いまだにPCR検査をやるのやらないのとグダグダやっていますが、前から何度も書いている通り、「そもそもPCR検査ってなんなのか」を理解せずにああじゃこうじゃ言っても意味がない。
私もダイアモンドプリンセス号の頃は「全員検査すべきだ」と思っていましたが、「PCR検査とはなにか」を理解してからは「アンチPCR検査」と言ってもいいくらいになりました。(笑)
PCR検査ってリトマス試験紙でPHの検査をするみたいに「誰がやっても確実に、正確に同じ結果が出るようなものではない」わけです。
是非、これを読んでからPCR検査の話をしませんか。
一般的に、PCR検査の感度は最大70%とされている。感染者の30%以上は検査で陰性と判定されるのだ。
つまり、100人の感染者がPCR検査を受ければそのうち30人以上は陰性と判断(つまりおおよそ3人に1人の頻度で誤った結果が出る)されて「安心」する。
これはとても恐ろしいことだ。精度の低い検査でも検査結果には違いがないから人々の行動に影響を与えてしまう。陽性なのに「自分は陰性だ」と思って行動する人々が増えれば、どのような事態を招くかは容易に想像がつく。
それでも、37.5度以上の発熱がある人にPCR検査を行うことは意味がある。発熱やその他の症状を含めて「総合的に診断」して精度を上げることが可能だし、陽性である可能性がもともと高いからだ。
さらに、特異度は99%と言われる。100%ー99%=1%の人が、感染していないにも関わらず陽性と判断されるということだ。
たった1%と思うかもしれないが、感染者と判断されれば「感染者として扱われる」のだ。
PCR検査は手間と時間がかかるから「抗体検査」を導入しようとする動きがある。妊娠中やインフルエンザの検査でおなじみの手法であるが、この手法がPCR検査よりも、更にいっそう精度が低いことは導入を推進している人びとが認めている。
ニュースをいろいろ見ていると「PCR検査は精度が高い」と書いているものもたまに見かけますが、そもそも「精度」というのはPCR検査の評価基準である「感度」「特異度」「精度」「再現率」「適合度」などのひとつなんですね。だから「精度が・・」という人はこのことをよく知らない人かもしれない。ではなんというのか。これは私もわからないので「的中率」とかそういう言い方をこのブログではしています。
感染していないのに「感染と出るケース」は特異度に関係しているわけですが(感染していない人が陰性とでる確率=特異度)、この記事では99%となっていますが、90%という専門家もいる。どれが正しいのかは素人にわかるわけもないけれど、どちらにしても100%ではないわけで、「大量の検査をすると【感染していないのに陽性と出る人】が少なからず出てくる」のは問題じゃないですかね。
もし特異度が90%だと、10万人検査したら【もし全員が感染していないとしても1万人は陽性と出る】わけです。これって大問題でしょう。
また感度が70%だと、「感染者の内、30%は陰性と出てしまう」わけで、これも問題じゃないですかね。
だから日本では「確認のために」にPCR検査を使おうと決めたわけで、海外のように「スクリーニングでは使わない」。
ただし、PCR検査で混乱したくないのは「医療現場」であって、でも「感染者数を知りたい人たち」は「やれやれ」という。
これもわかるんですよ。私だって「とりあえずやってみたら良いじゃないか」と思いますもの。でもこれって「現場を知らない外野の発想」じゃないですかね。
では「なぜ海外ではPCR検査を重視するんだ?」という疑問が出る。
これは私にもわからないのですが、「PCR検査しか感染の有無を調べる手立てがない」のだとすれば、「やるしかない」んじゃないですかね。
ところが日本には海外と違って「CTスキャン」という賢い検査機器が世界総数の3分の1ほどあって、これで見ると「肺炎があるのか無いのか」「肺炎ならそれがコロナかどうか」がわかると言われている。だから「PCR検査を受ける前に【CTスキャンを受けてください】といわれることがある」とニュースで何度も読んだ。ここを読み飛ばしては駄目じゃないですかね。(CTスキャンの費用は、後のPCR検査で陽性と出れば保険適用。陰性なら自費負担)
でもCTスキャンでは「肺炎を見る」わけで、「感染している可能性は高い」と読めても、「感染している」と決められない。だからその後、「確認のためにPCR検査をする」ってことでしょう。
ではなぜ安倍さんもPCR検査を増やすことにしたのか。
これは「政治判断」でしょう。あまりにも「検査をしろ」という声が大きいからやらざるを得ない。でも医療現場は「困ったなぁ」と思ってるんじゃないですかね。でも「確認のためのPCR検査」だとしても、間違いなくそれが少なかったのも事実で、増やすのは良いと思うものの、【誰でも彼でもPCR検査を受けられるようにはなっていない】のは同じ。
私としてはアメリカでも感染がうまくコントロールできていないのは、「PCR検査に依存しすぎる」からかもしれないと思っています。「感染していない陽性の人(偽陽性)」を感染者として隔離すれば、本当に感染してしまうかもしれないし、「感染しているのに陰性の人(偽陰性)」は【野に放たれる】わけで、これまた絶対にうまくない。
今一度、上の「感度」と「特異度」のところを読んでみてください。感度が70%ということは700人の感染者を見つけた時点で、300人は見逃しているってことなんですから。
本来はこのレベルの検査は「しないほうが良い」くらいだと思うわけです。例えば、不良品の検査をしてもその精度が70%で、30%の不良品を見逃してしまう検査なんて意味がないじゃないですか。また不良品でないのに「不良品と判断」されたものが10%にも達したら、それを廃棄するなり作り直す手間暇、経費って大変なことになる。
でもそれしかないとすれば「やらないよりやったほうが良いのかもしれない」。
でも「大量検査をやるべきだ」というのは「大事なところを見ていない」と私は思うわけで、それでも大量にやるべきだというのなら、感度や特異度によって大量に出てくる「偽陽性」「偽陰性」の人たちをどうすればよいのかってことも付け加えて「セットで話をしないとならない」んじゃない?私はそれを聞いてみたいのだけれど、「PCR検査をどんどんやれ」という人の「偽陽性」「偽陰性」をどうするかという話は聞いたことがない。
アメリカのニューヨークだけでもPCR検査メイカーが30社あるらしくて、それぞれ検査方法もいろいろなんでしょう。こんな記事もあった。
研究チームによると、鼻から検体を採取した綿棒を保存液に入れて運んだ場合は全検査数の約3分の1が、乾燥した状態で運んだ場合は48%が偽陰性になったという。
もしかしたら海外では「偽陽性だろうが真陽性だろうが【陽性と出たケース】は感染者として扱う」、感染しているのに「陰性と出た人たち」は「そのうち、症状が悪化してくればわかるだろう」みたいな考え方でやっているんじゃないかと思ったり。
でも「特異度」によっては「大量に検査をすればするほど【感染していないのに陽性と出る偽陽性が大量に出る】わけで、彼らを隔離して治療しようとしたら医療崩壊するのは当たり前」かもしれない。でも医療リソースに余裕があればやっても良いのかもね。
そして今、注目を集めているのが「抗体検査」。でもこれの感度(感染者を陽性と判断する確率)はPCR検査より低いとされている。大丈夫なんですかね。これを増やして。
でもそれもまたPCR検査と同じで、医療リソースが足りているなら抗体検査を重視するのも良いと思うんですよ。
ただ医療現場は「コロナの感染者」ばかり治療するわけじゃないし、その他の病気で重篤な人たちが十分な治療を受けられないことが起きている。手術も先延ばしになったり。
それで亡くなる人はどうすりゃいいの?
そのへんのバランスを見ながら医療現場は頑張っているはずで、「世の中には病気はコロナしか無い」みたいに大騒ぎしてそれを優先すると何が起きるかってのも考えないとですよね。
マレーシアを見ていると「科学的で決断も早い」ように感じるけれど、内部事情が我々には見えないわけで、本当にやるべきことがやれているのかってのはわからない。「数字の信憑性も同様」で、そもそもそういう仕事がきっちりできる国とは私は思わない。企業も同じじゃないですか。「日本企業は決断ができない。会議ばかりやっている」と非難されるけれど、じゃぁ「担当者に一任してどんどん決めていけば解決する」ことなのか。
それとマレーシアの数字をそのまま日本と比較してしまいがちだけれど、「人口比」で見ないと全く意味がないんじゃないですかね。
日本の人口はマレーシアの約3.8倍。だから数字を比較するなら、マレーシアの数字を3.8倍して日本の数字と比べないと。
あるいはデータとしてよく使われる「10万人あたり何人」とかそういう比べ方をしないと。
しかしそうやって改めて日本の数字を見ると、やっぱり「不思議な国、日本」だと思う。なんなんだろうか、この世界との差って。
国別の「100万人あたりの感染者数の推移」。これは「対数グラフ」なのをお忘れなきよう。普通のグラフにしたら日本は「下にへばり付いているライン」となる。
このグラフはここから。いろいろ見れます。