活動制限令(MCO)が出て二週間ですから、そろそろ「新規感染者数」は減ってくるかなと楽しみにしてみているのですが・・・・。
ちょっとおかしいな、と。
「減る」ことはないけれど「増える」こともなくて、ここのところの動きは一定していると言っても良いんじゃない?
これって他の国を見てみるとこういうことはなくて、新規感染者数って「増え続ける」とか「ピークが見える」とかそういう動きなのに、マレーシアの場合はどちらでもない。
なぜ?
これってそもそも「確定」した「新規感染者」であって、確定していない感染者の数字は乗っていない。当たり前ですよね。
で、マレーシアの場合、「確定」を操作している可能性がある。ただし、それは悪い意味で「隠そうとしている」というより、「病院の処理能力」に関係があるんじゃないですかね。
感染者がもしどんどん病院に来ても、彼らを検査し、そして処置方法を決めるだけでも大変な作業のはずで、「病院のキャパシティ」も考慮した上での「感染の疑いが濃厚である人達でも、その処理能力に上限がある」んじゃないかと。
検査を進めて感染がわかればどんどん「確定」として数字に乗せるようなことは「していない」んじゃないかと。
この数字を見て、どう思います?
注目すべきは「Pending Results」の数かもしれない。その理由は後で書きます。
【そもそも、検査を多くするべきなのか】
検査をしなければ、「確定感染者数」は増えないわけですが、検査をするしないに関してはいろいろ議論がありますが、当初は「全員検査が当たり前だろう」と思っていた私も、今では180度、考え方が変わって「感染の疑いが濃い患者だけを、【確認のために検査する】」のが正しいと思うようになりました。
その理由は簡単で、「検査の精度に問題がある」と思うから。
それは検査方法の問題だけではなくて、培養するための「組織を取る」のも素人に簡単にできるような技術ではなく、また「組織を採取する場所」でも結果に大きく影響があり、また「感染をしていても初期状態では陽性反応がでないこともある」と言われるから。
そして極めつけは「精度の低さ」です。
ここは間違いを恐れず、私の理解していることを書きます。
検査で陽性の人が100%感染しているとわかり、陰性の人は全て感染していないのが間違いない検査なら良いと思うのです。ところがこの精度に問題がある。医学的には「感度」と「特異度」という言い方をするようですが、その他「精度」「再現率」「適合度」とか様々な「検査の素性」を示す数値があって、この数値に問題があれば、検査そのものの意味もなくなって来る。
というか「使うべき時」がそれぞれ限られていて、全く利用価値がないわけでもないけれど、なんでもかんでもやれば良いってものでもないのは私でさえわかる。
例えば話題のPCR検査ですが、500人はいるであろうと思われる感染者をあぶり出すために「10万人を検査する」としましょう。ところが今のPCR検査では、その500人の内、300人ぐらいの感染はわかるけれど、後の200人は「陰性」と出てしまう可能性がある。偽陰性。(感度60%)
そして次が重要。良く読んでください。10万人の内の500人が感染しているとしたら、99500人は陰性のはずですよね。ところが「特異度」の低い検査だと、とんでもない数字の人たちが「陽性」という結果になる。特異度が90%だとすると、99500人の陰性の人たちの90%は陰性と出るけれど、10%の9950人が「陽性」と出てしまう。「偽りの陽性」偽陽性ですね。(この解釈はあってますか?)
500人をあぶり出すつもりが、感染している真陽性の300人と、感染していない偽陽性の9950人。トータル10250人の「陽性という結果」に病院は翻弄されることになる。
また逆に陽性なのに陽性と出なかった200人(偽陰性)は、「助かった~~~」と喜んで自由に動き回る可能性がある。それは困るから、もう一度、検査をすれば良いとなりますが、それをすればするほど、一体誰が本当の陽性で、誰が本当の陰性なのかわからなくなるんじゃないですかね。
もし100%正確にわかったところで、「発症しない人も多い」「軽症な人も多い」となった場合、感染が間違いない人が病院に殺到したらどうなるのか。感染者全てを収容し隔離、そして治療することが出来れば良いですが、病院、医者や看護師も含めてそんなリソースはないし、「治療法がない」となれば、症状もない、軽症な人を入院させるのは「無駄」となる。
だったら「感染しているのかしていないのかわからなくても【重症患者を優先する】のが当たり前」じゃないですかね。そしてその人達が普通の肺炎なのか、他の病気なのか、それともコロナなのかの【確認のために検査をする】のなら意味があるということになりませんか?
つまり、症状もない、ただただ心配しているだけの人たちを検査したら、混乱が起きるだけだと言えるんじゃないでしょうか。
ただし、自覚症状もあり、症状も出ているのに「検査もしない」のはおかしいわけで、そういう人たちは漏れなく検査できる環境は大事だと思います。でも日本ではそれが出来ずにたらい回しにされたなんて話も聞きました。
これはあってはならないことですが、だから「全員検査をしろ」とはならないと思います。
マレーシアでも望めば検査できるようになっていますし、WHOも「テスト、テスト、テスト」なんてオウムみたいに言い出していますが、ここに【大事な一言】が抜けてやいませんかね。
それは【疑いがあれば、早くやれ】ってことであって、「なんとなく検査を受けたい」「気になる」レベルの人が検査をしだすとそれだけで医療現場は崩壊するんじゃないでしょうか。
忘れちゃ駄目なのは「多くの人を検査すると、陰性なのに陽性と出る人が非常に多くなる」という点。これって大問題だと私は思うわけです。この人達を放置するわけには行きませんから。かといってそういう人たちをどこかに収容したら、それが仇となって本当に感染するかもしれない。
そして「陰性」と出れば、感染していても症状が出ていない人は「やった~~~~~~」と思うはずで、その人を野放しにすることに繋がる。
だから私が思うのは
「自分が感染しているのかどうかわからないけれど、十分、気をつけようとみんなが思う状態が一番望ましいんじゃないか」
ってこと。そして実際に症状が出たら、決まった手順で医者なり保健所なりに連絡を取れば良い、ってことになりませんか?
そもそも「検査は患者のためにあるのではない」のであって、【医療現場で必要なもの】だと考えるべきでは?ましてや「感染しているかどうか気になる。知りたい」なんて人は全く関係ない。お話にならないんじゃないでしょうか。
だから「検査をすすめる人」は、「何か症状があるのなら」と一言を必ずつけるべきで、まさか「心配があるなら検査を受けてみたらどうですか?」なんていうのは医療崩壊することを望んでいるのと同じことになるという自覚が必要だと【私は】思います。
結局、医療現場も政府も専門家も、「数字で出てくる【感染確定者】」なんか気にしていないはずで、【重篤な患者をどうたすけるのか】に集中しているはず。感染を広まらないようにするのは医者ではなくて、我々個人個人が考えて対策をすべきことなんですから。
だから「感染確定者の数字が正確ではない」なんてことに拘るのは、現場の仕事を増やすだけになるんじゃないでしょうか。
でも全くそれを無視することは出来ないし、マレーシアの場合は、「予備軍」はまとめて「Pending Results」に数字を載せているんじゃなかろうか。
でも日本はそれをやらない。
だからマレーシアのMCOの結果を見るのであるなら、「毎日の確定感染者数」ではなくて「Pending Results」の数字の変化を重視するべきかもしれない。
MCOが効いてくれば、Pending、すなわち「保留」の人も減ってきて、そして初めて「新規感染確定者の数」が減ってくるんじゃないですかね。
実はですね、今だから書きますが、初期の頃に情報が入ってきました。具合が悪くて病院に行ったら、「即刻入院で隔離。最低二週間」と言われたと。ところがコロナの検査もしなければ、コロナに関することは何一つ言わなかったそうです。
こういうことって結構あって、その数字が「Pending Results」に入っているのかもしれませんね。これは上の画像の中でPUI(Suspected cases)、これってそこそこの症状が出ているグループなのにPendingってなんなの?ってのもそれが理由かもしれない。また「濃厚接触者」も(ILI)(SARI)のような風邪の症状に似ているだけの人も「確定はしないで」様子を見ている人はPendingにはいっているのかも。ペンディングというより「要注意の人たち」と解釈したほうがあってるのかも。
要は、我々一般が気になるのは感染の広がりとともに「自分が感染するかしないか」であるわけだけれど、医療の現場は「感染し重篤な症状の人を助けることに専念している」という、この大きな差を私達は自覚するべきで、そして私達は「何を守らないとならないのか」を真剣に考える必要があると思います。
不安を消すのは難しい。でも自分の中の不安を解き放って増大させても何も良いことはない。それどころか、それが「助けられる人を死なすことに繋がる」ことも忘れちゃならないと思います。
検査を勧める人、検査をしてもらいたいと思う人。本当に今の自分にそれが必要なのかきっちり考えないとかなりうまくないと思います。
韓国はやったじゃないかと言う人もいますが、あの国の国民性を無視しては駄目で、「必要のある人にしか検査はしない」と政府が決めたら、私はあの国では「間違いなく政権は倒される」と思っています。
それは他の国も同じで、検査を勧めるのは「医学的見地」からではなくて「政治」かもしれません。そしてそれが医療現場の混乱を招くかもしれない。
マレーシアは検査に関してどういう考え方をしているのか、どういうメッセージを出しているのか私にはわかりませんが、「問題が大きくならないように、うまくやっているであろう」ことを上のグラフから読み取れるような気がしています。
でも「検査しろ!」という声は間違いなくあるわけで、私的検査ができるような道も作ってある。
でももし陽性と出ても、コロナの患者を受け入れる病院では、「念の為にもう一回、検査をさせてくださいね~」とやることは他の人達と同じなんじゃないですかね。あるいは、もし全く症状が出ていなければ、「確認のための再検査はしません。家で自主隔離をして、養生してください。もし症状が出て、なおかつ悪化したら連絡をください」で終わりじゃないかと。
マレーシアでは「助かりそうもない年寄りは放置する」なんてことは【まだ】やっていませんが、症状が軽い人、ましてや症状が出ていないで不安だけが増大している人に【付き合ってる暇はない】んじゃないかと。
心配で心配でしょうがない人は、まずは病院に電話をかけて相談してみる。
やるべきことはそれであって、「検査ではない」と私は思います。
でももし100%確かな検査が存在するなら、いつか私もそれを受けるかもしれない。(笑)