韓国にしても中国にしても、私から見ると「全く理解できない国」です。
それって「私が持っている基準」と比べるからで、でも「自由」や「民主主義」「人権」を【重視しない人々も存在する】のが最近、よくわかるようになってきた。そんな馬鹿な・・と今まで思っていたわけですが、韓国や中国、香港をウォッチしても「自由」「民主主義」を良いとは思っていない人々がいるのが浮き出てきます。
共産主義はその頂点みたいなものですが、私はそれも「リーダー」「施政者」「権力者」がそうであって、「民衆が本当に望んでいるものは自由」だと私は信じていました。
でも違う。
民衆が望んでいることは【生き延びること】であって、では「生き延びるためには何が必要か」というところで考え方が変わるんでしょう。
私は今までその違いを【農耕民族】と【狩猟民族】の違いが大きいと思っていました。
これで日本人気質や欧米人気質の違いが説明できるし、「囚われている思い込み」もわかると思っていた。
ところがですね、「民族の差異は【地政学で説明できる】という考え方」があるのがわかった。
つまり「国民気質は【地図】で変わる」ということ。
こんな考え方があるんですねぇ。でもその話を聞くとなるほどと思ったり。
それぞれの民族はその土地で何百何千年と生きているわけで、その土地で培われた民族性が基本にあって、そこに近代的な思想を取り入れても【もとに戻る】んですと。
なるほどと思ったのは「韓国」を見ていて思ったこと。
韓国政府はおかしなことばかり未だにやっていますが、そもそもそういう政権を選んだこと、支持しているのは国民であって、たまたま政権をとった権力者がおかしいだけってことはありえない。
私がここで言いたいのは、「主義」とか「思想」とかの話じゃなくて、【どうして根本的な論理性も無いことを平気で言い、それを他国に押し付けるのか】っていう点。ここが私には、全く、全然、ちっとも理解できない。
日本人なら誰でも知っている「レーダー照射事件」ですが、あれも酷いなんてもんじゃない。
最初は認めて、次に否定し、悪いのは日本だと問題をすり替えた。
これって論理的に考えれば全く受け入れられないわけで、「事実がどうか」ではなくて「論理性が全くないじゃないか」と思うわけです。
でもその韓国政府のおかしさを受け入れて、そのとおりだ!と主張する韓国民の%は決して少なくない。
また「日本製品の不買運動」をしながら「ある種の原材料を売れと主張」し、圧力を掛ける。そして貿易とは全く関係ない「GSOMIAの協定を破棄する。それは日本が貿易規制をするからだ」と。これって「八つ当たり」「嫌がらせ」以外のなにものでも無いじゃないですか。「ホワイト国からはずされた理由がある」わけですから、「かつて輸入されたものは不正に他国に流れたことはない」のを証明すれば、日本も「ああ、そうですか」というしかないのに、「俺達は悪いことはしていない」と信じているのか、あるいは都合が悪いことがあるのか、「それには一切触れない」ってのはレーダー照射事件と同じ「論理のすり替え」でしょう。
そして日本製品は元より、日本の匂いがするもの全てを排除しようとしているのに、「日本での韓国人の就職を増やせ」という。
日本人にはこの論理って全くわからないはずで、不買するなら「何も買わない」のが道理じゃないですかね。日本を排除するなら、日本企業に働こうとする人たちは非難の対象にならないんですかね。良く、日本排斥運動を叫び、推進しようとする人たちがこんなことを言えると思う。
こういう論理性が全く無くて、「欲しいものは欲しい。よこせ」「よこさないお前たちは悪だ」「基本は【日本排除】だ」と、子供がダダを捏ねているのと全く同じに見えるわけです。
そしてそういうめちゃくちゃを支持する国民が多いって、一体あの国ってなんなんだ?とずーっと私は思っていたんですよ。
そしてああいう「わがままな論理」ってもしかしたら「かつての朝鮮の【両班】に通じている」んじゃないかと思うようになりました。
両班という支配階層の存在、彼らの考え方が私は「韓国史の不幸」だと思っていて、いかに彼らが私達の基準から考えると不条理で馬鹿げていて、そして人権も当たり前に無視したと言って良いような支配層に思えます。李氏朝鮮の近代化が遅れたことも、技術の進化・発達に無頓着だったのも、そして自ら生き延びることだけに必死だった権力者の生き様を見ても、そしてあっちに着き、こっちに着きと節操のない政治戦略もそういう「事大主義は良いことだ」と長い間信じられていたこと。
両班という支配層は決して数的には多くはなかったのに、今の韓国人の80%が「先祖は両班だった」というらしい。
日本にはなかった「奴隷制度」が韓国にはあったし、下級国民には名字もなく、「名前さえなかった女性がいた」なんて私達には信じられないし、「慰安婦」で大騒ぎするにしては「売春は韓国の文化」と言っても良いくらい売春は横行し、在留米軍用売春、韓国軍用売春を「政府が運営」し、つい近年まで「キーセン」と呼ばれる「(北朝鮮で言う)喜び組」みたいな職業があった(公営施設もあった)。これはちょっと前まで多くの日本人スケベオヤジが大挙して韓国に「買い物(?)」に行っていたからご存じの方も多いはず。
本来は、反省するべき「両班体制」「事大主義」ですが、それは私達の基準で考えるからそうであるだけの話で、韓国人の中には「あれが普通」どころか「望むべき姿」なのかもしれない。「強い方に着くのは良いこと」「誰が強いか見抜く技術が重視される」のは韓国では当たり前のことなんですね。
そこでいちばん大事なのは「自分の都合」「自分の利益」であって、だから権力者だけではなくて、一般民衆でさえも「わけがわからない道理でも、【俺が正しい】【悪いのはお前だけ】だと平気で言う」んじゃないかと。
「強がり」という一言に集約できると思うのですが、これこそが「両班の特性」だったのではないかと韓国史をちょっとかじっただけでも私は感じます。そしてそれが時代を超えて今でも脈々と受け継がれている。自分の利益のために嘘を付く、誇張するのは悪いことではない。敵や競争相手を策略で追い落とすのは当たり前でしょ?みたいな。
韓国は法治国家で自由民主主義国の一員だと私達は単純に考えていて、それを原点として考えるから彼らを理解できないわけで、韓国の近代史をちょっと学ぶだけでも「韓国の民主主義も非常に歴史が浅い」のはすぐにわかる。そして彼らの民主主義は「国民の声が一番重要」であり、選挙制度があるのに政治家には任せず「国民が直接政治を行うがごとく」民衆の声が大きくなると「何よりもそれを重視する」という国になってしまった。
これって私にしてみると「百姓一揆」に似ていると思うわけで、「抑圧されていた民衆がそれから解き放たれたらどうなるか」がよく分かる例にさえ思うのです。「国民が一番」なのは間違いがない。でも「雰囲気で動かされた国民の意思表示で簡単に政治が変わる」という民主主義政治の欠点も良く出ている国に思えます。
それでいて、「民主を抑圧した【両班】」に対しては「心の中に憧れがある」のもはっきり見える。
「現代は【俺達が両班だ】と民衆が叫んでいる」ようにも思えてくるわけです。
ま、それは私がそんな気がするだけのことですが、どちらにしてもそういう「国民性」は「地政学で説明できる」という今日の話。
いつものように話が長くなりましたが、こういう観点は非常に面白いし、有意義だし、私達の頭の隅っこに入れておくべき考え方だと思いました。
「全ての人間が同じことを望んでいるわけではない」という当たり前のことを思い知った気がします。
世界はグローバル化に向けて動いてきましたが、これに対して私が反対をし続けていたのは昔からの読者はご存知のはず。
これって「世界中をキリスト教でまとめよう」というのと全く同じ考え方で、「強いアメリカ」「強い企業」が自分たちの基準を世界に押し付けて「これが世界基準だ」と推し進めてきただけのこと。それなのに世界の民衆は「グローバル化というなんても耳触りが良い言葉に酔いしれて、豊かで光輝くグローバル化した世界を夢見た」んじゃない?
悪い点ばかりじゃないのは間違いがないけれど、人間に例えれば「個人主義を否定した全体主義」と同じのはずなんですね。私にはそれがどうしても受け入れられないですし、個々の特色を否定するグローバル化ではなくて、個々の違いを尊重したインターナショナル化が何よりも大事だと考えていました。国境を低くするのは同じことだけれど、グローバリズムとインターナショナリズムは全く違う。
日本は歴史的に「和をもって尊しとなす」という文化があって(縄文人の文化でもあった)、これはインターナショナリズムに通じる素晴らしい考え方だと思う。でも日本は「それぞれ違うものの和」ではなくて「統一された基準が良い」と合理性だけを追い求めて進んだ。
そして、今、世界は「グローバリズムの否定」の方向に動いている。
ただし、これが私の望むインターナショナリズムに向かうのではなくて「ナショナリズム」に動いていってはならないわけで、どうして世界で「インターナショナリズム」という考え方が出てこないのか私にしてみれば本当に不思議。
でも「グローバリズム」の反対は「ナショナリズム」であるはずで、反動はどうしてもそちらに向くであろうことは理解できる。
そして「ナショナリズム」、言葉を変えれば「わがまま」でもあるし、これは人間の根源だとも言えるはず。そして何かうまくいかないと、「その根源、原点に戻ろうとする」んじゃないかと。
そしてその根源、原点は「地政学で説明できる」という今日の話。
でも私としては、新しい考え方でなるほどと思うことも多いものの、私がずーっと考えていた「農耕民族」「狩猟民族」の違いが国民性を理解する時に大きいと思っています。そして日本人がこの地政学でいう「海洋民族の特色」を持っているとしたら、長いものに巻かれ、皆でつるむのが大好きで、金太郎飴であることを重視する「農耕民族的特徴」をどう説明できるのかが疑問。
ただ「地政学的特性」は肉体で言えば「骨」の部分で、「農耕・狩猟民族的特性」は「肉」の部分かもしれないと思ったり。
これは日本の歴史を見てもそう思えるところがあって、この自己矛盾を抱えているからこそ、多様性が生まれるのかなと思ったり。
どちらにしてもこの「民族性は地政学で説明できる」という点、そして「いつかそこに戻っていく」というところが面白いと思いました。
新しい繊維で作ったシャツが「くちゃくちゃにしても【もとに戻る】」のがあるようにと動画の中でも言われていますが、たしかに何百年、何千年という月日をかけて出来た「原点」が100年やそこらの歴史、新しい思想でそうそう簡単に変わることはない、というのを世界を見回してみるとなるほどなぁと思ったり。