コロナによる経済的損失、経済的後遺症。どう生き残る?またこういう事が起きたらどうする?

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今回のコロナによる経済的打撃をもろ受けた人たちは本当に大変だと思う。

去年、コロナが流行りだして、どの国も「行動制限」、「ロックダウン」を行ったけれど、あの時点で「これじゃどうにもならない」「生活できない」と言っていた人たちはあれから1年、どうなったのかと思う。

強制的ロックダウン、あるいは自粛要請だとしても、政府や自治体がそれをやるかぎり「経済的な保証」って必要だと思うのだけれど、日本やマレーシアを見ている限り全く十分とは思えず、結局は「自己責任だ」と放り投げられたような感じを受けています。

自然災害ならそれもわかるんですよ。でもコロナによる経済的損失は自然災害とは言えず、直接の原因は「仕事ができないような規制」ですよね。

もし自己責任だと放り投げるなら、「規制を守らない」のも自己責任で仕事を続けることがあっても私は良いと思う。でもそんなことをしたら社会的制裁を受けるし、私的リンチの対象となる。だから渋々、決まったことに従うしか無い。

これってなんかおかしいですよねぇ。

私は「自己責任論者」で何が起きても自己責任だと思うくらいなんですが、行動制限を命令されて、その結果に関しては自己責任てのはやっぱり酷いと思う。

でもそれが私達の社会の真相なんだろうと思う。

どうすれば良いのか?

かなり昔のことですが、日本のある場所である自然災害が起きた。どれのこととは言いませんが、私は「どうしてそういう危険があるのがわかっているのに、そこに住み続けるのか」と不思議に思ったんですよ。政府に対して援助せよという声も大きかったのですが、「そこに住むことを選んだ自己責任はどうなるのか」と私は思った。

福島の「原子力発電所の事故」に関しては、推進した政府と東電に大きな責任があると思うのだけれど、「原子力発電所を受け入れた責任はどうなるのか」ということも気になります。これはその地の住民だけではなくて、日本国民全ての責任だし、他の国も関係ないじゃ済まされないんじゃないかと。

じゃ、原子力発電所は無くても良いのか?ってことになりますが、ゼロか100かの議論ではなくて、「危機管理」に関してもっとオープンな議論と対策が必要なんだろうと思ったり。でもそれをしなかった、適当にごまかしたのはやっぱり政府、東電の責任は重いと思うわけです。

でもま、誰の責任だろうが、何かが起きて被害があった場合、被害者が自分でどうにかするしかないのが世の中の常なんでしょう。

つまり、やっぱり、自分の生き方の選択が重要で、政府が悪いの、誰が悪いの、責任だの保証だの騒いだところで、世の中はどうにもならないってことだと思っています。

だから「何が起きても大丈夫な生き方」を常日頃、考えないとならないと私は思うんですよ。

私は自然災害に合ったことはないのですが、経済的損失があった事象って全部思い出せないぐらいあって、それは「円高」であり、「日中国交回復」であり、「リーマンショック」であり、極論を言えば「雨が振り続けたので客が来ない」みたいなことは日常茶飯事。

打ちひしがれて街を歩きながら、これからどうやって生きればよいのかと悩むわけですが、フト街なかを見るとそんな悩みなど関係ないと明るく楽しく生きている人たちばかりで、なんで自分はこうなのかと天を怨みたくなるようなことも多かった。

でもどこまでが自己責任で、どこからは他の責任かというのがはっきりわかったところで、その経済的損失を埋めるのは自分でやるしかない。

今回のコロナ騒ぎでも、どうも「高利貸し」が暗躍しているようで、それに手を出す人は日本もマレーシアも少なくない様子。

どうして破綻するのがわかっている高金利に手を出すのか?借金に関するリテラシーが低いんじゃないのかという人もいるけれど、そういう人は、そういう立場になったことがないのだろうと私は思う。金利の計算もできなくて、高金利に手を出すアホもいるだろうけれど、「こんな金利ではやっていけない」のをわかって借りる人があの業界の主だった客(カモ)なんじゃないですかね。

「今日死ぬより、明日死んだほうが良い」のを選択した人たちが高利貸しの客だと私は思う。そこまで切羽詰まっているから高利貸しから借りるわけで、本当にそれで自分が救われると考えている人って少ないんじゃないかと思ってます。

だから高利貸しが暗躍する社会ってかな~~~りひどい状況なのは間違いがなくて、日本もマレーシアもこれからどうなるのか心配です。

日本でも「今日、パンを一切れ買う金もない」ような人が出てきているのはたまにニュースで見ますが、コロナ騒ぎで皆が「自分の周りを飛ぶハエを追い払うのに忙しい」わけで、他人のことなんか考える余裕はないように見えます。本当にセーフティーネットが力を発揮しないとならないときなのに、それが動いていないように見える。

多くは「コロナさえ終われば・・」とそちらに気が向いているようだけれど、それって地獄に降りてきた一本の糸にしがみつきたい感情と同じで、実際にはどうなるのかわからない。そしてワクチンに過度の期待をする。

これって経済的な損失を補う解決策にはならないと思うんですよ。

ワクチンが効かないとか、副反応がどうじゃとかそういうことじゃないんです。ワクチンに頼るということそのものが、私には「他力本願」に思えるんです。

「自分の将来は自分で作る」とするなら、「危機管理は自分でする」しかないんじゃないかと。

「コロナ後の好景気」に期待する人はかなり多いみたいだけれど、そんなうまい具合に世の中が動くんですかね。皆が同じことを考え、同じことを目論んで競争の激化は半端じゃないだろうし、「みんなの財布の紐が緩むのに期待できる」なんてマジでいう経済評論家は頭がイカれていると私は思うくらい。

ある時期、お祭り騒ぎみたいなことが起きるだろうけれど、私はその後が心配。

大企業はこのチャンスを絶対に見逃さず、必ず「リストラの嵐」が来ると私は見ています。でもそれを今やると、影響が大きすぎるから様子見じゃないんですかね。でも嵐が収まった後、「本当に怖い嵐が来る」と思う。これは回り回って、「コロナ後の不景気が常態化する」と見ています。

でも逆に新しい産業、業態も生まれ育つと私は想像していて、そういう意味での「New Normal」を想定することも重要で、「もとに戻る」ことに気を取られていると足をすくわれるんじゃないですかね。こういう考え方だと、常に起きる波には取り残され「益々大きくなる格差で負ける」事が起きる。

私が経験してきた経済的災難である「円高」や「日中国交」も同じで、新しい時代に合わさない限り「消え去るのみ」でした。それが世の中の決まりじゃないんですかね。【我慢する、待っているだけで好転することって殆どない】と思います。

ところが、今、コロナで世界の経済は疲弊しているけれど、「そんなのは関係ない」ような生活をしている人たちが存在する。またこんな時に売上を伸ばしたり、コロナのせいで始めた新商売が当たったなんて話もちらほら。

それって「運」なんでしょうか。

運もあるんでしょう。でも私は運に身を任せてはならないと考える「自己責任論者」ですから、何が起きても大丈夫なようにありとあらゆるリスクを想定し、それに対処できる生き方を構築するべきだと思う。

たとえば飲食店を開く、小さな企業を興す。その場合の目標って、その仕事で十分な利益を出して、それなりにお客様にも喜んでもらい、スタッフはもちろん、地域や社会に貢献するというのが目標であってはならないってこと。それってあまりにも「目先の目標」でしかないんですね。

私達が持つべき目標って、その先にあるべきだと私は若い頃から考えていました。

私は商家に育ちましたが、商家も毎日が綱渡りみたいなもので、商売が駄目になる危険なんかいくらでもあるのね。そして我が家もそうだったけれど、「その危険から逃れる、対処することしか考えない」のね。

でもこれは良い方で、自分で起業する人の多くは、「良いことばかり考えている傾向」があると私は思っていて、当初は良くてもほんのちょっとした出来事で躓くのは世の常。

そんなのを見ながら育ち、大人になり、自分もその渦中に入り、結局、私が思ったは、「その先にあるリスクをいかにコントロールするか」だったんですよ。これができない限り、「同じことが常に起きる」と思った。

その先のリスクとは?

まさにコロナがそれだし、自然災害もそう。極度な為替の動きも、競争相手の出現、スタッフによる持ち逃げ、取引会社の倒産など、書き出したら切りがない。

こういうことは一般的には「想定外」のこととされ、そういう時に倒産することがあっても「しょうがないね」と考える人は多い。

でもそれで解決しないじゃないですか。大損した穴は誰が埋める?再起するのに誰が助けてくれる?

だから自営業の家では、「余計なことは考えず、大手の立派な会社に就職してサラリーマンになって欲しい」なんて考えるケースが多かった。農家も同じ。これが歴史ですよね。(でもその大手の立派な会社もどうなるかわからない時代にすでに突入しているはず)

私はそういう大元の考え方、行動パターンから出ない限り、将来はないと考え続けてきました。自分の将来を運に任すこともできませんし。

「想定外を想定する」のは論理的ではありませんが、多くの人が「想定外」と諦めることって、本当は想定できたケースが多いんじゃないですかね。自然災害も同じで、大雨で裏の崖が崩れて家が潰れたとしても、それって本当に不可抗力なのか。火山が噴火して自分の地域に人が住めなくなったり、突然の大きな円高で輸出が一瞬にストップしてもそれって本当に仕方のないことなのか。

それであきらめが付くのか。

また振り出しに戻っただけと諦めて、また同じことを繰り返すのか?

私は「多くは見たくない現実を見ようとしない」と思っています。そしてそれは人間本来の本能かもしれない。

私はここが重要だと思うんですよ。

中小企業の世界で生きてきた私にしてみると、会社が駄目になるのは駄目になるような会社だからじゃないのね。ほとんどが不可抗力と言って良いようなことで潰れる。そしてそれは自然災害のように、ある日突然襲ってくる。

これに対処できるようにするのか、そういう時には諦めるべきなのか、ここの考え方の違いが、今回のコロナでも違いとして出てくるんじゃないですかね。

コロナみたいなことが起きたらどうする。地震が来たらどうする。円高になったらどうする、不渡手形を掴まされたらどうするとか、そういう個別の対処法を突き詰めるのではなくて、「どんな事象だろうと、自分の仕事が成り立たないことが起きたらどうする」という考え方が基本だと思うのですよ。

その答えは簡単にはでませんが、「浮き沈みの繰り返しにはいささか疲れる」とアイデアも出てくるのね。

私は馬鹿だと思われると思うけれど、真剣に「戦争が起きたらどうする」とか、「日本が沈没したらどうする」とか、「共産主義者が政権をとったらどうする」とか、そういうこと極端なことも若い頃から考え続けてきました。

馬鹿な、と思うだろうけれど、世界の歴史を見れば、実際にそういうことは起きているじゃないですか。今、まさにこのとき、それで苦悩している人たちも存在する。

だからそういうことが起きても生きていける方法を模索し続けました。そして私なりのその答えを見つけた。

コロナが起きて、もしこれが終息せずに、インフルエンザのように毎年、違うパターンで同じ様に襲われることが起きても多分、私に経済的損失は起きない。逆に利益を出すチャンスにもなりうる。ただし、今住んでいるモントキアラに隕石が直撃すれば、また私の脳みそももっと劣化し、身体的にだめになったら終わり。(笑)

自分の仕事、収入源って誰しも持っていると思いますが、それを維持し、利益を最大化することを常に考えるのが普通。

でも本当に大事なことは、「それが持続できない」ことが起きた時にどうするか。ここじゃないんですかね。

その答えを見つけるのは簡単ではありませんが、毎日1時間、10年も考えれば答えは見つかるかもね~~。

自分が生きている今の世界と、それとは全く別の【リスクに相関性のない】世界をもう一つ作っておくことが重要だと思う。

人生を楽しむ時間の中のホンのひとときを、「まさかの事が起きたらどう生き延びるか」を真剣に考えて対策を練るのは無駄じゃないと思います。

自分が生き延びることの重要さって、自分のためだけじゃないのね。それで家族や身近な人達、本当に命の危険にある人を助けることさえ出来るってこと。

うまく行かない時は「助け合い」も出てきて、そんな時に友人や顧客の有り難さを感じ、もっと頑張ろうと感動することもある。でも大事なのはやっぱりその次で、努力の甲斐もなく撤退せざるを得なくなった場合、そしてその1年後に、誰が自分を覚えていてくれて手を差し伸べてくれるのか。この時に感じる、世間の非情さって言葉にはできないぐらいじゃないんですかね。

だからやっぱり自力で生きるしかないと思うわけです。そして万が一の時にどう生き残るか、再起するのかの準備もあってしかるべき。この辺を疎かに考えていると、小さな波風でも一喜一憂せねばならないように落ちていくのもこれまた良くあるパターンのような気がします。

じゃ、どうするべきか?

それをいつも書いているのがこのブログ。最近は、そのことに関して書いていませんが・・・。

「性格による」「向き不向きがある」とか私も書きますが、それって本当は「やるべきことをやらない言い訳にしか過ぎない」と実は思っています。そもそも私自身、合っているとは思っていません。嫌でもやらざるを得ない。

でも「やる気」「努力」「諦めない」ことで乗り越えることは出来ると思う。ま、何でも同じで、自分がやりたいことをやりたいようにやっていてうまくいくことなんて、そうそうないんじゃないですかね。「好きなことを突き詰めるしか無い」というのも一つの真実だと思いますが、「もう一つの道」を確保するべきだと思っています。

「リスクコントロールの重要性」は誰でも考えますが、そういう言葉の表面上のことじゃなくて、「自分のリスクとはなにか」をきっちり考えるのが一番重要だと思っています。

な~~~~んて、考えてもうまく行かないのが現実ですが、諦めたらそこで終了。マラソンと同じでしょう。

その時はその時という考え方もあると思うし、理解もできます。心配してもしょうがないことは多いですから。

でもその時はその時と思って、どうにかなったことってあるんでしょうか。それでどうにかなるなら、10数年は掛ける学校教育も意味がないというのと同じじゃないですか。

コロナの後・・・・。今まで見たこともない想像したこともない新しい世界が始まる予感・・・・。少なくとも「コロナ前に戻ることはない」と考えています。

私は今年、68歳になりました。でもまだまだ道の途中。やる気満々の方々と一緒に頑張りたいです。

久しぶりにこの歌を聞いて、コロナに立ち向かい、大きく変わるであろう新しい世界で生きていこうと思っています。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

     
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