老後の後

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老後どう生きるかを常日頃考えているのですが、どうも老後そのものの定義が自分の中に出来ていないのがわかります。

普通、老後というと、ましてやMM2Hだロングステイだと話をしている中の老後って、いわゆる仕事は辞めました。年金で食うようになりました。時間はたくさんあります。さぁ、何をしましょう。海外にでも行ってみましょうか的な年代だと思うのですが、そういう意味での老後は私にはないのがわかります。

仕事らしい仕事なんかとっくの昔に辞めちゃったし、というかオーストラリアでの仕事だってあれが仕事か?と聞かれれば、道楽かもねと答えたほうが良さそう(見ず知らずの海外にポッと出て全力投球するのは危険という考え方)だし、遊びという点では私の人生そのものが自由で好き勝手にやってきた人生で、今更どうしてもやりたい遊びもないし、今後の人生はご褒美どころか、あえて考えるなら恩返しの人生であるべきだろうし、なんだか良くわからんのであります。

また遊んで暮らしているようで、でも完全に金銭の悩みから解放された生活をしているわけでもなく、年金はもらえる歳になっても微々たる物でしかなくそれで生活なんか絶対にでき得ないし、死ぬまでリスクを取って収入の確保を考えなければならない。ということで、老後の特徴である「収入を得るための仕事からの解放」は、私にはいつになっても起こらない。

そういう意味では、自分の人生って若い頃のある時点から今までずーーっと同じ線上にあるわけで、これが今後も続くだけのこと。だからどこからが老後なのか、その区切りがわからない。

でも今までの生き方が変わる時がいつか必ず来るわけで、その時が私に取っての老後なのかもしれない。

その時とは?

自分で自分のことを出来なくなるとき、だと思う。

でも一般的にはそれを老後とは言わずに、うーーむ、なんというのだろう。要介護老人?(笑)

まぁ、その時が来るまでは今までと同じように生きることになるはずで、私の心配する老後とは、一般的に言う老後の後のことになるのかな?

そういう視点で周りを見回してみると、その時のこと、準備に関してどういう考え方を持っているのかなんて書いているブログもないし、MM2H関連の知り合いからもそんな話も出てこない。

それどころか、親の介護の時期が今であって、自分がそうなることはまだまだ先のこととして、まずその前にいかに楽しむかが焦点になっている様子。

まぁ、それはそれで良いし、できる時にやっておかないと何もできなくなってしまうのも良くわかる。老々介護なんて良くあるパターンで、有難いことに親が長生きして、そして自分がヨイヨイになるのが平均よりちょっと早かったりすると、親と子が逆転することさえあるわけで、出来るときに何でも思い残すようなことがないようにやろうじゃないか考えるのも当たり前。

でも私が知りたいのは、そういう最後の一花咲かす時期も終って順番として自分も要介護じゃ、あるいはどこでどう死ぬかを考えなければならないときが来た場合にどういう考え方、選択肢があるのかということ。

これってマレーシアに渡る人たちの殆どが考えていることだと思うのだけれど、はっきりした考え方や計画を聞いたことがない。

まぁ、具合が悪くなったら帰るしかないねってところなのだろうか。

ところが、中にはマレーシアで死ぬ気になってる人も居なくはない。というかこの話は数年前の方が盛り上がっていたように私は思うのだけれど、つまり、日本人にとっての最後の場所があるのなら・・・・って話。

マレーシアはまだまだ人件費も安いので、その道のプロなりメイドなりを雇った在宅介護が可能で、そうしている家族もいて逐一状況を、そして次から次へと出てくる問題点を惜しげもなく公表してくれる有難い人もいる。これっていつか自分も通る道であるかもしれず、非常に重要な情報だと思う。

でも、これって介護をしているという話なのね。

介護してもらっているという話じゃない。

つまり、自分の親なりなんなりをマレーシアで介護するにはどうするかという情報がいくら蓄積されても、では自分に介護が必要になったときにはどうするのかは全くわからないってこと。

娘が、息子がマレーシアにいるわけでもなく、連れ合いにも先立たれてこの世にいるのは自分だけだとする。こういう状態って高確率で来ると考えて良いはずなんだけれど、そういう場合にどうするか、どうなるかがまるで見えない。

以前、かなり盛り上がって、それなりに話は進んでいるはずの日本人向け高級老人ホームの話も最近は一切聞こえてこないし、今となっては、あの話はどうなったんですか?と聞いてはいけないような雰囲気も感じる。

やっぱり最後は夫婦だけ、あるいは自分ひとりになるわけで、その時に安心して死ねる場所があるのかないのかは、その地に永住するのかどうかの大きな決め手になるわけですよね。

こういう点でやっぱり進んでいるなぁと思うのはアメリカ。そりゃまぁ、日系人の数が桁違いに多いわけで、その他の地と比べること自体意味がないとは思うけれど、アメリカには日本人向けの良い施設がいくらでもあるという。

オーストラリア?

これはゴールドコースト日本人会発足の頃から(もう25年ぐらいになるのか)声が上がっていて、どうにかそれを作ってくれるなら遺産を全て寄付しても良いなんて人もいたっけ。でもそんな話は一切まとまらず。

マレーシアで老後をとマレーシア国家も大宣伝しているんだから、単に遊びに来てお金を使ってくださいじゃなくて、また医療ツーリズムにも力を入れているんだから、後一息頑張って、それなりの介護施設があっても良いと思うんですけどねぇ。

これがあるのとないのとじゃ天と地の差があると思うわけです。

でもま、今の時点ではマレーシアでは死にたくないと私は思うわけで、またもし私がぽっくり逝ってヨメさんに迷惑を掛けることがなかったにしろ、ではその後、ヨメさんが一人きりでマレーシアに住めるかと考えたらまずそれは絶対に不可能。

どこなら大丈夫か?ゴールドコーストは?

これに関してヨメさんと話すと、そうなったらそうなったときの話よ、どうにでもなるわとあっけカランとしている。

そんなもんですかねぇ。私がいつも何でもお膳立てするからそんな気楽なことが言えるんじゃないの?

また、そのヨメさんの言葉を信じて私が何も決めないでいたら、後で困るのはヨメさんでありまた子供達であるわけで、私としてはある程度の線を決めておきたいわけです。

で、私の中では結論が出来ていまして、それは日本に帰るしかないということ。

年齢から言えば、ヨメさんより6歳年上の私の方が先に逝くはずで、その前提に立って考えれば、「どこならヨメさんが一人で生きていけるか」を考えるしかなく、その答えは日本しかないはず。

もし逆のことが起きた場合、私はオーストラリアでもマレーシアでも構わないと思っていて、どうにでもなりそう。子供達といつでも会える場所なら嬉しいと思うだけ。

ということで、最近、とういか前からだけれど、暇があると日本の施設の情報を見ています。

ヨメさんが65になる頃を見計らって日本のシニアマンションに入ろうかと考えています。で、介護が必要になればそのまま同じ施設内のそういう施設に横滑りできるようなところ。これなら私に介護が必要になっても、あるいはヨメさんが先にそうなっても不便を感じることもないだろうし、お互いが幸せでいるにはそれが必要だと思うわけです。

もし運よく夫婦揃って健康でいられたら、そこを基点としてオーストラリアなりマレーシアなり行きたい所に行けるだろうし、どこで野タレ死んでも問題なし。

でもねぇ、日本のその手の施設は高いのね。

でも定点観測をしていると3,4年前に比べると安くなっているような感じはあるし、昔なら早死にしたら損みたいな料金体系だったのが、利用年数によって(早死にすれば)お金が返ってきたり、大きな金額を最初に入れる必要がなくて月々いくらという支払い方法も増えていて、利用しやすくなっているのは間違いがなさそう。

マレーシアに向かう退職者がどんどん増えていると聞くけれど、皆さん、その先はどうするつもりでいるんだろうか。元気な内に好きなことをしたい、具合が悪くなったら帰るだけなのか。それとももっとマレーシアと深く繋がるつもりで行くんだろうか。

ちなみに私達、そして姉夫婦がマレーシアに渡ると聞いて、じゃぁ、俺達もとさっさとマレーシアに渡ってしまった私の両親ですが、もう日本には帰りたくないと言っています。あの我侭オヤジをそう言わしめるってことはそれだけマレーシアが良いということだと思うのだけれど、それは姉が彼らの面倒を見ているからだけなんですね。80半ばの夫婦が二人だけでやっていけるとは思えない。

もし息子もマレーシアに住んで、老後のことは俺に任せてくれなんて言ってくれたら・・・・・・。

彼らの家の物置にでも住まわせてくれたら私は幸せなんだけれどなぁ。(笑)

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