ヤフーニュースなどで、そのニュースにコメントを付けられるようになってますよね。私もあるニュースにコメントを書いたのですが、それに対する反論が面白かったので紹介します。
そのニュースはこれ。公明党の山口代表のしゃべったこと。
政府で平和安全法制(安全保障法制)をつくって、現行憲法に基づいてギリギリの解釈を定めた。それ以上の武力行使をやるんだったら憲法改正しかないというところまでつくった。だから、平和安全法制が現行憲法の下でどれだけこの国を守り、国際貢献に役立つのかをしっかり見ていく必要があるので、いま直ちに(憲法)9条を改正する必要はないと思う。(9条改正には)当面は反対。9条をきちんと維持していくのが基本だ。公明党が選挙の後、にわかにいろんな違う方向に行くことは考えにくい。(BS朝日デジタル)
9条改正当面は反対 公明代表(2016年7月9日(土)掲載) – Yahoo!ニュース
これに書いた私のコメント。言葉遣いが丁寧じゃないのはかんべんしてね。(笑)
公明党も大変ですねぇ。9条があれば平和だと信じている困った人たちがバックに大勢いるんですから。政治家としては改正が必要だとわかっていても、宗教の立場で考えればあらゆる危険は認めないと立場を取るしか無い。9条があるから平和なんじゃなくて、今は9条があるから北朝鮮も中国も好き勝手なことをやる。
どんなヤクザでも相手が絶対に反撃してこないことがわかっていれば、好き放題するわけで、あいつは平和主義者だからあいつをシバクのをやめようなんて考えるバカはいない。
「いつでも必要があれば戦いますよ」という態度表明が「戦争抑止力になる」ということがわからないアホが世の中に多すぎる。
これについたコメントがこれ。
堅気であればちょっとシバかれるだけで済むものを、ヤクザ相手に武器を手にすれば手加減なしに殺されます。
そんなこともわからないオメデタイ人が多すぎますね。
これを読んで、私はひっくり返るぐらいびっくりしたわけです。で、これに対してまたコメントを付けました。
経験ある?喧嘩したことある?想像しているだけでしょ。当然、武器もそれを使う能力も高くないと駄目だけれどね。子供が水鉄砲を持ってヤクザに対抗できるわけがないのと一緒。
戦う時って必ず「自分はどのくらいの打撃を受けるか」を考えるのが大人の喧嘩(戦争)なんですよ。だからヤクザも強い奴には手を出さないのが常識。それでも掛かって来るチンピラはいるけれど、そもそもそういうチンピラ相手に9条を見せて「俺は戦うのを放棄したから」でやめると思う人は頭のなかでチョウチョが飛んでるとしか思えないわけです。
それとちょっとシバカれるぐらいなら良い?ちょっとで済むのか殺されるのかどうやってわかる?簡単にシバケると思ったら何度でもくるしエスカレートするんじゃない?イジメもカツアゲも同じだ。中国もそうだろう。
いじめっ子に「やめろー」とか、泥棒に「逃げるな」、暴漢に「そんなことするな」で終わるなら、世界はもうとっくに平和になってる。そもそも自分の身の回りのことだけでも、話し合いでケリが付いたことがあるか?話し合いでケリを付けるのはそのバックにある力が物をいうのは親子でも会社でもどこでも同じ。
ま、世の中いろいろな考え方があるし、それはそれで良いと思います。皆言いたいことを言えば良いし、その中である時「なるほど、それもあるなぁ」と思うことって結構あるわけで、馬鹿みたいな話のやり取りの中でも勉強になると思うことはあるわけです。
で、今回のやりとりで私が思ったこと。
本当に真面目な意見としてこういうことを考える人が世の中に存在するとは信じられない。こういう根性無しの似非平和主義者と私は一緒に生きることは不可能だということ。仕事も一緒にしたくない。友人関係も持ちたくない。いつでも自分の都合で簡単に裏切る、寝返ると思うから。私が女だったらこういう男とは絶対に結婚しない。じゃぁこういう考え方を持つ女性に対してはどう思うか?女性だからしょうがないと思う。(笑)
時代が変わったんですかね。私が若いころ、こういう考え方を持つ人って私の周りにはいませんでした。でも最近は結構目にする。ネットの中では結構多い。シールズの若者も同じ。
でもそれはネット社会だからそういう人たちの存在がわかるわけで、実際には多くないのかな?
シールズは「若者の意見を聞いてくれ」みたいに、自分の意見がすべての若者の意見のように言っていたけれど、今回の選挙でシールズみたいな考え方をする若者は少数派なのがわかった。つまり、きっと私の周りにはシールズやこのコメントを付けたような人はいないのかもしれない。
でもねぇ、最近は男性が弱くなって女性が強くなったでしょ。これって困った現象だと思っていて、でも男尊女卑が良いとか平等だとか権利がどうじゃって話じゃなくて、私は男には男、女には女の特性があって、それぞれ違うからうまくいくと思うんですよ。でも今は女性の論理の方が大事にされる時代になった。
で、この手の平和主義者の考え方って女性に多いと思うのだけれど、こういう母親に育てられた子供は当然その考え方を受け継ぐはずで、
◯ 問題が起きたら逃げろ
◯ 危険には近寄るな
◯ 長いものには巻かれろ
◯ 絶対に暴力は駄目
◯ 何をされても我慢しろ
って考えるようになるのかもしれない。子供が学校でイジメにあって、「頭に来たから一発殴ってやったよ」なんて言ったら、母親は「あんた、なんてバカなことをするの?絶対に駄目!」って言うのかもしれない。父親は「ふーん、お前も根性があるじゃんか」なんて言おうものなら、母親は父親に食って掛かるのかもしれない。「あんた、絶対に馬鹿みたいなことを言わないで!」って。
で、父親は母親がヒステリー状態になると手がつけられないのを知っているから、「だな」なんて相槌を打っちゃうとか。(笑)
イジメの問題だけれど、イジメられる子、イジメる子の他に「回りにいる子」の問題もあると思うんですよ。
黙って見てる。知らん顔する子が多いんじゃないかと・・・・・。だからいじめられっ子は救われることがないんじゃない?
あのシールズの「中国や韓国が攻めてくるのなら、彼らと一緒に飲んで話して仲良くなって、僕が抑止力になります」って言った青年だけれど、彼がどういう家庭環境でどう育ったのか、大学でどんな友達とどういう関係を作っているのかヒジョ~~に興味があります。それとそういう平和主義者が実際に攻められたらどうするのか知りたいです。
そういえば、うちの長男が小学校1年の時に、家に帰ってきて
長男 「パパ、いつも僕をイジメる子がいるからやっつけてやったんだよ。<( ̄^ ̄)>」
ダボ 「ふーーん、凄いじゃん。どうやって?」
長男 「取っ組み合いになってその子が倒れたから僕がその子に馬乗りになって、そうしたら泣いたからやめた」
ダボ 「へーー、お前強いんだな?」
長男 「うんっ。それも相手は二人だったんだよ。それも3年生。」
ダボ 「へーー、3年生を二人も相手にしたのか?」
長男 「うん、双子」
ダボ 「お前・・・まさか・・・、その子の名前は?」
長男 「XXXXだよ」
ダボ 「あの日本人の双子の兄弟か?」
長男 「うん、いつも二人で僕を馬鹿にするんだよ」
ダボ 「お前なぁ、日本人同士でそんなことやってどうすんだよ。頼むから仲良くしてくれよ~~~。絶対に喧嘩は駄目!」
長男 「だってぇ、いじめっ子なんだよ~~~(と泣きそうな顔)」
その双子の兄弟は知り合いの子供たちでした。謝りに行こうかと思ったけれど、やめた。(笑)
この話を聞いて思い出したことがあるんです。私も似たような経験があったことを。
同じく私が小学生1年の時ですが、3年生の姉のクラスにいじめっ子がいたんですよ。で、姉にちょっかいを出したのを見て、このやろーと思ってその子に跳びかかったのね。勝てるとは思わなかったけれど、姉にそんなことをするやつは許せなかったんです。そうしたらそいつもすぐにひっくり返って、私が馬乗りになったら泣き出した。だから私はそれでやめた。
ほとんど長男と同じような経験。(笑)
私の時代は、新橋のど真ん中の商人でしたし、喧嘩をして泣いて帰ってきたら親に怒られるなんてことは無いにしても、「喧嘩はだめよ。暴力も駄目」なんてことは言わない時代で、オヤジにはいつも叩かれていたし、学校でも体罰は当たり前にありました。でもその体罰を受けるってのが子供の中ではヒーローになったようなもんで、皆ニコニコして次は俺~~みたいな感じもありました。
思い出してみるとあの頃の教師は怒り方をちゃんと知っていたと思います。体罰も罰じゃなくて、いてぇ~~~なんて顔を歪めると周りの生徒が拍手喝采して、みんな大喜び。怖がる子は一人もいなかったし、親が学校に文句をいうなんて一度も聞いたこともなかったし、家でそれを親に報告するときには「今日はおもしろいことがあってさ~~」みたいな感じ。親は「あんた、バカねぇ」って呆れるだけ。
子供同士もよく喧嘩したけれど、皆基本的には仲がよかったし、陰湿ないじめってのを私は一度も経験がないんですよ。先生もみんな尊敬できる先生ばかりで、今思い出しても嫌いな先生って小中高大学を通して一人しかいません。嫌いというか気の小さな先生で、子供が悪いことをしても叱ることが出来ない人でした。何だこの人、これでも先生か?と思ってましたっけ。
良い時代に育ったと思います。
イジメとか裏切り、陰湿さって大人になって初めて経験しましたっけ。欲が絡むと人間てこうもずるくなるのかって思ったっけ。
今の子供達ってどんな育ち方、教育を受けているんだろうか。最近の若者夫婦の家をちょっとのぞいて見て、どう子供を育てているのか見てみたい気もします。
あああ、それと私が育った環境に「日教組」はいたのかなぁ。国旗掲揚、国歌斉唱なんて卒業式入学式では当たり前だったし、戦争反対とか自虐史観とかそういうのを埋め込まれた覚えは全く無し。というか疑問も感じないでそのまま受け入れていたんでしょうかね。
私に孫が出来たら、絶対に日教組が力を持っている学校にはいれるなって息子たちに言うつもり。かと言って、XXXとかXXXXみたいな右翼丸出しの学校も困る。(笑)
実は今でも苦手な人たちっているんですよ。私は先輩後輩って考え方が大嫌いなんですが、そう思うようになったのは「先輩と呼びたくない先輩」がいたから。
わかりますかね。私が中学高校時代はあの学生運動が真っ盛りだったんですよ。つまり私より3-7歳ぐらい上の人たち。今で言えば66-70歳ぐらいかな。いわゆる左翼ですわ。大学に入った頃はもう下火でしたが、まだ構内にはバリケードがあって、メガホンを持ってギャーギャーやっているのが若干いた程度。どうしてそこまで入れこむのか話を聞いたことが何度もあるんですが、私を納得させるだけの理論を持ってるやつはいなかった。ってこれは幸運だっただけかもしれなくて、バリバリの左翼に説得されたら私もその気になっていたかもしれない。(笑)
で、困るのがあの時の彼らが今は社会の中心、トップにいるんですね。特にメディアには随分入り込んでいるはずで、今のメディアは左寄り、新聞の殆どもそうなのはそれが理由だと思っています。私の大学は学生運動も凄かったし、大学の最初に習った経済がマルクスだし(笑)、メディア関係に進む卒業生が多い学校だし、私の周りは左寄りばっかりだったんですよ。他人の迷惑は一切考えず、言いたいことを言い、やりたいことをやり、革命だのと「今あるものを」平気で壊そうとする人たち。それも皆さん年上ね。だから先輩という立場の人たちは、私にしてみると「絶対にああいうふうになりたくない人ばかり」だったってこと。(笑)
だから先輩面されるのが何よりも嫌で、社会に出てからも同窓の年上に「ああ、俺の後輩か」なんて言われたらその人とは口もきかない、二度と会いたくないと思った。(笑)
行くべき学校を間違えと本当に思いましたよ。だから学生時代は慶応の連中のほうが友人が多かったし、同年代、年下は自分勝手で破壊的な左翼思想に毒されていないし、話はすんなり通じるし、だから「後輩」という概念も私の中に育たたなかったんです。ま、元々上下関係ってのが大嫌いで、尊敬できるかどうかは私が決めたいわけで、単に年が上とか経験が長いだけで先輩面されるのは本当に大嫌いでした。だから私は先輩という言葉を使ったことがないし、若い人たちに先輩と呼ばれると「バカにされたような気」がするんですよ。
尊敬したり、自ずと頭を下げたいのは相手が素晴らしいからで、決して年齢とかそういうものじゃないのね。だから逆に年下でもXXX君とか呼び捨てって嫌いで、みんなさん付け。(笑)
これが私のポリシーでずーっとやってきたので、私の会社も面白かったんですよ。役職名は一切なし。って役職があってもそれでは呼ばずに、みんなさん付け。私も名前で呼ばれていました。今思うと社内では問題は無いけれど、外部の人はわけがわからないで困ったかもしれませんね。(笑)
ま、こんなやつですからそもそもサラリーマンなんて絶対に出来ないわけで、いつも極小中小企業のオヤジ。でもま、仕事上では普通の常識は守りましたが、私の会社は変な会社だと思われたでしょうね。オーストラリでは客と会うことがなくて全てネット、電話、FAXで出来る仕事でしたので、スタッフはジーパン、Tシャツだし、私は半ズボンで会社に行ったり。(笑)
それらも今は遠い思い出で、面白い人生だったと思いますわ。ま、そんなことで毎度のことで話が長いですが、私はどうしても左翼思想は受け入れることが出来ないのです。そして私がなぜ好戦的(笑)、というか戦うことを否定しないかの理由はお分かりになったと思います。
実は平和主義者も良いけれど、なんだか近年の平和主義者って根性も責任感も無いように感じます。
面白いのが、戦争反対をいう人達と原発反対をいう人はほとんど同じなのね。なぜ?
そしてその手の人たちって「権利」をいつも口に出すのね。そしてなぜか市民派。ベーガンとか菜食主義者もその傾向がある。
私から見える共通点って、「弱い人」って感じかな。「恐怖心が強い」「猜疑心が強い」「被害妄想が強い」「神経質」「潔癖症」そんな風に見えます。良く言えば「優しい」「思いやりがある」「命を大事にする」など、女性的な感じがします。
じゃ、私には優しさはない、不要と思うかっていうとそうじゃなくて、女性的な優しさと男性的な優しさは違うと思うんですよ。私は男性の優しさとは「力」だと思っていて、困っている人に優しく話しかけて慰めるとかそういうことが良いとは思いません。私としては、その困っている原因を取り除くのが男の優しさだと思うんです。飢え死にしそうな人を慰めてもしょうがないわけで、食べ物を与えるなりお金を出すのが男の役目みたいな。お金が無くて困っている人には黙って仕事を分けるとか、当面の金をだすとか。
気持ちの面では女性的な優しさは大事で、それでは解決しない時に男が出て行く必要があって、その2種類の優しさが男女にはあるから世の中うまく回ると考えるわけです。
また暴漢に襲われたら、女子供は頭を抱えて縮こまって「やめて~~~~」とか言うだけでしょうから、女子供を逃がして、あるいは守って、暴漢に立ち向かうのが男の責任だと思うんです。神様は男の体はそれが出来るように作った。もちろん「話し合い」で済めばそれが一番ですが(笑)、そうはいかないケースの方が世の中は多いわけで、口で解決できなければ、他の方法を取るしかないじゃないですか。小さな金で済むならそれも良いし、頭を下げるだけで良いならそれもよし。でも最終的には命を張る覚悟って男には絶対に必要だと思うし、それが出来るように神様が作ったというか、そういう風に進化したから人類は今も生きているんだと思うわけです。
この感覚って女性も持っているはずで、子供に危険が迫れば自分の命を賭けてでも助けますよね。でも男と女しかいない場合、女性は男性を逃がして自分が戦うことはしない。ところが男は女(子供)を助けるように身体も脳もそういう構造に出来ている。(笑)
だから国家がどうあるべきか、安全保障はどうかと考えた時に、女性と男性と考え方が違うのは当たり前で、男が逃げることばかり考えていたら国はいつか滅びると思うわけです。でも女子供は逃げれば良い。というか逃げてくれないと男が命をかける意味がなくなるんですね。
だから私は平和主義を否定しないし、平和であったほうが良いに決まっているし、戦争なんてまっぴらごめん。死ぬのは男が先なんですから。(笑)
でも男が戦いに出なくてはならない時に、女子供と一緒に逃げたり、すぐに白旗を揚げるようだと、結果的に一族の命は続かない。逃げまわってもいつか消えていくしかない。当然、逃げまわっていたら家も持てない、その地に根を張って生きて文化を育て、繁栄することも出来ない。
だから平和主義者にお願いしたいんです。何が何でも平和を守り生き延びるという意志と、何が何でも死んでも必ず守るという2つの意志は両方共必要で、どちらを選ぶかって話じゃないんですね。その2つの意志が同時に存在するから、我々は生きていけるってことをどうか理解して欲しいのです。
また戦争反対と戦争もしていない自分の国に言うのではなくて、こういうのも良いんじゃないかという提案があります。
侵略は駄目ですよね。私もそう思います。でも自衛は良いんでしょ?当たり前ですよね。
だとしたら、日本が世界に発信するべきことは、「世界の軍隊を全て自衛隊にする」という考え方があるはずなんです。どの国もしっかり軍備を持って自衛する。でも自衛隊ですから絶対に国境を超えて外に出ることはない。世界の国々の軍隊が国境を超えないとなれば、絶対に戦争は起きないし、もし万が一攻められることがあっても祖国を守れるじゃないですか。
軍隊を持ち、平気で国境を超える国があるから戦争になるわけで、世界の国々に日本の自衛隊と同じにしようという呼びかけこそが、日本にしか出来ない世界平和への提案じゃないんでしょうか。
国境を超えて他国に侵略する国が多い中で、日本の政府に向かって戦争するな、自衛隊もいらない、軍備もいらないっておかしいと思いませんか?
でもとにかく戦争は嫌い、絶対に認められない、子供も戦場に送りたくないとするならば、日本に文句を言っても侵略者を止めることはできないわけですから、まさに平気で国境を超える国々に対して「国境を超えるな」「全ての軍は自衛隊にしろ」というのが平和主義者のあるべき姿だと私は思うのです。
もしも、そんなことは不可能だと思うとしたら、「今日は雨が降っちゃったじゃないの。あんたのせいよ」って旦那に文句をいう我儘な女房と同じだってことになりませんかね。
私はこのブログで参議院に立候補した青山繁晴氏に期待していると何度も書きました。彼は「言い合いをするのではなくて、一致点を探そう」っていつも言いますよね。今、私が書いていることもそれと同じなんですよ。戦争はしたくないのは皆の思いで同じだし、共通点は見つかるじゃないですか。
もしも攻められても大丈夫なようにしっかり準備しよう(戦いは放棄しない。逃げない)。でも国境を超えてはいけないこととしよう。そしてそれを世界に呼びかけよう、って。