海外の日本人村社会で生きる

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前の日記に、「海外での日本人に落胆した時」を書きましたが、こういう話題で書くと多くの方々の注目を引くのが今回も良くわかりました。

また、悲しい、嫌な思いをした経験のある方の数も半端じゃないみたいで、こういう内容の日記を書くと、私もこんな経験をしたと長いメールを頂くこともあります。今回も早速2通、その手のメールをもらいましたので、今日の日記も海外の日本人に関連することを書きたいと思います。

まず、海外での日本的村社会ですが、様々なグループがありますよね。情報交換、ゴルフや趣味の集まりであったり。こういう目的がはっきりしているグループやSNS、日本人会もそうなわけですが、これらのグループの場合、厳しい規律が決められていたりするのは当たり前で、こういう中ではお約束事は守るのも当然で、それに反する、あるいは境界線が怪しくても、そういう言動があった場合、外される、あるいは居心地が悪くなることは普通だろうと思うし、それに文句は言えないと思っています。

というか、目的がある場合は、その目的だけを見ていれば良いわけで、個人的な余計なことをその中に持ち込まないのが常識。

ところが、そういう会なのに、目的の中に「助け合い」なんてのが入っているとややこしくなるんですね。あえてそれを表面に出さないにしても段々と打ち解けてくれば、そういう「助け合い」があってしかるべきだと誰もが考え出すのでしょう。

でもこれが悪さをすると私は思っています。

グループの目的とは全く違う助け合いの精神は不要だとはっきり言うことはできませんが、その期待があるとそのグループの目的とは全く関係ないややこしい話が時々出てくるのね。この時、参加者はそれぞれ違う反応をするわけで、助けようと思う人もいれば、そんなことは関係ないだろう、そういう問題を持ち込む人は今後参加を遠慮してもらいたいと思う人も当然出てくる。そしてそれって決して悪くは無いんですよね。それはそれで当たり前だと私は思います。

一番ややこしいのは、目的もはっきりしないなんとなく集まっている仲良しグループ。そしてその手のグループが結構多いように私は思っています。まぁ、仲間内では一緒に遊ぼう、楽しもうという話から、子供のことや、健康精神面、そしてお金の苦労話もなんでもありで出てくるわけで、それにどう対応するかも人それぞれ。これに私の言う、そして嫌いな日本的村社会が見えてくるケースが非常に多いと思っています。話題は何でもありですから、また趣味の会でもない「仲良しグループ」ですから決め事もルールもはっきりしたものがない。つまり、噂や誹謗中傷、なんでもありということになりかねない。

こんなことがありました。

Aさんがお金に困っているようで、何人もの人からお金を借りまくっているらしいとの噂話。これを聞けば、Aさんとは距離を置こうとか、その話が出てもはっきり断ろうとか思うのが普通。どうしたってAさんに不信感みたいなものを感じて、付き合いが自然に遠のいてしまう。

ところがですね、この話がAさんの耳に入ったんですね。そうしたらAさんは激怒。なんてことはない、買い物に行ったときにお金が足りなくて居合わせたBさんにお金を借りただけだったのが真相だというのがわかった。この話は実は大ごとになりまして、悪いのは余計なことを言ったBさんだと。するとBさんは、いや、買い物に行ったときにそんなことがあったんだという話をCさんに言っただけだと。するとCさんは、その話を何人かにしたかもしれないということがわかってきた。

馬鹿みたいな話ですが、大体こういう感じでほとんどの噂、誹謗中傷って広まっていくのね。そしてその仲良しグループは空中分解しました。定期的に行っていた飲み会も中止。

結局悪いのは誰かってのもはっきりしないままに傷つく人が何人も出てきてしまう。

でも私はここではっきり言いたいのは、悪者を特定するとしたら、それは常に「第三者」だということ。

前にも書いたように、そんなつもりは無くても他人を傷つけてしまうなんてことはいくらでもあるわけで、それが良いとかしょうがないとは言いたくないけれど、自分も含めてそんなことは日常茶飯事じゃないにしてもいくらでも起きるじゃないですか。で、傷ついた人が傷ついたと言ってくれれば問題は大きくならないし、解決方法はいくらでもあるし、ぎこちなくなった友人関係の修復も可能。ところがその出来事を他人に話すからややこしくなる。

これはSNSとか、大きなグループを見ていると良くあるケースで、こういうことがあった。Aさんが非常に傷ついた。それをしたのはBさんだ。なんて話が出ると、まず間違いなく、「とんでもないことをする人がいる。Bさんがそんな人とは思わなかった。Bさんとは付き合うべきではない。村八分にしよう。」的なことを言う人が結構出てくるんですね。そうだそうだとAさんもBさんも知らない人たちの提灯がついて、話が大きくなって、そりゃBさんのいる場所なんか簡単に消えてしまうわけです。

この時、一体真相はなんだったのか、Bさんが本当に悪いのか、Aさんには落ち度がないのか、そんなことは関係なくて、とにかくBさん悪しの欠席裁判が行われ、判決は有罪。これって紛れも無い集団リンチでしょう。

もう何年か前のことですが、マレーシアの私が知っているグループ内でもそんなことが起きて、私は提灯を提げて騒ぐ人たちに「ちょっと待ちましょう。真相は誰も知らないのだからBさんを追い出すのが当然だみたいな風潮はうまくない」と言ったわけです。ところが今度は私はBさんの仲間ということで話が進んでいくんですね。どうして悪い奴を擁護するのか、お前は他人を傷つけるとんでもない言動を許すような奴なのかと。(笑)

まぁ、滅茶苦茶ですよ。

要は外野、第三者がいつも話を大きく、ややこしくしているのが普通。ところがその第三者って不思議なもんで、自分は正しい、間違ったことは許せない、悪い奴は断罪すべきだと信じているのね。真相がわからなくても、悪い奴は悪いと大声を出すから、結局Bさんが悪者に決定してしまう。

ちなみにこの時の顛末はBさんは排除で決定。死刑判決です。

私はこれにも反発しました。たとえBさんが悪いにしても村八分はうまくないと。海外での大きなグループから排除されるってことは、その人にとっての日本人社会から抹殺されるということですよね。これってまさに死刑判決と同じだってことが騒ぐ人たちにはわからないのね。いや、悪い奴はいないほうが良いと本当に信じているのかもしれない。

このわけもわからないのに正義を振り回して村八分を決めるって最悪でしょ。

私もおせっかいですから、Bさんに連絡を取ったのですよ。そうしたら「死にたい」と電話口で泣いておりました。どんなことがあったにせよ、みんなで悪者だと決め付けて村八分にして、大の大人を死にたいと泣かせるまで痛めつけるべきですかね?で、傷ついたという話の発端のAさんは死にたいほど傷ついたわけじゃない。

またBさんにはBさんの言い訳もあるんですね。それも聞きましたが、傷ついたと触れ回ったAさんにも落ち度があると思ったんです。Aさんは日本から来たばかりのロングステイヤー。Bさんは在マレーシア数十年の人。

これで大体想像できますでしょ?Aさんはマレーシアの事情もわからない、海外で住む日本人でも日本人なんだから日本の常識が通じると思ってる。そして、海外に出てきたばかりで舞い上がってる。そんなAさんにちょっと困ったことが起きたので、地元の事情がわかるBさんが手助けをしたわけです。

ところがこのBさんは私から見ても日本人的じゃないんです。でも海外では普通の考え方、反応をする人。つまり、誠心誠意尽くして同胞を助けるのが当たり前だとか、仕事で言えばお客様は神様ですという考え方は持っていないのね。で、Aさんの問題はややこしくて簡単には済まない。そこでBさんはこれ以上やるのなら仕事として(有料ということ)受けざるを得ないって話をしたんですね。ま、これも当然のこと。

ところが、日本人が日本人に対して、まして地元のことがわかっているのだったら困っている日本から来たばかりの日本人を「助けて当たり前」だとAさんが思ったフシがあるんですね。で、Bさんに騙された。金を取ろうとして私に近づいてきたとんでもない人だということになった。

私としては未だに悪い奴と烙印を押されたBさんの方が筋が通っていると思います。これはわがままな日本人相手の商売をして、日本人って現地では考えられないくらいの要求を普通にする人種であるのを知っている人じゃないとわからないかもね。

でもBさんはBさんで日本人とはそういうものであるというのを忘れて、現地流で対応してしまった結果がそれだと思ってます。

こんな話は山のようにあって、私のマレーシア在住の友人が、マレーシアであるサービスを提供している日本人に仕事を頼んだそうです。そうしたらその会社は思ったようなサービスをしてくれないと私に愚痴を言うんですよ。内容を聞いてみたら、その会社のサービスレベルは海外では上出来で、それ以上の良質なサービスを望むほうが無理だと思ったので、それを友人に言いましたところ、今度は私は攻撃を受けました。海外に長いからと言ってわかったようなことを言うなですと。お前はそれでも日本人かと。(笑)

もし私のその友人が、その話をあちこちでしていれば、マレーシアであるサービスを提供しているその会社は最悪の会社、仕事を頼むべきでない会社としてブラックリストに載っちゃうのかもね。

ま、こんなことが常に起こるんですね。

その原因は3つあると思ってます。

まず一つは、日本人が日本人の常識は世界のどこでも通じると思っていること。これに関しては海外在住者は皆同じことを言いますよね。「日本の常識は持ち込まないこと」って。

これはその通りですし、結構それは簡単に出来ると私は思っています。「日本だったら・・・・」と思う気持ちを捨てることは出来ないにしろ、現地流の対応に「慣れる」あるいは「諦める」のはさほど難しいことじゃない。ところがですね、海外の日本人に対しても日本の常識を持ち込むべきではないと指摘する人はまずいないんですね。相手が日本人なら大丈夫だと思ってしまう。まったくそこに疑いさえ抱かないのね。

原因の二つ目。上からの続きですが、海外に居る日本人は日本人だと思ってしまうこと。これも錯覚でしかないんですね。前にも書きましたが私の息子たちはどう見ても日本人ですが、日本の常識は通じない(どう付き合うべきかは知っていますが、それが当たり前だとは決して思っていない)。これはアメリカの二世三世を想像すれば簡単にわかることですし、たとえ一世だとしても海外に長くいればその地に馴染んで生きているわけですから、突然日本の常識を持ち出されても対応できない、どうするべきか気がつかないことが多い。ここは非常に大事な点で、日本人相手の場合どうするべきかわかっている日本人も多いですが、基本的には外人と同じと思うべきだと思っています。

そして三番目。これが重要な点だと思うのですが、海外に出たばかりの時期って、夢と希望に満ち満ちていますよね。パンパンに膨れ上がってる。と、同時に未知の世界に対する不安も半端じゃなく大きい。私だってそうだったし、これは自然だと思います。でも期待も不安も最大限に膨れていると想像してみると、この状態って、病気と同じだと言えると思うんです。

だから楽しいこと、嬉しいことを追求することに関しては非常に積極的である反面、ちょっとでも危ないと思うと過剰反応するってこと。これが小さな村社会の中で常に起こっているわけで、みんなと一緒に楽しく盛り上がるのは良いけれど、なにか不穏なことがあると、徹底的にそれを排除する方向に動くのね。だからなんてことのない出来事でも大騒ぎになって村八分だ、排除しろと平気で言うようになる。

これは本当に怖いことで、このマレーシアに住んでいない私でさえもマレーシアのあるグループの中で名指しでダボ排除運動が起きたことがあります。内容はくだらないことで、そのグループの中で当たり前に行われ、それを推奨するあるお得なノウハウですが、「法律的に見ると危ない部分があるので、個人個人が勝手にやるには良いけれど、グループとしてやらなければ損みたいな推奨の仕方には問題があるのではないか」と私が言い出したのが切っ掛け。その私の言動が、グループを潰そうとしている奴がいるということに発展し、私は排斥対象になりました。(笑)

こういう馬鹿げたことがいとも簡単に起きるのが海外の日本人村社会だと思っています。でもこれを変える事は出来ないし、変えようと思っても無理なのね。それは上に書いた三つの原因があって、それをどうにかするのは不可能だから。

でもこれらも時間が解決すると思ってます。いつまでも盛り上がったまま、そして不安で固まったままということはありませんから。そして落ち着いてくるといろいろ見えるようになるんじゃないでしょうか。

私がこういうことを書くと、つまり余計なことはしないのが一番ってことね、と考えてしまう方が多分多いであろうことが心配です。見ざる、言わざる、聞かざるがややこしいことから逃れる唯一の方法と考える人は日本の中でも多いはずですが、私としてはそれこそが日本流のくだらない妄信であって、自由な海外に来たらそういう点での自由も満喫してもよいと思うんです。そして私はそこにこそ、海外に出る面白さがあると思っています。

白人を見ていますと、彼らは議論好きで結構ギャーギャーやるのね。ところがそれが終われば何事も無かったようになる。これは当たり前で、喧嘩をしているんじゃないわけです。日本人はディベート下手だと言われますが、それはディベートが下手なんじゃなくて、「常に感情移入してしまう」という点が問題なんでしょう。

この辺は訓練でどうにかできる部分でもあるし、まず、自分は感情移入しやすいという特性を自覚するだけで変わってくると思うんです。また感情移入しなければ相手の言うことを理解するのもたやすくなりますし、そんな癖をつけただけでも自分の世界観が変わるんじゃないでしょうか。それが出来ないといつまで経っても「この国はどうしようもない国だ」とか「日本だったら・・・」という思いが付きまといますし、せっかく海外に出たのに、その地の良さを真に理解するのはできないかもしれませんよね。旅行をする目線だけで世界を見たらつまらない、もったいないと思います。その地の常識、価値観を自分の中に取り込んでみる。ここに海外生活の醍醐味があるんじゃないでしょうか。

と、同時に、日本人はこうあるべき云々という固定観念もはずしていけば、日本人同士の付き合いにも変化が出ると私は思うんですよ。というか「俺は日本人だ」という考えをちょっとはずしちゃって、「みんな外人」みたいに考えたら面白いかも。(笑)

お遊びグループの中でも友人が出来て行きますが、最終的には私が思う人間関係って一対一でしかなくて、グループでまとまりを持とうとしても無理があると思います。実際に私たちの付きあいもグループ単位みたいになっていますが、皆が同じように皆を思っているかと言うと決してそんなことはなくて、結局はそれぞれの個人がそれぞれの個人を自分流に考えているだけなんですね。

そして大事なのは、その一対一の付き合いの中で本当に信頼を持てるかどうか。ロングステイって「旅行」と「生活」の真ん中みたいでややこしいと思うのですが、「楽しもうよ」という旅行的なものと「苦労はつき物」という生活の部分があると思うんです。で、楽しい部分はうまく行っていても、長く生活する間にいろいろ問題が必ず出てくる。それはまさに我々の年代の一番の心配である健康、そして精神的な悩み、そして金銭的な苦労。これらは付いてまわるわけで、そういう生活の点でどれだけ助け合える友がいるかというのが、長い海外生活でのポイントになると私は考えます。

今、楽しく付き合っている友人を見渡して、もしかなり具合が悪くなったら、あるいは金銭的に問題が出てきたら、自分を助けてくれる人がいるだろうか、あるいは自分は彼を助けることができるだろうか考えてみるのは大切だと思います。普通「楽しい第二の人生」の観点から見ると、ややこしい人とは付き合わないのが一番になりますが、「生活」を考えれば助けあいは必要ですよね。問題があるなら帰れば良いという考え方では「生活」が成り立たない。

ずいぶん前ですが、こんなことがありました。あるご老人(女性)が金銭的に困って、もう生活が出来ないという事態になったんです。普通なら、大変ですねぇ、と声を掛けて、あとはその人は日本へ帰るんだろうな、と思って終わりますよね。でもその時に、有志が集まって助けようということになった。でも当然、皆でお金を集めて渡すってことは出来ないわけですよ。そこまでみんな余裕がありませんから。結局、そのご婦人の身柄をある人が引き取って共同生活を始め、そしてまだ健康には問題がなかったので、そのご婦人は簡単に言えばメイドみたいなことを始めた。とは言っても老人ですからいろいろあるわけで、ま、ちょっと手伝いに来てくれたらその謝礼を出すみたいな形を作って、そのご婦人は日本に帰ることなく、路頭に迷うことも無かった。そしてある年齢に達したらオーストラリアの年金ももらえてセーフティネットも利用して今はお一人でちゃんと生活をなさってる。

これは素晴らしいことだと私は思っていて、自分がそういうことになったら自分が友人だと思っている友人は助けてくれるのか、あるいは自分が助けることが出来るのか、そんなことも真剣に考える必要があると思っています。

そしてそういう友人って、たった一人いるだけで自分は生きていけるのね。

私たちにはそんな友人も複数いて、だからこそヨメサンはゴールドコーストから出たくないというのでしょう。遊び友達がいくらたくさんいても、それはそれだけのこと。で、村八分にしろだの、排除だの、あいつとは付き合うなとか言い出すのはそういう遊び友達だった人なのね。

海外生活も「楽しみ」に重点を置いている時期は好き勝手にワイワイやれば良いけれど、「生活」とか「定住」を考えた場合いろいろな問題があるのが当たり前。そんな時に知らん顔するのか、付き合いをやめるのか、遠ざかるのか、それともとことん付き合って助けるのか。ここが運命の分かれ道。(笑)

私としては「楽しみ」の部分に焦点を当ててブログを書くということはあまりないです。そんなのは放っておいてもドンドン皆さん進んでいくのが普通ですし、楽しいブログはいくらでもある。でも、だからこそ私は光と影があるとすれば誰も見ようともしない、触れようともしない影の部分を書こうと思っています。

でもそれを書くと、ダボはロングステイヤーを馬鹿にしてるとか、下に見ているとか、そういうダボ憎しのコメントを残す方もいらっしゃる。これもよーーーくわかるんですよ。楽しくて毎日わくわくしているのに嫌なことなんか誰も聞きたくありませんから。でもそういう人たちの影で泣いている人もいるし、まさかのまさかで自分やヨメサンがそういう立場になることもあるんですね。今、この時点で、人間関係に疲れて、どうしよう、もう帰ろうかと悩んでる人だって絶対にいるはず。

私はそういう人たちに向けていろいろ書いているつもりです。毎日楽しくてわくわくしている人は私のブログなんか読む必要無し。

でも、ややこしい日本人特有の人間関係に疲れたとか、周りに困っている人がいたり、あるいは排除したほうが良いと思う相手がいたとしたら、ちょっと立ち止まって考えて欲しいのです。なぜそんなことになるのか、そして解決する方法もあるんじゃないか、そんなことを私は発信したいんです。そしてこれから海外に出ようとしている人たちには、夢と希望を壊してくれるのが実は日本人社会であるという事実。みんながみんなそうなるわけではもちろんありませんが、そういうケースは山のようにあるんですね。それを知っていただきたいし、夢と希望ばかり見て、あまり能天気になりませぬよう、心を引き締めていただきたい(笑)。そうじゃないといつか被害者になったり、あるいは知らないうちに加害者側になるかも。

私のヨメサンほど日本人が怖い、会いたくない病にかかった人って私は知らないのですが、ここまで重症になると海外生活が面白くないどころか、人生そのものがつまらなくなると思うし、またそんなことになるはずが無いと思っていたのにこうなってしまった事実、そういうことが誰にでも起きる可能性があるということを書いておきたいです。

ヨメサン本人は神経質で暗そうなイメージを受けるかもしれませんが、吉本のお笑い系の感じで、大の得意は猪木の真似という面白い奴です。彼女がこんなまでになったということが旦那の私でも信じられないくらい。今思えば、友達に嘘を付かれ、排除され、そして他の友人までもそれに同調した事件があったのですが、それが決め手だったような気がします。多分彼女の日本人怖い病はもう治らないかもしれない。今はほんの数人の信頼できる友人としか会わないし、知らない日本人が来る集まりには尻込みします。でも外人には全くそういう恐怖を持ちません。

もちろん原因はヨメサンにあったのは間違いがありません。また友人だから全く問題がないだろうと気楽に考えたある行動を許す人たちじゃなかったんですね。田舎者のずうずうしさ、非常識って言えばおわかりになるでしょうか。ヨメサンのそんなところが良いところの奥様には我慢が出来なかったのでしょう。だから死刑判決。

私としてはだからこそマレーシアに連れて行きたいという思いがあるんです。彼女にリセットが掛けられるんじゃないかと甘い期待を持ってます。あるいはもーーーーっと辛い思いをするのか。(笑)

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