海外生活で子供がしっかりしたアイデンティティを持つことの重要性

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昨日の読者の方と私と息子の話の中で、私は「しっかりしたアイデンティティを持つことが重要だ」と話しました。もちろんそれの基本は「日本人としてのアイデンティティ」でありますが、それだけではなくて「自分の家族」とか「自分が属するもの」を自覚するのは大事だと思っています。

これが下手に曲がると「俺はXXX学校を出た」とか「一流のXX会社の社員だ」なんて馬鹿なプライドに繋がるわけで、なかなか簡単にはいかないのですが、この話をした時に息子が言ったんですよ。

「そんなのは必要ない。俺は俺だ」って。

まぁ、そう思っているだろうことは簡単に想像できます。でも、いつか人生に疲れ、落ち込んだ時に、「俺って一体なんだったんだ?」と悩む時が必ずくるんですね。この時に「俺は俺だ」と自分そのものに重心を持っていた場合、簡単に自分そのものが崩れていくと私は考えています。自分に自分が疑問を持つわけですから、自分が信じていた「俺というアイデンティティ」そのものも疑うようになるんですね。突然、自分という木には根っ子がないことに気がつく。これって「恐怖そのもの」じゃないでしょうか。

でも「家族」であるとか、「自分が属し、愛するものを持ちそれを意識する」によって、「俺は俺の為だけに生きているのではない」ということに気がつく。そしてそれが助けになり、救いとなり、また新たな一歩が歩み出せる。人間てそういうふうにできていると私は思うのです。

自分が悩んだ時ではなくても、そしてこの世の真相は「無」だとしても、「守らねばならないものがある」という感覚を持ち続けることができる。これは「単なる思い込み」と言えばその通りですが、それがあるから歩いていけるし、歩く方向も見えてくるし、そして頑張れるのだと思うわけです。

そして日本人なら「自分は日本人である」というアイデンティティを持つことによって、初めて「日本の文化」を大事にし、守り、それを自分も継承していこうと思うし、世の中の善悪の基準もそういうアイデンティティから生まれるのだと思っています。「俺」を中心に考えると、行き着くところは「無」のはずです。

でもそのアイデンティティが自分を助け、自分を作り、生活も仕事もそれの延長線上にあるなんてことは「何かが起こらないと」わからないんですね。「俺は俺が正しいと思うように生きる」なんて格好つけていても、実はその行動規範はアイデンティティを元にして生まれていることにも気がつかない。そして人間って弱いですから、他人、あるいは自分が自分を否定した時に、元になるものをしっかり持っていないと簡単に崩れてしまう。極端に言うと「人格の崩壊」まで起きると思っています。

何度かこのブログに書きましたが、私にはアメリカはシアトル生まれの日系二世の叔父がいました。彼は幼い頃からジャップと蔑まれて育ち、青年時代は収容所に入れられた(日系人のみでドイツ・イタリア系は収容所に入れられていない。また日系人の財産は没収されることはなかったが叩き売ることになった)わけです。彼は自分はアメリカ人だと信じ、英語を話し日本語はわからず、普通のアメリカ人として過ごしたいのにそれは叶わなかった。終戦後、彼は自分のルーツである日本に「進駐軍」の兵士として初めて来ました。そして私の叔母と知り合い、(よくある話だった)「必ずお前と結婚するために戻ってくる」と言ってアメリカに帰った。ところが除隊してから本当に日本に来て、叔母と結婚しました。

二人には残念ながら子供が出来ず、私を「欲しい」と私の両親に言ったことがあります。「お姉さんはまた子供も産めるし~」みたいなことを言ったらしい(笑)。そしてもし養子にくれるのなら私を連れてアメリカに渡ると言った。当然私の両親はそれを受けるわけもなく、また叔母夫婦は日本に住み続けました。でも叔父は全く日本語もわからず見た目は日本人そのものですが「中身は完全なアメリカ人」だったわけです。彼は叔母から日本語を学び、その後何十年も女ことばみたいな日本語を話し続けましたが、何十年経っても日本語は下手くそでした。でも私を本当に可愛がってくれたし、私も大好きでいつも叔母夫婦の元に入り浸っていました。(幼稚園の時に家出をしたときもバスを乗り継いで叔母の家に辿り着いた 笑)

叔父は事業を起こしそこそこ成功し日本に馴染んでいましたが、彼のことを私も含めて皆が「変な外人」と思い続けていたし、それを口に出して言うこともありました。彼を日本人だと思っていた人は親族にも友人にもいないはず。何十年もずーっと外人扱いです。「異人」です。

それが叔父であると単純に私は考えていたのですが、彼の心の中で何を感じているか、彼が一生持ち続け悩み続けたことなんか知るよしもありませんでした。でも私も青年になり世の中のことがわかるようになり、叔父が二世であることから「アメリカ日系二世」に興味を持ち自ら調べることもした。そして戦争時代にアメリカ軍兵士として大活躍した「442連隊(ハワイは第100大隊で後に合流)」のことも知った。彼らは叔父よりちょっと上の世代ですが、アメリカに忠誠を誓った日系二世達が立ち上がり、日系二世部隊が出来た。これは太平洋戦線には向けられずヨーロッパで大活躍したのですが、この日系人部隊が得た勲章の数は未だにそのレコードは破られていないとのこと。彼らがどんな悲惨な目にあったかはネットを調べるとすぐにわかりますが、危ない任務を数多く引き受けていたんですね。敵(ドイツ軍)の中で孤立した他の部隊を助けるために、その部隊以上の死者をだしても彼らを助けだした武勇伝のようなものは数多くある。

そしてその二世部隊の活躍によって、多大な「命の犠牲」によって、「初めて」日本人がアメリカ人社会の中で認められるようになったといっても過言ではないんですね。これは日本の「在日」と大きく違うところで、「人権」だの「責任」だのという理屈とは全く次元が違います。

でも私としては「アメリカ人として命を捧げた」人たちの心の中に興味を持ちました。日系人と一口に言ってもいろいろいるんですね。442連隊のようにアメリカ人として生きることを選んだ人もいれば、日本万歳と思い日本に帰る日系人もいた。またアメリカに落胆し日本に引き揚げる日系人もいた(この手の知り合いが日本にいましたが、日本でアメリカ人として生き続けていた)。そしてまた中には「帰米二世」と呼ばれる人もいる。彼らはアメリカから日本に帰り(戦前)、日本で教育を受け、そしてまたアメリカに帰った人たち。そういう日本人はまた442連隊の人たちとは全く違う考え方を持っている。叔父の義兄弟にその帰米二世がいまして、私がシアトルに遊びに行った時には私を大歓迎してくれていつもシャケ釣りに連れて行ってくれたのですが、彼はその当時すでに60代半ばでしたが、日本が大好きで、英語より日本語が得意。アメリカにはとっても不思議な二世がいるんだと思いましたっけ。アメリカ生まれで人生の殆どをアメリカで住んでいる国籍もアメリカ人なのに、私には「普通の日本人」に見えた。娘が二人いるんですが、もちろん会話は英語で、難しい話になるとその叔父は日本語で話しだすんですよ。当然、それは子供には通じなくて奥さんが助け舟を出す。

叔父夫婦が引退後、ハワイに住んでいたこともあって私も遊びに行きました。その時には私も結婚をしていて生まれたばかりの長男を連れて行ったのですが、その時に、叔父夫婦の友人たちを紹介されました。これが面白いわけですよ。上に書いたように日系二世でもいろいろいるんですね。そしてそれぞれが皆、違う。こういう集まりって私は経験したことがなくて「異様」だとも思いましたよ。見た目は皆同じ日本人ですが、中身が皆全然違うんですから。殆どの人たちは日本語が話せないか、片言でしたが、やっぱり442連隊の生き残りはまるで違うんです。まさにアメリカ人そのもの。日本語は絶対にしゃべりませんし、言うこと、考え方、習慣も「立ち振舞い」もアメリカ人そのもの。

私はこのバラバラな考え方、生き方をした日系二世の心の中に興味を持ったわけです。

そしてその違いはなにかといえば「アイデンティティ」なんですね。「俺は誰か?」という問があって、そしてそこから全てが始まって、その人達の人生、歴史ができた。

そしてそのアイデンティティをしっかり自覚するキッカケになったのがあの戦争だったわけです。

平和な時代で人種差別もなかったら「俺って誰?」みたいなことも考えないでしょう。皆それぞれが好きな様に生きていただけなんでしょう。でも「何かが起きた時」に彼らを救い、行くべき道を示したのは「彼らの心の中にあったアイデンティティ」だってこと。これがなかったら行くべき道も決められない。「俺の好きな道を行く」というのとはちょっと違うんですね。「心の中で聞こえる【天の声】」みたいなもんじゃないでしょうか。

その私の叔父ですが、彼はアメリカではジャップと呼ばれ扱われ、日本に来てみれば「変な外人」と呼ばれ外人扱いされ、彼の中には「俺って誰?」というのが延々70年以上続き、それが彼を悩ませ続けたんですね。日本の「在日」と同じだと思います。

でも彼が晩年、日本人に帰化したんです。そして彼が言った言葉。

「生まれて初めて、心の平穏を感じた」

です。なんて重い言葉かと思いました。彼は「自分が本来あるべき場所をやっと見つけた」と心底思ったんでしょう。自分で自分を「根無し草」だと感じるのは辛いと思います。あるいはもし自分は「XXXXだ」と信じていても、それを簡単にぶち壊す出来事が周りに起こり、やっぱりその思いは崩される。でも叔父は、長い長い旅の終わりに、自分の根っ子を日本に生やすことが出来て、これが俺の根っ子だという確信を持てたんでしょうね。母なし子が母を探し長い旅を続け、最後に母を見つけ、その腕の中で抱かれながら「安堵の涙を流しながら」死んでいった。そんな感じがします。でも彼の中身はアメリカ人そのものであり続けたわけです。

ま、そんなことやら、叔父の義兄弟、友人を見たり、また私と同世代の又従兄弟もいましたし、その後、アメリカに住む日系三世、四世の時代になっても「アイテンディティ」をキーワードに海外に住む日本人、日系人を見てきました。そしてオーストラリアに渡ったわけで、オーストラリアの日系人の歴史はそれなりにあるのですが、大量に入ってきたわけでもなくアメリカの日系人とは随分違うと思いました。いわゆる日系人というより多くは日本人そのものなんですね。

またそうこうしている内に、オーストラリアで生まれた子供たち、我が家のように幼いころに渡ってきて育った子供たちをやっぱり「アイデンティティ」を中心に見てみますと、アメリカの二世たちとは全く違うんですね。いわゆる平和な時代に過ごした子供たちですから、「アイデンティティ」なんて考える必要も、そんなキッカケもなかったんじゃないかと思います。日本のパスポートを持ちながら日本語が話せない子もいたし、当然、日本の文化伝統も知らない。でも日本人。オーストラリア人も彼を日本人として見るし、そう扱う。

私は彼らを見た時に「大きなストレスが掛かるようなことがあれば簡単に潰れる」だろうと思いました。心の柱になるものがないと感じたんです。

もちろん「日本人としてのアイデンティティ」がなくても「柱になるもの」はいくらでも作れますが、私は少なくとも自分の子供達には「日本人のアイデンティティ」を持ってもらいたかったし、「日本人が大事にするもの」をちゃんと理解して受け継いで欲しいと考えていました。何があっても「日本人の心、プライド」を捨てるようなことは起きて欲しくありませんでしたから。

だから子供たちには「日本人であること」を常に意識するような育てかたをしました。でもそれが子供たちにはストレスになったのは間違いがなく、しかしそのストレスの中で「人は育つ」という考え方を私が持っているのは一つ前の日記に書いた通り。

子供を大事に育てるということは、家庭菜園と同じにしたら怒られますが(笑)、ストレスを掛けないとろくな育ち方はしないんですね。促成栽培ですぐに食べちゃうレタスみたいな育ち方で良いのなら構いませんが、私は「俺は誰か」というしっかりした認識を持ち、「人はどうあるべきか」「どう生きるべきか」、それは世界で稀に見る、いや世界でたった一つの2600年以上続いた日本という国家が年月を掛けて育て作り上げた日本の文化や「価値観」そのものであって、それを理解し、伝承し、それを忘れずに生きて、「俺は日本人だ」と胸を張って生きていけるようになってもらいたいと願っています。

でもまだ彼らは自分が潰れて、自分で自分を否定し、自らの命さえも絶とうと思うような辛い経験もまだないみたいですから、「自分のアイデンティティが自分を救う」ことには気がついていない様子。

でもいつか、「オヤジ、有難う」って天国だか地獄だか知りませんがそこに眠る私に言葉をかけてくれる時が来るはずだと信じています。多分、それは彼らが自分の腕の中に眠る我が子を見た時かな。

子供を大切に安全に育てたいのは世界の全ての親の共通の思いですが、「辛さ」「悲しさ」「悩み」「涙」「挫折」が人間を育てるのは間違いがなく、それがあって初めて「喜び」も大きくなるし「感謝」の気持ちも湧いてくるんじゃないですかね。そして「何が何でも、命を賭けてでも守らなければならないもの」の存在を心の中に持つことが出来るはず。

それが優しさであり、強さでもあり、力でもあり、絶対に諦めないという気持ちの原点になるんじゃないですかね。そしてそれがあるから「自分が自分をも超えることが出来る」ってことじゃないかと。そしてそれの根源にあるものが「アイデンティティ」だと私は思うわけです。そしてアイデンティティは「夢」とか「希望」「願望」みたいないい加減で弱いものじゃなくて、そして「権利」とか「義務」とか人間が考えたものを超越する「自分の存在」そのものだってことかと。そしてそれが「愛」の正体かもしれない。

余談ですが、昔、自宅の郵便受けに5ドル札が入っていたことがあります。どうしてお札が紛れ込んだのかわかるわけもありませんが、そのお金をどうしようか、郵便局に届けるべきか、警察に行くべきか、そんな話を家ではなしていたときです。次男坊が「ラッキーじゃん」って言ったんですよ。まだ小学生でしたが。「どういう意味だよ」と聞いたら「ラッキーはラッキーじゃん。もらっちゃえば?」ってことなんですね。私は頭に段々と血が登ってきて、「じゃぁお前、道で財布を拾ってもラッキーなのか?」と聞いたら「そうだよ」っていうんですよ。

目眩がしましたね。で、彼いわく「そんなのは常識」だと。

この時には彼がこれほど怖い私を見たことは無いだろうというほど私は怒りを出して、「お前、二度とそういうことを言ったり、またそういうことをしたら本当に殺すぞ」と脅かしました。(笑)

海外生活とは「子供は現地人になるだけ」ってことなんですね。日本では想像さえしなかったことがどんどん起きる。(笑)

子供は「環境に染まる生き物」だとつくづく思いましたっけ。だからもし「日本的なもの」を子供に残したいとすれば、そういう環境を作らないかぎり無理で、これは日本語の習得も同じで、「日本語が必要だと思えば勉強すれば良い」なんてのは駄目なんですね。「言語とは文化そのもの」であって、日本語が多少出来て読み書きがそこそこできたところで、それは上に書いた「私の叔父」と同じであって、その心の中に「日本的なものは育たない」のが現実かと・・・。もちろん日本人としてのアイデンティティなんかない。

これを浮草という。でも多くの日本人たちは「国際人」だとか「他の国々の人たちとコミュニケーションを取れるスキルがあって・・」とか馬鹿なことを言っていると私は思いますわ。

しかしですね、昨日お会いした読者には「もう日本に拘る時代じゃないかもしれない」とも言いました。まるで上に書いたのと逆の考え方ですが、お子さんはハーフですし、ご主人はオーストラリア人でどうも聞いた所、「日本的な価値観」を理解していない部分もあるようで、我が家のように子供に「日本的なもの」を期待し過ぎるとおかしなことになるような気もするんです。また我が家のように押し付けるような育て方は家族の中でも問題になるでしょうし、でも「日本的なもの」に未練があるのなら、しっかり「武道」をやらせたらどうかという話になり、これは(合気道をやっていた)息子も賛同していました。親が心配しても「子の人生は子のもの」でありますし、でも武道で繋がりがあれば、それは「ドアが開いている」のと同じことで、子供が望めばどんどん奥に入っていけるわけですから。

この方のケースはご主人がオーストラリア人ですから、日本人家族の場合とはちょっと違う考え方が必要だと思います。日本語の習得に関してもそう。

ま、一般論としてはどんなバカでも海外に住んでいれば当然その地の言葉(複数存在していればそれも含めて)は理解し使えるようになるし、人種のるつぼなら「他国の人々とのコミュニケーション能力」なんてそんなあえて言わなくても彼らは普通に生きていける。そして、特にこの「外人とのコミュニケーション」に関しては「個人の性格」に由来するものが大きいはずで、海外で育てば大丈夫とか、日本にいたらその能力は育たないなんてことは全く無いと思っています。

でもこれを多くの人は言うのね。著名人でも真顔でそんなことをいう人もいるし、それに関する書籍も多い。

でもこれがまさに日本的な「勘違い」だと私は思っていて、そのコミュニケーション能力を「海外に出て育てろ」と言う外国人に会ったことあります?そんな論評、書籍を見たことがあります?

でも日本ではこれが言われるのは、私は「日本人の外人(外国)コンプレックス」があるからだと思っています。特に、親は外国語が下手で、外人と話すときにはドキドキしちゃうような親だった場合、この思いはもっと強くなるんでしょう。だから「留学・・・」なんて考えだすんでしょうが、これって実はかなり「おかしなこと」であると親は気がつく必要があると思います。

私が思う日本人の子供にとって大事なことは、「日本をちゃんと理解すること」であって、その上に足された経験としての海外生活は意味がありますが、大本の基盤である「日本」がわからない子供に育つほうがよっぽど大問題だと考える必要があるはず。言語も同じ。何か国語をちょっと話せるだけで「凄い・・」って思う親は、どこか大事なネジがはずれているんじゃないかと自問自答する必要があるんじゃないですか。

それともマレーシアのホーカーズで鍋を振るいながら、英語、マレー語、(何種類かの)中国語を話すオヤジにあこがれを感じるのならそれも良いですが・・・。

あの人達は何か国語も話せて凄いと思うなら、一度ゆっくりいろいろと話し込んでみたら面白いんじゃないですかね。彼らの「凄い」語学力ってどういうものなのかすぐわかるはず。と同時に、そういうオヤジに「貴方のその外人とのコミュニケーション能力ってどうやって得たんですか?」と聞いてみたら良い。

そして、「やっぱり凄い」「こういう人に子供もなってほしい」と思うならそれも良し。野放しにして育てても大丈夫でしょう。

でももし狙っているものが違うと気がついたら、自分の育て方、また選ぶ学校も(住む国も)慎重に選ばないと大変なことになるという「現実」にも目を向けないと。親ってまず気になるのが「この外国の学校で自分の子供はちゃんとやっていけるだろうか」ってことなのね。でもそんなのは「心配無用」ってのが普通で、「これなら大丈夫そうだ」と思う様になった時に、現実を見ることになるのね。その時になって初めてその学校のレベルとか、卒業生がどうなったのかとか、大学進学は?とか考えだすと、「実は恐ろしいことに囲まれている」ことに気がつくケースが多いんじゃないでしょうかね。

言語に関しては「日常会話程度」なら複数覚えるのは簡単で、でも育つに従って、勉強、あるいは専門性を追求したり、文化、思想、伝統を知るには「その言語を深く理解する」ことが必要なわけで、複数の言語でそのレベルに到達するのは凡人には出来ないんですね(日本人が日本語を完璧に理解するのも難しいでしょ?)。「バイリンガル」に関しても同じで、専業としてのバイリンガルがどれほどのハイレベルが要求されるかというのを知るべきだと思います。子供が4-5国の言葉を話せてニヤニヤしている親は、「馬鹿だと思われている」と思って間違いがないです。いつかどれかの言語を選んでそれに集中しないとならない時は必ず来るんですから。そしてもしその選択をしなかったら将来とんでもないことが起きる。ここにも留学、海外移住の落とし穴があるわけです。

つまりですね、「言語を絞る」のは子供が幼い頃から考えるのも大事で、マレーシア人もそうしている家族はかなり多いんじゃないですかね。「うちの子は何か国語も出来る」という親がいたら、その何か国語のレベル、そしてその子に何か問題があるかもしれないと想像するのは大事なことで、「我が子も・・・」なんて考えるのはオッチョコチョイとしか言いようが無いと思います。

でも親もしっかりしていて子も出来る子で、かなりのハイレベルで複数の言語を習得できているケースもあるんですね(学校の成績も同様)。でもそういう家庭がどれほど綿密な計画を持ち深く考えているか知るべきで、「留学したら良いかも~~♫」とは月とスッポンの違いがある。この辺に興味がある方は、このブログに「現地でしっかりやっている人」の紹介もしていますし、その方の考え方、「教育の内容」も書いていますから検索してみてください。彼らの努力の凄さに驚くはずです。そしてマレーシアの教育制度、資格に関しても知るべき内容がある。数年の腰掛け留学なら「良い経験」を積んで帰れるでしょうが、それがプラスになるのか、あるいは子供が「遅れを取り戻すのが困難」になるのかはわからず。また「(マレーシアの)資格」は手に入れても、次のハードルを超えるだけの「能力があるかないかは別問題」だということも忘れてはならないはず。

日本以上に学歴社会のマレーシアで勝ち残るために「マレーシアに根を張った人たち」がどれだけの努力をしているのか知るのは大事で、「うちは留学だから・・」と考えるのはもしかしたら「逃げ口上」であって、ではその通り日本に帰ってからとんでもないことが起きるかもしれないことも想定しないとならないはず。

ここは今日の日記のポイントである「アイデンティティ」にも関係しているわけで、それをきっちり考えずに「国際人として・・」なんてそんな人間は世の中に存在しないのにそこに視点をおいてしまうと、結局はどこの国に行っても通用しない「浮草」になるんじゃないですかね。

国際人だ、なんていうアイデンティティは存在しない。「全ての国を大事にするということ=どの国も大事にできない」だと私は考えています。リベラル派の理想論を信じていはいけないと、保守派の私はここでもそう思うわけです。「全ての人間を平等に愛します」という人を私は信用しないし、ましてやそんな人に私は一生を賭けたいとは思わないのと一緒。(笑)

マレーシアに留学する日本人の子供が増えているようですが、ネットで親御さんの考えを見ていると、「海外に憧れている」みたいな部分だけが突出しているように感じます。「海外留学すれば何か良いことが起きる」と錯覚しているようにさえ感じます。学校の選び方を見ていてもそれを感じます。

「慶応の幼稚舎に入れれば、あとは安泰ね」みたいに考える親と同じように、「海外留学」を考えていると感じます。バカロレアしかり、それに対応しているからなんだってんです?どの基準を採用しているかってだけのことじゃないですかね。学校選びの大事なポイントは全く違うところにあるはず。小さな安心を得ても大きな問題を見逃したら意味が無いんじゃないですかね。

でもま、「このままじゃ危ないかも」と思った時に進路変更をすれば良いし、そうするしかないのだけれど、私に言わせるとそれは「無計画」と一緒だと思います。「わからないことばかりだから・・」なんてのは言い訳で、冷静になればどうするべきかなんてのはすぐわかるはずなんですよね。でも当初はどうしても不安があるから、将来のもっと大きな不安には目を向けたくないんでしょう。でもちゃんとしっかりした計画に基づいてやっている親子もいるのがわかる。

そういえば、このブログにいつも登場するマレーシア在住の大西さんですが、最近「留学ネット」みたいなところにいろいろ書いているのがわかりました。彼の言うこと書くことっていちいちイラっとすることがあるはずですが、それは「彼は本当のことを言っている」からなんですね。夢を見ている人、将来の不安を考えたくない人は間違いなく、「うっせいなぁ、こいつ」って思うはず。(笑)

これは面白かった。

親の語学力は大丈夫?親子留学で求められる両親の語学力 | THE RYUGAKU [ザ・留学]

でもですね、こんな経験がありました。前に書いたことなんですが、ヨメさんの具合が悪くて夜中に救急病院に行ったんですよ。昔から何かあるとよく行く病院なんですが、そこの待合室で順番を待っていた所、日本人の母娘がいるのに気が付きました。カウンターで事務の人といろいろ話しているんですが、そのお母さんは英語が全く駄目で話が通じていないのね。

でも私はそれを観察していたんです。どうしようもないとなれば手助けしようと思ったのですが、その娘さんは多分中学1,2年の歳だと思うのですが、その子がお母さんと事務の人の間に入って通訳をしているのね。でもその子もまだ来たばかりのようで、彼女の英語はお母さんより上手なものの十分ではない。きっと母娘留学でしょう。

どうなるかなぁ・・・と気がかりだったのですが、結局その子が話をまとめたんですよ。大したもんでした。

この母娘の助け合いで生きていくってのは、ちょっと父親の感覚とは違うのですが、「これでよいのだ」と思ったんです。

私のように一応海外での子育ても終わると、こんなことに注意したほうが良いとか、これはやめたほうが・・とかいろいろ言うわけですよ。偉そうに。(笑)

でもそれを聞いてピンと来る人はピンと来るし、何も分からない人は何もわからないのね。そんなもんだと思います。また「そうかもしれないけれど、私はこうしたい」ってのが人間誰でもあるはずで、どんな結果になろうと思ったことをやる、その時点で出来る限りのことをやるしか無いってのが真理なんでしょうね。

あの母娘で助け合いながら生きていく姿に私は感動しました。

そしてあと15年も経つと、あのお母さんも娘も、誰かさんみたいに偉そうにいうようになるんでしょう。(笑)

ま、とにかく不安には背を向けず、しっかりと冷静に計画も練って進めないと、「その時」になって慌てても間に合わないのは確かでしょう。

ああ、それと最後に一つ。

親って子供がどういうふうに育とうと、あとで必ず「これでよかったんだ」って思うのね。実際には回避できることもたくさんあるんだけれど、そして当初、親が願ったのとは全く違う方向に子供が育っても、親は「これでよかった」って思う。(笑)

人間ってうまくできているんですね。つまり?どう育てても「失敗は無い」ってことになる。これが最大の救いかも。 \(^o^)/

でも現実を直視する目を持ち、計画性のある家族の場合、全く違う結果が出るんですね。といいつつ、思うようになることなんかなにもない。さてどうする?(笑)

 
 
 

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