自分のバカさに落ち込んでいます

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やっぱり「俺はバカだ」「甘い」と痛感するようなことが起きました。

細かいことは「今の時点」では書けませんが、やっぱり私には「先見の明」もなければ「冷静な判断」も出来なくて、交渉のプロからしてみれば赤子のようなものであるのがはっきりわかりました。

日本人特有の「相手のことを考える」というのもマイナスになるのがわかった。人間とは我儘で「自分に利益があることだけ主張する」というアタリマエのことを一瞬忘れて、ニコニコして近づいてくる人に耳を傾けて、その人がそこまで願うのなら・・なんて妥協したのが大失敗。

相手はこちらに対する遠慮なんかなくて自分の利益だけを考えていたのが後になってはっきりわかり、相手の利益はこちらの損失になるというところまで見ぬくことが出来ませんでした。

WinWinの関係だとは思いませんでしたが、多少は相手の言うことを聞いても良いだろうと甘く考えたのが大失敗で、結局それが自分の損失、そして周りの人にも迷惑を掛け、実際に金銭的な損失が出てしまう。「いいですよ」と簡単に受け入れてしまったことがまさか実際に金銭的な、そして大きな損失になるなんて想像もしませんでした。結果的に今回のことは「お金くれる?」「うん、あげる」みたいな感じですわ。

相手はその辺も考えていたのは明らかで、私が受け入れたら恐ろしいスピードでそれを実行し、私があれれ、ちょっと話が違うんじゃない?と思った時にはすでに遅かった。私が出した「了解」を覆すには、私がそれなりの賠償責任を負わなければ話を元に戻すことはできないってことなんですね。

一対一なら私が泣き寝入りをするか、あるいは出るところに出るかとなるわけですが、第三者が絡んできますとなかなか難しく、「結局誰がババを引くのか?」みたいな感じになってきました。その第三者は私のドジを非難することなく、損失の一定部分を受け入れようとはしてくれているのですが、最終的にどうなるかわからず。

ここで日本人的発想しかない私は、「俺がバカだった」と諦める方向に向くわけですが、それじゃ外国では生きていけないんですね。その内、全部むしり取られてしまう。

本来ならここで、「私がOKした線をお前は超えている」と反撃しないとならないのでしょうが、そしてそれが契約社会では当たり前なのでしょうがなかなかそのようには動けない自分がいるのがわかります。

今の私の中では「自己嫌悪」と「他人の欲望の凄さ、作戦の巧みさに対する驚愕」がごちゃまぜになって、嫌~~~な心境です。早くここから逃れたいと思う方向にしか心が動きません。つまり、「自分の損失を受け入れる」という方向。

バカだ・・・。

でも今フト思いました。これがまさに日本、日本人なんだろうと。

相手に強く押されると、あるいは巧みな誘導には引っかかりやすい。戦後の日本の歴史がまさにそれでしたね。

そして私の歴史もそれだった。そして今回も引っかかった。

でも私はそういう罠が多い世界でうまく立ちまわって生きて行きたくないという感覚もあるんです。相手に誠意は無かったにしろ、自分にはあった。ここを崩してはならないとも思うんです。でもそれでは利用されていつか裸にされるのでしょうが、それも一つの生き方のような気もするんです。

同じような感覚を持っている者同士ならうまくいくんでしょうが、そこに頭の良い奴が紛れ込むとそいつの一人勝ちになる。でもそれでも仕方がないと思うような自分のバカさがあるわけです。

でも相手は相手で、こちらのそんな心境は理解しない、できないんですね。文句があるなら言ってくるはずだと信じている。文句を言わないのは文句が無いってことだと考える。このまま行けば「うまく行った」と思うだけで、私に感謝するなんてことは一切ない。

前にこのブログで紹介したイギリスのチャーチルの回顧録の中の文を思い出します。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。

(中略)

もう一度無理難題を要求すると、これも呑んでくれる。

(中略)

さらに無理を承知で要求してみると、今度は全くの別人の顔になって、「こんなに譲歩しているのに、ここにいたっては、刺し違えるしかない」という。

戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったのなら、もっと早く発言して欲しかった。

日本人は外交を知らない。

今の自分はまさにチャーチルが指摘したそれそのものだと思いました。

でもこういう日本人の価値観って死生観にも繋がっていて、そうそう簡単に変えることはできないんですね。また変えるべきなのか、そこも良くわかりません。

きっとこれでは世界の中では生きていけないのだろうと思うのですが、信仰心らしい信仰を持っていない私でも、眼に見えないものが「それでよいんだよ・・」と言っているような気がするんです。

でもそういう価値観を美化してもならないんでしょうね。結果的にそれが相手を含めた周りに迷惑をかける事に発展するかもしれないし、私個人で言えば関わった人たち、そして家族にも迷惑をかける事になるはずですから。

これって育ちにも関係があるんでしょう。私みたいにトラウマが残るほどに「お前は駄目なやつだ」と言われ続けて育つと、自分も「自分はそうなんだ」と思うようになるんですね。大人になっても60を過ぎたジジーになってもそれは尾を引いて、「自分は駄目ではない」とはっきり自覚するために生きるみたいな人生になりますが、負け犬根性が心の奥底に染み込んでいるのをこういう時に感じます。

自分の子供達はそういう風にならないようにかなり注意して育てましたが、彼らだったらこんな時にどういう反応をするんでしょう。それが気になります。

私の救いはO型丸出しのヨメさん。

ヨメ「あんたがドジなのはドジとして、今回のことで我が家はどれだけ困るの?」

私「困るってほどのことはないんだけれど・・・」

ヨメ「じゃ、いいじゃない。私はあんたのそういうところが好きだし」

なーんてことを言ってくれます。

でもねぇ、「稼げない男って最悪」と今までに何度も脅かされてきました。でもお金がなくてサラ金にお金を借りるようなことも結婚当初にあったのですが、ああいう本当に困るときには何も言わずに頑張って働いていたヨメさん。彼女は愚痴一つ言わなかったのを私は一生忘れません。

ま、お金は天下の周りモノで失うこともあれば入ることもあるわけで、頑張るしか無いのだけれど、今回のように自分の甘さ、ドジさがはっきり露見するようなことがあるとかなり落ち込みます。こんな調子で生きていけるわけがないんですから。

でも、もしかすると「お金でかたがつくこと」って本当は苦労でもなんでもないのかもしれない。

皆が健康で笑って過ごせる生活があるのなら、それ以上のものを求めるのは「欲の皮が突っ張っている」だけかもしれませんね。

そ~でも考えないと、やってられね~~~~~。

 
 
 

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