このブログの読者と会ってお昼ごはんをご一緒しました

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オーストラリアのこのブログの読者からメールがありまして、いろいろお話を伺いたいとのことで、本日、お昼ごはん(飲茶)をご一緒しました。長男も一緒に。

日本からオーストラリアへ渡ってきたばかりの方で、お子さんは3人、ご主人はオーストラリア人。なぜか良くわかりませんが、ちょっと辺鄙なところにお住いで(笑)、サウスポートに来るのに多分自動車で1時間以上掛かる街にお住まいの方。

私みたいな偏屈ジジーに会いたいってことはその方もかなりの変わり者だと思うのですが、話をしてみると結構私のブログを読み込んでらっしゃるのがわかりました。私はその方のことを全く知らないのに、彼女は私の事、家庭のことをよく知っている。(笑)

ま、オーストラリアでまだ小さなお子さんをこれから育てるに辺り、子供を二人育て上げた私にいろいろ聞いてみたいことがあったんでしょう。それがわかっていましたので、実際にこちらで育った我が息子も同席させたわけです。

やっぱりブログの力って凄いと思いました。初めて会ったのに、話がスムーズなんですね。私と会いたいというぐらいですから、やっぱり私に共感するところがあるんでしょう。話がどんどん進むんです。最初の挨拶なんて簡単に終わらせて、すぐに濃くて深い話になっていきました。こういうことってただ知り合った人とはあり得ないんですね。ブログを通してポイントは掴んでいますから話はかなり早く進む。

オーストラリアの教育事情、それも日本人としてこちらで育てる場合の注意点、問題点、日本語補習校のこと、学校選びのポイント、そんなことを「親として」「子として」わかることは全部お話させていただきました。また子育ての間に必ず遭遇するであろうことの話。これは必ず通る道ですから親は事前に心の準備、またどう対処するかを考えておくのと行き当たりばったりとでは違いますから、そんな話をしたり。そう、あの戦争の話です。運が良ければ何も起きませんが、場合によっては「お前は世界一最低な民族だ」なんて言われる時があるんですね。「そんなことはない!」なんて先生に泣きついても、世界史を聞かされれば驚きの事実を知ることになりますし、中には「自分の中には邪悪な血が流れている」なんて悩みだす子供もいるわけです。こんなことは日本で経験することはまずありませんが・・・。

ま、それはさておき、その方とはやっぱり通じるものがあったんでしょう。話はかなり奥深くなって、人生論、死生観、そんなところまで話が広がりました。って、実はここが海外で子供を育てる場合には重要なんですね。「日本人であること」を意識して育てないと、子供は「現地人になる」だけですから。日本人的なものを親としては子供の中に育てたい。

だから親は子供に「日本人を意識する」ように育てるわけですが、子供にとってはこれが間違いなくストレスになるんですね。学校でも普通の友達として仲良くしたいのに、「日本人を意識する」ってことは「差別」「区別」の種を自らが作ることになるわけです。それに関して、私と息子と意見がぶつかることがあるのですが、今日、その方とお会いして「どう子供を育てるべきか」のところで私と息子が激論になりました。(笑)

細かい内容は別にして、息子に言わせると「いらぬ問題を埋め込まれた」みたいな感覚を持っているんですね。もちろんそれは私が埋め込んだものなわけですが、それがあるがゆえに友人関係の構築が難しかったとのこと。いわゆる意識しないでも良いのに、私が子供に「日本人であること」を常に要求しましたので、それが友人との間で摩擦として出てきてしまったわけです。そしてそれを長男は「トラウマ」としてかなり長い間持ち続けていました。だから息子は「私の育て方は間違えている」と言う。

でも私はニコニコしながら、「そのトラウマを持ったこと」これこそが大事なのだと言うわけです(笑)。つまりですね、例えば人種問題にしても、日本にいたら「差別をする」ことがあっても「差別される」ことはないわけですね。でもあえて「差別を経験する」ってことは大事だと私は考えています。日本にいる「在日」と同じで、ああいう苦労を体験するのは「良いこと」であって「避けるべきこと」ではないというのが私の考え方。

人間って、「悩み」そして「泣いて」育つから深味ができるというのが私の持論で、親は子供が苦労しないようにと思うのが普通ですが、「心の傷」の痛さもわからない子供になって欲しくないし、人間ってなんなのか、どうあるべきかというのは幼い頃から常に考える(悩む)様になって欲しいというのが私の考え方でした。でも当人にしてみれば長い間悩み続けるわけですから、「それは良い経験だ」なんて私がいうと腹が立つんでしょう。(笑)

でも悩む時って頭がフル回転するじゃないですか。心も敏感になる。それって訓練と同じようなもので、その時間が長ければそれなりの良いことがあると私は思うんです。でもそれはすぐに良い形として出てくるわけじゃないのだけれど、歳を取ってくると、「あの時の涙は無駄じゃなかった」ってのがわかるのね。良く「可愛い子には旅をさせろ」って言うじゃないですか。あれと同じなんですね。

ただ、旅に出しちゃうと何が起こるのか全くわからない。でも子供たちが親と一緒にいる間に悩むってのは、親は知らん顔しているようで、実はそれをちゃんと見ているし、大事な要所では手助けも出来るんですね。これって大事なことだと思います。

なぜそんなことをそもそも私が子供にしようと思ったかというのは、まさに私がそう育ったからで、本来なら「自分の子供にはあの辛さを与えたくない」って思うんですね。私もそう思っていました。でもある時、気がついたんです。これで良いんだって。だから子供にも同じことを経験させよう、させるべきだと私は考えたのです。私の場合は人種問題ではなくて「自分の実の親から(私の)人間性を否定され続ける」ってことでしたが。(笑)

親と子とはどうあるべきかなんて話にもなって、3人が自分を隠すこと無く話し合えたのが良かったと思います。話の途中でその方も目に涙をいっぱいためるなんてこともあって、初めて会った同士なのに「心のふれあい」が出来たと思いました。

これも嬉しい事で、それもこのブログをやっていたからこういう「時」を皆で共有できたわけです。

小さなお子さんを3人もお持ちで忙しいなんてもんじゃないだろうに、自動車で1時間以上掛けて我々親子に会いに来てくれました。そうするだけの意味がある話が出来たかどうかは疑問ですが、3人での話の中で、我々親子にも気づきがあったんです。これは間違いのない収穫で、私達がオーストラリアのこと、私達が経験したこと等をお教えするなんて偉そうなことじゃなくて、我々にも学びがあったということ。

食事をしながら2時間ぐらい・・という予定だったのが延々5時間、中華料理屋、カフェで大激論。楽しかったです。

この一瞬を持てたのはこのブログがあったからで、それだけでもこのブログの存在価値があったと思いました。

どうも有難うございました。

 
 
 

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