明日は我が身

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50歳を越える頃からかなぁ、やっぱり周りでポツポツと不幸の知らせが増えるようになってきました。また昔からの友人の中でも「まさか」が起きてくる。

本日、ヨメさんサイドですが、芳しくない話が入ってきました。いつでも日本に行ける準備が必要。

私の両親は健在ですが、もう80をとっくに超えています。ハイ、今はクアラルンプールに在住。面白いですねぇ、マレーシアに行くぞ~という子供達の話を聞いて、じゃぁ、俺達もとさっさと日本を引き上げてマレーシアに渡ってしまったんですから。もう2年前の話。あれ、3年になるのかな。

健在ですが、健康でピンピンしているわけではなくて、それぞれ問題を抱えています。いつ何が起きてもおかしくない状態。

ヨメ側ですが、これまた問題を昔から抱えていて、今ではそれが顕在化してきたとでも言いましょうか。

私って今までそういう点で幸せで、自分を含めて身近でそういうことがありませんでした。だからなんだか人間ってみんな健康で長生きで、祖父がそうだったように100歳までピンピンしているのが普通、いや、そうであって欲しいとそれ以外を見ようとしていない、考えようとしないのかもしれませんが、今まで非常に近い近親者の不幸もなければ、友人達の介護の話もどうも自分とは違う世界の話に思えていました。

でも、違う世界の話のわけがないんですね。

来るときは来る。それが自分の周りに忍び寄って来ているだけじゃなくて、自分自身にもヨメさんにも来ているのを最近感じるようになりました。

マレーシア関連のせいもありますが、私の知っている年寄り達は自分が遊ぶことに真剣の様子。この感覚って自分にはまるで無いわけですが、それってやっぱり不幸の足音を聞いたことも無い、自分の歳をまるで意識していない私だからそうなのかと思うようになりました。いつまでも自分には時間があるような錯覚を私は持っているのでしょう。

でも自分に与えられた時間は決して永遠じゃ無いし、そしてそれは決して長くはないということを最近になってやっと「現実」として認識できるようになってきたような気もします。いやいや、まだ駄目か。

鏡に写る自分ってただのジジーですが、面白いもんで中身はまだ子供のまま。青年と言いたいところだけれど、どうも自分の中の子供っぽさが気になります。きっと大人になれない子供のまま、私は終わるのだろうと思っていまして、かといって、では大人になりたいとも思わないんです。

子供の頃、大人って汚いなぁ、って思うじゃないですか。あんな大人にはなりたくないって。どうも私の場合、未だにそう思っているフシがあるようで、大人になることを潜在意識が拒否しているような気さえします。ただ問題は、大人って汚い、ずるいばかりじゃないわけで、私はそこのところもひっくるめて大人になることを拒否しているような気がしないでもない。そういう意味でもほんまもののオコチャマなのかもしれません。

でも、そんなオコチャマもいつか黄泉の国に旅立つ日が来る。

その日を考えながら生きるってバカみたいですが、ま、その時に思い残すことなく旅立てるような準備はしようと思ってます。あと10年あるのか、20年あるのか・・・・

歳をとると時間の経過を早く感じるようになりますが、本当に一年なってあっという間ですし、20年前、30年前のこともついこの間のような感じがします。だからグズグズしているとすぐに出発の合図が来てしまうかもしれない。

永久歯を一本、産まれて初めて昨日抜きましたが、これって頭の毛が薄くなること以上にがっかりで、ましてや歯がグラグラになって抜けるなんて、もう六時(じ~)?みたいな感じ。

これも一つのサインなんでしょうね。

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