このブログでは前から「早期退職を簡単に考えるべきではない」「海外移住(いつでも日本に帰れるロングステイは別)を簡単に考えるべきではない」と書き続けてきました。そんなのは常識で、本人はしっかり考えているつもりだというのが普通ですが、それでも私には簡単に考えているように見えることが多くありました。
実際に私は早期退職(自営業)をし(37歳)、海外移住(永住の計画)しオーストラリアで25年生活しましたが、上陸当時はどの永住者も同じに見えるけれど、「考え方」「リスクの想定」「準備」が疎かな人たちっていたわけで、そういう人たちからどんどん脱落していくのを見てきました。
そりゃ状況が変わればそれに合わせて住む場所さえも変えるのは当然ですが、「永住を覚悟して日本を出たのに数年で撤退」、なおかつ「資産を減らし」「中途半端な歳になり」他の国へ渡る、あるいは日本で出直すのがどれほど大変なことか。
偉そうに言う私も結局は「脱落組」でしかなく、マレーシアに流れてきましたが、数は少ないものの、あの30年前からちゃんとオーストラリアでやっている人たちはいる。
さてどこが違うんですかね。
私はそれは「想定外を想定する能力の違い」だと思っています。
私も他人様のことは言えないのですが、「海外に出てそこを基盤として生きる」ことそのものに「強い憧れ」があるんですね。でもこれが一番の曲者で、それがあるせいで目が曇る。
「チャレンジすることが重要なんだよ」なんていう世間の言葉を鵜呑みにして「飛んで火に入る夏の虫」となる。練習も研究もせずに「バットを握りしめてバッターボックスに立つ」のと同じことが起きる。
でも冷静に自分を分析し、世の中の動向を把握し、先手先手を打って生き延びる人たちは間違いなくいる。これって簡単なようで簡単ではなくて、だからこそ私は警鐘を鳴らしたいと思い続けていました。
それでも必ず起きるのが「想定外のこと」じゃないですかね。
これは海外に限らず日本国内でも同じで、「人生が曲がり角に来るとき」ってのは「ほとんどが【想定外のことが起きた】とき」だと私は考えています。「今の状態をそのまま先に伸ばして想像する」のは簡単ですが、「想定していないこと」「想定できないこと」って必ずあるし、人生ってどういうわけか【必ずそれが起きる】と思うし、その時に「こんなはずじゃ・・・」と人生は変わっていく。
また面白いもんで、10の問題、危険性があっても「9つは大丈夫。どうにかなる」と思っても、「最後の一つがなぜか起きる」のが人生だと思うし、私はそれの繰り返しでした。仕事も同じで、ある商品開発をしても100%良いものなんか無い、どころか非力な中小企業が作るものなんてたかがしれているわけで、それでもたまには「よし!」というのができる。でもたった一つ欠点がないわけではないとか。そしてその一つの欠点が結局は命取りになる、なんてのが普通でした。
ま、人は皆、同じようなものだと思うのですが、それでもどうにかなることがあるんですね。
それは「経済発展がある」から。
結局、アホなことをやっても失敗しても、「経済発展」があるとどうにかなると思っています。ビジネスチャンスは常に生まれるし、再起するチャンスもあり、所得も上がるし、経済全体が持ち上がっている時には「のほほんと生きてもどうにかなる」。
日本は一時期そういう時代があった。
私も思い返せばその恩恵にどっぷり浸かって育ったわけで、海外に出るとそれが良くわかりました。
だって自分は普通に生きていただけなのに、他国の人達に比べて「教育もある」「スキルもある」「資産もある」ことに気がついた。
「日本製品は素晴らしい」なんて時代になりましたが、私が子供の頃は「日本製品は安かろう悪かろう」というのが世界の評価だった。そんな中からソニーが育ち、日産やトヨタが世界に認められ輸出大国になった。
「メイドインジャパンは素晴らしい」なんて聞くと本当に嬉しいですが、私自身は「それに一切貢献していない」んですね。
でも彼らがもたらした恩恵は絶大で、私はその恩恵を目一杯受けたわけです。
逆を言えば「北朝鮮に生まれたらどうなったか」みたいなもので、私自身は「北朝鮮じゃなくて日本に生まれただけ」なんですね。
でも今の日本を見ていると、かな~~りヤバいんじゃないかと思うんですよ。
「日本に生まれ育った【恩恵】がどんどん減っている」ように感じます。
世界がどんどん成長した時に、日本はまるで変わっていない。
これは単なる「GDPの伸び率」の各国との比較ですが見てください。赤矢印が日本。
この数字から全てが語れるわけもありませんが、「駄目な日本」の【象徴的なデータ】だと私は考えています。
昨今ではリベラル派の中で「成長しない時代にどう生きるか」を言う人が増えて、政府に対してもそれを前提とした政策を打てと言う。
それがどうあるべきかをここで語ろうとも思わないし、私にそれがわかるわけもありませんが、この「他国との違い」は私はオーストラリアで25年間きっちりこの目で見てきたんですよ。
私達がオーストラリアに上陸した頃のオーストラリアって、「経済発展してるのか?」と思うぐらい貧しいと感じました。一般企業の部長クラスの手取りが年間300万円程度で、街にはポンコツの車が普通に走っていた。中には窓ガラスがなくて「黒いビニール袋」を張っていたり。ドアの一枚だけ色が違うとか、高級車も多いゴールドコーストですが、日本と比べて「貧乏な国だ」というのが私の第一印象でした。
一般人の生活もそれから想像できるのと似たようなもので、「良いもの」がなく「安物が溢れかえっている」ように思いました。ですので、日本から良い製品(文房具や釣具)を輸入販売しようとトライしたのですが失敗した。結局そういう製品の「ニーズ」もなければ「買う余力もない」という当たり前ののことがわかっただけ。でも逆に日本では捨て値の中古車を輸入したら売れた(日本で廃車直前10万円程度の車がオーストラリアでは最終的に100万円になった)(ただし輸入許可取得や規制に合わせた部品交換、整備が半端じゃなく面倒でかなりのコストが掛かった)。
ところがあれよあれよというまにオーストラリアは成長し、「普通のサラリーマンの所得も何倍」となり、高級品も街にあふれるようになった。目立つのが自動車ですが、かつてのポンコツは姿を消し、たまに見るポンコツに乗っているのは日本人みたいになってきた(笑)。そして普通の若者、普通の人達が、普通にベンツやBMWに乗る時代になった。
「日本は発展途上国並になった」という人がいますが、私はそれよりも酷い「発展することを放棄した国」に見えるんです。このまま立ち止まってウズウズして10年、20年経ったらどういう国になるんだろうか。最近、「日本は【衰退途上国】だ」という言い方も聞くようになった。
日本の経済界がなぜ問題が山積みの中国に出て行くのか、なぜ日本はこんな情勢下に中国に秋風を送るのかってのもわかるような気がします。日本国内ではどうにもならないからだろうし、「中国進出は問題がある国だからやめろ」という専門家、評論家は多いけれど、それは実務を知らない理想論でしか無くて、「問題があるとすれば、それをどうコントロールして生き抜くか」「リスクを取らなければ利益もない」と商売人が考えるのは当たり前ですよね。虎穴に入らずんば虎子を得ずの通りで、そうしなければ生き延びることが出来ないんでしょう。
話は戻りますが、経済が大きくなると「環境の変化」があって、本来なら「自らの力で上を目指し、登らなければ手に入らない生活」が「普通に生きているだけで手に入る」ようになる。そんなオーストラリアも日本の高度成長期と同じだったのだと思います。
そしてやっぱり人って「生活が良くなるからやる気も出るし、人生の楽しみがある」と私は思っていて、20年前も今も20年後も同じだというような環境が良いとは思えないのです。ましてや世界の技術は進歩し、どんどん新しい製品が出てくる。スマホも同じで、今では家族一人一人が持つ時代ですが、私が子供の頃は固定電話もなく「呼び出し」なんてのもあった。
つまり経済成長がないと、いつまでも固定電話を使うのと同じことが起きるってことじゃないんですかね。私は10年もしない間に「自走式の多目的ロボット」が家庭内に入ってくると思うんですが、そんなのが先進国で普及しても日本の一般家庭では「高嶺の花」になるだけかもしれない。
それどころか貧困家庭はいつまでも貧困家庭で「食べることさえままならない」のが一生続くかもしれない。
私の知人で私より10歳以上年上なのですが、彼は「今の若者は頑張りが足らないだけだ。甘い!」と言います。
でも私は違うと思うのですよ。高度成長期時代を生きた人は「俺達が頑張ったからだ」という自負があるのはその通りだとしてもですね、普通に生きてきた人も豊かになったんじゃないですかね。また「俺は頑張った」というのは単なる自己満足かもしれなくて、彼が信じる彼の努力によって得た成果はじつは彼の努力によってもたらされたものじゃないかもしれない。
そもそも私みたいな主流から外れ、適当にやりたいことをやっていただけなのが「他国の人たち」と比べると「明らかに恵まれている」のは私が頑張ったからじゃない。これは間違いがない。
それだけ環境が大事で、環境に自分の生活が多大な影響を受けるのは間違いがないと思う。
問題は日本の将来ですが、私はこれから良くなるとはどうしても思えないんですよ。
その理由は簡単で、「日本が成長できなかったこの数十年と【今も同じやり方】だから」と言っても良い。それどころか今は前よりもっとひどく、更に将来拍車がかかると私は見ています。政治も官僚も「成長しなければならない」という意識がない。いや、それは簡単なことではないから「無謀な目標を持たずに、今をどう生きるべきか」に焦点を置くんでしょう。当然それも重要ですが、「まともな成長戦略がない」というのは大問題で、それどころか「それを潰そうとする動きが顕著」だと思うんです。
「プライマリーバランスの黒字化」をまるで宗教のように政治家も官僚も国民さえも望んでいる。これって「9条があれば日本は平和」というのと同じ理屈に私には見えます。
「成長しないほうが良い」と考えているわけはないのでしょうが、政府も官僚も「楽な方。確実な方」を選ぶ。
つまり「借金は増やさない。借金はしない。お金は溜め込む。お金を使わない。使うべきお金も減らす」という、徹底的な「防御」に回っている。
これは政治、官僚の世界だけじゃなくて、民間企業も同じ、国民も同じ。ところが国は「取りやすいところから取る」考え方はそのまんまですから、そして国民は「常に取られる側」ですから、益々生活防衛に走ることになるんじゃないですかね。
これで日本が変われるか?
成長できるか?
きっと今の日本では「成長することより大事なことがある」という考え方が主流なのかもしれませんが、私はそんな日本に一切魅力を感じないし、衰退するだけだと思います。まるで「(経営に失敗して)銀行管理になった企業」みたいな。
「潰れる」ならまだ再生が起きる可能性もありますが、今の日本は「ベッドに寝かされて延命治療を受ける高齢者」と同じだと私は思うんです。そしてその患者は死ぬことはないとなったらどうなるのか。
それが今の日本だと思うんです。
いや、日本はいつの日か再起するかもしれない。「プライマリーバランスの黒字化」の目標もいつか達成できて、日本が再スタートを切ることができるかもしれない。
でもその時まで待つんですか?って話し。
また「プライマリーバランスの黒字化」を狙いつつ、国民所得も増え、社会保障も充実し、貧困家庭がなくなるなんてことはありえない。国は「支出を減らし、収入を増やす」ことしか考えていないんですから。黒字化をしても日本経済は極端に疲弊し、国民は将来に夢もない格差社会で生きることになる可能性の方が大きい。
プラスかマイナスかにこだわりすぎて、肝心の経済規模が大きくならない、縮小したらなんの意味もないと私は思うんですけどね~。
今回、日本が今どういう状態で、このままだとどうなるかを説明している動画を紹介します。
キャスターは「三橋貴明氏」で、彼を嫌う人もいるだろうし、彼の言うことが全て正しいとは私も思わない。でも耳を傾ける価値はあると思っています。理論的にどうじゃ、政府は、財務省、日銀がどうあるべきかというより、こういう話を聞いて「日本の将来がどういうふうに見えてきますか?」と私は貴方に聞きたい。
若者は「海外に活路を見出す」のは良いと思います。私もオーストラリアに助けられたのは間違いがありませんから。そして今はマレーシアに助けられている。
ただ、「海外ならどこでも良い」ってわけでもないし、ビザや永住権のこと、社会保障もきっちり考えないと「一時期海外生活を楽しむ」ことは出来ても、「海外に根を張って家族も作って生きていく」ことはまず不可能であることを忘れてはならないんですね。
「何かあったら日本に帰る」(日本に帰ってどうなるかは別として)のを前提に、「老人が海外で老後を楽しむ」「若者が海外で出稼ぎをする」のが目的であるならば話は別。また、どこかの国を足場にして海外に羽ばたこうと考えるのもアリだと思いますが、では「次にどこへ行くのか」「最終的にどこに住むのか」を考え実行可能な計画を建てないでいると「いつか難民と同じ」になる。
私が若者を見ていて良く感じることは、「人は必ず歳を取る」ってことを忘れているんじゃないかってこと。働けない、稼げないどころか、動けない、病床に伏す時が必ず来る。その時をいかに無難に通り過ぎることができるかというのを前提とした人生設計じゃないと意味がないじゃないですか。
世界には「日本にも帰れない」「その土地で永住権もない(法的に住み続けることは不可能)」「社会保障も一切受けられない」ような日本人がごっそりいることも忘れてはならないと思います。巷では「そんなに海外住まいが長いんですか?凄いですねぇ」なんて頓珍漢なことを言う人は半端じゃなく多いけれど、その言葉を言われて苦笑いをするしか無い日本人が結構多いことを考えてみるのは大事だと思います。
それでも「私は海外に活路を見出す!!」という若者を私は応援したい。
「イヤ、私は日本に残り、日本を変えてみせる!!」という信念を持つ若者も大いに結構。私の本音としてはこちらの方が嬉しい。(笑)
どちらにしても「地域に縛られる生き方からの脱却」は重要で、地球を手のひらの上において生きるような日本人の若者が増えたら良いなぁ・・・。
そうは言っても・・・と思う人も多いかもしれないけれど、それって「私は群馬県から離れて生きていけないと思う」のと同じだということに早く気がついて欲しい。