トレードとジャズの関係【相場】

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また突拍子もない事を書くと思うでしょう~?ワシもそう思う~~。(笑)

実はですねぇ、ここのところの内職をしながら感じることがあるんですよ。私がやっているのは例えばピアノ、ギターでも良いですが、教則本通りにいかにそつなく演奏するのかってのと同じだと。そしてその教則本ってのは自分で作った教則本なんですね。

これはこれでよいのですが、チャートを眺めているともっと自由にやっても良いような気がします。

ただし、自由って難しいのはどんな分野でも同じで、自由と身勝手とは違うんですね。自由でもやっぱり抑えるところは抑えていないとただのメチャクチャになる。

そもそもトレードって(バカな)心のままに売った買ったするところがあって、だからこそ多くの参加者はそれに気が付かずに負けるのだと私は思っています。まただからこそ思惑を排除したシステムトレードが重視される。これは私は自動売買はしないものの、考え方は同じで、売買ポイントが気分で変わるようじゃ困るんですね。チャートを見るならちゃんとチャートを重視するべきで、サインも出ないところで「なんとなく」売買するぐらいならチャートを捨てるべき。

ま、学ぶ順序としてはそれで良いと思ってはいるのですが、しかし、いつまでもその一つの手法にこだわり続けてそれしかしないってのも進歩が無いんですね。これに関しては何度も書いていますが、歳を取ると今まで出来たことが出来なくなりますから、なんらかの「次のステップ」を考えないとならないんですね。

実は今日、道を歩いていてつまづきました。転ぶほどではありませんでしたし、まっ平らの普通の歩道でつまづいたのです。引っ掛かるものは何もなし。つまり、これって私の老化以外の何ものでもないんですね。普通に歩いて足も上げているはずが、上げきらずに引きずって歩いていたってことだと思うんです。でも本人は何も気がついてない。

こんなことを考えながらチャートを見ているとゾッとするんですよ。

今まで普通に出来ていたことも知らない間にできなくなるんだろうと。

でも今はまだ良いんですよ。少なくとも身体は着いてこないにしても頭はまだどうにか動いていますから。でもそれも時間の問題で頭そのものの判断能力も落ちてくるはずなんですね。

でもそれを受け入れるわけにも行かない。

だからもっとボケてもジジーになっても大丈夫な新しい方法を常に模索しているわけですが、今日は今週の反省会ということでチャートを見ながらそれを考えていてあることに気がついたのです。

私が音楽が好きなのはいつもここに書いていますが、相場も音楽と同じだと。

私の手法は非常に単純、オーソドックスで、トレンドを探し、その方向に乗るという手法。ではトレンドを何で見るかというと、大きなトレンドは一目改と読んでいる雲のようなもの。その次の中トレンドはDoda_Donchianという一目の基準線とほぼ同じもの。そしてもっと細かいトレンドはTrendMagicで見ています。

わかりやすくチャートで見るとこれ。

2015-12-12_22h22_14

この3つのトレンドを見る指標でトレンド判定をして、トレンドの強弱はHMAとの位置関係で見ます。これが基本の基本で、出撃場所はオシレータで見るんですね。

でもこのオシレータがトリガーになるのは私の性格的なもので、昔からそもそもオシレータが好きで、トレンドがどっちを向いていてもオシレータだけで勝てると豪語していたバカな時代もあったくらいオシレータが好き。

でもそのオシレータを見ること自体が、年齢とともに厳しさがあると感じる今日このごろ。つまり細かすぎるんですね。

ま、手法は参加者の数だけあると言っても良いくらいですが、まぁ、トレンドを見るというのは多くの人がやっていることで、そのトレンドが見えたのなら「それに乗れば良い」という考え方があるんですね。でも私の手法はそれには乗らずに、それは単なる方向性を見ているだけという考え方です。

でもチャートをボーーッと見ていて思ったんですよ。これって音楽と同じだと。

もしジャズだとすれば、普通みんなと決めるのはコード進行だけなんですね。リズムはドラムやベースに任せて、参加者はそれから逸脱してはならない。でもその中なら好きなようにやっても良い。だからジャズは面白いんですね。

つまりですね、ジャズで言うコード進行はチャートで言うトレンドであって、そのトレンドに反することをしないのなら、どこで入ろうが、どこで出ようが、好き勝手にやれば良いんじゃないかってことなんです。

意味がわかりますかね?

カラオケも同じことで、伴奏にピッタリ合うような歌い方は面白くないわけで、あえて自分でずらしたりおかずを付けてみたりして歌うでしょ?そうじゃないと小学生の唱歌になってしまいますから。ただ得点が出るようなカラオケはちゃんとリズムもきっちり同期させないと点数が悪いみたいですが、うまいプロの歌なんて自由に歌っているじゃないですか。だから上手いと思うんじゃない?

つまりですね、私の命みたいだったオシレータをちょっと見ないでやってみようかと思うんです。オシレータって音楽で言えばメトロノームみたいなもので、これは非常に大事ではあるけれど、それに支配されてはならないってことと同じじゃないかと考えるようになりました。

私のやり方って、手法を決めて、チャートを見て、オシレータの動きに合わせ動いて・・・って、これは音楽で言えば楽譜を目の前においてメトロノームのカッチンカッチンという音を聞きながら、四角四面な歌い方をしているのと同じじゃないかと思ったんですよ。

そういう時期も必要なんでしょうが、歳を取ってきたらもう少し大様に構えないと身体も頭も追いつきませんし、またメトロノームが無くても歌える、演奏できるようでないと進歩もないってことになりますよね。

これってオシレータを重視しない。なおかつ瞬間芸からの脱皮でもあるわけで、トレンドを見つけるという大原則からハズレなければもっとゆったり大雑把にやっても良いようなきがするんです。そしてそれが出来る能力を開発するのが進むべき道のような・・・。

どちらにしても気も楽に持ち、細かい見方はせずに瞬間芸にこだわるのではなくて、まさに「流れをつかむ」手法に変化させていく必要性を感じます。私が日足を基準にしたトレードが出来ないというのも、細かく見過ぎるからで、大きな流れの中で自由に売買できるようになれば長期売買もできるようになるかもしれない。そんな気がするのです。

ま、とにかく身体的、能力的に歳を取るとどんどんダメになるのははっきりしていますから、今のうちにジジーにはジジーらしい方法を見つけないと駄目だと思っています。

いつまでも最前線で戦えると思ったら大間違いなんですね。でも後ろから大勢を見て大きな流れをつかむようにならないと駄目なのは軍隊でも企業でも同じで、私は「技」にこだわりすぎていたような気がします。新しい世界に積極的に足を踏み入れなければ将来はないはず。

そう考えるようになったのはまさにジャズとの類似性なんですね。基本のコード進行からハズレなければ何でも良いじゃないかという大らかさが必要だし、だからこそトレードを楽しめるようになるような気もするのです。

神経を張り詰めてモニターに目をくぎ付けにするような手法が成り立つのは若い時だけじゃないんでしょうかね。

ま、チャートを見ていてそんなことを感じました。相場と自分の感性の一体化。私の相場人生の仕上げ(笑)。そんなことを考えてみるのも良いかと・・。

EUR/USD M1のチャート。週末はアメリカ時間の方が面白かったですね。ジャズはやっぱりアメリカか?(笑)

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