海外の日本人に落胆した時

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海外に出る場合、誰しも夢を持って渡るのが普通で、中には日本の面倒な付き合いや習慣、価値観に嫌気がさして海外に出る人も多いはず。

私もその口で、日本では息の詰まる思いをどういうわけか子供の頃から持っていて、他人の顔色を見ながら適当にお世辞を言って、目立たないように自分の本心を隠して生きるのが人間の生きる道なんだと単純に信じて生きてきました。まったくそれが変だとは思わないし、そんなもんだと思っていたわけです。

ところが大学一年の18歳の時にはじめての海外、グアムに行き、そこの原住民の人たちと触れ合い、私が考えていた人間の生き方とは全く違う生き方を体験しました。こうなると、自分が生きる場所はグアムしかないなんて若いから早とちりをするわけで、でも私には自分が自分でいられるのはグアムしかないのも事実で、私はグアムで生きる道を模索しました。

でも簡単に海外に出て生きていくなんてことは出来ず、何年も掛けてそのチャンスを狙い、また後年、グアムでは会社を興したり短期長期含めて入り浸る生活をしていました。でもなんだか浮き草みたいで、仕事もそうそううまく行くわけじゃないし、ビザの問題もありました。

そんな若い頃の経験があり、またいつの頃からかグアムから離れて日本でどうにか自立しなくてはならないと思い、仕事に遊びにそして恋愛に没頭していくわけですが、気がついたら結婚して子供も二人出来ていた。

でもやっぱり日本が住みやすい訳でもなくて、だからと言って日本を出て生きる術はなかったというのが正解。しかし子供の教育もそろそろ考えないとならない時期になったとき、この子供たちも私のように自分を殺しながら、そしてそんな自分を馬鹿にしながら生きて行くようになるのかと思ったわけです。

子供の寝顔を見て、そんな生き方は冗談じゃないと思いました。そして子供たちに申し訳ないと思いました。

別に海外に出なくても日本で十分個性豊かに生きて行くことは出来るはずですが、環境がまるで違うという点で、出来るなら日本を出たいと真剣に考え始めたわけです。

結果的にオーストラリアに来ましたが、オーストラリアが良かったのではなくて、日本から出たかったのが本音。たまたま行き先がオーストラリアだったと言っても良いと思います。1980年代の終わりの頃は、海外に出るにしてもちゃんと永住ビザが取れて、そして私にその永住ビザが取れる可能性があるところといえばオーストラリアとカナダしかありませんでした。

私はカナダの方が良いと思っていたのですが、ヨメサンの「寒いところは嫌」という一声でオーストラリアを候補地として絞って、永住権が取れるように進んできたわけです。

で、オーストラリアに来たわけですが、ここにも私がなぜグアムが好きなのかというのと同じ意味の良さがあったので、この永住は大正解と言って良いと思います。なんだかんだ言っても子供たちも私の計画通りに育ってくれた、いやそれ以上に頼もしく、そして日本人としての強いアイデンティティを持ち得たことは奇跡だと思うくらいうまく行きました。

では全てが順調だったかというとそうでもないわけです。元々、私の日本では息が詰まるというのが発端ですから、切っても切れない自分たちが日本人であるということ、そして日本人コミュニティとは縁を切れないこと、その辺はややこしいものがありました。

日本の面倒な人間付き合いがそもそも嫌いだから海外に出たという人は結構多い割合で存在すると私は思っているのですが、そういう人たちの多くは、あえて日本人とは付き合わないという生き方を選ぶケースも多い。

ところが私としては、日本での生活は息が詰まるものの、日本大好き人間だし、日本人も好き。もちろん日本文化も大事にしたいし、子供たちをオーストラリアのことしかわからない変な日本人に育てたくなかったので、日本と唯一のつながりがある日本人会に入ったし、接触も密に保っていました。私自身理事を二期経験しましたし、金がない日本人会でしたから常に金集めの催し物もやっていましたし、私もヨメサンもそして子供たちも何か行事があるときには積極的に参加していました。

そして友人たちも我々家族と同じで、子供を連れて来た家族とは話題も問題も共通しますし、親類も何もいないのがふつうですから、自然にそういう似たような家族の人たちとの付き合いも多く、海外に住んでいるのに生活環境は日本みたいな感じで生きてきました。でもこれは子供の教育のためにもそうする必要があると考えていましたのでそれで良かったと今でも思っています。

ところがですね、私が日本では息が詰まるという感覚。これはやっぱり海外の日本人の付き合いの中にあるんですね。

この正体は私は未だに良くわからないのですが、相手に干渉しすぎるという点なのかもしれないと想像しています。

村的と言いますか、長屋的と言いますか、それぞれの繋がりが強いからこそ、余計な一言も増えるんでしょう。まぁ、親戚より近い付き合い方をしている家族も多かったですがその中では嫌な感じを受けることも無く、子供たちも含めて大きな一族の中の一員みたいな感じで他の日本人家族ともうまくやれていたと思います。子供が大きくなって家を出た今でも付き合いがあるのはやっぱりその時からの家族がほとんど。

でも日本人にもいろいろいて、年も違う、出自も育ちも、生きてきた環境も違う、ま、いろいろいるわけです。そしてそういう人たちとも付き合わなくてはならない。狭い地域ですから日本人と付き合うことを選んだ場合、自分の好きな人間関係だけ持つということも出来ないんですね。

で、そういう付き合いの輪が広がれば広がるほど面倒なことが増えるんです。

そして争いごとに引き込まれたり、また自分が、ヨメサンがその争いごとの当事者となることもあった。

こんなことはオーストラリア人とか他の多くの民族の人たちとは起きないんですよ。でも日本人とは面倒なことが起きるのね。これは上にも書きましたが、近すぎるからいろいろ起きるのだと思っています。

でも距離を置けば置いたで、あいつなんだ?みたいな話が聞こえてくるのね。

ほんとーーーーに日本人って面倒くさい。親しくなればなったでおかしなことが起きるし、距離を置いたら置いたでまた別の問題が出てくる。本当は多くの人は仲良くなりたいからこそそういう風になっちゃうのかもね。また子分が欲しいと思う人も歳を取った人の中には多いのかも。ところがこちらとしてはベタベタ付き合いたくないし、どこの誰様だろうがへつらいながら付き合おうなんて全く思わないから、私たちみたいな自由気ままに生きている日本人に文句の一つも言いたくなるのかもしれないなんて思ってます。

一番良いのは、「あいつは変わり者だから放っておけ」と思わている状態を維持するのがベストかもね。そしてそれはある意味、成功しているかもしれない。(笑)

何が言いたいかと言うと、海外なのに、日本以上にややこしい村社会が存在するってこと。この一言に要約できると思います。

その村が点在していて、村にどっぷり入り込むとその村のしきたりを守らないとならないし、ではそうしていたら大丈夫かというとそうでもなくて、村八分が結構頻繁に起きるし、自分たちがその対象になることもある。

で、村から離れていれば、変なやつ、生意気だとか言われたり。

面白いといえば面白いけれど、面倒。

日本人が会うと、当然日本語で話すし、それぞれの苗字を呼び合うでしょ。それが常識。ところがここに外人なりオーストラリア人が入るとややこしくなるんですよ。名前が違うのか?って聞かれる。日本人の中にはカタカナの通名をつける人も少なくないし、俊之だったらトシだとか、ショートカットした名前を外人とは使うわけですよね。もちろんその名を日本人も知っているけれど、日本人同士では苗字で呼び合うわけです。

町でお茶でも飲んでいるときに、知り合いの中国人でも何人でも会えば、「はーーい、リチャード!」なんて声を掛けて手を振るじゃないですか。でももしこんなことを日本人にしたら後で何を言われるかわからないのね。通りの向こう側を歩いていたとしても、こちらは席を立って、深々と頭を下げないとならない。

そんなの当たり前だと日本人は思うかもしれないけれど、海外で普通に生活しているとそういうのが馬鹿みたいに思えてくるわけですよ。ましてや日本人もそうやって毎日生きているのに、日本人同士の場合は突然その場が日本になるんですから。

付き合い方も同じで、外人とは年齢も職業も関係なく気さくに付き合えますが、日本人は年齢とか、前に何をやっていた人かとか、そういう情報がないと付き合うのが難しいでしょ。それなりの敬意を表さないとならないし、それが暗に強要される。

これって逆を返せば、目下の者を見下げる行動を認めることになるわけですよ。

海外に来て、年上だからどうじゃとか先輩面されたり、こちらはぺこぺこして言いたいことも言えないとか、逆に俺は年上だぞ、お前より経験があるんだなんて馬鹿なことは言いたくないし、これじゃ海外に住んで自由を満喫する意味が無いじゃないですか。そして日本人も外人もわけ隔てなく生活しているのに、例えば、輪の中に自分だけが日本人なら問題が無いわけですよ。ところが日本人が複数いるとかなり面倒なことになるのね。外人もその輪に参加しているんですから。それぞれの話や態度がちぐはぐで滅茶苦茶になってくるのね。まだ全員が日本人のほうがはるかに簡単。

でもま、それも良いんですよ。しょうがない。異文化の中といえども日本人は日本人なんですから。

でもねぇ、やっぱり村意識がちらほら見えるのね。陰口、誹謗中傷の好きな人がいて、「ダボさん、この前のあの飲み会で、XXさんにXXXXXって言ったらしいね」なんて話が出てきたり。(笑)

これはヨメサンも同じで、特に女性の集まりって男性以上に猿山に近いんじゃないかと思うくらい上下がはっきりしていたりすることもある様子。

私の友人はどういうわけか板前が多かったのだけれど、その奥さんが日本人の集まりに出たときに、親分格の駐在員の奥さん(商社の支社長クラスの奥さん)に「板前の女房ふぜいが良くここにこられたわね」なんてはっきり言われたことがあると悔し涙を流しながら言うのを聞いたことがありました。

この親分子分、序列を大切にしたいヤクザみたいなグループもやっぱり存在するようで、それは逆に日本では聞いたことも無いような酷い状態だと思ったことは何度もあります。やっぱり日本って広いですから、付き合いたくない人とは付き合わなくても十分生きていけるんですね。でも海外って日本人の数から言えば、離島の小さな部落に住んでいるようなもんだから無視なんかしたくてもできない。

だから、海外だから良いだろうじゃ無くて、海外だからこそ変な日本的村が存在するってことなのね。

こんなのは駐在でもロングステイでもちょっと経験すればすぐにわかることなんだけれど、まさかそんなことがあるなんて聞いたことも無い、信じない人も中にはいるんでしょう。

で、マレーシアだロングステイだと夢を思いっきり膨らまして、そういう実態を見るとかなりショックがあるみたいね。

そしてグループから去っていく人もいるし、オーストラリアではたくさん見聞きしたし、マレーシアでもそんな話が聞こえてくることはこの5年の間に何度もありました。

このショックって馬鹿に出来なくて、それが理由で日本に帰る人もいるし、うちのヨメサンみたいに日本人アレルギーになる人もいる。うちのヨメサンなんか重症で、知らない日本人には怖いから会いたくないというまでになっちゃいました。昔はこんなんじゃなかったんですよ。日本人会の婦人部(これがまた半端じゃなく怖かった)に普通に参加して催し物をやったりしていましたし。

ところが今、マレーシアに行っても、日本人とは会いたくないって言うんですよ。日本人会にはいろいろあって面白そうだから行ってみようと言っても、日本人会の会館に行くことさえ嫌だというくらい。病気です。

でもここまで重症じゃなくても似たような人って結構いるのね。新しく来た人たちって夢を思いっきり膨らませているし、会う人会う人友達になろうとしたり、舞い上がっている人も多いし、でも私たちだって来た時はそうだったわけで、それが悪いとは思いません。自然だと思う。

でもそういう時に表面的にはオープンな、しかし実態は閉鎖的な日本人村社会を経験するとバケツで水を掛けられたように感じるんでしょう。これは誰もが受ける洗礼みたいなものかもしれないけれど、そういう経験がまるでないという人に会ったことはありません。

でもここで負けちゃだめなんですね。

洗礼だと思えばよいし、そんな村社会なんか冗談じゃないと思っている人はいくらでもいますから、そういう人たちはすぐに見つかるし、そちらの方へ付き合いの重きを移していけば良いだけのことだと思います。

でも被害者意識を強く持つのも間違えているケースが多くあるのを忘れちゃいけないと思います。相手に対して過大な期待を持っていたのが原因だったなんて、かつてある場所で起きた騒動の原因はそれだったと思っています。あの人も日本人だからわかっているはずだとか。日本人はこうあるべきだとか。海外に出ている日本人の中にはとっくに日本人的常識を捨てた人も多いわけで、そして現地にしっかり染まっている人も多い中で、日本人流を振り回しても全く意味が無い。例えば、私の息子たちもどこからどう見ても日本人にしか見えませんが、彼らに日本の常識を言っても通じないわけです。オーストラリアにはオーストラリアの常識がある。マレーシアにはマレーシアの常識があるわけで、日本ならすんなり進むことでも海外は全く別、比べること自体が間違えであることに気がついていない人もいるのね。

郷に入っては郷に従えという意味がわかっていないと苦労するのは自分であって、相手が悪いわけじゃないケースも多々ある。

どちらにしてもゴールドコーストでも馴染めなくて奥さんだけ帰ったとか、結局それが原因で完全撤退で引き上げることになったという例を数組知っていますが、それと同じことは世界中で起きている普通のことなんでしょう。でもちょっと我慢するなり、視点を変えると違うものも見えてきますし、駄目だ、帰ると結論を出すのはいつでも出来ることですから、ちょっと様子を見ても良いんじゃないでしょうかね。

でもうちのヨメサンみたいに重症を負って立ち直ることが出来無いようなのもいるけど。(笑)

で、もう一つ面白いのはですね。仲が良さそうで、それでも追い出された、抜けちゃったということが起きる村の村人は何を考えているかってところなんですよ。

そんなことがあってはならないと普通の話が話し合われるのね。仲良くやりましょうと。

それはその通りなんだけれど、追い出すようなことをやる人もそれを言うのね。全く自覚が無い。誰か他の人が意地悪でもしたんじゃないかと思ってるケースがある。

でも普通は一体何が起きたのかは闇に葬られるのね。そうしないと蜂の巣を突っつくようなことになるから。そして定期的にまた似たようなことが起きる。

ここがこの問題の一番の根っこだと私は思うんですよ。

それはこう書いている私自身にも当てはまることで、自覚が無くてやっていることが誰にでもあるってこと。

ま、わざとやる人もいるんだろうけれど、普通はわざと誰かを貶めるなんてことはやらないわけですよ。でも悪気の無いちょっとした一言がとんでもなく相手を傷つけていることが普通に起きる。やられた方は、良い人ばっかりの筈だとなぜか勘違いしているから、痛手は益々大きくなる。

でも、そんなことをこれまたいちいち気にしながら、相手の顔色を見ながら言葉を選んでギクシャクしながら付き合うってどうなんです?それもまた日本の村意識そのものなんですよね。

だから面と向かって何でも言いたいことを言うべきだとは思わないけれど、でも言いたいことも言えなくて周りを気にして生きるなら、一体何をしに海外に出てきたのか?ってことになってしまう。

多分、日本人って私のように村社会は大嫌いだと言いながら、村社会がないと生きていけないのかもしれないと思っています。

だから自分に合う村は必ずあるはずだし、それを探す努力をするべきだし、我慢をし続けるのは間違いだし、こんな場所は嫌だと帰るのも性急過ぎるかもしれない。言いたいことを言い合って、でもそれで誰が傷つくでもない、腹を抱えて笑いあっていられる人といつか必ずめぐり合えるんじゃないでしょうか。

と同時に、郷に入っては郷に従えとはどういう意味であるかしっかり考える必要があるのは上に書いたとおり。日本で通用することが世界でも通用すると思ったら大間違い。それを理解することは非常に大事ですね。そして海外で思ったようにうまくいかない、あるいは不安が消えないのを自分の責任とは考えず、誰かのせいにしたくなる心の動き、またイライラを誰かにぶつけたくなっているだけの自分に気がつくこともある。

ただそうなるには時間が掛かるわけで、昨日今日会った人とうまく行くほど人間ってうまく出来ているとは思えません。でも出来るような気がしちゃうのね。それは海外に出た開放感、期待感がそう勘違いさせるんじゃないでしょうか。

ま、そういう意味でも私たちがマレーシアに行ったら、時間を掛けて我々の居場所を探そうと思っています。誰も彼もみんなと仲良くやろうなんてことは考えていません。でも、付き合う人は選ばせてもらいますなんて偉そうなことをいうつもりは無くて、はっきり言えば、我々はへつらいながら、顔色を見ながら付き合いを維持する気は全く無いということ。これだけははっきりしています。

海外に出ると過去のことはわかりませんし、馬鹿にされたくないという意識が非常に強く働く傾向があると思います。特に日本ではそれなりの地位にいたケースは特にそう。我が家はその手のタイプにはメチャ弱くて、また実際に生まれも育ちも良い人は苦手。(笑)

私としては上も下もない、先輩も後輩も無い、年上も年下もない、金持ちも貧乏人の違いも無い、真面目一徹とおちゃらけた人、温和な人も頑固な人も皆が平らの友人関係であることを何よりも重要視します。リーダーも不要。海外の場合はそういう友人関係って日本よりはるかに簡単に作れるんですね。というかそれが普通だとさえ思ってます。(ただ何か目的がはっきりしている集まり、グループ、組織は全く別。たとえばいつもここに紹介しているSNSや日本人会)

大事なことは「おかしな奴は排除する」じゃなくて「落ちこぼれは絶対に作らない、助ける」ってところだと思うんですよ。海外に住むと不安が大きいから、ちょっと危ない人とは付き合いたくないじゃないですか。問題を抱えている人もそうで距離を置きたいと思う。でも海外のあるべき友人像って逆であるべきだと私は思うわけで、問題を抱えているからこそ近くに居てあげる必要がある。

このブログの読者が我々夫婦にどういうイメージを持っているかわかりませんが、どちらかというと地方の山奥の田舎者という感じがピッタリだと思ってます。お世辞も言えないし、他人の家でも平気で深酒してその辺で寝ちゃうタイプの夫婦(ヨメサンもですよ)。格好つけるのが苦手なだけじゃなくて、格好つけている人には一言言ってからかいたくなるような嫌味な部分もあります。(笑)

ま、変人タイプの部類かもしれませんが、私は安心しています。このブログももう4年か5年になるのね。その間に知り合ってやり取りが続いている人たちはやっぱり通じる何かがあるんだろうと思うし、気さくな良い友人と思える人たちがいるのは正直なところ心強いです。

もしマレーシアに限らず世界のどこだろうと、日本人的村社会を知ってがっかりした方も気を落とさずに、時が解決するはずですからゆったり構えたらいかがでしょうか。

帰えろうと思えばいつでも帰れるんですから。

と言いつつ、最初から日本の資産も処分して来ちゃう人もいるんでしょうね。若い人ならいざ知らず、そういう度胸があるジジババには感心しちゃいます。

と言う私たちもオーストラリアの資産は全て綺麗にして出て行くつもりですが、もしマレーシアが合わなかったらどうするんだろうか。

えへへ、その時こそ、大手を振って威張って日本に帰るのだ。\(^o^)/

日本って良いですよね。素晴らしいと思うし、いつか日本に帰るときが来ると思うけれど、元気でいっぱい飲めて食べられる健康をその時まで維持しないとぉ~~~。

我々に取っては、マレーシアって日本に帰るためのステップって感じかも。でもゴールドコーストが一番好きだとヨメサンは言うし、私はその伏兵に討たれることが無いように頑張らないと。

ハヤク ニホンニカエッテ アノスバラシサヲ マンキツシタイ コレガ ワタシノホンネ

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