ダイモンドプリンセス号に乗り込んで、中の状態を見て「恐ろしい」「全く駄目だ」と告発した岩田健太郎教授が大炎上していますね。
私がそれを見た限りでは、「岩田氏は問題がある人だから・・・」と匂わす意見が非常に多いのにびっくりしています。でも岩田氏が告発動画のなかで言及していた「厚生労働省の某人」というのは自分ですと「高山義浩医師」がカミングアウトして反論をしていて、これは有意義だと思いました。
高山義浩医師のフェイスブック(ここをクリック)
「どちらの言うことが正しいのか」という見方をしてしまいがちですが、そして邪魔者は抹殺せよみたいな方向へ動きがちですが、私としては「どちらも専門家で、自分が信じることを言っている」はずですから、白黒をつけるというより、今後の議論の発展を期待したいと思っています。
頭に浮かぶのは私の大好きな武田邦彦教授です。彼は変わり者で突然おかしなことを言い出しますから、「あんなトンデモ学者のいうことは聞くな」と彼を排除しよう、無視しようとする人は少なくない。ま、自分の専門分野に関していろいろ言われれば、「コノヤロ~~」となるのは普通ですが、私達素人は「どちらが正しいのか」の判断は難しいですし、「誰を信用するべきか」と考えたら駄目だと思っています。
誰も信用する必要はないはずで、「武田教授はこういう風に考えている」というのがわかるだけで十分だと私は思っているし、私が武田教授が凄いと思うのは、「彼のものの考え方、見方」なんです。「どうしてそういう結論に至ったのか」という内容よりも彼の思考プロセスに私はいつも感心するわけで、私は武田教授を知って人生が変わったと言ってもいいくらい、感謝しています。
今回の岩田健太郎教授も同じで、「あいつはちょっと変わったやつで・・」なんてのは全く関係ないと思っています。彼は彼の専門分野があり、その立場から意見を言っているはずで、私はそれを尊重したいと思うし、高山義浩先生の経歴や肩書から、そして冷静な表現をする高山先生の方が「耳を傾ける価値がある」なんて考えたら、最悪だと思っています。権威主義ってのは誰の中にも存在するはずですが、私は自分の中から努力してそれを排除しようと常日頃思っています。年上?先輩?社長?金持ち?だからなんだよってのと同じ。
高山先生の意見を読むと、なるほどとは思いますが、私はそれにとやかく言うつもりもありませんが、専門家というのは誰でも同じだと思うんですよ。言うことが同じという意味ではなくて、「全ての専門家の言うことはもっともらしく聞こえて当たり前」なんですね。
岩田氏には問題があって、高山氏は正しいことをしているというのなら、「世界からの批判は全て的外れ」ということですね?
そして厚労省関係者は「多様な組織が重層的に活動する極めて複雑な状況で現場の関係者はがんばっている」と反論。これも私には、はぁ?でした。頑張っているから大丈夫ってことなら、世の中誰も苦労しないじゃないですか。子供っぽい反論に私には聞こえました。福島原発の時も似たような事があったのを思い出します。世間の東電に対する風当たりが強くなってきた時に、「(批判は止めてください)東電の社員も頑張っているんです!」という反論が出てきた。心情的にはわかるんですが、これは反論にはならない。
それと思い出してくださいよ。厚労省が昨日発表した内容を。
簡単に言えば、「今まで発症していない感染者のリリースには13日の観察期間を置いていたけれど、今後は60時間にする」みたいな発表。
これって「そんな短期間でも大丈夫なんだ?」と私は思ったんですが、厚労省の説明では「そうしなければ現場が追いつかない」「人権上の問題もある」という理由。こんなのアリですか?これって例えが悪いけれど「刑務所のキャパシティに問題あるので、収容者の【刑期を3分の1にします】」というのと同じじゃない?
コレに関しては多くの人が絶賛する、上に書いた「高山義浩医師」の説明を聞いてみたいです。また、炎上中の岩田健太郎教授は何というのか。
なぜこれにメディアが突っ込まないのか、私は不思議でしょうがない。これもまた忖度ですか?
「60時間で駄目ならそんな決定をするわけがない」と思いますが、少なくともニュースでは「大丈夫だ」ということは言っていない(厚労省側は言っていたのかもしれない)。でも「キャパに問題が生じる」と。
私はこれは、「ニュースの切り取り方」の問題かもしれないとは思っているんですが・・・。だとしたらANNのディレクターは間抜けだということになる。
原子力発電に関しても、あるいは消費税増税の時でも、「出てくる専門家はもっともらしいことを言う」「信じるに足りることを言う」のが普通なのは私達は何度も経験しているはず。
でもそれに反対する専門家もいるわけで、その意見も重視する必要があると思うんですよ。でも我々はどうしても権威や肩書に弱いですから、例えば、例えばですよ、「政府関係の組織に属する教授」と「田舎の大学の学院生」だとすれば、内容を吟味する前に勝負が決まっているじゃないですか。
権威や肩書があるのは「実力が認められているから」だと思ってしまう。私は「だからこそ疑うべき」だと思うんです。
「原子力発電の安全性について」でも「消費税増税の影響について」にも「専門家をお招きして聞いてみました」なんてのは、「人選に必ず思惑が影響している」のははっきりしているじゃないですか。NHKの討論会にしたって、「誰が出演者なのか見ればNHKの意図がわかる」なんてこともある。朝までテレビが素晴らしいとは言わないけれど、左右、賛成反対の両陣営から論者を招いて激論をするなんてことはない。これはテレビの視聴率が高いサンデーモーニングみたいな偏りが激しい番組もそうだし、新聞も週刊誌も「結論ありき」で人選も決めているのがバレバレなのも多いじゃないですか。
自分たちの主張、思惑、持っていきたい方向性と違う人選はしないのが普通。
そして武田邦彦教授や青山繁参議院議員のように「協調性がなく、他人の意見を聞かない、でも良いことは言う」様な人も外されたり。もしかしたら、ユーチューブで告発した岩田健太郎教授も似たような扱いを受けている人かもしれない。
でもそんなことはどうでもいいことで、まずは意見を聞いてみましょうよと思うわけです。
高山義浩先生は人格的にも素晴らしい人だとは思うけれど、立場上言えないこともあるはずで、議論の中でそんなことも引き出されたら良いと思っています。
厚労省の記者会見を見ました?(これ)
歯切れが悪い喋り方をする場面は何箇所もあった。でもそこに大事なことがあるのは、聞いている我々には分かってしまう。
そういうところを如何に引き出すかが、質問をする記者の役目であるし、また反対意見を持つ専門家の役目だと思うわけです。
話は変わって高山義浩先生が、「COVID-19の臨床像がわかってきた」「戦い方もわかってきた」とフェイスブックに書いています。またその内容に「著作権の主張はしない」とのことで、このブログでも引用だけではなくて「全文掲載も可能」ですが、チト長いので本文を読むのが良いと思います。(ここをクリック)
図が添付されていましたが、これが非常にわかりやすいので引用します。
この考え方が「日本政府の考え方である」と言って良いんじゃないですかね。そしてこれは「新型コロナウィルス感染症」という文字を「現在流行しているインフルエンザ」と書き換えても、私には全くわからないし、同じに思える。
だからこそ、「政府の対応が遅く、不備がある」と私達一般は感じるのだろうと思います。
◯ 感染はすでに広まっている。だから水際作戦でそれを止めることは出来ない。(中国人の渡航にも甘い)
◯ 水際作戦は「感染のピークを遅らせる効果はある」ので無意味ではなく、その間に準備を整える。
◯ 感染しても軽症で終わることが多い。(隔離が手抜きに見えるのはこのせいか?)
◯ 重症患者が死に至ることを減らすのが最大のポイントで、軽症なら風邪と同じで大騒ぎするほどのことではない
ってことじゃないんですかね。
この考え方に反対の専門家や評論家は、「甘すぎる」と大騒ぎするわけですが、一体何が正しいのか。
そして私がいつも書いていることですが、「安全と安心は違う」ってことなんです。そして民衆が気にするのは「安心」のはず。
だから専門家や厚労省が考える対応は上のものであるのはそれで良いのかもしれないけれど、「政治家は別に考えるべきことがある」んじゃないですか?
例えば中国なら、「安心を与えないと暴動が起きて体制崩壊もありうる」わけですから、情報操作をするのと同時に、また感染者数の増加は不安の一番の原因だからそれを徹底的に抑え込むようにする。
またアメリカは大統領選挙が近いわけで、トランプ氏が安心を国民に与えることが出来なければ、それだけの理由で選挙に負ける。
実際に感染者数、死亡者数は増えるのか、予防はどうすれば良いのか、罹患しても慌てるほどじゃないのか、という現実的な話とは別のところに、「政治が指導力を発揮すべき【国民の安心感】」があるはず。これがうまくいかないとすれば、コロナウイルスには勝てても政権は倒れる事も起きる。
真面目な人は言うでしょう。「事実をしっかり確実に理解してもらうようにすれば良い」と。
でも私は、政治はそんな簡単にはいかないと思ってます。
「事実をしっかり確実に理解してもらうようにすれば良い」というのが不要ということじゃなくて、「それプラスアルファ」を作り出すのが政治の役目じゃないんですか?
でも私には安倍さんは専門家に丸投げで、政治力を発揮してなにかしようとしているようには見えない。で、反応を見ながら小出しにするから「対応が悪い」と逆に評価が下がってしまう。
でもねぇ、「パフォーマンスは抜群の指導者」ってのもねぇ。
でも民衆が求めているのはまさにそれなんだろうと思ったり。私も含めて。安心、納得させてくれれば事実はどこにあっても関係ないのかもしれない。
だから次期総理は進次郎なんていう名前が普通に出てくるのはそういうことじゃないかと思ったり。小池都知事も同じ。
どちらにしても、今回のコロナウィルスにしてもインフルエンザにしても、個人が自己責任において予防をしなければならないのに変わりはないんでしょう。
老人を助けろ!病弱者を助けろ!と叫んでも、もう感染は広がっていて止めることは出来ないんですから、そういう人たちを家庭に抱える場合、自助努力しか無い。
面白いのは上念司氏で、彼はかなり前から、上に書いたことをずーっと言い続けていたこと(いつもオチャラケているけれど、結構まともだと思う)。それとは対象的に口から泡を飛ばして大変だ、政府はもっとちゃんとしろ、中国人を日本に入れるなと叫んでいたのは百田直樹氏。この二人は同じ保守系として仲は良かったものの、コロナウィルスに対する考え方の違いで一触即発になるかという場面もあった。
私としては「両方正しい」と思っていました。人は理性のみで生きているわけじゃありませんから。
でも「俺には教育もあって頭がよい」という自負がある人は、百田尚樹氏みたいな発言を毛嫌いするのもわかる。
でもね、それぞれ一人ひとりが平等で、同じ発言の自由をもっているんですよね。「いやいや、あいつの場合は酷すぎるから・・」なんてのは双方が同じことを思っている。(笑)
誰しも居心地が良い「池の中」で生きていたいのだとは思うし、私もそうだけれど、私はあえて池から出て世の中を見てみたい。自分の知らない世界、自分とは感性も、常識も、善悪さえも違う世界を知りたい。
そういう意味ではマレーシアは別世界だったけれど、もう慣れちゃって驚きも感動もないなぁ・・・。
コロナウィルス蔓延の対応策で、マレーシアはあっと驚くようなことをするのかどうか、それも楽しみの内。
意外に全然駄目で、感染は広がるわ、自分も感染するわ、重症化しても助けてもらえず死んじゃうことも起きるかもしれないけれど、それもまたとっくのとうに覚悟は出来ています。それが怖くて海外に出られるかっつーの。
でも呼吸器系の弱いヨメさんや93歳のオヤジを道連れにはできないから、やるべきことはやる。
------- おまけ -------
上念司氏による、今回のゴタゴタの説明、整理。
ネットってやっぱり凄いと思いました。ニュースが広がるのも早いし、すぐにそれの解説、問題の指摘も出てきて、そして解決、真相解明も早い。
これらの一場面を切り出してしまうとおかしくなってしまうし、かと言って全ての流れ、変化を追うことも難しいと思いました。