日本のコロナの蔓延は収まってくるような気がする

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新規感染者がどんどん増えるとそれはそれは大きな不安となって、「もっと広がり大惨事になる」と思ってしまう。

最近の日本の報道を見ていて気がついたのは、「夜の街ではなくて、一般家庭に広がっている」、だから大変なことになっているという内容。

でも私はこれは逆じゃないかと思っています。

私はコロナウィルスそのものに関して、感染の広がり、それの防御、ワクチンに関しても「京都大学の宮沢孝幸准教授」の説が真実に近いのではないかと思ってて、彼のいう「卵焼き理論」もその通りかも知れないと。

つまり「感染爆発する中心」があって、それは大きなイベントだったり飲食店だったり。そこから感染者は散らばり一般生活の中に入って、そこで感染が広がる。

ところがその先は「ちゃんと防御がなされていれば【心配するほどの広がりは無い】」という考え方。

そもそも日本でも「基本再生産数(R0)」が重視されますよね。感染者一人が何人を感染させるかという人数。1以下なら感染は静まり、1以上なら感染は拡大すると。

これを見て、おかしいと思いませんかね。

日本なら日本、マレーシアならマレーシアの【全体の統計】を言うでしょ?

でも起きていることは各地バラバラで、感染の広がり方も違うのに、全部まとめてこの数字を出して意味があると思います?なぜそれは国別で出すんです?どうして「世界の数字」じゃないんです?世界にはそれぞれ事情が異なるからでしょ?

それは一国の中でも同じじゃないんですかね。

そして私は、「夜や飲食店の世界」「家庭内」「老人施設」でも同じだと思うんですよ。

「一体どこで感染が広がり、その基本再生算数はどのくらいなのか」が重要じゃないんですかね。

そこを重視しているのが宮沢孝幸准教授の「卵焼き理論」であって、これが「飲食店の営業時間の規制は【間違いだ】」という理屈に繋がっている。

私はコロナの感染は【山火事】をいつもイメージしています。

火元があってそこはガンガン燃えて焼け野原になる。そして火の粉は散って火は広がる。これが大惨事に繋がるわけですが、では山火事が起きたときにそれが広がらないようにどういう対策を取るのか。これはいろいろあるわけですが、コロナも同じで、「もし放置したら、次から次へと広がるだけ」だけれど、それぞれの個人、家庭内、企業内、施設内では「感染防止の施策」はしているわけですよね。

それが大前提なのですが、そうである限り、飛び火が飛び火を呼んで大きくなることはなく、「自然に火は弱まる」という考え方。そして山火事の場合で言えば、大本の火元はすでに火は消えている。

つまりですね、基本再生算数も「その場所によって違う」と思うわけです。

夜の街新宿で感染が広がったように、家庭内の感染が次から次へと広がるのかって話し。

「感染が広がっても、それが【防御態勢が敷かれているところ】まで来たら、そこから先は大きく広がらない」

これが正解だと私は思うんですよ。

これが宮沢孝幸准教授の「卵焼き理論」ですが、私もそれが正しいと思うんですよ。

ただし、各家庭、各企業、各施設、そして一般の個人個人が「ちゃんと対策をしている」というのが大前提ですが。

感染爆発した火元、それは確かに飲食店だというデータは公表されていましたが、もし今は飲食店での拡大というステージから、その周りの家庭へと感染者数が移ってきたというのは【良い前兆かも知れない】と考えることが可能じゃないのか。ただし、「家庭に感染の中心が移ってきたのが【良い】」という意味じゃなくて、【感染元の飲食店では減ってきた】というのが重要。

ただもしそれが「単なる割合」でそれが言われていて、「実数」での飲食店での感染数は減っていない、増えているとしたら、大問題。

これはマレーシアも同じで、実行再生算数が公表されていますが、当然、マレーシア全体の数字。

でもこれを見て私達はなんか納得できないなぁと思いませんかね。

だって刑務所や工場で大きなクラスターが起きているのは誰しもが知っていること。そしてマレーシアには大都市もあれば人口密度も少ない地方都市も街、村もある。

それを全部ひっくるめて、実行再生算数を出されても、私は説得力がないと思います。

これは単なる「マレーシアという国の【平均値】でしかない」んじゃない?

国をコントロールする人たちや学者には有用なデータだとしても、市井の民である私達個人個人にはあまり意味がない。

私が知りたいのは「国全体を丸めた数値」でもなければ、「刑務所や工場でどうなっているのか」ではなくて【自分の生活範囲の中の実行再生算数】です。

どちらにしても「感染者をどんどん生む【火元】」さえ抑えられれば、その後の末端である家庭内へ火の粉が飛んでも、そこから大きく広がることはないと私は考えています。

でもそれは「各自、やるべきことをやっていた場合」に限りますが。

逆に「俺達のところまでは火の粉は飛んでこないよね」なんて気を抜くと、そこにクラスターが生じてまたそこが「火事の火元となる」のではないかと。

ただし、「コロナは風邪と同じ。心配するほどのことではない」と考え、行動する人が多くなれば、感染はいつになっても止まらないんじゃないですかね。そして重症化し死ぬのは老人と病気を持つ人達。

日本の飲食店の営業時間の規制に関しては、私は「そこからの感染を防ぐ」のではなくて「再びそこが火元とならないように」という考え方だと思っています。

だから感染拡大を防ぐという意味では「火元になりやすいところに規制をかける」のは【正解】だと思っています。

ただし、経済的な大打撃をどうするのかは【全く別の問題】で、【感染も防ぐ】【経済的損失も防ぐ】とその両方を求めるのであれば、大々的な政府や自治体による援助が必要で、「出し渋りをする」のであれば、「特定の人たち、企業、店舗」にしわ寄せが行くのは当たり前。

だから「もっと金を出せ」というのはそういう被害が集中する人たちではなくて、「感染を防ぐことで恩恵を受ける【一般人】こそが声を上げるべき」だと私は思っています。

当然、国や自治体の「赤字」が増えようと、それが回り回って「増税」になることがあろうと、それは受け入れるしかないんじゃないですかね。

それは嫌だと思うなら、「規制もせずに放置しろ」というしかないんじゃなかろうか。

私達老人は、私達老人や病気持ちの弱者を救うために、若者を中心にした多くの人たちが「我慢」と「経済的負担」を強いられているのを忘れちゃならないんじゃないですかね。

ましてや「年金をもらっているから、経済的な影響はなし」なんて喜んでいたら、それこそ「国賊」だと私は思う。

いつかコロナが収まったときに、私達老人は、どうやって「被害を背負ってくれた人たち」に恩返しするか考えないとならないはず。彼らにはコロナが終わっても【大きな傷跡は残ったまま】なんですから。

私自身はいつも書いている通り「自己責任論者」ですから、自分は他人や政府自治体に助けて欲しいとは思わない。だからといって皆がそうあるべきだなんて全く考えていないわけで、それどころかどうにもならない人は遠慮せずに声を大きく上げるべきで、社会はそれに反応して動く必要があると思うんですよ。

宗教的なことを書くつもりはないのですが、私はいつも思うのですよ。

どうして神は私達に儲ける力、チャンスを与えてくれるのか。それは神は、私達がその利益を独り占めにせずに有効に使うことを知っているからだと。

その力を有効に使おうというのが、私が今まで何度か書いた「平民の逆襲」であって、単に頑張って儲けましょうってな話じゃないのね。

今、フト「トレードでそこそこ結果が出てもそこから大きくなれない」とメールだかコメントを以前、頂いたのを思い出しました。それに対して私は「なんのためにトレードをしているのかの【大義がない】からじゃないか」みたいな返事をしました。「お金を儲けたい」という一心で頑張っても必ずどこかで止まる。

かつて私は「三島由紀夫のインタビュー」を見て驚いたことがあります。彼は「人は自分のためだけに生きれるほど強くはない」と言った。これを聞いて私は頭をハンマーで叩かれる思いをしたのですが、今、私はここに真理があると思っています。

自分の利益のために自分の能力を最大限、開放しようと思っても、そもそも人間はそういう風に出来ていないのじゃないかってこと。世界には歴史的にも偉人と呼ばれる人は多いけれど、そういう人達を見ても「真理」が見えてくるように思います。でもそれは「偉人たちがたまたまそうだった」のではなくて、全ての人間がそういうふうに出来ていると私は思うわけです。ただ「目が内向きである限り、自分が持つ能力が開放されることはない」だけのことじゃないかと。

人が変われるのは「理屈でどう考えるか」ではなくて「心の持ちようだ」と思うわけす。恋愛も子育ても同じじゃないですかね。どれほど綿密な作戦をねっても、相手はどこに心が向いているのかを完璧に見抜く。

しかし、歳を取るとどんどん臭いことをいうようになる自分に気がついています。

どうかお許しを・・・。m(_ _)m

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