オカルト大好き(笑)

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まぁ、ブログに書くネタが無いからと言って思いついたことは何でも書いちゃう私ですが、今まで真剣に書いたことがない私の秘密を書こうと思います。

なーんちゃって、期待されると困るのですが、まぁ、世の中ではオカルト系と蔑む分野です。私は子供の頃からそちらの方面が大好きで、宗教とオカルトを一緒にすると怒られますが、祖母が熱心な宗教家で晩年は道場を開いて、(何をごちゃごちゃ言っているのかわからない)お経の内容を皆で勉強していたのが発端かもしれません。と言いますのは、祖母のその繋がりで変わった人がたくさんいまして、中には心霊(というべきか)関係に長けている人もいたんです。その道場に度々迎えていた偉い(と言われる)坊さんもそっち方面の力がある人でしたし。

子供の頃からそんな環境にいましたので、いわゆる超能力というのは存在すると当たり前に考えていました。そして知能らしきものが私の中で育つに連れて(笑)、もっと知りたい、自分もそうなりたいと思う気持ちが強くなり、独学と共に結構あちこちに顔を出して勉強してきました。今ではかなり大きくなってきた(でも主流じゃない)宗教団体に行ってみたり、ヨガとか禅、あるいは修験道の世界にいる人たちは不思議なことがあるのがわかっていましたし、今となってはその団体名を口に出すことさえはばかれる大問題を起こしたヨガの団体に在籍していたこともあります。

そんな超能力(この呼び方は好きではない)は確かに存在して、ヨガでも禅でも、あるいは仏教の一派にもそれを重視する団体はいくらでもあって非常に興味深かったです。そしてある時、仏教の初期経典である阿含経と出会って、ある種の能力は間違いなく存在すると確信するにいたりました。そして空海も密教もヨガも修験道も繋がるものがあると。ただその能力の発現に重きを置くか置かないかの違いはあっても、その能力の存在を肯定する宗派は多いんですね。

で、私としては極めてみたいと思ったわけです。(笑)

ここからはまぁ、どういう道を歩んで何が起きて何を得たのか、あるいは様々な宗教団体で何があったか、怖かった話も含めていろいろあるんですが、それを書き出すと分厚い本の量になってしまうし、結論なんか出ませんからやめておきますが、ある頃から宗教と切り離して考えることが可能であるというのがわかって(体験して)、それからはある種の能力の発現を科学的に検証するという方向で動いていきました。何十年も掛けて勉強し、得たことが単なる思い込みであったらとんでもないですから。

でもその存在するある力をなんと呼ぶべきかは私には全くわからないのです。単にある種のエネルギーが存在して、それが現実に影響を与えるというのがわかるだけ。でも残念ながらそのエネルギーを測る計測器はまだ存在しないんですね。いや、存在するという人もこの(わけのわからん)世界にはいるのですが、科学的な計測器と言えるものはまだ存在しない。

でもそのエネルギーを人間が感知できるとするならば、被験者をそれなりの人数集めて、お互いの接触はできないようにして、ある状況下でそれぞれの被験者が一体何を感じるかのデータを集めると統計的に答えは導けるんですね。私としては世の中の馬鹿にされるオカルト系の人たちは、いかに自分が書いた著作が売れるかどうか悩む前に、真剣にデータを集めてもらいたいと思っています。それなくして、早稲田の大槻教授を黙らせることは絶対にできないのね(笑)。というか大槻教授の指導の下にいろいろ実験をやれば良いのにといつも思っていました。

私にわかること、出来ることってあの世界で言えば、何も出来ないのと同じ程度なんですが、誰でも割合簡単に出来るようになるヒーリングに関して今回は書こうと思います。

この発端は私の母でした。

歳を取ってあちこち具合が悪くなるのは誰しも同じで、母も友人に薦められてある治療院に通っていました。鍼灸治療みたいなものといえばわかりやすいはずですが、正確には「温灸治療」というものです。ある器具を使いまして、熱い冷たいを患部、あるいはツボにあてて「経絡を通す」ことに主眼が置かれた治療法。この治療院に通っていたのですが、そこの先生も変わった経歴がある人で、身体の大きな人で背広を着るとどこの社長?みたいな感じの人なんですが、話を聞いてみると政治の世界に長くいて、ある著名な政治家の秘書を長年勤めていた人。ですから温灸治療なんてまるで別世界の人であったわけです。ある時、彼の息子が交通事故にあってかなり重い障害を負ったらしいのですが、彼はその治療に没頭し、ありとあらゆるつてを辿って有名な医者、治療院を回り歩いたそうです。でも駄目だった。そんな時に温灸治療にであったそうです。こんなもので治るのかと思ったそうですが、藁をも掴む気持ちで治療を受けたらかなり改善したとのこと。

彼としてはもう歳なので、仕事はやめ、自分の人生は自分の命である息子を助けたこの温灸治療を世に広めようと思い、自ら勉強し、治療院を開いていたわけです。そんな彼ですから、通ってくる患者に温灸の方法を教えるんですね。で、こんなのは簡単だから家族の中で一人でもそれができれば、家族は安泰だと彼は信じていたしそう教えていたわけです。そして私の母も治療を受けながら温灸治療法を学びました。

この治療法で彼の場合は珍しい特徴がありまして、「気の流れ」を整えない限り全く効かないと言っていたこと。

ですから、治療器を使って温灸をするのですが、必ず何度か治療する部分の上を体には触れずに手で撫ぜるんです。これが非常に大事で、誠心誠意、治って欲しいという思いをこめて、出来る限りの精神集中をしてそれをせよと。母も言われたとおりそれを学び、それなりにうまくなってきたんです。そしてある時、先生に「貴女はもうここに来る必要は無いし、自分でやりなさい。そして家族でも誰でも困っている人にはやってあげなさい」と告げた。

母としては嬉しいわけで、私や家族にはもちろん、会う人会う人に「どこか悪いところはない?」と聞いては学んだ温灸を施していました。

これが効くんですよ。私は20代の終わりの頃、かなり酷い偏頭痛に悩まされまして、何箇所も医者を回りましたが鎮痛剤を与えてくれるだけで治らない。その鎮痛剤も凄いもんで、効き目の強いものは頭がボーっとするというか幻想が見えるくらいに強いんですよ。ある種の麻薬に似ていて、というか麻薬の一種なんでしょう。このボーっとした状態で瞑想すると凄いものが見える。あるいは世の中の真理に触れられるような変な感覚があったんです。当時、2001年宇宙の旅をやっていた映画館がありまして、朦朧としている状態で見たらきっと何か違う感覚があるだろうと行ってみたのですが、凄かった~~~(笑)。あの宇宙の中に自分がいる感覚があるのね。そして最後のあのモノリスが出てくる場面とかわけのわからん回想部分が非常に良く理解できるんです。神と言うべきかなんと呼ぶべきかわかりませんが、大きな存在が実在するというのが体感できた。

で、話は戻りますが(笑)、私の偏頭痛は酷くて、これがいつ出てくるかわからない。運転中に出てくると大変で、まず右側に出るのですが、右目から涙が大量に出て、目は真っ赤。奥のほうが痛くてしまいに全く見えなくなるんです。鏡を見ると顔がゆがんでいるのがわかりますし、頭の痛みたるや針で刺したどころじゃないんですね。でも鈍器で殴られた感じでもない。太い針でグサグサ刺されるような感じでしょうか。こうなると壁に頭をぶつけたり、近くに硬いものがあればそれで頭を叩くと気持ちが良い、楽になるというくらいで、本当に酷かったんです。

この薬を飲んでもその時の痛みを軽減するだけだったのですが、なんと母の温灸治療でこれが治ってしまった。それ以降、この30年、全く偏頭痛は出てきません。

これと似たような事が回りで起こり始めたんです。数年に一度しか会わないような遠縁の親戚が来たり、またその人が知人を連れてきたり、我が家は診療所みたいなことになりました。それぞれが手が上がらないだの、腰痛で歩けないだの、びっこを引きながら我が家に来るのですが、帰りにはニコニコしてぴょんぴょん飛び跳ねてみたり。こんな噂が噂を呼んで多くの人が来るようになったのですが、問題も出てきました。

母の具合がどんどん悪くなるんです。

真夏なのに寒い寒いと靴下を二重に履いたり、コタツを出していたくらい。寝込む日もあるようになってきました。

これがどうしてそうなるのかは、それ関係を勉強していた私にはピンと来るわけで、気とかある種のエネルギーに関して全く無知な母が自分が思うままにやっていた弊害なんですね。まず母がどういう思いでやっていたかを聴くわけですが、悪いところを吸い出すというイメージをまず持っていることがわかりました。これは非常にうまくなくてその通りになるんですね。そして自分の中にある光を注ぐようなイメージで治療をすると。

ああ、この頃は面白いもんで、温灸そのものはやらなくなっていました。ある日、母と話していて、これってもしかしたら先生が言った「手のひらを当てて気の流れを整える」ところに真髄があるんじゃない?ってなもんで、温灸はやらずに手のひらだけで治療したらどうなるかの実験をしたんです。そうしたらそれで十分だというのがわかった。で、温灸の器具は全く使わずにまさに「手のひら治療」になっていたわけです。

このままでは母が自分の命を削っているのと同じですから、絶対にうまくないと母を説得して、ある日ある時から、一切の治療はやめました(家族は別)。

ここで終わらないのが我々親子の面白いところで、では気を勉強しようと言うことで、私がすでに知っていた気とかある種のエネルギーの先生周りを始めたんです。何箇所か回って話を聞いたり、講習を開いているところもありましたのでそれを受けたりしている間に段々とわかってきました。気にもいろいろ種類があると。そして母が使っていた気は中国系の気、つまり気功の気らしいのですが、当時日本で広まりつつあるその種のエネルギーと比べると欠点があると。まず、気功の気は外からそれを自分の中に取り込み、あるいは自分の中で気を生成して放出するという方法をとるということ。ここが母が知らなかった大きな問題点であるのがわかりました。だから自分がどんどん駄目になっていくんですね。気を取り入れる方法も気を作る方法も知らなかったんですから。

この辺は気を学ぶとすぐわかる部分で、大地から、あるいは大きな木からエネルギーを吸収するような行為を気功師はやりますが、まさにあれなんですね。そして日本ではそれの上を行くものが中心になっていることも段々とわかってきました。新しい方式では、自分は単なる導線の役目しかしないという特徴がある。つまり溜め込むことが無いので、失うものも無ければ、他の気を受けて溜め込むこともないと。またこれは私には理解できない、というか確かめることが出来なかった部分なのですが、気にも波長に似たようなものがあって、中国気功はそれが荒いとのこと。新しく広まっているエネルギーはもっと繊細で動きが違う(効果も違う)とのことでした。

その違いを体感することは出来なかったのですが、自分自身は単なる導線、導体でしかない、通り道として使うという方法はわかり、そちらへ移行することは私も母もできるようになりました。また自分の中の気を使わないので、遠隔治療も出来るようになる。ただ、能力としては母の方が私よりはるかに上。(笑)

母の興味はヒーリングだったのですが、私はそのエネルギーの本質、動きを知りたいという点で方向性が違っていましたが、この母子行脚は今でも良い思いでです。

その後、ヒーリングに関してはなぜか突然母が興味をなくしてしまうということが起きました。あれほど一生懸命だったし、新たな、そしてより良い方法を体得できたのに(遠隔治療の入り口にも立ったのに)なぜそうなったのかは疑問です。私としてはこの辺を宗教とか、未知なる大きな力の作用があったんじゃないかと想像しているのですが、全くわかりません。ただ母と言う人間の進むべき道の一つの関門であっただけのかもしれない。

私はというと、その後も興味が尽きることなく、より深く理解し、またそのエネルギーが使えるような練習、そしてその結果をどう科学的に判断するかに焦点を置いてやってきました。

どんな方法をとるかと言うと、まずエネルギーに感応しやすい人がいますので、そういう人たちと実験するのですが、まず誰かがエネルギーの玉を自分の手の中でこねて作るんです。そしてそのエネルギーをたとえばテーブルの上に乗せる。もちろんテーブルには近寄らず、エネルギー玉を置くのも、置くという想念だけで行うわけです。でもどこに乗せたのかは誰にも教えない。そして他の被験者はそれを自分の感応力を使って探すという実験を繰り返すわけです。

面白いですよ~。こんなことだけでもある主のエネルギーが存在するのがわかりますし、また人によってそれを作る、あるいは感じる能力が違うのもわかる。

でもねぇ、すぐに壁にぶつかるんですね。私の場合は素養がないのか、そういうエネルギー研究会に在籍していたのですが、まるで追いつかないんですよ。中にはスプーン曲げなんか簡単にやる人もいるんですが、私には出来ないし、力のある人たちの多くはヒーリングの方向へ行って自分で治療院を開いたりするのですが、私には全く進化がない。

こうなってくると関心がなくなってくるというより、それに関わるのが嫌になってくるんですね。自分ひとりが馬鹿、無能だという証拠を常に突きつけられているようなもんですから。ですから、私も段々と離れるようになり、自分ひとりで自分が出来る範囲で、それも遊びとしての位置づけになってしまいました。

そうこうしている内に年月も経ち、オーストラリアに渡り、子供も出来て育ってくるわけですが、ある時、長男にその不思議なエネルギーの話をしましたところ非常に興味を示したので、ある時期、長男と実験というか調査をしていた時期があります。

その未知なるエネルギーもいろいろな性格があるんでしょう。あるいは全く別の種類のものかもしれませんが、私は実は「お化け」と呼んで良いだろうと思う物体(白い塊。雲みたいなもの)を見たことがありますし、行く場所によっていろいろ感じることが結構あるんです。背中がヒヤっとするとか、とてつもない恐怖に襲われるとか、そういう場所があって、その地点を特定することも出来ました。でもそれ以上のことはわからないし、出来ない。

そんなことがありましたので、ゴールドコーストでおかしな交通事故が起きたりすると、現場に行ってちょっとエネルギー状態を見てみるんです。するとその事故の原因になる「何か」がそこに存在するのを感じたり。これはかなりピンポイントでわかりますし、実際の事故の場所じゃなくてちょっと手前に問題がある場所があるのがわかったこともありました。つまり、そのポイントでそれに感応した人が自分を失ったのか、あるいはパニックになったのか、それが原因としか思えない、変な事故もありました。

また、サーファーズパラダイスのある店が場所は良いのにどうも繁盛しなくて店が潰れてはまたオープンするようなところがあります。これもおかしいなぁ、と思い、いろいろ調べてみると、その店の中ではなくて玄関におかしなポイントがあるのを感じたり。そういうのを感じる店、場所が何箇所かあるのですが、秘密です(笑)。ある店では友人が立て続けに商売を始めて二人とも失敗したなんてこともありますし、確か今、その店は空いたままのはず。

ま、こんなのは勘違いだと言えばそうかもしれませんが、興味を持った長男にもいろいろ教えて、彼はそれを感じ取れるのか、全く何も感じないのかの実験もしてそれなりに面白い結果が出ています。

変人でしょ?(笑)

今では自分はここまでと思って先に進むのは諦めていますが、神社仏閣に行って、ここには神様はいない、ここは凄いパワーがあるなんて一人で勝手に考えては楽しんでいます。かつてのグループの中には凄い人がいて、何も感じない神社仏閣には大きなパワーを置いてくるなんてことを趣味でやっている人もいました。これって今思えばとんでもないことをしていると思うのだけれど、私が昔から師と仰ぐ霊能者がいるんですが、彼女も、結界を作らないとならないなんて真剣に考えてはあちこち行くような人ですから、昔からそういうのはあったのかもですね。

その師と仰ぐ人ですが、一時期はかなりテレビにも出た人で、うしろの百太郎という漫画があったのをご存知でしょうか。それの題材になった人で、つのだじろう氏とも交流があり、私もつのだじろう氏宅へ何度かお邪魔していろいろ話を聞いたことがあります。でもつのだじろう氏って彼自身は特殊な能力はもっていないんじゃないかと思います。

また、その師は霊能者と言っては失礼で、中国の気功の組織と交流を図ったり、大学で気の講義をしたり、真面目に世界や人間の幸せを考えている素晴らしい人でした。そういえば、その先生から呼ばれて行きましたところ、フィリピンから有名なヒーラーが来ていまして、その方法の伝授会みたいなものに参加させてもらったこともありました。被験者と言うかその時の為に呼ばれていた病気の人たちが日本各地から来ていまして、来たときには付き添いの人に抱えられていた人が帰りにはスキップして帰ったなんてこともありました。また、そのヒーラーからもらったという大きな石、スイカより大きな重い石ですが、これが不思議な石で、手をかざすとまさに扇風機のような風がその石から出ているような位、強いエネルギーを感じるものが先生の家にあったのが忘れられません。私も欲しい。(笑)

こんな話を書き出すといつもの通り切がないのですが、このブログにも書きましたように、何年前か私は四国のお遍路さんに行きました。と同時に、伊勢神宮の参拝。これは知る人ぞ知る話ですが、実は伊勢神宮は内宮ではなくて外宮が大切な場所であること。またそれに繋がる宮ですがほとんど誰もいかない伊雑宮にお参りしてきました。そして金沢へ移り白山神社の総本山である白山比咩(ひめ)神社も参拝。日本はここから生まれたと言われる白山連峰も眺めてきたのですが・・・・

これに関しては深いところの話は書いていませんが、私に取っては今後の身の振り方を決める旅でした。もしこれで私に何もわからない、感じないとするならば、私がずーっと興味を持ち続けてきたこのエネルギーに関すること、またそれと繋がっているであろう神々のこと、それを探求し続けるべきか、あるいは断念するべきか、それを決める旅でもありました。

結論としては散々で、神社仏閣に行くとそれなりにいろいろ感じますし、それだからこそ伊勢や白山比咩では何か自分に大きな変化があるだろうと期待していたのがまるで反対。何も感じない。全く駄目。それどころか「無」を感じたんです。本当に何もない無。これは意外というかショックと言ってもいいくらいで、お前が来るべき場所じゃない、お前の魂の進化レベルでは1000年早い、みたいな感じを受けました。多分、テレビやラジオで言う受信機の周波数があっていないような、いや、全く違うしろもののような、自分が求めてきたものは何だったのか、全く無駄なことだったのか、そんな打ちのめされたような思いで帰って来ました。

それ以来、エネルギーを扱う練習も神様探しもやめたというか、休憩中とでも言いましょうか、そんな感じです。

己の力量がわかったというべきかもしれませんね。でもそれはそれなりに感じるところがありますので、これからは世界のパワースポットと呼ばれるところに何があるのか、何を感じるのか、古代遺跡も歩いてみたいと思っています。また古代宗教を調べたいし、ただそれは歴史を調べるがごとく調べるという意味ではなくて、その宗教の根本に何があったのか「感じる」ことが出来る旅ができたら面白いと思っています。

またこのブログは読んでいないと思いますが、マレーシア在住の日本人で、私とこの手の話をすると盛り上がる人がいまして、その方と共にいろいろ調べてみたいと思っています。どうも「精霊」が見えるというマレーシア人もいるそうで、是非会ってみたい(笑)。また我々はイスラム教は怖いというイメージを植えつけられていますが、ちょっと歴史を調べただけで、イスラム教がいかに重要であったか、どうして人の心を掴んだのかという点で、決して恐怖による支配宗教ではないのが見えるような気がします。そういう意味で、宗教好き(こういう言い方は怒られるでしょうが)の私としてはちょっくらのめり込んでいろいろ知りたいと思っています。またインド人も多いことから、昔から興味があるヒンドゥー教も調べてみたいです。

ただ、それらは頭で知る、知識として得る、論理的に考えるというアプローチではなくて、自分の心がそれらの何にどう感応するか、そこに重点を起きたいと思っています。

楽しみ、楽しみ。

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私自身も微力ながらヒーリングをかじったわけですが、ヨメサンにはそれを使ったことがありません。子供たちの具合が悪いときには時々やっていましたが。

やっぱり全く効かなかったときの無念さ、落胆に耐えられないと思ったのかもしれません。あるいは実は私自身がヒーリングなんてまるで信じていないのかもしれない。これは満更嘘でもなくて、絶対にそういう未知の力が存在しているのかと聞かれれば、絶対あるとは言い切れないわけです。

またヒーリングには若干の恐怖もあります。我々の常識としては「治る」ことが良いと頭から信じていますが、病とは未知の大宇宙の論理で言えば、必然であるケースもあるんじゃないかと思うんですよ。つまり、治らない、治ってはいけない部分があると考えられる。

末期の人をヒーリングしたら突然死んでしまったという話を何回か聞いたことがあるんです。なんだ、治らなかったじゃないかと思いますが、死ぬことが決まっている場合、苦しいまま生きながらえるより早く逝ってしまうのが良いことなのかもしれない。この辺を常識で考えるとエネルギーの本質がわからないし、もしそれが我々が神と呼ぶなんらかの存在によるものだとしたら、我々の希望や欲求とはまるで違う方向性を持っているであろうことは容易に想像できますよね。

またどんな有能なヒーラーでも近親者には効かない事が多いという話も良く聞きます。この理由ははっきりわかりませんが、利己的な欲望が強く出てしまうのかもしれないからと私は想像しています。とにかくこのエネルギーだかなんだかわからないこれらの動きは、どうも心の持ち方に大いに関係しているようで、本当に不思議だと思います。

ま、わからないことばかりですが、何か未知のものが存在しているであろうと思っています。

我々はまだ天動説を信じているのと同じレベルかもしれない。

 

 

 

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