「終の住処」をどこにすべきか。海外ロングステイを楽しんでいる内に忍び寄る危機。

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「終の住処」って自分の場合はどこになるのか、私にはさっぱりわかりません。計画もない。ただボンヤリと「日本に帰ることになるんだろう」とは思っています。

オーストラリアじゃないの?と思うかもしれませんが、私自身はどこでも良いと思ってるんです。ま、大好きな日本は母みたいなもので、その優しい腕に抱かれてこの世に生まれてきたのと同様に、その腕の中で消えていきたいという願望はあります。でも「人間到る処青山有り」という歌の心境は良く理解できているつもりで、どこでくたばっても良いと思うんです。

問題はヨメさんなんですわ。彼女は「ゴールドコーストが一番好き」と言いますし、ここから離れたくないと言います。

その気持は良くわかりますが、統計から言えば私が先に黄泉の国へ旅立つ可能性は高く、その後、ヨメさんは10年以上は生きるはず。25年ゴールドコーストに住みながらヨメさんの英語は中途半端だし、それこそ銀行じゃ役所じゃ、コミュニテイーとの繋がりなんか彼女は全く知らない。つまり「旅行者」と全く変わらないってこと。こういう人がどうやって一人で海外で生きていけるのか。

本人は「どうにかなるわよ」といいますが、そう考えないとやっていけないだけの話で、では本当にどうにかなるかどうかはわからない。子供が二人いますが、結果的に彼らが苦労することになるはずで、「子供たちには迷惑は掛けたくない」というのもそういう気持ちがあるだけで、じゃ迷惑を掛けずに生きられるのかといえば、絶対に無理。もし子供たちが「まかせとき~~」と言ったところでこのグローバル化した時代、彼らが将来どこの国に住むのかもわからない。つまり、どれだけヨメさんがオーストラリアに長く住んでいようと、ヨメさんは「難民」みたいなことになるであろうことは見えているわけです。でも本人はそれを一切認めない。そこまで考えようとしない。自分がボケることも考えていない。

だからやっぱり私が将来の道筋を作らないとならないと思うわけです。これが旦那の責任だろうと。

となれば日本しかない。親族も知り合いも極端に少なくなっていますが、でも親友もいるし「海外よりかは住みやすい」はず。とにかく日本語が通じるってのが大事。病院だろうが役所だろうが日本語さえ通じればどうにかなりますから。地元に馴染むのは簡単ですし。

でも海外で住んでいて、私がいなくなった後に「日本でどうするか」を日本に親族もいない、全く状況もわからないヨメさんが決められるのかどうか。きっとその時には子供たちがセッティングをするなり相談に乗ると思うのですが、私としては「じゃぁ、そういうことでよろしく~」なんて言えないわけですよ。(笑)

だからまだ私がしっかりしている間に日本に帰って、「終の住処」を確保する必要があると思っています。それも「私がいなくなったあともそのままそこでヨメさんが生きられる場所」の確保。

具体的にはどういうところがあるのかわからないのですが、基本的には「シルバーマンション」みたいなところだろうと。それも介護が必要になればそのまま併設された施設に横滑りできるようなところ。

暇な時にそういう施設をネットで探して見ていますが、やっぱり気になるのは「金銭的」なこと。かなりの金が掛かるのは間違いがないのね。

でも入居者を調べてみると、まぁ、私と似たような考えの人達が多いのが分かる。下町で商家を営んでいて、そこを畳んで夫婦で移り住んだとか、定年退職ですべての資産を売却しそこに移り住んで、そこを拠点として悠々自適の生活をしている人もいる。

これって私にしてみると「理想」なんですが、「Money talks」の世界で金がないとどうにもならない。

ではいくらぐらい掛かるのか。地方なら安いのか?この辺を調べてびっくりするのは地方だから安いってわけでもないんですね。毎月の経費はどうしたって安くても15万から。二人なら25万なんてのは普通。これは最低限そこで生きるだけの経費であって、グレードの高い施設ならもちろん高いし、当然、最初に数千万円が必要であり、そうじゃなければ月に分割して何十万円という金がプラスされる。

これに遊興費じゃ趣味にとか、海外に旅行じゃなんて「普通のこと」に金を掛けると、やっぱりざっくり言って月に100万は掛かることになる。数千万を最初に払い込んでいてもその経費はやっと半額になる程度か。

この経費負担は厳しいから、では普通にマンションを借りて生活したほうが安いからそうして、「その日」が来たら施設に入るという筋書きを多くの人が考えるんじゃないですかね。

たとえば決して「高級」とはいえないまでもそこそこの施設を提供している「オリックスリビング」を見るとこう書いてある。(サイトはここをクリック)

諸経費の例はこんな感じ。これは「老人ホーム」のケース。

[入居一時金等] 1人室/総額 500万~2,000万円(非課税)(内訳:初期償却・入居一時金)
2人室/総額 1,110万~約2,603万円(非課税)(内訳:初期償却・入居一時金)

[月額利用料] 1人室/総額 17万~約29万円(消費税、地方消費税別途)(内訳:家賃・管理費・食費)※1
2人室/総額 約34万~約45万円(消費税、地方消費税別途)(内訳:家賃・管理費・食費)

これもその施設の場所、グレードによっては「入居一時金」が数倍になる。この辺の話を日本在住の友人と話すと、やっぱり「最初に5千万、月に50万」という答えが返ってくる。

私がここなら良いなぁと思う場所があって、それはこのオリックスリビングの物件で、まだ自立している人たちが入居する「プラテシア」と呼ばれる施設で(介護が必要な人が入るのは「グッドタイムリビング」)場所は「芝浦」。でも諸経費を見ると気が落ち込んでしまいます。

入 居 時 費 用
前払賃料(償却期間15年)29,250,000円~63,162,000円(非課税)、入居権利金5,200,000円~11,200,000円(税抜)
毎月払費用
毎月払賃料22,000円~46,000円(非課税)、管理費お一人様120,000円(税抜)、お二人様210,000円(税抜)

住むだけでやっぱりこれだけの金がかかるわけで、これに食費じゃなんじゃ足せば、友人が言う「最初に5000万、月に50万」というのもわかる。

このシルバーマンションは60歳以上から入居できて、もし私の両親がそうであるように90になっても健在だとすれば、5000万+50万X12X30で、なんと2億3000万という金額になる。もし重病に罹ったり、また思わぬ出費、そしてそして、インフレを考えないわけには行きませんから、30年なんて長い年月を考えればトータルで3億なんて数字は軽く突破するのかもしれない。

ま、3億というキャッシュが必要だということではなくて、30年間の収入も足しての話。(だからそれなりの金利って大事で、低金利時代は恐ろしいことになる)

まぁ、商店や中小企業を経営していて、それを手放すとか、あるいは子供に譲って面倒を見てもらうことができる人は少なくないはずで、またサラリーマンでもそこそこの資産、年金を含む収入がある人ならOK。

でもなんだか納得できませんね。自分が頑張って稼いで、それを全部吐き出してやっと自分の老後がどうにかなるって変な世の中だと思う。

もちろんそれだけの資産も収入もなければどうにもならないし、それがあったとしてもこういう金の使い方で良いのかどうか。でもこの程度の金が掛かる老後生活をしている人は結構多いわけで、決して特別でもないわけだけれど、一体どういう風に考えたらこれを受け入れられるのかそれが私にはよくわからないんですよ。

でもま、「入りたくなくても入らざるをえない」状況なのかもしれない。

これが現実なんだろうけれど、私が知っている日本人の生活って親子が同居して、子供が親の面倒を見るというのが普通だったし、だから上のような金が無くてもどうにかなったし、またその金や資産があるのならは子供たちに渡すことが出来た。私としてはそれができればベストだと思うのだけれど、難しいんでしょうね。相続税も上がったし。

日本ってなんだか歪んだ社会になっているような気がします。こういうのを見るとオーストラリアで老後を過ごしたほうが遥かにコスパも良いし、安全に、安心して生きていけるような気がします。老人ホームというより、シニアビレッジみたいなのがあちこちにあって、日本の老人ホームやシニアマンションみたいな小さな部屋ではなくて、普通のこじんまりしたシニアコミュニテイの中の一軒家に住み、年金+アルファで十分に生きていける。もちろんそのジジババ村の中にはプールじゃテニスコートは完備しているのは当たり前で、オーストラリアの場合は日本のゲートボールみたいな感じでローンボウルというゲームをする人達が多い。

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そんなオーストラリアも近年は生活が厳しくなって「老人の自殺」も増えてきたと聞いたのが10年ぐらい前かなぁ。でも生活のゆとりで言えば日本とは段違い。(ちなみにオーストラリアでは老人の延命治療はしないのが普通)

だからこんなオーストラリアに「日本人向けの施設」があれば嬉しいのだけれど、それを今までに計画した人、企業はいるものの成功には至っていない。でも中国系のは出来ている。

だから万が一の時には「オーストラリアに逃げてくる」という選択肢はあるわけで、我々がマレーシアに行くにしても「オーストラリアの永住権を捨てたくない」のはこういことなんです。

さて、マレーシアに行ったらどうなるのか。多くのMM2Hは「いつか日本に引き上げる」のが前提だろうけれど、どうも日本の事情を調べてみると「待機児童」が問題になってはいるものの2025年には「待機老人」がとんでもない数になり問題化するであろうことはもうわかっているとのこと。

そんな時に、海外からポッと帰って、どうにかなるのかな、みたいな心配があります。「家がある」人も同じだと私は思っていて、元気なうちは「自宅」が意味をなすんでしょうが、そういう時代は海外で遊んじゃって、もう危ないなと思う頃に自宅に帰っても危ないのは同じなわけで、やっぱり「施設に入る」ことを考えないとならなくなるんじゃないですかね。

私のマレーシア在住の友人で、マレーシアで死ぬつもりだという人がいます。彼は「頼むぜ」と奥さんに言っているけれど、奥さんは「どうなるのかしらね」という。まぁ、旦那がポックリ行ってくれれば良いのだろうし、本人もそれを望んでいるのだろうけれど、計算通りになるのかどうか。また残された奥さんの老後は誰が面倒見るんだろうか。以前、知り合ったやっぱりKL在住の老人で、「重病に罹っても治療はしない」と断言する人もいた。つまり、はっきりは言わないけれど「俺の人生はここまで」と思った時には「自殺」と同等のことを人は考えるんじゃなかろうか。

これって私は「悲しいこと」だとは全く思っていなくて、人生なんて、特に「男の美学」からいうと、「ここまで」と思った時には自ら命を絶つのも一つの生き方だと思っています。家族に迷惑をかけながら生きるほうが辛いという考え方は間違いなくある。

でもですねぇ、人ってボケるじゃないですか。これが怖いんですね。

昔、「恍惚の人」というドラマ(映画?)がありましたよね。確か大学教授だったと思いますが、毎日日記をつけていて、段々おかしくなるのが自分でもわかるんですよね。ボケるってボケていない時とボケた時に境目があるわけじゃなくて、段々まだら模様のようにボケてきて、それが進む。

あの物語を見て、ボケてきたのがわかった時が「自分にとっての潮時」と考えるのもありだとは思ったけれど、では何をすれば良いのか?食べることを拒否して自殺するなんてことも夢想することはあっても実行可能とも思えない。でもそんな時に、「ヨメさんの方が先にボケた」とか「同居している息子がボケた」なんてことがあるのが世の中で、「一緒に・・・」という事件が後を絶たない。つい昨日も老人ホームで無理心中をした老夫婦がいたというニュースもあったし。

これって他人事なんですかね。

この酷い現状を「原点」と考えた場合、マレーシアで日本人の「老後施設」を作ろうと頑張る人たちの考え方が理解できるような気がします。でも実際には問題は山積みで、それが出来たところで

◯ 選ぶほどの選択肢がない
◯ 経営母体がいつまでも健全な経営の確保が出来るのか
◯ 入居者の経済状態の変化にいかに対応するのか
◯ 物価上昇、経営破綻、個人の破綻にどう対応するのか
◯ 医療費の負担は?保険は?

この手の問題はいくらでも想像が出来るわけで、そういう施設が完成したところで「大丈夫かよ」と思うわけです。ましてや海外在住者は皆、そう思っているはずだけれど「海外に自らの意志で出て住むような人」って普通じゃないんですね。やっぱり半端じゃない「意志の強さ」、言葉を変えれば「頑固者」「変わり者」が多いのは間違いないはずで、それが歳を取ってもっと酷くなるのに(笑)、こういう入居者が仲良くやっていけるかという、根本的なところが結構気になります。

そして間違えなく、そのコミュニティには「日本村」が出現するのは目に見えていて、親分、子分じゃ、村八分じゃと起きるはず。

そんなのはどこでも同じだよ、というのは「海外を知らない人」の言い分なんですね。日本人の村社会が海外の場合はなぜ問題になるのかと同じで、日本の村社会とは違うわけですよ。なぜか?答えは簡単で「海外ぐらしに不安を感じない日本人はいない」からなんですね。日本に住んでいて「日本に不安を感じる人」って少ないですが、海外の日本人は「必ずなんらかの不安」を持っているのが普通。だからこそ「日本人同士で寄り集まる」し、「助けあいましょう」なんて話が出る。

こういう不安が原動力となった行動って、非常に強いリアクションが出るわけですよ。だから「仲良し同士」はそれを強固にしようとするし、邪魔者は「絶対に排除しなければならない対象」となる。

こんなことは長年住まなくても、駐在で数年だけ海外を経験した人たちでも殆どの人が経験するはずで、日本人コミュニティーを健全な形で運営するのは簡単じゃないんですね。

でもうまく行っていると言う人もいるでしょうが、それは私に言わせれば「邪魔者は消して」「仲間内の繋がりは強固なものにしている」からでしかないと見ています。これってそのコミュニティーの人たちは幸せだろうけれど、外から見ると「異常な集団」に見えることが多いでしょ。

そんなことはわかってるさ、という人もいて、わかっていても「日本人のための老後施設」を作ろうとする。私はこの点は反対どころか、チャレンジする価値は大いにあると思っています。またもしその施設が「自分にとって」理想とは違っていても、上に書いたような「日本の悲惨な現状」を基準と考えれば「我慢できる範疇」で収まるのかもしれない。

それを選択するのは決して悪いことじゃないと思うんですよ。しょうがないですもの。

でもま、私としてはまだ「しょうがない」と諦めるのは早いと思っていて、「Money talks」の世界なら、じゃぁMoneyを稼げば良いんだろ、バカヤローなんて思うわけです。(笑)

でも未来のことは誰にもわからず。希望や計画なんてのは「自己満足」の世界でしか無くて、自分の思うように未来が動くかどうかは全くわからず。

これはMoney Talksの世界でMoneyを持っていたところで同じことで、私の人生の中でもとんでもないインフレは存在したし、お金の価値が無い、お金がお金を産まない時代も今、進行中で、いくらあるから安心、不動産もあるから大丈夫なんてこともない。

じゃぁどうするのか。

だからこそ私がいつも書いている「家族の絆」がこれからの世界は特に大事だと思うわけです。これは「子供に面倒を見てもらう」という意味ではなくて、「助け合う信頼の輪」を構築する必要があって、その「輪」が一つの単位として「生存可能」になるようにしないと大変なことになるだろうと思うんです。もちろんその「輪」で資産構築をしなければならないのは当然のこととして、大事なのはやっぱり「人の力の結集」であって、年寄りや子供は非力だけれど、皆が構築する「輪」の中で助け合えばどうにかなると思っています。

今の日本も政治自体がそれを目指しているはずで、彼らは「政府が面倒を見ることはできません」と暗に言っているのと同じじゃないですかね。これにブツブツ文句を言ってもどうしようもないですから、国を当てにすること無く、「一族の生存可能圏」をどうにか作らないとダメだと思うんです。

そしてそれの構築のためには「マレーシアは有利である」というのが私の考え方。

一族を管理し守る組織をマレーシアに構築し、年寄りは日本だろうがオーストラリアだろうがそこで最後を迎え、また子供たちは世界のどこででも教育を受ける事ができ、また稼げる世代は世界をまたにして稼げば良いかと。

今、巷で話題になっている「タックスヘイブン利用の【パナマ文書】」ですが、4割近くは中国人で3万人もの名前、組織が出て来たとのこと。

考えることは一緒じゃないですかね。

そこまで国民が「自立」「自己防衛」を考えなければならない中国なのは理解できますし、しかしそれは中国だけではなくて、日本もそこまで追い込まれているという認識が必要ではないかと考えています。

今の老人たちも「悠々自適」とは言うものの、そんなに贅沢をしているようには思えないし、でも今の老人たちは「恵まれている」はずなんですね。でもこれからの日本の老人は恐ろしいことになるのははっきりしていて、今、海外ロングステイで「悠々自適」だと思っている世代も、日本に帰る頃には「待機老人」の時代になる。

自分たちが逃げ切れればそれで良いなんて考え方は、私は「家長にあるまじき考え方」だと思っていて、「一族の将来にどう貢献できるか」を真剣に考えないと、子供たちを産みっぱなしにして放り投げる「野良犬」と同じになると思うわけです。子供たちには「ちゃんと教育もつけた」「今は就職してどうにかやっている」なんて思っても、彼らが歳を取った時には「親の世代より悲惨」になることはわかっているんですから。

とまぁ、私はそういう風に考えているってこと。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

あ、そうそう、もう一つ夢があります。オーストラリアのジジババ村である「リタイアメントビレッジ」ですが、アメリカも同様でCCRCというのがある。これを真似て日本でも普及させようという動き。「昨今、(日本で)注目度が高まっているのがアメリカ合衆国で誕生した「CCRC」。1970年代に登場した継続介護付きリタイアメント・コミュニティ(Continuing Care Retirement Community)だ。最大の特徴は、健康なうちに移住し地域に溶け込むという点。現在、全米各地に約2000か所のCCRCがあり、居住者は約70万人に及ぶ。」とのこと。

日本の地方の凋落ぶりは半端じゃありませんが、地方活性化と老人問題の解決とリンクすることは間違いなくできるはずなんですね。でもチマチマと小さくやってもだめで、大規模な構想が必要だとは思いますが、これも火がつくと一気に日本中に広がるかもしれない。

つい先日、老人の「都市への移住」が増えているというニュースを見ました。これは逆行現象ですが、都市のほうが老人には便利であるのは間違いがなくて、アンケートをとっても「地方には移住したくない」という老人が多いとのこと。これって当たり前の話で、「行きたいと思う地方がない」からでしかないと思うんですよ。

だったら作ろうじゃないかという話が出てきてもおかしくなくて、「そんなことは・・・」と思うかもしれませんが、1970年代に当時の通産省が「シルバーコロンビア計画」なるものをやっていたのを思い出して欲しいんです。これは日本国内ではなくて海外で「老人が住む街を作る」という計画で、またこれに乗って当時多くのジジババが海外に出たんですね。そしてこのシルバーコロンビア計画のキモは、「30万都市を作る」という壮大な計画でもあったんです。それをオーストラリアが受け入れまして、どこに作るかで結構揉めたんですね。ゴールドコーストとブリスベンの間に作るなんて案もあったのですが、結局はその案は負けて、アデレードの方だったかなぁ、忘れましたけれどそちらの案が通った。

この30万都市を創造する計画には大手の企業も参画して、シリコンバレーみたいな都市を作り、病院、大学、研究施設をつくり、そしてその周辺に「日本のジジババを送り込む」という計画。もちろんそこには「日本人街」が作られる予定だった。ところが時代が急変。日本のバブルもはじけてこの話は消えていき、そして通産省のシルバーコロンビア計画自体も「日本は自動車だけでなくて自国で面倒を見れなくなった年寄りも輸出するのか?」という世界的な批判を浴びて、中止、解散することになった。

じゃぁ、今度は自国内でやればいいじゃないですかね。海も空も綺麗で、治安も良くて、ちゃんとしっかりした病院もあるような小都市があちこちに出来たら「海外ロングステイ」なんてややこしいことを年寄りがしなくてもすむ時代が来るかもしれない。海外の年寄りが「日本に行きたい」という時代を創ることこそ、日本が進むべき道じゃないですかね。それを作ろうと思うなら、いくらでも場所はあるはず。その都市に当然「ゴルフコース」や「カジノ」があっても構わないわけで、是非それをやってほしいなぁ・・・。

老人問題をどうするかというアプローチじゃなくて、参加すれば儲かるプロジェクトとしてやらないかぎり駄目で、その出現を待つ企業も多いんじゃなかろうか。資金?カジノで捻出できるんじゃないですかね。もちろん世界から金持ちが遊びに来るような都市にする。例えばアメリカのフロリダ、あるいはネバダ州のラスベガス、レイクタホも参考になるんじゃなかろうかと。

日本に必要なのは、あのマレーシアみたいに「都市開発」を進める【度胸】じゃないですかね。

私がもし糞大金持ちだったら私財をそれにつぎ込むのも良いと思うくらい。儲けなんかいらない。息子、いや孫にそれを託そうか。(笑)

日本のCCRCの話はこんな。

「終の住処」どこに? 「日本版CCRC」と移住高齢者の選択 – Yahoo!ニュース

 
 
 

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