次男坊が「オヤジたちがシドニーに住んでくれたら本当に嬉しい」と言ってくれた

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久しぶりにシドニーの次男坊とLineで会話をしました。

料理好きの次男坊に思い出に残るようなちゃんとした「柳刃包丁」でも買ってあげようと思って。

そんな中で様々な話が出ました。

彼はゴールドコーストの学生時代に、ゴールドコーストでは老舗の日本料理店で数ヶ月アルバイトをしたのですが、良い店で、裏方の洗い物をする彼にいろいろなことを教え、やらせてくれたとのこと。

それがキッカケで、料理、特に「鮮魚をおろして刺し身を作ったり」できるようになったこととか、私達がまだゴールドコーストに居た頃には彼にはなかった「釣りの趣味」の話にもなりました。シドニーって変な都市で、大自然がすぐ横にあって、釣りに行ってもとんでもない大物が釣れるようなところ。

シドニーには世界第二の規模がある「魚卸売市場」があるのですが、そこにもしょっちゅう行って買い物をしているとのこと。

5キロのヒラマサが120豪ドルだったとか、コロナのせいで魚介類が売れずに値下がりして、大きな伊勢海老がキロ単価20豪ドルまで下がったとか、ウニが豊漁で100グラム6豪ドルだったとか。

極めつけはこれ。オーストラリアの蓄養マグロですが、1キロ当たり30豪ドルだとか。これってマレーシアで買えば5倍以上の価格。なんでそんなに安いんだ?

私が、「もし俺がシドニーに住んでいたら毎日、魚市場をウロウロするだろうな」と言ったところ、「早くおいでよ、一緒に行こうよ。釣りも半端じゃなく面白いよ」と。そして「オヤジたちがシドニーに住んでくれたら俺たちも嬉しい」ですと。

こういうことって多分、初めて聞いたはずで、私としては本当に嬉しかったです。でもその次男坊の言葉は本音だと思います。家族も親族もいないオーストラリアで、頼れる「親方日の丸」があるわけでもなく、若い二人は本当に二人だけで頑張って生きているんですから。

シドニーに住むですかぁ・・・・。

きっと私達がシドニーに移り住んで今のマレーシアの生活と同等の暮らしをするとしたら、一月に100万円でも全然、足りないはず。なおかつ、当たり前ですが、所得にはしっかり課税される。

それを考えると「無理だ・・・」と思うわけですが、それが理由で愛する家族の近くに住むことも出来ないってやっぱりなんか変だと思いました。私達はどこでどんな生活をするのかの決定権があるわけで、そう決めればそれで済んでしまうことなのに。

今回、マレーシアのビザの件でいろいろ考えることがありました。

私達は本当にマレーシアに住んでいて良いのだろうか、って。

ま、今はマレーシアから出たくても出られない理由があるわけですが、その縛りがなくなったらシドニーで住むことを考えても良いかなと、フト思いました。

私達が今マレーシアにいるのは「家族を大事にしたい」から。でもシドニーに私達を呼んでくれる家族もいる。

年季が明けたらシドニーに住むことも真剣に考えてみようかな。でもその時がいつくるかは全くわからず。

私の計画では、歳を取ったら日本の「老人ホーム併設の高齢者用マンション」に住むしかないと考えているんですよ。私よりヨメさんのほうが長生きする確率はかなり大きいわけで、私がいなくなった後、ヨメさんが一人で海外で住めるとは思えないんですよ。当然、オーストラリア育ちの子どもたちは「年老いた親の面倒を子供が見る」なんてことは一切考えていないはずだし、私達も負担を掛けたくない。そもそも子どもたちは世界のどこででも生きていけるようになったし、将来どこに住むのかもわからない。

でも日本で私達夫婦が「老人ホーム併設の高齢者用マンション」に住めば、私がいつどうなっても安心。

実は他の計画もあるんですよ。

お金儲けが大好きな次男坊は「いつか独立したい」といつも言うんですよ。今は監査法人に務める公認会計士ですが、出世してもどうなるか、あるいは他社に移ってもどうなるかは見えているという。だから自分でやってみたいと。

ま、若うちは皆同じことを考えるわけで、私もそうやって生きてきたわけですが、もし次男坊にそのつもりがあるのなら、無から何かを始めるより「いつかマレーシアに呼ぶ」のも良いと思っているんです。息子たちは異常なほど仲が良いし、子どもたちが小さい頃から「皆で何かをする夢」を私は持っていて、それもあって、子どもたちには「金融関係が良い」と催眠術にかけて大学の学部もそっち関連を主体に選ばせたくらい。(笑)

次男坊は金融、統計、会計のプロ。長男は(大学は経営学)トレーダーとしてチャートアナリシスのプロ。そして私の長年培った私流のリスク管理、何をどう攻略するべきのノウハウがあればなにかおもしろいことが出来ると思っているわけです。詳しいことは書きませんが、私も息子たちも大好きな分野の仕事。

でも今の私達はそのマレーシアに来た時の計画通りに進んでおらず、「親子3人で組んでなにか始める」というには程遠い。もし今、次男坊夫婦が「来たよ~」なんてことになったら大騒ぎになる。(笑)

進路変更とか諦めることも大事ですが、まだ私も長男も「やるべきことをやりきった」とは言えない状態。毎日、流されつつノホホンと生きている。だからここで進路変更とか諦めると禍根が残るというか、自分たちが駄目になると感じるわけです。

まだまだやるべきことはごっそりある状態。

でもそういう夢は横に置いといて、普通に家族が近くに住み、一緒に釣りに行ったり、魚を買ってきておろしてパーティをしたり、そんな生活のほうがどれだけ価値があるかって思うわけです。そもそもそういう生活を目標に、1991年に私達は家族4人でゴールドコーストに渡り、家族中心の日本では考えられない自然豊かな環境の中で幸せな生活ができたのですから。

多くの人は「海外ロングステイ」に価値を見出している。ところが我が家は「海外生活」そのものにもう何も感じないし、それよりかつてそうだったように、家族が集い、一緒に遊び、生活を楽しむ方が私にはとんでもない価値があると思うわけです。それが日本であったとしても良いと思うし、しかもそれをやろうと思えばできないわけでもないのですから。

マレーシアのMM2Hビザのゴタゴタで、私が持っていたマレーシアへの信頼感とか期待感とかそういうものは一気に消滅したし、マレーシアに来たことさえどうだったのかを考える状態。そもそもヨメさんはマレーシア行きにはずーっと反対だったし、ヨメさんが行くと覚悟を決めたころに(ストレスが原因と言われる)乾癬というややこしい病気にかかってしまった。そしてその病気のために「人に会うのを極端に嫌う」ようになって自ら座敷牢に入って生活をしているような状態。

また長男は日本での就職も決まっていたのに、私が「夢のような計画」を話し、お前も乗らないか?とマレーシアに呼んでしまった。

でも計画は予定通りには進んでいない。そしてもう5年の月日が経った。

これって「私が余計な夢を見たこと」によって、皆が不幸になったのかもしれないってこと。

責任重大。

だからこそその夢を中途半端に投げ出したくないとも思うわけです。でもそれはもしかしたら「二度目の間違い」になるのかもしれない。

そんなことを考えている今日このごろ。

 

 

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