日本は「緊急事態宣言」「ロックダウン」をしても意味がないかも

日本ですが、段々と「緊急事態宣言」「ロックダウン」をするべきだという議論が白熱していますね。

へそ曲がりの私はこれも変だなぁと思うんですよ。

海外はどんどんやっていますから、日本も・・・って思うのは普通ですが、日本の場合には「法的強制力がない」んですってね。「要請」止まり。

今の時点で「自粛するように」という要請が出ていますが、「緊急事態宣言」「ロックダウン」をしても【強い要請】に変わるだけじゃない?

だから「俺はやだね」と思う人は勝手に行動できるし、お店もイベントも営業できちゃう。

ここが海外との大きな差。我らがマレーシアだけれど「違反したら逮捕」。

でも日本は「他人の目を気にする」とか「他人の生き方に口を出す」社会だから、法律的にはどうにも出来なくても、「市民が許さない」ことが起きるんじゃないですかね。

これって言葉を変えれば

「法的根拠がない【リンチ】が始まる」

ってことかと。でも「悪いものは悪い」と信じる人達は【それは正しい】と考える。「市民による自浄作用だ」と。

でもこれこそが「差別」や「ヘイト」の根源じゃないですか。

ま、それは「緊急事態宣言」「ロックダウン」になっていない今でも同じで、「こんな事態になっているのに、よくそうやってヘラヘラ外出できるな。よくイベントが出来るな」と言うのは結局同じこと。

でも「他人のやることに口出しをするべきではない」という思いもあるから「政府・自治体」に宣言しろと迫る。

これってもしかしたら「責任転嫁をしたい」からじゃない?

「感染を広めないためにするべきこと」って決まっているわけで、それを守らない人がいるから「政府・自治体」にどうにかしろというのもわかるんですよ。そもそも「警察」がそれで、世の中、善人ばかりじゃないから警察は必要。法律ってのがそもそもそのためにあるわけで、「規律なき世界」では困る。

でも「強制力も無い、罰則もない」としたらどうなんですかね。「市民による私的リンチに頼る」ことになるんじゃなかろうか。

営業を続ける店、イベントをやめない企業に脅迫状が届いたり、破壊行動が起きる可能性はある。

まさかと思うけれど、私だって「やるべきことをやらない人、企業」があるとしたら、「付き合わない」「不買運動ぐらいはしよう」と思いますもの。コロナが去った後でも、そういう企業や個人とは「距離を置こう」って思いますもの。つまり「存在を無視する」ってこと。でもそれは差別ではなくて「区別」。

「俺達の権利だ。自由だ。勝手だ」というかもしれないけれど、私としてはそれは「公共、コミュニティに対する攻撃」だと判断するわけで、法律はどうあれ、私は認めない。

しかしま、こういう非常事態になると人間の本性が見えますね。

「緊急事態宣言」「ロックダウン」を出すなら、売上、利益、所得補償をしろと言う声も上がる。海外もそれをやっているから日本もそれをやるのが当たり前だと誰しもが考える。

本当にそうあるべきなんですかね?

保証をするべきなのは政府じゃなくて「コロナウィルス」でしょう。

でも地震や津波と同じで、それらに保証を求めることは出来ない。

じゃ、政府でしょとなるわけですが、この論理ってどこかおかしくない?

ま、それが正しいにしても「緊急事態宣言」「ロックダウン」が【強制力のない要請でしか無い】とするなら、政府・自治体に【保証をしなければならない責任は生じない】ってことになるんじゃない?

「緊急事態宣言」「ロックダウン」の根拠になる法律っていい加減な法律だなぁ、なんてことも思うのですが、これこそが「自然災害とともに生きてきた日本の知恵」「法律という概念がない大昔から【和】を大事にしてきた日本の伝統」かもしれないってへそ曲がりの私は思うんですよ。

ま、それでも「しょうがないね」なんて簡単に考えることは出来ないから、「誰かのせいにしたい」という思いがどんどん強くなる。

ロックダウンをしたら経済が止まる。どうにかしろ。政府・自治体の責任だという気持ちもわかる。

でもそれってどうしても私には責任転嫁だとしか思えないんですよ。

じゃ「緊急事態宣言」「ロックダウン」もしません。好きにやってください。保証もしません。自助努力、自己責任でやってくださいとなったらどうなるのか。

そんなバカな!!と誰しもが思う。

でも私は「それが私達の原点だ」と思うのです。世の中の殆どの中小企業ってそういう世界でいつも生きている。我が一族は昔から、そして今もそう。(笑)

地震や津波も、今後も襲ってくる可能性が高い「感染病」にしても、戦うのは我々個人個人であって、「政府や自治体にどうにかしろ」というのは筋が違うんじゃないかと。

でも政府も自治体も「困った人達を助ける義務」がある。でも限度もある。

ただし、今回のコロナウィルス騒ぎには「それを抑える方法はわかっている」じゃないですか。それを皆がやればよいだけ。

このウィルス感染というのは地震や津波と違って、個人個人が「正しく恐れる」ことが出来れば感染は広がらない。

それが出来ないのはいったい誰のせいなのか。「緊急事態宣言」「ロックダウン」で解決するのか?

最近、壊滅状態の医療現場、また感染した人たちが、「全世界に向かって忠告を出す」のをたまに見ます。「こんなことにならないようにするにはどうするべきか」と。

その答えは一つしか無いと言っても良くて、それは

「social distancing」

つまり、「人と人の距離を取れ」と。小池都知事が言う「三密」に近寄るなというのも同じ。

そして「Self-Quarantine」、つまり手洗いや身の回りの消毒、必要があればマスクとか続く。

要は、やっぱり「正しく恐れろ」ということでしかない。

でもそれが出来ない、しないやつがいるから困るのだ、とするならば、自由や人権の制限が必要となるのが当たり前で、それを歴史的にも自由・人権に拘ってきた海外はやっている。でも「自由・人権」に関しては後進国である日本では、それに反対する左翼勢力もいる。

日本の「緊急事態宣言」「ロックダウン」も【強い要請】でしかない。

じゃぁ、どうしろっていうのさ。

要請でしかないとしても「緊急事態宣言」「ロックダウン」するなら保証しろ?

これもおかしな話で、我々はやるべきことが出来ないから、国や自治体は「緊急事態宣言」「ロックダウン」で【代行しましょうか?】っていうだけじゃないの?

我々の主役は我々自身であって、「国や自治体に飼われているわけじゃない」じゃないですか。もし私達が動物園の中で飼われているのなら、すべての責任は動物園側にある。保証も当たり前。

自分の家族に「やるべきことをやらない息子」がいて、それをどうにも説得できないから「国にどうにかしろ」というのと同じじゃないですか。そして国がどうにかしましょうと動き出せば、「経済的損失を保証しろ」と?

これってヤクザの発想で、それに似た国がふと頭によぎりますが、日本にそういう伝統はなかったはず。

そりゃ、企業も個人も経済的損失ってとんでもなく重大なのは当たり前。

でもそもそも、我々ってそういう「不確かな世界で生きている」と言う【自覚】がなさすぎるんじゃない?

常に仕事はあって給料は毎月もらえて、店舗には毎日お客が来て、売上が上がり利益も出る。

なぜそれが「当たり前」で、それができなくなった時に「誰かのせいにする」?

「コロナに文句を言ってもどうにもならないから、他に責任を押し付ける」って、私にはおかしいとしか思えない。

ぬるま湯に浸かっていて、いい気持ちじゃなくなると、「それの犯人探しをする」って、私にはそちらのほうがおかしいと思う。

これこそが「平和ボケ」の原点じゃないんですかね。

我々は常に「危険の中で生活」をしていて、「それがいつ変化するかわからない」。でもそれを受け入れて私達は歴史を繋げてきたんじゃないんですかね。その「リスク想定が無い人達」が騒いでいるように私には見える。

「戦争反対」と国会前でデモを行っても戦争はなくならない。

それと同じじゃないかと思うわけです。

じゃぁ、どうすれば良いんだよ~~~となりますが、答えは最初からわかっているじゃないですか。

「正しく恐れば」大丈夫。地震や津波は正しく恐れてもそれを止めることはできない。でも今回のコロナの感染爆発は私達に止めることが出来る。そして時間を稼ぐ内にワクチンも治療法もでてくるんじゃないですか。そうなれば、最終目的の「集団免疫」を獲得できるかもしれない。麻疹(はしか)やH1N1ウィルスと同じ。

経済活動も同じで、「正しく恐れながら継続できる経済活動しか生き残れない」のははっきりしている。政府や自治体に保証をしろというのは「喉が渇いたから水をくれ」と同じで、決して解決策にはならない。でもとりあえず、「水は補給する」と政府は言う。でもそれ以上は無く、水の量は国によって違う。

「変化を嫌がる」のが私達の本性だけれど、時代が変わればそれに合わせて生きるしか無いじゃないですか。

当然、時代の変化に合わせられない人、企業。その想定が出来ていなかった人、企業は淘汰される。

そんな・・・と思うかもしれないけれど、個人でも店舗でも企業でも、絶対に潰れないという意志を持っている人たちは、誰をあてにすること無く、国や自治体の決定に右往左往すること無く、どうするべきか考えてそれにそって動き出しているはず。

弱者は切られる。

本当に必要な人材しか生き残れない。

そしてそれは「自己責任」の世界。他人や政府・自治体が助けてくれる部分はあるけれど、それで解決はできない。

これも世界の歴史の真実じゃないかと。

「愚痴」を言っても状況は変わらない。

いかに今を生き延びて、後の世界で生きていくのか、それを考えるしかやることはないと思う私。

私が「政府に求めることは一つ」だけ。

誰に、どこの国にどう非難されようと、「医療の崩壊だけは起こさない。医療リソースを増やす努力をして欲しい」ってことだけ。「感染の爆発を防ぐ」のは政府・自治体じゃなくて、我々市民が考えてやるべきことだと私は思う。でも政府は国境封鎖みたいなことをして、我々が我々のやるべきことをやれるように手助けはしてくれている。自粛要請も我々が言わなくても済むようにやってくれる。

感染を広めるか止めるかは「我々の手にかかっている」のは間違いがないんじゃないですかね。パパやママが助けてくれることもなければ、スーパーマンもドラえもんも助けてくれない。

イタリアでは「重篤な症状の、それも年寄り」は放置するというトリアージが始まっているようですが、医療崩壊をしないようにするにはそれも必要で、私みたいな年寄の「年寄を見捨てる気か~~~」なんて叫びは聞き流せばオッケイ。

年寄りには「感染するしないは【あなた次第】」と言っておけば良いと思う。何をそれぞれがするべきなのかはもうとっくのとおにわかっているんですから。

でも出来るなら、「年寄り、身体的弱者は死ぬ確率も高いから、周りの人はそれを念頭に行動して欲しい」ぐらいのことはしっかりきっちり、煩いぐらいにアナウンスしてもらいたいな。

すべての人が「感染爆発を止めよう」と強い意志を持てば、それは可能。でもそれが出来ずに政府や自治体に頼ったとしても、経済的損失を受け入れなければならないはず。これは市民が自主的に行動制限をしても同じこと。

もし国民の半数以上が感染し、何十万人が死ぬようになっても、私は「そういう国、そういう時代に生きたのを残念」と思うだけです。経済的損失も、大事になる前に止めることは可能なのにそれも出来なかったとするなら、自分たちがまだ十分、成熟していなかったのだと同じく諦めるしか無いと思う。

でもそんなことが起きても、死なない、生き延びる人たちがいて、今の世界があるわけで、自分や一族、友人知人、縁ある人達は「生き延びる側」であって欲しいと思うし、その方法はわかっているわけで、それをやるしかないと思う。

経済的損失に関しても同じで、一体このブログが何を主目的にしてきたのかをちゃんとわかっている読者もいらっしゃるはず。でしょ?

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反論は大歓迎。

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