しかしトランプ旋風は止むところを知らず、凄いですねぇ。
冗談だろ?なんて思っていたのが快進撃。
最初は私も笑ってみていたのですが、段々とトランプ氏のいうことを聞いていると私も賛同したいと思うところが多々あると思うようになりました。私はそもそもこのブログにはいつも書いているように、アメリカ様が主導するグリーバリズムだの新自由主義だの、市場主義だの規制緩和だのはなんて安っぽく馬鹿げていて、世界を無法地帯に導き、勝ち組がますます勝つ理屈だとしか考えていません。
これらは「良い作戦」ではなくて「ろくな成長戦略も考えられない無策」だから仕方がなく考えだした理屈でしか無いと断言したいです。ルールを甘くして垣根を低くすれば市場規模は広がるのはバカでもわかる単純過ぎる理屈でしかない。でもその世界で笑うのは勝ち組でしかなく、チャンスは平等だなんていうのはただの幻想で、ライオンも羊もウサギもネズミも狼も同じ土俵で戦いましょうなんて、こんなメチャクチャな論理がありますかね。
トランプ氏もそれにノーを突きつけているという点で共感するところがありますし、一般的アメリカ市民がもういい加減「勝ち組の論理」には飽き飽きしているってことじゃないですかね。アメリカの所得格差も恐ろしいほどで、私立の有名大学で修士課程まで行くには5000万円以上の金が必要で、親は年収5000万以上じゃないと難しいなんて言われる国になってしまった。
日本からアメリカの有名大学に留学させるには大雑把に5000万円は掛かるのはもう20年以上前から言われていたことですが、私の子供たちももしアメリカのアイビーリーグに行きたいなんて言い出したらどうなるのか調べてびっくりしたことがあります。ある有名校ですが1年生は寮に入るのが決まりで、寮費、学費の年間の学校への支払いだけで7万5千ドルとホームページに書いてあってぶったまげたことがあります。そういう学校ではなくても留学中の諸経費を入れると4年で片手(5000万)というのは昔から言われていましたが、留学とはそんなもんなんだろうと思っていました。
ところが近年はアメリカ人でさえも修士課程まで行かせると有名校では5千万円という金額になるらしく、その金がなければ州立校や無名の学校に行くしか無い。
そして忘れてはならないのは教育費は所得控除にならないということ。つまり税引き後の手取りからこの金額を払うわけで、税込みの金額を計算しただけでも気絶しそうになります。
日本でも東大生の家庭がいかに裕福かの統計を見たことがありますが、金がなければ教育も受けられず、低所得家庭の問題にもなっている。この日本の状態がこのまま行ったらアメリカみたいになるんだろうと思ったり。
当然、それは就職、所得に繋がっていて、アメリカの若者の閉塞感って半端じゃ無いんだろうと思います。そしてチェンジを売り物にした大統領も大したことはなく、アメリカの一般市民が怒っていると感じます。
アメリカが世界のことに口を出すから国内が疎かになるというのは当然の理屈で、アメリカはアメリカのために存在し、大統領の仕事はもっと国内に目を向け、アメリカの利益を優先しろというのは当たり前といえば当たり前。
そういうトランプ氏もサンダース氏も共通点があるわけですが、今まで利益を享受していたグローバル企業や産軍複合体、それにぶら下がる多くの企業群、勝ち組が黙っているのかどうか。しかしトランプ氏を叩けば叩くほど、トランプ氏は票を集めるという現象も起きている。それどころかトランプ氏を叩けば、クリントン氏にしても「あっち側の人間」という烙印を押されて人心が離れる(彼女の支援者に若者は少ない)。党とて同じで、「正義の味方」がやっと出てきたのにそれを叩けば党の存在自体が危うくなるというまさかの状態。
時代が時代なら「暗殺」なんてこともあるんでしょうが、まだそこまで煮詰まっていないのが今の状態で、これからの動きによっては何が起きてもおかしくないような気がします。
それでもまさかトランプ氏が大統領にはならないだろうという思いがありますが、もしトランプ氏とヒラリー氏の一騎打ちになってもヒラリー氏が負ける可能性も言われだしていて、一体どうなるんでしょうね。ヒラリー氏が前の大統領選の時にトランプ氏に応援を何度も頼み、その書簡をトランプ氏は持っているわけで、それを最後の決戦の時に公表されるとかなりヒラリー氏のマイナスになるという評論家もいる。またヒラリー氏のメール事件は、たかがメールと思っては駄目だそうで、国家機密を一般のメールシステムでやり取りするということは、「中国やロシアに情報を流した」のと同じ意味を持つのだそうで、FBIがこれを犯罪として立件する可能性すらあると。そしてヒラリー氏は夫と共にウォール街、中国巨大資本との癒着が言われているわけで、ヒラリー氏は一般大衆が怒っている対象という位置づけになる。
どうもアメリカの大統領選、予備選というのは「大衆迎合」そのもので、票が取れる方向にコロコロ動くのが普通だとのこと。だから誰がどこで何を言ったかと「日本的に」気にしても意味はないということをいう評論家もいる。だからTPPにしても日米安保にしても、「とりあえず票のためにそういった」と解釈するほうが良さそう。
でもその結果としてアメリカ人の本音が見えてくるわけで、どの候補者もそれを無視することは出来ず、最終的にはいうことがみんな似てくるという現象もあるらしい。
でも間違いがないのは、近年言われていたアメリカが多極主義に傾いているというのが顕著になってきていて、アメリカが世界の頂点に立って君臨するという古い考え方を持っているのは少数派でしか無い様子。これが見えている世界としては「日本や韓国は戸惑う」のと同時にあの手この手で爪を伸ばし勢力を拡大(侵略さえも)している「中国ロシアは大喜び」でトランプ氏は大歓迎。
どの国も「世界は一つ」「世界のために」なんて考えていることはあり得なくて、世界を考えるのは「自国の平和と安定」のためであって世界のためじゃない。当然、アメリカにとっての日本もそうで、日本の右翼も左翼も「アメリカ従属」を基本として成り立つ不思議な国日本に取ってはこの変化はありがたくない。
でも私はこれも日本が育つ為には必ず通らなければならない道であって、今までの日本は「子供のまま」でアメリカの影に隠れて美味い汁だけ吸ってきたことこそが本来おかしいのであって(でもアメリカがそういう日本を作った)、やっとこれで戦後が終わるのかもしれない、なんていう期待すらあります。
ところが日本は自立する考えを今まで持っていなかったし、それらしいことを言えば右翼だの軍国主義だの言われる国で、政治家、マスコミ、学者も「日本の利益」は考えずに「主義主張」「理想論」ばかり言う国になっていて、ここで世界の荒波に放り出されたら何もできないだろうと思う私。
この傾向って日本の企業や公務員の世界にも私が常日頃感じることであって、「形式」にこだわりすぎて「実利を逃す」国になってしまっていると思うのです。
特に政治家、公務員、学者も頭でっかちで、「実利が全て」という世界で生きてきた私から見ると、「能書きだけ立派」に見えるのです。
実は実利を追う企業でさえもそれが蔓延していると感じることは多々あって、「基本理念」を大事にし、それに従って「計画を練り」、「それに向かって最大の努力をしましょう」というところで止まっているようにみえるんです。一番大事なトップを交えた会議でも「机上の空論」で終わるようなそんな感じがするのです。これが私が思う「日本にはアップルが育たない」「サムソンにも負ける」理由だと思っていて、現状認識の甘さがあるように思っています。
もちろん企業の場合は結果責任を取らされるのは当たり前ですが、やっぱり私が知っている企業では緊迫感は無いと思いました。自分のミスがそのまま自分の借金になるわけでもなく、大企業って良いなぁ、というのが私の本音。
でも技術者を含む働く人達はかなり優秀で世界的に見ても稀だとは思うのだけれど、指導層、組織が硬直化して素晴らしいリソースがあるのにそれを使いこなせていない。
これが酷いのは政治家や公務員の世界で、結果責任がそもそもない世界の人たちが一体何をどうするのかなんて期待は全く出来ない。そういう日本の問題点がはっきり見えたのが私は東日本大震災だと思っていて、政治家も官僚も大企業もマスコミも学者もこの国は狂っていると思いました。
その問題点は「自己改革ができない」という一点に集約できると私は思うのですが、これってどんな世界のどんな立場でも一番難しいんですよね。本人はちゃんとやっていると信じているのが普通ですから。結局、小手先の改善で終わらせてしまおうとする傾向が非常に強いと思うのです。日本があんなメチャクチャな憲法を後生大事にするのも同じだと思っています。
ま、これは世の常で、個人の世界でも同じ。これを打破するには「自己改革」ではなくて「自己否定」から入らないと大事なことは見えてこないんじゃないかと思うくらい。こういうのって風が吹いただけで吹き飛ばされる中小企業では当たり前のことで、「固執するべきもの」なんてなにもないと言って良い世界だと思っています。いや、「固執」が成長の原動力ではあるけれど、会社を潰すのも「固執」。中小企業の場合は、会社を良くするためには「自分がいなくなるのが一番」なんてところから話はスタートするのが普通じゃないでしょうかね。(笑)
でもそういう修羅場の現実世界なんか知らない政治家、公務員、学者、マスコミは頭でっかちで理想論を振り回す。自己否定どころか、自分を固めることに精を出しているようにさえ見えます。それが成長だと思っている様子。
企業もそうで、ちょっと大きくなっただけでうまく動かなくなるのが普通で、上から下まで理念の徹底だなんて言ってもなかなかうまくいかないんですよね。動きが鈍くなれば分社化したり、事業部独立採算制なんてことは中小企業でもやりますが、ここでも私が生きてきた中で気がついたことがあるんですよ。組織を小さくして、それぞれに責任を持たすにしても、「企業理念の徹底」はやるんですね。分社化してもそれはグループの一員であって、創業者が、あるいは中心の企業が強ければ強いほど、やっぱり分社化してもそれをコントロールしようとする。要は責任の分散が主であって自由にやらせるわけじゃないと感じます。
分社化しても「基本理念さえも壊す」ところまで一歩踏み込むことができる企業は少ない。大企業になればなるほどこの考え方は逆に働くんですね。だからパナソニックは絶対にサムソンには立ち向かえない。トヨタはテスラを作れない。もちろんインドのタタモーターズを作ることも出来ない。
企業も個人も「根幹の基本理念」があるから自分たちが存在すると考えるはずですが、その基本理念が強いから「負ける」という時代に入った。そういう点で、日本は企業も国も全てが硬直化しているように私には見えるんです。中小企業では当たり前の「臨機応変」というのがまるで出来ない体質になっている。憲法は決して変えてはならない絶対的なものと信じ、刻々と変わる世界情勢を日本憲法に合わそうとするが如く主張するのもファンタジーの世界としか言いようがありません。
例えば中小企業でもうまく行きだすと必ず競合が出てくるんですね。その時に何をやるかですが、正面から戦うという方法とは別に、競合が出てきそうになったら分社化して競合会社を自ら作るんですよ。こういう発想って日本にはあまりないようですが、私はオーストラリアのカンタス航空がジェットスターを作った時にはびっくりしました。自らを食うLCCを他社にやられる前に自らが作ったんですから。結果はJALをこてんぱんに叩きのめして、今ではカンタスとジェットスターは共存しオセアニアを手中に収め、テリトリーを守った。そしてジェットスターは今ではアジアを中心にどんどん伸びている。
こういう自由な発想って日本国内では中小企業でも持っているのに、日本の多くの大企業家はどうもそういうことは考えない様子。いわゆる戦中の大艦巨砲主義みたいなもんでしょう。これって公務員もそうですが、考え方がサラリーマン化しているからじゃないですかね。どうしても「己の立場」に固執するから自らを否定したり、自らの敵を自ら作り、裏で繋がって市場を手中に収めるなんて発想さえ出てこない。でも巨大化させ権限の集中化には一生懸命になる。ラーメン屋だとすれば近所に競合店を自らが出して競争しているようにして、その地域に客を誘い込むような発想がないのね。これってゴールドコーストの友人の中国人が作戦としてやっていて、たいしたもんだと思います。でもまさかその2店舗のオーナーが同一だなんて客は知らない。
こういう臨機応変の発想って「自己改革」どころか「自己否定」に慣れていないと出てこないはず。当然「己」にしか興味がなく保身ばかり考える癖が付いていたらろくなアイデアさえも出てこない。またそういうアイデアを「奇策」と呼んでバカにし潰す方行に頭は動く。これは権利ばかり主張する「市民派」にも見える傾向。
だから「臨機応変」しか生きる道のない中小企業の世界しか知らない私に取っては、「日本はもう終わり」に見えるんです。激動の世界でどう生きるのかの基本が無い。攻めに強くても守りに弱い、変化が大きいと着いていけない。戦艦大和じゃ戦えない時代なのが理解できていない。
これは中小企業のオヤジの戯れ言でもあるけれど、なぜ戦後、世界ではドイツと日本が伸びたのかという分析で、「戦争に負けたから」だという専門家は少なくないんですね。つまり、勝国によって体制をバラバラにされてリセットが掛かり、「古いものを引きずらずに出発できた」という点。あああるべき、こうあるべきという伝統さえも壊されたから、新しいものを構築できたのだと。
私はその考え方はごもっともだと思っていて、彼らの言う「50年経ったらどんな組織も駄目になる」という論には大賛成。そして一時は世界が驚いた日本の発展もすでに成熟期を過ぎて硬直化した状態に思えます。すべての組織がそうなっているように見えるのです。頭の中もそうなっている。
だから大事なのは「自己改革」ではなくて、それを進めるためにも「自己否定」が何よりも大事だと思うのですが、これほど難しいことはないんですね。公務員の世界は特にこれが酷くて、組織のあり方、責任のとり方も全く問題にならない世界。そういう組織が政治家の手足になれるはずもないし、でも政治家は彼らがいないと何も出来ない、彼らに依存するという図式。
なおかつ政治家は今の安倍氏を見てもわかるように、党の中では少数派なのに実権を握ると党を意のままに動かせる組織になってしまった。これは党中央が管理できる選挙制度にも問題があるのだろうと思うし、政党政治そのものに「良い人材出てくるチャンスがない」と私は感じるのです。
ま、どちらを向いても一体どうなっちゃってるんだと思うのが今の日本で、「何か大きなキッカケ」がなければ日本は変わらないのだろうと思うのです。そしてそのキッカケが起こりそうなのは、今の世界の動き、アメリカの動き、そして世界の「価値観の変化」にそれが見えるんじゃないでしょうか。
一度ぶち壊してリセットを掛けないとわからないようじゃしょうがなくて、そういう意味では社会の底辺を生きている中小企業がどういう生き方をしているか真面目に研究してもらいたいと思うのだけれど、「上から目線」の官僚も政治家も大企業もそんなことはバカにしてしないのね。
世界最大、世界最強の軍艦であった「大和」があのような最後を迎えるしか無かったのと同じことが、私は日本そのものに起こると思っています。
でもそれが「再生」に必要不可欠なものであるとするならば、早くそれが来たほうが良いような気もするのです。
その予兆をトランプ氏に、そして彼が出てくる今の世界の動きに、私は感じています。
「日本死ね」と言った人がいますが、こういう言葉を発するという発想は今までの日本人には無かった。ま、あれは日本人ではないという人もいますが、問題はそこじゃなくて、日本人の中にもあの言葉に心を動かされた人がいるということが重要だと思っています。このままではこの日本も沈むという予感があるからじゃないですかね。
でも9条がどうなろうと、安倍氏が倒れようと、あるいは消費税がどうなろうと日経平均が2万円を越えようと、「安倍打倒」しか言えずに中身の無い政党が表に出てきてもこの日本は変わらないと私は思うのです。そういう表面的な問題じゃなくて、日本が抱えている根本的な問題は全く是正されず、注目されることもなくどんどん強化されていく方向に動いているのが問題。権力の集中と利権の保護、自己の保身に走るばかりで組織は硬直化し、自己否定もできない社会そのものに将来性はないと思うのです。
主義主張は横に置いといて、サバイバルには何が必要なんでしょうかね。また生き残ることそのものが重要ではなくて、アメリカの属国から中国の属国に変わるような国であってほしくないのですが・・・・。
アメリカの大統領に誰がなるかわかりませんが、世界は激動の時代に入ったのは間違いなし。
ここで流されて生きるのか、それともそんな時代に入っても自分の足で立って生きていけるのか。また日本は独立国としてやっていけるのか。これからの若者は大変だと思いますが、私の世代はなんだかんだ言っても幸せを享受できた世代ですから、その恩返しを次の世代にするつもりで生きる必要があると思っています。年寄りが「俺たちは逃げ切れるのか?」みたいなことを考えて生きるのも勝手だけれど、未来をつくるのは子供たち。私は彼らの肥やしになりたいと思う。
俺の肉を食らい、血を吸ってでも生き延びろ、そんな心境です。そして日が昇る国、素晴らしい日本を守って欲しいです。