最近、為替の変動が凄いですね。日本は大丈夫なんだろうか。
最近の動きは「円安」と「ドル高」の両方があって、海外在住者の中でも特に円を多く持っている人、収入の源泉が円の人はかなり厳しいことになっている。(ちなみに私の資産、収入のほぼ全ては米ドル建てなので、今の動きは大歓迎。でもこういう組み立ては本来そうするべき理由があるわけでもなく、リスクが非常に高い)(リンギットは必要最低限の額しか持っていない)
USD/JPY (D)
マレーシア在住の方はリンギットと日本円の動きが気になるはず。
MYR/JPY (D)
週足で長い期間を見てみると、いかに為替変動って恐ろしいかよく分かる。つい6年前の2015年には1リンギットが35円だったこともある。でも当時はリンギットで定期を組んでも利回りは良いし、そこを大きく喧伝して「マレーシアで定期を組めば老後が・・・」なんて言う人も多かった。でもそんな小さな利回りの違いは為替変動で簡単にすっとぶ。
2012年から
MYR/USD (W)
世界的な低金利時代で、魅力的なマレーシアの利回りも今は見る影もない。でもま、「それでも日本よりは良い」と自分を慰めることは出来なくもない。
難しいですよね。
でも面白いもので、こんな時でも素人が「今後の為替の読み」を言う。
為替に限らず相場で動くものはそれなりの要因があるわけで、それをきっちり分析すれば相場の行方は予想できると考える人は多い。でもねぇ、それが本当なら負ける人はただのバカとなるし、大手の投資会社が破綻したり、大手企業が為替でいくら損した、儲かったなんて大騒ぎになるのは一体なぜなんですかね。世界の天才クラスのアナリストをごっそり抱えているのにです。
彼らの多くは「事業」をしているわけで、当然、それを継続していかなくてはならないから、「将来の予想は非常に重要」となる。でも私達一般は「自由自在に行動を決めることが出来る」し、「休んで高見の見物をすることも可能」なのね。だからああいう人たちと同じ土俵で考える必要はないはず。
だから私は「自分に将来がわかるわけもない。私の予想は単なる頭の体操レベルでしかない」と昔から考えるようになりました。私がファンダメンタルズを軽視するのはそれが理由です。私達にわかる間違いのない事実はたった一つだけ。それは「過去と現在の値動き」。ここから何を見出すかに全てが掛かっていると思います。ファンダメンタルズの変化は必ず値動きに出るという考え方で、私に重要なのは「値の変化」であって、「ファンダメンタルズの変化ではない」のね。
こういう相場のことをブログに書くと、「今後どう動くのかを知りたい」と思って見に来る人が常に存在するのね。
そういう人たちが実は「トレーダーに糧を与える原資となる」のが現実。
私達は常にジャットコースターに乗っていると考えるべきじゃないですかね。それも目隠しをして。だから次にどんなコーナーがあるのか、上に行くのか下に行くのかもわからない。
でも【今】上がっているのか下がっているのか、コーナーを回っているのかは【体感として感じることは可能】で、それだけを重視するという戦法が実は一番簡単で、実は凡人には【それしか手はない】のもわかるはず。
そしてそれは【常に変化する】わけで、それに合わせるしか無いんじゃないですかね。そして「その動きに合わせて私達は変化できるという【本来ならあり得ない立場を有効に使う】ことが重要」だと思っています。もし事業をしていたら「今、円安だから輸入はやめよう」なんてことはあり得ないわけですが、私達は自由に動ける。
でも定期預金にしたり債券を買ったり、あるいは不動産にしても海外物件を持っていたりするわけで、それらを為替の動きに合わせて売ったり買ったりはできない。
ここで出来ることは2つしか無い。
【ヘッジをする】
【諦める】(運を天に任せる)
これしかないと思っています。
でもヘッジも簡単にはいかない。当たり前ですよね。でもそれを最初から諦めるのなら、そもそも投資を考えるべきではないのかもしれない。「買って放置しておいたら利益が出た」なんてのは、ギャンブルで勝った人が言うだけのこと。(ただマレーシアリンギットに関しては【ヘッジ】は非常に難しい。それが出来るマーケットが無いのと同じだから)
さて、私達はギャンブルをしているのか?ギャンブルをしたいのか?
「今後の為替の動きを知りたい」と思う人は、まずそこから自己点検をする必要があるのかもしれない。自分は「当たる競馬の予想屋を探しているだけ」かもしれない。でもその予想屋は「予想を売って利益を出している」わけで、予想が当たるなら予想屋を続けるわけがない。
「儲け話がありますよ」というのも同じで、「儲け話があるなら、それを他人に教えず、自分で借金でもして投資すれば良い」んじゃない?
でも世の中には常に儲け話に引っかかって財産を失う人が多い。「為替の予想を知りたい」と思う人って、「どこかに儲け話はないか探している」のと同じだと私は思うんですよ。
かつて私は、「自分は相場なんてわからないから手を出さない」という多くの人たちに、「それはもったいないんじゃないですか?」「海外に出たら為替の動きを無視して生活することはできないのだから」とか、そういう考え方を持っていました。
でも今はまるで変わっていて、「中途半端に手を出すならやるべきではない」と思うし、【為替の変動に合わせて生活も変えるのがベスト】だと思うようになりました。
歳なんでしょうねぇ。(笑)
でも若い人達には、「為替然り相場の動きを無視して生きることは不可能」なのだから、しっかりその中で生き抜くノウハウを【時間を掛けてしっかり学ぶべき】だと思っています。
でも「しっかり学ぶ」のが大事で、「ちょっと証券取引口座を開設して、株を買ってみた」なんてのはやってもやらなくてもどうでもよいレベル。逆に「売買シミュレーション口座」なるものも世の中には存在していて、「それで丸々1年、しっかりやってみる」なんて方がよっぽど良いと思います。「ちょっとやってみた」というのは「何もしていない」のと同じ。
FXにしても株式にしても先物にしても同じですが、「どうやって大金を手にするか」を考えがちですが、「どうやったらその変動で大損しないように出来るか」というアプローチも良いと思うんですよ。あるいは「お小遣いが出来れば十分」という考え方もある。
私はここは非常に大事だと思っていて、どういう目標を持とうと、【やるべきことは同じ】なのね。
でも相場と付き合っていちばん大事なことは「いかに自分の感情、潜在意識と戦うか」なわけで、【欲望を丸出しにすると勝てない】のは間違いがないですし、「(野球の)イチローになることは夢みず、草野球を楽しむ感覚」でも良いと思うんです。でも「手抜き」をすれば、草野球とて負け続けるのは間違いがないと思っています。
私は、いつの日か、普通の若者がアルバイトを普通にやるのと同じ様に、相場から収入を得る時代が来ることを心の底から願っています。
ビットコインも同じで、「それを保持続けたら儲かるのかどうか」に気を取られるのは、株式市場やFX市場が出来た大昔から「何を買って保持していれば儲かるのか」を【すべての人が考えた】のと同じだと思うんですよ。その結果は結局ギャンブルと同じ結果じゃないんですかね。これって「誰しもが通る道」で、値が上がっている時には「これに投資しないやつはバカだ」みたいな風潮になるけれど、長い時間軸でみると、まさにジェットコースターであるのが現実で、「損した人はそれをいちいち言わない」だけのことで、少なくとも自分の周りにいる人達で、相場に手を出したことがある人達の話を聞いてみればわかること。これって大昔から同じなのね。「なぜ手を出した80%以上の人は儲けられないのか」をしっかり考えるべきで、そういう人たちに「共通点がある」ことに注目するべきだと思っています。
自分の本能、潜在意識は【実は、自分が損する方向にしか働かない】ことに早く気がついた人が次のステップに行ける。特に海外では「システムトレードが重要」だと言われますが、まさにそれなんですね。「自分の感情や思いつきの判断を排除する」ということ。
Bitcoin USD (D)
このビットコインの動きを見て、将来これが何倍にもなるとか、また暴落するだろうとか、それを考えるのは無意味だと私は思うんですよ。それは「神の領域」であって、私達が何を考え、分析したところで、【値】は常にその時その時の世界情勢に影響を受けて動くじゃないですか。それまで予想することが可能だと思います?そしてその遠い先に「大儲け、大損」が控えている。
私はトレードは「ボクシングと同じ」だと思っていて、別に野球でもゴルフでも良いですが、「刻々と変わる情勢、値動きの中で【いかに有利に動くか】で勝敗は決まる」んじゃないですかね。そしてその勝敗は「小さな攻撃と防御の連続、そしてその蓄積の結果」として出てくる。
ビットコインにしても「これを買えば儲かるだろうか」という考え方って、「私はボクシングをしたら世界チャンピョンになれるだろうか」、野球で言えば「頑張れば甲子園に行けるだろうか」と【やる前から想像する】のに似ていると思うんですよ。
そんなのやってみなきゃわからないってのが正解じゃないんですかね。
でもボクシングも野球もゴルフでも、自分でスキルを磨いて、チャンスの時には攻める。危ない時には逃げる。それの積み重ねでしかないはずなのね。最終的な勝ち負けは「神様に任せる」考え方って私は重要だと思っていて、私達は「一打、一投ごとを大事にして、小さな得点を積み上げる」ことしか出来ないはず。
そして「ここは一気に攻撃をかける」とか、「ちょっと様子見」とか、「距離を置いて逃げる」とか、そういう判断は【過去と現在の値動き】からある程度見えるということ。これはボクシングも野球もゴルフも同じじゃないですかね。そのスキルが全く無くて、「がむしゃらに攻撃をする」ことで勝てる勝負って無いんじゃないですかね。
何事も経験が大事ですが、「こういう事が起きると、次は大体こうなる」みたいな経験則があるじゃないですか。
その経験が詰まっているのが「過去と現在の値動き」であり、それを表すのがチャート。
つまり、経験を積むというのは、何年もそれに携わるということじゃなくて、何年何十年、ありとあらゆる出来事が詰まっているチャートを読む。これこそが経験を積むという意味だと思っています。
でもその過去の経験を読む方法っていろいろあって、「これを使えばわかる」ってほど単純じゃないのは、私達の現実世界と全く同じ。でもやっぱり「基本」というのがある。といいつつ「どれを基本とするかは人それぞれ」で、自分にあったものを見つけるしかない。
私がブログに出すチャートって、私がトレードに使うものとは違うのですが、このチャートは「誰でも無料で使えるチャート(www.tradingview.com/)」で、使うインジケータも簡単なものばかり。誰にでも簡単に同じチャートを作れるので、あえてこれを出しています。
◯ 平均足
◯ HMA
◯ Doda Donchian
◯ ストキャスティクス
これだけでも「大事なポイント」が存在するのが見えるはず。見るべきものは「方向性」と「強さ」のみと言っても良いと思います。(この見方はそれぞれのトレード手法によってもかなり大きな違いがある)
でも常に読めるわけじゃないのは当たり前のこと。ここを勘違いしては駄目なのね。
決して簡単ではない。でも私達には強力な道具があるのを忘れてはならないと思っています。
チャートの簡単な見方がわかるだけで、「今現在のあるべき基本姿勢」も見えてくるはずで、相場と向き合って「億り人」にはなれないにしても、「大きめのお金を移動する時」、あるいは常にある「両替」にしても、タイミングが見えてくるはずなのね。
そしてその延長線上に「億り人」がいるのは間違いがなくて、たまたま大金を突っ込んだら大当たりしたというのは、たまたま大損したのと【同じ意味である】ことを忘れちゃならないと思っています。「大きく儲けた人」って目立つし「俺も・・」と思うのが普通だけれど、それが何よりも危ない考え方だと思います。これは普通の仕事、商売も同じ。
でもま、どういうアプローチがベストなのかはその人その人、それぞれの考え方でまるで違うわけですが、私の考え方は、相場もスポーツも同じで、「一投一打を大切に勝ちを積み上げていく」ものだと思っています。運を天に任せるのではなくて、着実に利益を積み上げていくのが良いというのが、私の人生の基本。言葉を変えれば「勝負はしない」のが私流のリスクヘッジ。基本はやっぱり「努力の積み重ね」でしかないんじゃないですかね。またそれがあるから「他人には一発勝負」に見えても、「自分としては勝負をかけたつもりはない」みたいなこともあるはず。
ギャンブルはギャンブルと割り切って楽しむのはそれはそれで良いと思いますが、トレードはギャンブルではなくて、努力次第でどうにかなるという希望は是非、捨てないで頂きたいと思います。
若い人には「時間」という何にも代えがたい素晴らしい資産があるわけで、慌てること無く、相場と5年10年、きっちりポイントを抑えて過ごしていれば、「相場の達人」になることは無いかもしれないけれど、「給料分ぐらいは相場で稼ぐ」なんてことは普通に起きるのを忘れないで頂きたいです。
でも大金を掴むのって本当に難しい。これって「自分の器」も大きく関係していて、トレードの世界も面白いのは、「腕は抜群」なのにいつもチョロチョロ稼いでいるだけみたいなトレーダーも結構多いのね。
実は私が望むトレーダーの理想はそれだったりする。(笑)
人の行く 裏に道あり 花の山