コロナに対する考え方を根本的に考え直す時期が来ているかもしれない

コロナは怖い。罹りたくない。愛する人を守りたい。これは多くの人の考え方だと思います。

ただ日本やマレーシアの状況を細かく見ていくと、当初の「武漢」、次のイタリアのようなことは起きていない。ただ少なくともアメリカでの死者は(カウントの仕方に問題があるにしても)25万人を突破し、「遺体の収容」でも問題が出つつあるのも間違いがない。

ここで「コロナは怖い」「コロナは怖い」と頭を抱えて布団に潜り込むような生活が良いとも思わないし、「正しく恐れる」ことをすれば大丈夫のような気がするんです。これは「どういう場所。オケージョンで感染が広がっているか」を細かく見ていくとそう思えるわけです。

日本の最近の拡大も「Go to travelが悪い」という人もいますが、こういう人たちはデータを細かく見ていないんじゃないかと思う。数千万人がすでにGo to tavelを利用したと言われていますが、「彼らが向かった先で感染が広がっているのかを細かく見る必要がある」んじゃないですかね。京都や箱根も凄い人出だと言われていますが、そういう場所で感染が広がっているのかどうか。(私はGo to eatは危ないと思っています)

また「東京都医師会がGo to travelに反対」しているかのような報道も問題があると思いました。「会見」を見てみましたが、「はっきりした根拠はないが・・・」という会長の前置きもちゃんと報道しないと~~~。要は、彼らは感染拡大に危険を感じているわけで、「もっと気をつけよう」という大筋の中の一つの話でしか無いと私は思いました。

Go to travelを使って旅行をした人たちのデータはあって、どういう動きがあったかの把握は可能だとのこと。でも誰もやらない。どんな結果が出ても関係者にとっては嬉しいことじゃないのかもね。自民党内で検証チームが立ち上がったらしいけれど、すでに結論が出ている気もするし・・。

北海道や大都市で感染が広がっていますが、それも「大都市のどういうところで広がっているのか」を見ずに、全体の数字だけを見ていたら何もわからないんじゃないですかね。

これはマレーシアも同じで、数字だけ見るとびっくりしますが、どういう場所、区域で広がっているかというと、ある意味「特殊ケース」と言っても良いのではないかと思っています。

だから「極度な行動制限は意味がない」かもしれない。

でも「一般家庭内での感染」「市中感染」が増えだすと、もう打つ手が無くなるのも間違いがない。

さぁどうする?政府や自治体はどうあるべき?

この「京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授 宮沢孝幸氏」の話は何度かブログで紹介しましたが、彼のいう理屈に耳を傾けるのも良いと思うのです。

私から見ると、ある意味「理想論」に聞こえる部分があるのですが、賛同できる部分が多々あります。

ただ政府も自治体も「今までやってきた方針を変える」のは難しいし、私達は「理屈で動いているのではない」し「感情が行動を決める」事が多いわけで、そこを無視しては誰も耳を傾けない。そして「変化には時間が必要」というアタリマエのことを無視した「性急に方向転換をせよ」というのも受け入れられることはない。

でも「騒ぎすぎ」「恐れすぎ」かもしれない可能性は考えても良い時期にきているんじゃないですかね。

やっぱり「正しく恐れる」ことが重要で、「野放しにするのが良いわけではない」けれど、「過度の規制」「恐れすぎ」によるマイナス面もそろそろ真剣に考えないと「結局、自分で自分の首を絞めている」ことになるかもしれない。

ただ私としては「風邪と同じだ」とか「感染数の発表をやめろ」とかいうのは極論中の極論だと思うし、規制もない風邪と規制をしているコロナを比べたり、「不安の原因、深さ、人の心」を無視した考え方は全く意味がないと思っています。


私個人としては、もし行動規制、自粛要請があろうとなかろうと「やることは決まっている」わけで、またワクチンにしても副作用を含む危険性はまるで論じられないまま「これで助かるかもしれない」なんてことは考えないし、もちろん、ワクチンを打つつもりもありません。まだまだ「様子見」は続きます。

ただ、「本当にこのままでよいのか」ということに関しては常に考えるべきじゃないかと。

 
 
 

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