インフレ率の高い国の通貨を持ち、インフレ率の低い国に住むのがベスト。マレーシアのインフレは?

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マレーシアのインフレってどうなっているんでしょうか。

私はまだピンと来ないんですよ。というか、「物価が頭に入っていない」からわからないのね。買い物は私の役目なのに物価がわかっていない。当然、ヨメさんはさっぱりわかっていないはず

大体、価格がわかるものって「牛肉」ぐらいで、牛肉は種類や部位別にかなり細かく頭に入っている。あとはいつも買う「冷凍ピザ」ぐらい(笑)。これはRM16~17程度で、この5,6年、大きな変化はない。

あとは日本からの輸入食材ですかね。これは金額が大きくなるのでかなりシビアに変化を見ています。特に大好きなマグロやタコの価格変動には敏感です。(笑)

その他は、そもそもこだわりがないというか「我が家が買うのは安物ばかり」ですから、「安いものの価格が変動しても気が付かない」のね。

また外食もほとんどしませんから【お店の価格の変動もわからない】し、デリバリにしても「値上がりした」という感覚はない。

生活関連の経費にしても、コンドの賃料はこの6年、全く変わっていないし、光熱費もず~っと横ばい。支出のトータルにも変化なし。

日本に帰ることもないし、旅行にも行かないし、高級料理店には行かないし、そもそも大きな出費ってなくて、多少、食材にはこだわっても問題がないという生活レベル。

ああああ、考えてみると「とんでもなく値上がりした」と思うのは、よく行く中華料理店ですが「サウジャナホテルの中にあるティーチェン」ね。前に比べると2倍にはなったはずで、あれもこれもと好きなものを頼むととんでもない金額になる。

エビ餃子(ハーカオ)やシュウマイの値段を見てください。異常と言っても良いくらいの値段になった。

値上がりしたもので頭に浮かぶのはお店としてはティーチェンぐらいで、あとは牛肉かなぁ。特に「牛タン」が恐ろしいことになっていて、これは日本でも同じ状態の様子。でもひと月に一度食べるなんてこともないし、「牛の頬肉」はまだ安いし(牛タンの3分の1以下)、焼肉には使えないにしても「煮込み」にしたら【牛タンの代替品にもなる】と考えています。でももう牛タンをごっそり煮込みに使うなんてことはできなくなった。

とは言うものの、牛タンは牛タンでも「インド牛の牛タン」はとんでもなく安くて、それを使えば問題なし。これを使う焼肉店も多いはず。

う~~む、その他に値上がりしたと思うものって何があるかなぁ・・・。わからない。^^;

それどころか我が家は「米ドル」を中心に生活していますから、今の「ドル高」は大きいし、利回りも7%前後で回していますから、【米ドル建てで考えれば全体としては支出が減っている】状態。なおかつ総資産を円建て、リンギット建てで考えたら大幅アップ。マレーシアに来たのは「資産倍増計画」があるからですが、円建てで考えるとこの6年で達成したことになる。

なんだ、結局は自慢話かよと思われると困るのですが、「為替と金利」は私達が【どの国で生きて、どう稼ぐか】のかの基本中の基本で、有利になるように常に考えて実行してきたわけです。逆にこれで失敗すれば、【いくら稼いでも駄目】ということになる。

そもそも1991年にオーストラリアはゴールドコーストに渡りましたが、それは当時のオーストラリアは10%の利回りがあったからなのも大きな理由。日本では7%ぐらいで回っていた(転換社債)のですが、バブルが弾けるのは見えていたし、仕事的にも日本で生きるのは難しいと読んでいました。もしあのまま日本にいたら、私は100%間違いなく事業を破綻させていたと思う。まさかあれだけ長く酷い不況が続くなんて全く考えていませんでしたし、「もう少し我慢。もう少し我慢」と思いつつお金を事業に注ぎ込み続けたはず。

ちなみに私はバブルの恩恵って仕事的には全く受けていなくて、バブルで沸いている人たちを横目で見ながら、「失敗したか・・」と思っていたくらい。株式投資も当時は「日経225が2万円を超えたあたりから近寄らないほうが良いレベルまで上がりすぎた」と判断して、全くしていませんでしたのであの熱狂的な株高は関係なかった。ただ980万円で買った投資用ワンルームマンション(池袋サンシャイン)をバブルの頂点のすっ高値の5500万円で売ったぐらいです。これはこれでかなりラッキーでした。保有してちょうど10年も過ぎて「税金も低率(長期譲渡)」でしたし(かつては5年じゃなくて10年)。

オーストラリアに渡った頃は大きな資産があったわけではありませんし、すぐに事業を始めましたが、少なくとも借金はゼロでしたし、【10%の利回りの威力】ってすごいのね。複利で回すと100万円が10年で約260万円になるわけですから。

でも良い話ばかりではなくて、税金が高いですからそんなうまい計算通りには行かないということと、金利が高いということは【インフレ率が高い】ことを意味するわけで、なかなか思うようには行かない。でもま、そこは頭を使い、生活を変化させることによってどうにか泳いでいたわけです。

またオーストラリアへ渡った頃は「円を主体に持っていた」わけで、当時の転換社債は7%で回っていたものの、バブルが弾けて長続きはしないと読んでいたし、かなりの円高になっていたタイミングを見計らって【すべての円を豪ドルに替えた】わけです。

為替の動きって「恐ろしい」と思えば恐ろしいし「うまく乗れれば面白い」わけです。

私達がオーストラリアに渡った1991年からから現在2022年10月までの、豪ドル・日本円の動き。

こういうチャートを見ると、「あの時に買っておけば」「あの時に売っておけば」とそればかり考えてしまいますが、そんなのは神様ではない限り絶対に無理。ただし「その時点の流れの方向は誰にでも見れる」わけで、それに乗るのは誰にでも可能なんですね。そして【利回りが良い】ということになると【為替交換の多少の失敗は十分吸収できる】わけです。例えば10%で回ると言うことは、単利で5年で50%の利益が出るわけですから、ピンポイントの良い瞬間で為替交換ができなくても問題はない。

極論を言えば、仕事をしなくても「金利と為替」をじっくり研究していれば生きていけるということでもある。でも「日銭を稼ぐ能力」は重要で、これがないと「大波に飲まれた時には破綻する」し、再起は不能となるのね。これは普通のサラリーマン、企業経営、店舗経営、そして年金生活でも同じだと思います。(だから今の流行りの「FIRE」なんてのは【一生、自己責任で稼がなくてはならない個人事業主になるだけ】という認識が大事だと思うわけです。そしても~~っと大事なことは「後戻りは出来ない」ということ。)

私も若い頃からFIREを目指して好き勝手に生きてきましたが、「常に後ろは断崖絶壁」状態が続いています。この不安、プレッシャーって半端じゃなく大きい。【自由を得た後には地獄が待っている】と考えるのも良いかも。でもそれでも「自由、開放」は命を賭けるだけの価値はある。(笑)

円高の内に円を豪ドルに変えて、高い利回りを享受できたのは大成功で、その後、豪ドルは値上がりしましたし、その頃は「この世の春」みたいな感じでした。というのは実はウソで(笑)、円に対して豪ドルが高くなってもオーストラリアで生活している分には全く関係がないし、利回りがよくても税金も高いですし、なおかつ「インフレもすごい」し、我が家の息子達の教育費にとんでもないお金がかかる時代で、【税金を払うために預金を切り崩す】ような生活でした。

それに追い打ちを掛けたのが「リーマンショック」で、108円が一気に56円まで下落。当時、私の資産の中でも大きな割合を占めていた不動産の下落も恐ろしいほどで3分の1の評価額まで落ちました。当時の豪ドルの下げは「確率的には40億年に一度」だと聞いたことがあります。

つまり、あの時点で「日本に引き上げよう」とした場合、私の総資産は日本円建てで考えると、4分の1以下になってしまったわけです。

これってとんでもない、まさに青天の霹靂で、「もうダメだ。一生日本には戻れない。俺はもう終わった」と思ったんですよ。資産が4分の1に数ヶ月の間に減る恐怖って半端じゃありません。

打ちひしがれたなんてもんじゃなくて、その原因が自分の仕事の失敗でもないわけで、どうにもならない「敗北感」を持って生きていました。でもま、子どもたちにはもうお金がかからなくなっていたのは唯一、助かったことかもしれない。ただ当時、ゴールドコーストの日々の生活空間を見てみると「誰も悩んで生きているようには見えない」わけで、本当に落ち込みました。

マレーシアに渡ろうと考えたのはこの「リーマンショックの直前」だったのね。

仕事はとっくに売却してトレーダーになっていましたので、「世界のどこででも生きられる」状態でしたし、オーストラリアの税金の高さと、とんでもない物価の上昇で、「そういうゴールドコーストで夫婦二人で生きる意味がない」と考えたわけです。だからマレーシア。私の収入には一切税金はかからないということは【手取り収入が二倍になる】ことを意味するわけです。そして「生活費は安い」となれば、「短い期間に資産倍増計画も行けそうだ」と読んだのね。

でもリーマンショックでとんでもないことになったわけです。もしリーマンショック前にオーストラリアを脱出していたら、今頃・・・・なんて思うわけです。でもま、その後、大幅安の豪ドルを主に持っていたわけですから、真っ青になったであろうことは間違いがないのね。

そのショックから抜け出るのになんと8年の歳月を費やしました。

でも結果的には「リーマンショック前の資産状態に戻ることは不可能」で、【もうこのまま待っていても時間の無駄】だと観念して不動産もたたき売り、2016年にマレーシアに渡りました。

ただ時を待ち続けた8年間はモヤモヤと過ごし、ボーッとしていたわけではなくて、トレードにも励みましたし、また自分の過去の生き方、考え方を徹底的に洗いざらい点検しなおしたわけです。でもどう考えても、あのリーマンショックの打撃から逃げることは出来なかったという結論で、でも私の基本的な戦略である【為替と利回りを重視するのは間違いではなかった】と思いました。というかそれ以外の方法が私にはさっぱりわからない。そこそこ利益を出しても「為替を無視したら意味がない」わけですから。

強い為替は【善】であり、運用利回りの良い通貨も【善】で、この基本は絶対的なものだと考えています。私にとっては、ですが。

ただし、そういう通貨の国は「インフレもすごい」わけで、【そこに住んではならない】ということなのね。ただし【為替変動に気をつけないとならない】のは当然のこと。また為替の動きに合わせて「常に乗り換える」なんてことは不可能だし、全てキャッシュで持っているわけじゃないから、【為替変動をヘッジする】こともしないとならないのね。でもこれは簡単には行かない。

そういう時に住むべき国は「インフレになっていない国」なわけです。「金利高=インフレ」ですが、インフレは「国ごとによって違う」わけですから、【利回りの高い通貨で運用をし、インフレのない国に住むのがベスト】となる。そういう意味では、金利も低い、そしてデフレ状態が長く続いた日本に住み、【利回りの良い外貨で稼ぐ】のは良いこととなります。逆に、為替は弱い、利回りは低い通貨を持ち、インフレの厳しい国に住んだら地獄になる。今で言えば、アメリカに住んで日本円しか持っていない状態

ただし、日本ではもちろん税金も掛かるし、かつてはそれなりに生活費は高く「1万円札が飛ぶように消えていく」ような日本だったわけです。「日本に行くと物価が安く感じる」なんてのはつい最近のことでしか無くて、やっぱり日本は「なんでも高い国だった」のね。

だからマレーシアがベストだと判断したわけです。英語が通じるし、環境的にも問題は少ないし。私の収入に税金が課税されないのはとんでもなく凄いアドバンテージなわけです。そして「稼いだお金で何をするのか」が一番重要な点で、その長期計画(夢)も建てて、それに賛同した長男も「パートナーとなるべく」マレーシアに着いてきて今に至る。

ところで、マレーシアでは富裕層向けの新たな「長期滞在ビザ」が出来ましたが、母国から逃げたくてウズウズしている金持ちが多いC国からは【天国のように見える】んじゃないですかね。

一般庶民から見ると「ハードルが高い申請条件」ですが、金持ちにしてみたらなんてことのない条件のはず。

永住権ではなくて「長期滞在ビザ」、つまり「期間が長い観光ビザ」みたいなものですが、新しいビザは20年間有効で、なんと「就労も可能」ですし、新しいビザは「長期滞在ビザと永住権の中間」みたいな印象を受けています。当然、社会保障は受けられませんが、かなりの富裕層にしてみれば「マレーシアの社会保障」は全く気にならないはず。

就労が可能というのは大きなメリットで、「単に投資家としてだけではなくて、自らが興した企業で働くことが出来る」というのは本来はありえないこと。就労ビザを取れば働くことは出来ますが、「自由に就労できるわけじゃない」ですから、やっぱり「永住権に近い」のね。

そしてこのビザには「マレーシアに住んでいないと失効する」とか「一年の内に半年以上住まなければ失効する」ような規定がない。(要確認)

つまり「ビザだけ取って、放置してマレーシアには住まない」のも勝手。普通、長期滞在ビザは「住みたい人に出すビザ」ですから、「住まないのならそのビザは返してね」となるのが普通なのね。でもマレーシアはそういう野暮なことは言わない。

なおかつですよ。マレーシアの税制では「海外の所得は非課税」ですし、「国内の金融所得(利子、配当、キャピタルゲイン)も非課税」という、その部分だけを見たら【タックスヘイブンと同じ】なんですね(要確認)。

C国には日本人には考えられないような【超大金持ち】がごっそりいるようですが、そういう人からしたらマレーシアは「天国」かもしれない。そして滞在できる20年の内に、「自分や家族、次の世代」のことも考えて、【本当に住みたい国の永住権、市民権を取る】ようにすれば完璧な「国外脱出」になるじゃないですか。あるいは「お金で永住権が買える国」は存在しますから、とりあえずその永住権を取り、もしくは「市民権(国籍)も取ってしまえば完璧」じゃないですかね。【二重国籍を認める国々】もありますから、自分の本来の国籍を放棄する必要もない。

ただし、C国が二重国籍を認めているのかどうかは私は知らないし、日本人の場合は「二重国籍という状態そのものが制度上存在しない」んですね。他国の国籍を取得した時点で、自動的に「日本国籍は消滅」しますから(例外はいろいろある)。ただし、それを隠して二重国籍状態を維持することは可能で(日本のパスポートを使えば犯罪となる)、本来は「法務大臣の権限」によって「日本国籍の剥奪は可能」となっていますが、いまだかつてそれが行使されたことはないとのこと。また日本には「二重国籍を認めろ」という政党、知識人も多く、かつて小泉元首相の時代に、小泉さんは国会での質問で「二重国籍を認める方向を考えなければならない」と答弁したのね。これじゃ国を挙げて「二重国籍をやめさせるようには動かない」んじゃないですかね。日本の飛行場の入国審査時に「二つのパスポートを出した日本人」がいたらしいのですが、その時は「日本の国籍を離脱する手続きを取ってください」と言われただけで、日本のパスポートが没収されることはなかったと。これも変だと思うのですが、「国籍」とは国民の根っこの根っこの部分ですから、強制的に剥奪することは出来ないという論者が多い。

でも日本国籍とC国籍を持つ人が日本にいるとこれは大きな問題となる。C国には「国防動員法」なるものがあって、有事の際は「全世界の中国人は動員される」ことになっている。つまり国務院、中央軍事委員会が動員工作を指示できることになっていて、スパイや破壊活動もしなければならない。これは中国国内に存在する外国企業も同じで、個人や組織の持つ物資や生産設備は必要に応じて徴用されるというとんでもない法律がC国にはある。(2010年7月1日施行)

また二重国籍を悪用して、「重婚」や「年金の二重取り」も行われている様子。

ところでマレーシアって「日本の普通の退職者に優しい国」でしたが、時代の変化なんでしょうね。【金色の卵を生むガチョウ】を見逃すような馬鹿なことはしなかった。

でも今までのような「一般人は見捨てられる」わけですが、すでにMM2Hビザを持っている人だけはどうにか救われたものの、それは「煩わしい騒ぎを回避しただけ」であって、私達のような一般人は眼中にないのは間違いがない。

でもこれもまた「国家としては当然の決定」でしかなくて、そもそもマレーシアという国の成り立ち、歴史、地政学的な場所を考えれば、【他国、他国人をうまく利用して生きてきた】のは間違いがないじゃないですか。その辺は筋金入りで、我らが日本はマレーシアの足元にも及ばない貧相な戦略しか建てられない。

本当にこの数十年の日本って駄目だと私は思っていて、今、「日本に国際金融都市をつくる」なんて息巻いていますが、まず税法を変えないと駄目だと思うし、特区を作ればそれに反対する左派、メディアが大騒ぎするんでしょうし、沖縄を国際航空網のハブにするなんて話も本気でやれば韓国の仁川よりも有利な立地(太平洋、アジアの玄関に位置する)なのにそれも出来ない。現代の超大型貨物船による海上輸送も当たり前になったのに、日本には超大型貨物船が停まれる港も十分になく、これもまた韓国中国に取られた。

人口減少に関してもなんら手を打てず、就業人口の減少に困る企業に「働き手を供給する」程度のインチキしか出来ない。それでいて、そういう労働者にも「社会保障、永住権、市民権」への道を開いてしまっている。この日本を見て、マレーシアの政治家は腹を抱えて大笑いしているんじゃないですかね。「俺たちを見習えば良いのに。外国人は利用すれば良いだけのこと。ギブアンドテイク」と。

マハティール氏が「日本から学ぶものはもう無い」と言ったらしいですが、その言葉の重みを考える政治家も日本にはいなさそう。左派は未だにモリカケだなんて言っているし・・・。

でもま、日本を出て、世界で世界標準の仕事をし、それなりの収入、資産を作った人が「たまに日本に帰る」のは良いかもしれませんね。【老後は日本】なんて時代も来ると私は思うんですよ。日本の伝統や風習は残るのでしょうし、美味しい食べ物も残るはず。そして「物価は安く」「為替も安い」となれば、日本人だけではなくて「外国人も【老後は日本で】」という時代が来るかもしれない。

でも日本人の所得はG7の中でも「最低」となってしまい、日本人が海外に出ると「なんでも高い」状態。マレーシアの世帯所得はかなり高くなっているようだし、「マレーシアの生活費は安い」のがいつまで続くのかは疑問。実際に、今の若い人は知らないと思うけれど、かつての韓国や台湾に旅行に行くと「大金持ちになった気分」を日本人は味わえたのね。これはオーストラリアも同じで、私達が上陸した1991年でも「なんて物価が安い国なんだ \(^o^)/」と思ったくらい。私が1980年代にオーストラリアのことを調べていた時に「月に15万円あれば家族4人で生活できる」と言われていたんですよ。ウソみたいでしょ。

日本は「観光」に力を注いでいますが、それすなわち「老後を住むにも良い国である」ということにもなるんじゃないですかね。

「Japan My Second Home」なんて合言葉で、JM2Hなる長期滞在ビザができるかもしれないし、私は今でもそれを積極的にやったら良いと思うぐらい。う~~む、税法がそれにマッチしていないかぁ。

私には「日本の明るい将来」が全く見えないでいます。やる気がある企業や特殊技能を持つ人達は、今の世界は自由に動けますから、世界に羽ばたいたほうが良い未来が待っているかもしれない。

「でもいつか日本に帰ってきてね。優遇します」という仕組みがあるだけで私は嬉しいと思うけれ’ど、それは無い。

ま、どちらにしろ今の時代は、【私たちは自由に動ける】【お金はお金で自由に交換できる】ことは良いことで、上にも書いた強い為替は【善】であり、運用利回りの良い通貨も【善】であるし、タックスヘイブン、あるいはそれに準じるマレーシアみたいな国もあるし、それを利用しないのはもったいないと思うわけです。

しかし強い為替も良い利回りも「いつまで続くかはわからない」わけで、「乗り換え」の手法と「乗り換えずにヘッジする」手法とともに磨く必要があって、理屈通りには行かない。

私たちは「遠洋漁業の漁船と同じ」だと思うのですよ。何も「嵐の真っ只中」「魚が少ない海域」「漁獲の規制が多い海域」にわざわざ行く、留まる必要があるんですかね。

でも自分に有利な海域では「生活する」のは難しいケースも多いわけで、それはそれで「漁獲高を上げる」だけに注目して、住むところは「住みやすい場所」で住むのが一番じゃないですか。

だから利益を出しやすい通貨の国は「インフレもすごい」わけで、【そこに住んではならない】ということなのね。でも「為替変動には常に注意が必要」なわけです。

では「どうやってそういう魚の穫れる海域を探すか」。それも刻々と変化するわけで「その変化をどう見抜くか」が問題になりますね。

でも今の時代、漁船だとすれば「気象レーダー」や「魚群探知機」もあれば「専門家からの情報」もあるわけで、それを有効に使えば良いってことじゃないでしょうか。実際の遠洋漁業の漁労長だって【勘で動いているわけじゃない】。もちろん100発100中なんてありえませんが、「動向は誰にでもわかる」わけで、それには見方があるということを私はこのブログに書き続けているわけです。

世界は広い。自分には無限の可能性がある。

私はもうすぐ70歳ですが、これからも息子達とともに夢を追い続けるつもり。シドニー在住の次男坊も一族というまとまりを大事にして同じ方向を見ていてくれているのが私は嬉しい。(^_^)v

いつの日か、国にも企業にも依存しない「華僑」のような相互扶助のまとまりを作るのが我らの夢。

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