと切実な思いで調べることにしました。

でもバクテリア企業にはそんな情報を集めるだけでも大変で、当時それに関する書籍も無いし、タックスヘイブンに関するコンサルタント業務をしていた弁護士をどうにか見つけ、30分だか1時間で10万円だったかな。そんなお金を払っていろいろ聞きましたっけ。

で、何度かレクチャーを受けている内にタックスヘイブンを利用した節税の全貌は見えてきたものの、それをバックアップしてくれるサービス、それは銀行でしょうが、バクテリア企業に手を差し伸べてくれるところなんか皆無。でもタックスヘイブン(グランドケイマン)にそういう業務をやっている会社は見つかったので、自分で直に連絡を取ってそのタックスヘイブンで事務所(ペーパーカンパニーでOK)設立をしようかどうか真剣に悩みました。

でもやっぱりハードルはかなり高いんですね。バクテリア企業には無理。

聞くところによると、当時、日本の銀行の全て、大企業のほとんどがそういうところに事務所(ペーパーカンパニー)を構えていたそうです。

でも考えてみれば、それが許されるのなら日本に税金を納めるのはバカってことになりますからそんなことが本当に許されるのかという疑問を常に持っていました。また当局がそんなことを野放しにするわけも無い。

と思ったら、やっぱりタックスヘイブン対策税制(略称)みたいなのが出来た。(笑)

タックスヘイブンの子会社も連結決算して納税しなくては駄目と言うルール。まぁ、当たり前といえば当たり前ですね。

でもこれもいくらでも穴があるルールで、では子会社とは何か?ってところでどうにでも出来そうに思えました。資本関係がなければ子会社じゃないということになる。つまりA社がAAという子会社を作り、B社がBBという子会社を作り、A社はBBを使い、B社はAAを使うみたいなそれぞれ取引を逆にするという裏協定を結んでしまえば関係のない会社ってことになってしまう。あるいは名義の問題ならどうにでもできちゃうわけですから。

でも結局はその会社を誰がどこからコントロールしているのかってのが問題で、どういう形にしろ日本の本社がコントロールしていれば子会社という認定。当たり前ですよね。そうは簡単にいかない。(笑)

でもそういう法律が出来たから各社諦めたかというとそうではないらしくて、今でもありとあらゆる手を使っているし、そういう部門は大会社の中にあるという話は大手企業の経理部門にいる友人から聞きました。

そういえば最近ニュースになったオリンパスもそうですよね。一連の損失飛ばし作業の中にタックスヘイブンであるグランドケイマンを絡ませてありました。そういうタックスヘイブンを利用して損失飛ばし、隠しが出来るのなら利益隠しも同様にできるわけで、各社大なり小なりグレー部分でいろいろやっているのかもしれないと思いました。

でもま、結論として、私のようなバクテリア会社にはタックスヘイブンなんか関係ない、利用できないという結論でこの話は終わりになりました。

でもこの考え方ってそれこそ太古の昔とは言わずとも、昔からあるはずで、つまり直接取引きをすれば利益がはっきり出てしまうけれど、中間に子会社なり個人なり、自分の息の掛かったダミーのクッションを入れてそこを通して利益を圧縮する、あるいは使途不明金みたいな、あるいは政治資金にしてもそうだし、自由に使えるお金をこれで捻出するなんてことは昔からやられていることで、それをタックスヘイブンという舞台で展開しただけのことなんですね。

そういえば、私も似たようなことをやっていましたっけ。(笑)

20代の頃でしたが、ある大阪の鉄関係の部品メーカーの社長に見初められて、その輸出部門を別会社で立ち上げ事務所を東京に置いて輸出業務をやっていたことがあります。資本金はちょうど半々で出しました。

メーカーってどこも労組が強いんですね。その会社もそうで工場にはいつも赤旗がたなびいている様な会社でした。で、社長としては利益の圧縮もしたかったのでしょう。その輸出業務をする私とのベンチャー企業(こういう言葉はなかったけど)にプラスアルファの利益を落とすことを始めました。

そのお金は、もちろん納税はするものの両者の社長でもある彼が自由にできるわけですから、その業界では商社に牛耳られるのが普通である輸出業務を、どうにかして自前で伸ばしたいという思いが発端ですが、まぁ、トンネル会社もかねていたって感じになっちゃいましたね。でもこういう会社って世の中にはゴマンとあるのでしょう。

で、そういう会社がもしタックスヘイブンにあれば完璧だって話なだけで、この手の話は決して珍しい話でもなんでもないんですね。

話はどんどん横道に逸れますが、この話にはオチがあります。

大阪のその部品メーカーですが、かなり技術力もあってXX重工業とかXXX製作所の主要協力会社、まぁ、下請けですが、自動車や重機、そしてロケットや航空機に使う部品も製造していました。ある日のこと、70%ぐらいの売り上げを上げているXX重工業から新たな製品を作ってくれないかという話が来ました。この部品は大型の部品でこれを作るためには数億円のあたらな設備投資が必要。ただこういう業界って注文が単発ということはありえなくて、自動車にしてもそうだし、年間の生産スケジュールがありますから契約さえちゃんとしていれば多額の設備投資をしても大丈夫かどうか将来を読むことはそんなに難しくないんですね。売れるか売れないかわからないものを作るのではありませんから。

そこで社長はそれを受け、銀行から融資を受け、大型の製作機械を東欧から輸入しました。技術者付きで。

で、順調に生産、納品が始まった頃、XX重工業から契約の変更を言い出されました。もうこの製品は必要ないと。

これって大震災に見舞われたようなもので、契約違反ではあるものの、それを言える立場じゃありませんし、いらないと言う物は仕方がありません。でもそれが売れないと銀行への返済も出来ませんがそういう特殊部品がおいそれと他社に売れるわけも無い。そこでXX重工業が申し出て来ました。大変申し訳ないので、融資を銀行から肩代わりさせてもらうと。これって有り難いと思うわけですが条件が着いていました。そのメーカーの全株式はXX重工業に譲渡すること。

これを受けなければ倒産もやむ無しですので、社長はそれを受けました。ところがですね、初めての株主総会(形だけですが)で決まったことは、会長(社長の父で創業者)は解任、社長は営業部の中の営業二課の課長に格下げ。XX重工業からは社長と専務が入ってきました。それでいて、XX重工業への借金は会長と社長が個人保証したまま。

びっくりしましたよ~。

これって最初からそういう台本が出来ていたのだろうと私は思います。このメーカーはこのメーカーでしか作れない特殊部品もいろいろ持っていましたし、協力会社(下請け)の中ではかなり優秀な会社で、XX重工業でも協力会社ランキングみたいのを出していて、納期だ不良品率だとかいろいろ基準があるのですが、そのランキングでもトップクラスの下請けでした。

ま、これで結局XX重工業は技術力のある工場を自社の配下に置くことが出来たということ。

当時私は20代で真面目だったし、世間も知らず、この大企業の横暴さには本当にびっくりしましたが、後に年齢を重ねるのと共に、それこそ日本で有名な大企業の多くは似たようなことをやって大きくなったというのも知りました。

今ではこういうことも仕方の無いことの様に感じます。大企業とて死ぬか生きるかの戦争を常にしているわけで、中小企業の目線で良いの悪いのを言ってもしょうがないような気がします。その大手でさえM&Aだの部門の切り離しなどやりつつどうにか生きている弱肉強食の世界なのですから。

でも若かった私にはこれってかなりの衝撃でした。私のオヤジも中小企業のオヤジでしたが、それこそ大企業とは取引さえもできない中小企業でしたし、私はいつかでかい男になってやるなんて思ってはいたものの、駄目な会社は相手にもされないし、良くなればなったで乗っ取られてしまう現実に恐怖さえ感じました。

あ、そうそう、それでXX重工業に乗っ取られた形になりましたが、問題はこれで収まりません。つまり社長と私とで作った会社ですが、社長がポケットマネーで作った会社ならまだしも、そうではなくて資金が彼の会社から出ていたのです。つまりその工場の新たなオーナーであるXX重工業が私の方まで来るわけです。私も何が起きるかわからずアタフタするばかりだったのですが、社長からの指示で、私たちの会社の全ての書類はすべて税理士に渡し、そして私はグアムに渡ってほとぼりが冷めるのを待つことになりました。

なんだか犯罪者が国外逃亡するような感じで、犯罪は犯していないものの、なんとも割り切れない気持ちでいっぱいでした。所詮、俺にはこの世界で生きていける能力も度胸もないと思いましたっけ。グアムではいつもと同じように暖かく受け入れてもらい、しかし毎日ため息を付きながら何をするでもなく、毎日ビーチに行って寝転がったりして生きていました。そんな私を心配して、グアムで生きていきたければそうすれば良い。お前一人ぐらい俺たちファミリーでどうにでも食わせてやることはできるからとグアムの友人が言ってくれました。そして仕事がしたいのならとグアムのヒルトンホテルのフロントで働けるようにしてやるとも言われました。ありがたくて涙がでましたっけ。

よく覚えていませんが、当時、1ドル300円ぐらいだったような気がします。で、ヒルトンホテルの給料が月1000ドル。週休二日ですが(これも嬉しいと思った 笑)、ホテルだから夜勤があるわけです。それを多く取れば1500ドルにはなるとの話でした。ビザも取ってくれると。1500ドルって日本円で45万でしたから、当時の私の年代の一般的給料はたぶん6、7万程度だったのでかなり悩みました。

嬉しかったです。やっぱりグアムは私の心のよりどころ。でも彼らがそういってくれたことが私に火をつけました。彼らの温情にすがり、ここでくすぶって生きたら負けだと思い、それを切っ掛けに日本に帰ってきたのは前の日記に書いたことがあったと思います。日本に帰ったのはそのXX重工業事件(?)の3ヵ月後ぐらいでしたが、結局社長と税理士が全て処理した様子で、私には何の連絡も無く、その後は社長と電話一本もしていません。

なんでタックスヘイブンの話からこんな話になるのか私もわかりませんが、まぁ、適当な日記ですから勘弁してください。(笑)

結局、タックスヘイブンを会社として利用することは断念しましたが、興味は個人としての利用に移って行きました。でも個人となれば分身(子会社)を海外に出すなんてことはできませんから、つまり日本の納税義務者である限りタックスヘイブンは利用できませんから(納税義務から逃れることができるわけじゃない)、その興味は単なる興味でしかありませんでした。でもそんなことに興味を持っていると聞こえてくることがいろいろあるんですね。海外で資産運用をするとか。中には裏金をキャッシュで持って香港に渡り、貸し金庫を借りてそこに溜め込む人がいるとか。昭和50年代でさえもそんな話はチラホラ聞こえていました。

ま、節税だか脱税だか、それらが一緒のごちゃ混ぜになって様々な情報が入ってきていました。また世の中は目的は何にしろ、海外に資産を出して運用するというのが段々と広がりつつある時代に突入して行きました。シティバンクが日本でプライベートバンキングなる怪しげなサービスを始めたのもこの頃でしょうか。(その後、当局といろいろあったと聞いています。で、シティはPB部門から撤退)

当時私は若かったですが、どういうわけか私を可愛がってくれる税理士がいました。この先生は「脱税のすすめ」なる恐ろしい表題の著書を出版するようなちょっと変った税理士で、当時東京選出の衆議院議員の顧問税理士だったのですが、私と仕事の関係なんかほとんどないのに良く飲みにつれていってくれたり、政治家の秘書達との飲み会に誘ってくれました。世の中の税理士とはまるでイメージの違う人で、私は尊敬していました。世間の裏の話も良く聞かせてくれましたが、でも最終的には決して汚いことをするなという先生で、脱税のすすめなる書籍もあの手この手が書いてあるものの、こんなことは当局はお見通しだから絶対にするな。やるなら正々堂々と節税しろという締めくくりの本で、でも使い方によっては脱税のバイブルになりそうな本でしたっけ。

で、この先生との付き合いの中で私が一緒に話せる内容はタックスヘイブンに関わることで、教えられることも多かったですが私からも情報提供させていただいたり、いろいろ勉強になりました。

そしてそれが身になるときが来た訳です。私たち家族がオーストラリアに移住という、想像もしなかった方向に動いて行きました。

というところで、これにて休憩。続きはまたその内・・・

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