KLへ出発の日はまだ決まっていない&我が家の将来

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引越し荷物の搬出も終わったし、来月の第二週にはこのコンドを出て行かなくてはならないのに、まだKLへ出発する日が決まっていません。

本来は今頃はもうKLにいるはずなんですが、野暮用があって1ヶ月伸びてしまいました。で、その野暮用が終わるのは多分9月の3日か4日のはずで、それが確実に終わらないかぎりKLにへ行けません。

ですから順調に行って、飛行機やホテルの予約をとるのが4日か5日で、その後ドタバタしながら出発することになるはず。

でも順調に行かなかった場合・・・・、どうなるんでしょうか。こちらのホテルかAirbnbに泊まって待つことになるのかも。

今乗っている自動車はもう古いホンダのオデッセー(3L)ですが、これは最後の最後の日、飛行場まで乗っていられそう。

昔、私はこちらで日本からの中古車の輸入販売をしていたことがありますが、その当時、ちゃんとした信頼できる自動車の整備士がいなければどうにもならなかったんですね。で、こちらの日本人の整備工場のオーナーと懇意になり、ま、彼がいたからその仕事が出来たようなもんなんです。というか、彼と無駄話をしている中で、その仕事を始めようかと思ったくらい。

もうその仕事もやめて15年ぐらい経ちますが、その後、我が家の車はずーっと彼の整備工場で面倒を見てもらっていますし、ただの知り合い、友人ってわけでもありませんし、私の古いホンダは彼にあげる約束をしました。

で、車の受け渡しは飛行場。(笑)

どちらにしてももう間違いなく出発までに3週間を切っていますので、やることは全部やらないと・・・。

なんだかやり残したことがありそうで・・・・・。

昔からの友人たちには「さようなら」は言いません。

ゴールドコーストはヨメさんが世界で一番好きな街ですし、子どもたちはゴールドコーストを故郷だと言いますし、またちょくちょく帰ってくることになると思います。年間の半分はこちらで・・・ってほどにはならないにしても、マレーシアに行きっぱなしってこともなく、また何かどうにもならないことがあってマレーシアを引き上げることになれば、帰る場所はゴールドコーストになると思います。

ただその時点で私が70を超えているとしたら、日本へ帰って老人ホーム併設のシニアマンションに入ることになるのかも。私はどこで野垂れ死んでも全然平気なのですが、確率的に私より10年以上は長生きするであろうヨメさんを海外に一人で置いておくわけには行きませんものね。だから私がまだ元気な内に、ヨメさんが問題なく最後を迎えられる場所(それは日本しか無い)を確保しようと思っています。

そしてその時には子どもたちはオーストラリアに住むんでしょう。

でもなんだか寂しいです。我が家のお墓は東京青山にありますし、私も当然そこに入るつもりでいるんですが、きっと私の子孫達はオーストラリア人として生きることになるんだろうし、お墓はどうなっちゃうんでしょうね。どうしたら良いんでしょうね。私が建てた墓なら好き勝手に出来ますが、私は長男、オヤジも長男で、祖父母もそこに入っています。当然、親戚もごっそり存命しているわけで(付き合いは全く無い)、勝手にあの墓をいじることはできません。でもま、どうにか息子たちの世代になってしがらみも無くなったら彼らの意志に任せようと思っています。

子どもたちを「世界のどこででも」生きていけるように育てて、それはそれで成功しましたが、世界の広さ、自由を知ってしまった彼らは「日本で住もう」なんてことは全く考えないんですね。彼らは日本に思い出も無いし、「旅行で行く場所」「遊びに行く場所」という捉え方しかしていません。仕事で日本に在住することもあるかもしれませんが、今の時点では「日本には住みたくない」「日本で仕事をしたくない」とはっきり言います。

これはこれで頼もしいし、「自由であること」を手に入れた私の子どもたちは、私の思った通りになったものの、これで本当に良かったのかって今になると思うんですよ。

テレビを見ていると、地方の3世代家族の団欒が良く出てきますが、きっと田舎の狭い地域の中でしか生きていけないのかもしれないけれど、あれが本当の幸せかもしれない、って思うことが度々あります。

でもま、私の家業を子どもたちに伝えることができれば、地域や国に縛られることなく生きていけるはずで、またそういう家業も珍しいわけで、どうにかそれを伝えるのを私の最後の仕事として、子どもたちにはどこの誰にも気兼ねせず、好きな場所で好きなように生きて、「来年の今日は自分はどこで何をしているか」を自分で決められる人生を送ってもらいたいと願っています。

私の今の唯一の夢はそれだけで、マレーシアに行ってから遊びたいとか旅行三昧をしたいとか、のんびり老後を暮らしたいとか、その手の欲望はゼロです。

私は運良く、今まで好き勝手に生きてくることが出来て、家業も完成こそしていないもののどうにかそれを伝え、それを子どもたちが受け継いで子どもたちにも自由に生きて欲しいと思うわけで、それを伝えることが出来なければ「自分が生きてきた意味が無い」って思うんですよ。

子供は子供でまたゼロスタートが当たり前って、それは「社会の歯車としての人間を育てるため」に誰かが考えだした都合の良い理屈で、でも現実は、農家にしても商家にしても企業にしても、綿々と続くようにするじゃないですか。農家の長が死んだら農地は取り上げられて、子供はまたゼロから荒野を開拓するなり農地を借りて始めるなんてことはあり得ないし、会社もそうで創業者が死んだら会社も解散なんてことはあり得ない。血が続いていようかいまいが、過去の積み重ねで現在があり、そして未来があるわけで、私は単にそれをしたいと思っているだけなんです。

どうなるかわかりませんが、見えない存在に手を合わせてよろしくお願いします、見守っていてくださいと祈るばかり。でも助けてくださいとは言わない。(笑)

そして子どもたちがそれを受け継ぐことが出来そうなのが見えてきたなら、次のステージに入りたいと思っているんです。この計画は10年、20年、いや50年、100年掛かるかわかりませんが、その夢があるから家業にも、またそれを伝える意味があるはず。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 
 
 

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