【必見】天才「高橋洋一氏」の人となりがよく分かる対談

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高橋洋一氏のファンは多いと思うのですが、私も熱狂的なファン。(笑)

では高橋洋一氏の何が凄いのか。ここがポイントですよね。

私が思う彼の良さは「拘り、バックグラウンドがない」ことです。【欲がない】と言っても良いのかもしれない。

一般的にどんな学者も政治家も専門家、そして新聞テレビ、解説者、コメンテーター、更に我々一般個人でも「拘り」があるじゃないですか。

それは「信条」であったり、あるいは希望や夢であったり、「関わりのある組織や団体の方向性」であったり。

私も同じで、基本には自分の信条があって「自分なりのどんな社会、人生が良いのか」から全ての考えは生まれるわけで、それが正しいのかどうかは別問題。

特に政治家、学者、専門家、そしてメディアの世界には「裏」と言ってはいけないのだろうけれど、「向けるべき方向性」がありますよね。多くの人たちは「組織」「グループ」あるいは「派閥」であったり「学会」であったり、【自分を規制する組織】の中にいる。【立場】や【肩書】を無視した言動をとることはありえない。

当然、それと信条が重なる場合はあるにしても「なんらかの方向性を持つ」のが基本にある。

でもこういう人たちの考え、意見、説明を聞いても「どうあるべきか」なんてのはわからないんですよね。その基本に「こうあるべし」というのがあれば、どうしたって「そちらに誘導するような話の組み立てになる」のは当たり前。でもその基本にあるものを「隠すのが普通」だから、上辺の話だけ聞いて我々は判断するようになってしまう。

私達は意識しようがしまいが「洗脳、プロパガンダ」の中で生きているんじゃないですかね。

ところが高橋洋一氏には「こだわるべき信条がない」と言っても良くて、【自分が思うことをそのまま言う】ことが出来る非常に稀な環境にある。つまり【忖度するべきものがない】んですね。これは彼の発言を聞いているとよく分かる。

逆を言えば、彼には「味方がいない」し「敵ばかり」ということになるんでしょう。

そういう話を彼自らが話す珍しい対談がありました。


ここからはいつもの余談。

彼と似ている部分があると思うのは「武田邦彦教授」で、彼も【言いたいことを言う】珍しい人。彼をボロカスに言う人も多いですが、私にしてみると「我が人生の恩師」と言っても過言ではなくて、「どういうふうに物事を見、考えるべきか」という基本中の基本を彼から私は学びました。

それは「まずは疑う」ことであり、自分が練りに練った考えも、長い年月をかけて自分の中に蓄積したもの、さらに自分の信条さえも疑って【違う方向から見ることの重要性】を私は彼から学びました。当然、「常識」なるものは疑うべき筆頭。

人って歳を取り、学び、経験を積み、「自分を膨らませていく」ことが重要だと考えますが、私は昔から全く逆のことを考えていまして、「いかに自分から余計なものを落として【ピュアになるか】」を考えてきました。

余計なものを自分の中に取り込みたくないと思っていても、自分が生まれ育った環境から始まって、学校でも社会でも我々は常に余計なものを蓄積していく。

これは私にとっては「財産ではなくて【無いほうが良いもの】」とさえ考えてきました。自己否定と言って良いのかもしれない。

理論や技術も同じで、それを知り体得するのは非常に大事だけれど、「それが正しいのか」という本質的なところを常に疑い続けるような生き方をしてきました。

そうしていればあるべき姿が見えて本質に近づけるのか?と言えば、そんなこともないわけですが(笑)、こういう「疑う癖」を付けていると「自分が気がついていなかった大事なもの、大事だと思っていたけれどそうではないもの」に気がつくことが多いのね。

もしかしたらそれは単なる勘違い、あるいは悪魔の甘言でしかなくて、進むべき道を逆に間違えることでもあるのだろうと思うのだけれど、「ああ、これは勘違いだったんだ」と思った時の【快感が半端じゃない】のね。

私にとっての「麻薬」みたいなものです。

そういう意味で、高橋洋一氏も武田邦彦教授も私にとっては麻薬。(笑)

「なるほど、そういう考え方があるのか」と思わせてくれる人って意外に少なくて、その内容が正しい正しくないではなくて、「自分を揺さぶってくれる」ことそのものが素晴らしいと思うのです。

一週間ぶりに入ったシャワーの爽快感みたいな。(笑)

彼らのような有名人ではなくて、自分の周りにいる一般人も同じで、私は「私に揺さぶりをかけてくれる人」が重要だと思っています。だから「似たような考え方」を持っている人よりも、「全く自分とは違う考え方」を持つ人に興味があったり。(笑)

歳を取るとどんどん頑固になるのは自分でも自覚があるのですが、できることなら私の頭の中はいつまでもフニャフニャで有りたいと思う。頭の中は空っぽでも良いと思うくらい。

「信念はないのか?」なんて言われそうですが、私は「信念は作られたもの」という気がしていて、逆に自分が着ているものを全て剥ぎ取って裸になった時に「奥の方から沸々と湧いてくる思い」があって、それが本当の自分なのではないかと思っています。そしてそれを大事にしたい。

ま、この辺は仏教的な考え方があるのかもしれませんが・・。

高橋洋一氏も武田邦彦教授も、「何を言っているのか」以上に、私を裸にして「気づき」をもたらしてくれる大事な人。

もしこの二人を知らなかったら、今の私も随分、違っていたんじゃないかと本当に思う。

でも「私」を形成するのに一番影響力があったのは、去年の12月に亡くなった私の母。

マザコンだと言われようが、「母から教わったこと」「母の生き様を見て学んだこと」が私にはとてつもなく重要で、「尊敬する人は?」と問われれば、私は間違いなく「母」と答える。

父?

反面教師かな。(笑)

「父のようにはなりたくない」と幼い頃から考え続けて、今ではジジーになった私ですが、今になれば「オヤジもたいしたもんだ。彼を超えることはできない」と思うようになった。人生って面白い。

 
 
 

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